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ヘロデ王の最後(使徒の働き12:18~25)

「ヘロデ王の最後」

使徒の働き12:18~25 

教会の主なるイエス・キリストの父なる神さま、尊い御名を賛美します。雨が続いておりますが、私たちの健康を守り、こうして今週もあなたを礼拝するためにこの場に集わせて下さり心から感謝します。これからみことばに聞きますが、どうぞ御霊によって私たちの心を整えてくだり、よく理解し、あなたのみこころを悟らせてくださいますようにお願いします。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

 

エルサレム教会では、それまでのユダヤ人からの迫害に加えて、その当時領主としてエルサレムを治めていたヘロデ王(ヘロデ・アグリッパ1世)からの弾圧も加わり、まずは見せしめとして使徒ヤコブが殺されました。それがユダヤ人に好評だったので、ヘロデ王はさらにペテロも捕らえ、投獄しました。ところが公開処刑されることになっていた日の前の晩、獄中にみ使いが現れ、厳重な監視の中にいるペテロを連れ出したのでした。ペテロのために祈っていた家の教会は、はじめはペテロが玄関口にいるという女中ロダの証言を信じなかったのですが、実際にペテロの無事な姿を見て大喜びして神を崇めたのでした。ペテロは事の一部始終を兄弟姉妹に報告して、追手が来る前にそこから立ち去りました。 

「朝になると、ペテロはどうなったのかと、兵士たちの間で大変な騒ぎになった。ヘロデはペテロを捜したが見つからないので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じた。そしてユダヤからカイサリアに下って行き、そこに滞在した。」(1819節) 

結局番兵たちは朝になるまで眠りこけていたようです。朝起きてみると鎖が外れており、ペテロがいなくなっていました。4人ずつ4組、16人いたという兵士たちは、おそらくエルサレムの城門をロックダウンし、都中を駆け巡りペテロを捜しますが、もう後の祭りでした。こうしてペテロはまんまと逃げきったのです。

3年ほど前「逃げ恥」というドラマが流行りました。これはハンガリーのことわざ「逃げるは恥だが役に立つ」から来ていますが、確かに私たちの人生で、逃げた方がいい場面というのは少なからずあります。特に自分の命を守るために逃げることは恥ずかしいことでもなんでもありません。そういえばイエスさまの両親マリヤとヨセフもヘロデ大王による二歳以下の男の子殺害の命令が下ったとき、幼子イエスさまを連れてベツレヘムからエジプトに逃げました。ペテロは殉教の覚悟もできていましたが、神さまが命を救ってくれたので全力で逃げたのです。私たちクリスチャンは、天国にあこがれるあまり、生きることに淡泊なわけではありません。むしろ神さまに生かされている限り、精いっぱい生きたいものです。生き抜きたいものです。 

さて、ペテロがいなくなってヘロデ王は憤慨しました。念には念を入れて16人もの番兵をつけたのに、まんまと逃げられてしまったからです。普通では考えられない何かが起きたのだろうということは、ヘロデにも察しがついたことでしょう。けれどもヘロデ王は番兵たちを取り調べさせ、このことは神の超自然的なわざではなく、あくまで兵士に落ち度があってのことなのだとして、彼らを処刑したのです。 

そしてヘロデ王は、予定ではペテロの公開処刑を終わらせてから、カイサリアへ下って行くはずだったのに、それができず悔しい思いをしながら、それでも予定通りカイサリアへと向かいました。カイサリアにはヘロデ王の宮廷があり、本来そこで執務を行うべきなのですが、ヘロデ王は普段は好んでエルサレムに滞在したようです。今回カイサリアに戻った目的は、ローマ皇帝の誕生日か何か祝い事があって、その祭り、式典を行うためでした。 

ここで次を読み進めていく前に、ヘロデ王朝について少し調べてみましたのでご紹介します。前の説教でもお話ししましたが、この使徒の働き12章に出てくるヘロデ・アグリッパⅠ世は、ヘロデ大王の孫にあたります。祖父ヘロデ大王はベツレヘムの二歳以下の男の子を皆殺しにすることによって、幼子イエスを殺害しようとした王です。彼はローマ元老院の支持を得て領土を広げ、ユダヤ人の王としての称号を手に入れました。ところが彼は実は純粋なユダヤ人ではなくイドマヤ人でしたから、誇り高きユダヤ人は彼を受け入れませんでした。ヘロデ自身はユダヤ教に改宗し、彼らの歓心を買うために神殿の改修事業を行い、ユダヤの祭司の流れをくむ名家の妻を迎えるのですが、彼の血筋に対する劣等感は払しょくされることなく紀元4年にはその治世を終えました。彼には10人の妻と15人の子どもがいましたが、そのうちの3人の息子に領地を分割し支配させます。その三人の息子のうちの一人がヘロデ・アンティパスで、次は彼がユダヤ地方を治めることになりました。彼のことも聖書に出てきます。彼は異母兄弟ヘロデ・ピリポの妻ヘロデヤを奪い自分の妻としました。ところがバプテスマのヨハネにその罪を指摘されたので、妻ヘロデヤは気分を害していました。そんな時にヘロデヤの連れ子サロメが、パーティーの席で上手に踊りを踊りました。王は大変喜んで褒美として何でも好きなものをあげようと約束したのです。すると娘は、母ヘロデヤにそそのかされて、バプテスマのヨハネの首をねだるのでした。こうしてヨハネは殺害され、その首は盆にのせられて娘に送られたというのです。 

そして次にユダヤ地方を治めたのが、12章で登場するヘロデ・アグリッパⅠ世です。彼は処世術にたけていて、ローマ皇帝カリギュラと親しかったために、紆余曲折はあったものの、最終的には「皇帝の友(アジカス・カエサル)」との称号を与えられ、ユダヤの王として認められました。彼の治世は先代の王たちに比べると良好だったと言われています。彼はユダヤ教に熱心で、エルサレム神殿をとても大事にし、ユダヤ人とユダヤ教に対し優遇措置を取っていたからです。そしてますますユダヤ人に媚びるようになっていました。そしてユダヤ人たちが嫌っているクリスチャンへの弾圧を強めたのです。 

「さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対してひどく腹を立てていた。そこで、その人々はそろって王を訪ね、王の侍従長ブラストに取り入って和解を願い出た。彼らの地方は王の国から食料を得ていたからである。」(20節) 

さて、ここに出てくるツロとシドンは、イスラエルの北に位置するフェニキアの大都市で、自治を許された自由都市でした。またこの地域はヘロデの所轄地から食糧の供給を受けていました。おそらくこの地方一帯の米どころでもあったガリラヤから食糧を輸入していたのでしょう。ところが何があったのか聖書には何も書いていないのでわかりませんが、ツロとシドンの人々はヘロデ王を怒らせてしまいました。そして制裁措置として食糧の供給が受けられなくなってしまったのです。これは死活問題です。そこでツロとシドンの人々は王を訪ねましたが、直接には王との謁見を許されず、侍従ブラストに取り入って和解を願い出たのです。取り入ってというのはおそらく袖の下、賄賂を渡したということでしょう。そしてこれは私の想像ですが、ブラストはツロとシドンの人々に入れ知恵をしました。「もう間もなく、皇帝の祝福を祈願する祭りがある。その時にうんと王を賛美するのだ。そうすれば王も機嫌を直されるだろう…。」 

「定められた日に、ヘロデは王服をまとって王座に着き、彼らに向かって演説をした。集まった会衆は、『神の声だ。人間の声ではない』と叫び続けた。すると即座に主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫に食われて、息絶えた。」(2123節) 

この場面については、ヨセフスという歴史学者というか歴史小説家?がおもしろいことを書いているので参考にしてもいいでしょう。ヘロデは祖父ヘロデ大王が建設した巨大な円形劇場の中央に着座していました。劇場の周りには大勢の人々が参列しています。ツロとシドンの人々もいたのでしょう。ヘロデ王は銀製の王服を着ており、それが朝日に照らされて見事な輝きを放っていました。実際に人々の目にはそれが神々しく映ったのでしょう。そして王の演説も素晴らしかった。人々は思わず歓声を上げて叫びました。「私たちを憐れんでください。これまで私たちは、あなたを人としてのみ敬ってきましたが、これからは人間以上のお方として崇めます!」こうしてみな立ち上がり拍手喝采したのでしょう。ヘロデ王は非常に気持ちよくなりました。彼は人々の過剰な賞賛を制することもたしなめることもなく、そのまま受け取ったのです。そしてそれが彼の命取りになりました。彼は即座に主の使いに打たれました。ここには「虫に食われて」とありますが、私はさそりか何かに刺されたのだと思っていましたが、それについてヨセフスはこう解説しています。ヘロデは寄生虫に腸壁を食いちぎられて、激しい腹痛に襲われ、そのまま宮殿に運ばれ、5日間苦しんだ後に死んだのだと。こうしてヘロデ王は享年54歳でこの世を去ったのでした。これがヘロデ王の最後でした。この世の富と権力を手中に収めた王が絶頂を極めた時にその生涯は終わりました。私たちはここから何を学ぶでしょう。 

1、人の評価を気にする人生の危うさです。ヘロデ王は代々ユダヤ人の歓心を買うことに腐心し続けました。けれどもそれはなんとむなしい生き方でしょうか。人の心は変わりやすいのです。今日は自分をほめていたとしても明日もそうだとは限らないのです。イエスさまでさえ、エルサレム入城の際には、「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」と歓喜の声で迎えられたのに、数日後には、それが「十字架につけろ!」に変わったのです。人は変わりやすい。そんなものを頼りに生きてはいけないのです。私たちはどうでしようか。いつも人の顔色を見て、人の評価を気にして生きてはいないでしょうか。そのような生き方はとても不安定で、いつも振り回され疲れてしまいます。変わらない神さまを見上げましょう。神さまの愛は変わらず、決して私たちを見捨てません。私たちがどんな状態にあってもです。 

2、神さまに栄光を帰する人生のすばらしさです。自分に栄光を帰してはいないでしょうか。それは神の栄光を盗むことです。ヘロデは人々の称賛の声に酔い、自分を神の位に置きました。そして神に打たれたのです。私たちが人よりも優れたところがあるとしても、それはすべて神さまからいただいた賜物ではないでしょうか。Ⅰコリント4:7にはこうあります。「いったいだれが、あなたをほかの人よりもすぐれていると認めるのですか。あなたには、何か、人からもらわなかったものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。」ウエストミンスター小教理問答の問1をみなさんご存知でしょう。「人のおもな目的は、なんですか?人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。」最初の人アダムは、この問答の通り、神の栄光をあらわし、神を喜んで生活していました。ところが人に罪が入り、人は神の栄光をあらわせなくなってしまいました。しかし、イエスさまによって罪の解決をいただいた私たちは、もう一度この身をもって神の栄光をあらわすことのできる存在となったのです。つまり神さまのご栄光の輝きをこの身に受け、それを反射させることができるようになったのです。ヘロデは銀製の王服を着て、そこに朝日が当たってそれが反射してきらきら輝いたとヨセフスが書いています。それはヘロデの輝きではない、朝日の輝きでしょう。それなのにヘロデは自分の輝きとしてしまったのです。私たちは、神の栄光を横取りしていないでしょうか。自分の輝きのように勘違いしていないでしょうか。台湾のクリスチャンは「感謝主」という言葉をよく使います。「若々しいわね、きれいね」というと「感謝主!」「息子さん大学受かったんだって?よかったね!」「感謝主!」「会社で昇進したんだってね!」「感謝主!」「お料理上手ね!」「感謝主!」いい習慣ですね。私たちもすべての栄光を神さまにお返ししましょう! 

「神のことばはますます盛んになり、広まっていった。エルサレムのための奉仕を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、戻って来た。」(2324節) 

神のことばはつながれていません。キリスト教会の歴史は不思議なもので、迫害下にあっても、いや迫害下でこそますます広まっていくのはなぜでしょうか。この後ローマの迫害の中でクリスチャンはますます増えていきました。中国でもそうです。家の教会、地下教会でクリスチャンが爆発的に増えており、このまま増え続けると、中国のキリスト教人口は、2025年までに16000万人、2030年までには24700万人に拡大するだろうと言われています。日本でも禁教が敷かれ、踏み絵に代表されるような迫害が起こったときに爆発的にキリシタンが増えました。なぜでしょうか。いろいろ要因はあるでしょうが、その一つに迫害下にあってもクリスチャンがなお輝いていたことがあるでしょう。こんなに迫害されても彼らが手放そうとしないこの信仰は何だろう、こんな苦しみの中でなお彼らを輝かせているものは何だろうと人々に思わせたからではないでしょうか。クリスチャンが神に栄光を帰するときに、救われる人が起こされます。そしてバルナバとサウロ、そして当時まだ若いお坊ちゃんマルコは、エルサレムに献金を携えていくという奉仕を果たしてアンティオキアに戻ってきました。そしてこのあと13章から、神さまの輝きを広めるべく、彼らは伝道旅行に出かけるのです! 


天の父なる神さま、あなたにすべての威光と尊厳と栄誉をお返しいたします。あなたこそ良きものの源であり、完全な愛と義を備えておられるお方です。私たちはあなたの前にひざまずき、ただ主を崇め賛美します。主イエスキリストの聖名によってお祈りいたします。アーメン。


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