スキップしてメイン コンテンツに移動

あなたの敵を愛しなさい(マタイ5:44)

 

「五郎くんVS.太郎くん」

1.     「五郎君VS太郎君」みんなは五郎君を覚えていますか?そう。五郎君は男ばかりの5人兄弟の長男、小学5年生。今回は五郎くんと同級生太郎くんのお話です。

2.     五郎くんのクラスには太郎くんという男の子がいました。この太郎くん、なかなか大変な子でした。からだが大きくて、乱暴で、自分勝手で、何か気に入らない事があるとすぐにどなって、時には手が出たりします。とにかく力が強いので、だれも太郎くんに立ち向える人はいないのです。

3.     ある日のこと、五郎くんがグランドで遊んでいると、太郎くんがやってきて、「ここは俺がサッカーをする場所だ!あっちいけ!」なんて言うのです。五郎くんは思い切って言い返しました。「やだっ!グランドはみんなの場所だぞ!」すると力の強い太郎くんは、「俺に逆らうのか!!」と怒って、五郎くんに関節技をかけてきたのです。「いたたっ!やめろよ!!」まわりで見ている人も、太郎くんが恐くて、誰も助けてくれません。「くそぉぉぉぉ、くやしいよ~。悪いのはあいつなのに。なんで俺が負けるんだよ~」五郎くんはどうすれば太郎君をやっつけられるか考えました。「そうだ!あの人に相談しよう!」…あの人って誰でしょう?

4.     日曜日、ハレルヤタイムに行った五郎くんは、真っ先に牧師先生のところに行きました。「先生~。ぼくのクラスに嫌な奴がいるんだ!やっつけてくれよー」 実は、五郎くんの教会の先生は元プロレスラーでした。体が大きく、筋肉もりもりで、見た目はとっても強そうで、ちょっと怖い感じがするぐらいです。今でも、毎日鍛えているらしい。もちろん心は優しいんですけどね。だからみんなにマッチョ先生って呼ばれていました。

5.     マッチョ先生は五郎くんの話しを頷きながら聞いてくれました。「フムフム、なるほど。五郎くんには敵がいるってわけか…。それならちょうどいい聖書のことばがあるよ」と、聖書を開きました。「五郎くん、‘あなたの敵を愛しなさい’っていう聖書の言葉を知っているかい?」「え?敵を愛する?何それ?敵を好きになてってこと?それだったら無理だよ。」「違う違う、別に好きなる必要ないんだよ。愛するっていうのは、親切にするってことだよ?」「えっ?そうなの?悪い奴なのに?イエスさまって正義の味方じゃないの?悪い奴をやっつけてくれるんじゃないの?」五郎君がそう聞くと、先生は言いました。「なんでだろうね。とにかくイエスさまがそう言ったんだ。イエスさまのご命令はとにかくやってみなきゃ。そうすれば、なんでイエスさまがこんなことをおっしゃったかわかるはずだよ」「ふーん、そんなもんかな~。せめてプロレスの技でも教えてくれりゃいいのになぁ。あの関節技をかわすにはどうしたらいいか…とかさ~」でも、マッチョ先生はニコニコして、「まあ、やってみろっ」というだけで、プロレスのわざを教えてくれそうもありませんでした。五郎くんは「はあ、仕方ないな~」と言いながら、お家に帰っていきました。

6.     次の日の朝、学校に行く途中で、五郎くんは太郎くんに会いました。いつもだったら声もかけずに、さっと通り過ぎるし、この前のケンカの事もあるから、後ろから飛び蹴りでもしたいぐらいだったけど、「うーん。だけど‘敵を愛する’だっけ…。愛するって、親切にするってことだよな?」五郎くんは勇気を振り絞って、「や、やあ、おはよっ」っそう声をかけました。太郎くんはびっくりしたようでしたが、「おう」とだけ答えました。五郎くんは思いました。「やったぜ、俺だってやればできるじゃん!」ちょっと気持ちのいい朝でした。

7.     でも、その後は散々でした。太郎くんは、いつもと同じ。みんなの嫌がることばかりをします。それどころか、五郎くんが、すごーく楽しみにして、最後に食べようと思っていた給食のプリンまでとっちゃったのです。「おまえ、プリン残すのかよ!もったいないな~、嫌いなら俺が食べてやるよ。」「やめろよ、俺のプリン返せよ~」「ありゃ、俺の口の中にプリンがおちちゃったよ~、わり~な~!」「もう!!」五郎くんは、とびかかって殴ってやりたかったけど、それをしてもまたあの関節技でやられるのがオチ。「何が敵を愛せだよ」「何が親切にしろだよ」「まっちょ先生はあいつのことを知らないから、あんなことが言えるんだ!敵なんか愛したって無駄なんだよ。ガツンと一発殴ってやらなきゃ!」

8.     五郎くんはその日も教会に行きました。そして怒りを爆発させました。「やっぱり無理だよ、先生。太郎のやつ、ホントムカツク!今度やられたら、オレ絶対殴ってやる!マッチョ先生、関節技のかわし方教えてよ!」先生は、お茶を出しながら言いました。「そりゃ、自分の力でやろうとしても無理だね。神さまから力をもらわないと。太郎くんに親切にできるようにしてくださいってお祈りするんだよ。さあ、お茶を飲んだら二人でお祈りしようぜ。」

9.     それからも、太郎くんは相変わらず嫌なやつでした。でもある日、太郎くんが教科書を忘れているのを横で見ていた五郎くんは、いつもなら心でざまーみろって思って無視するんだけど、今日はなぜか「しょうがないな~、俺の教科書見る?」と言って、机をくっつけて、教科書を見せてあげました。太郎くんは「おう」って言うだけでお礼も言わなかったけど、ちょっと嬉しそうでした。五郎くんは、そんなことをしている自分がちょっと不思議だったけど、なんだかちょっといい気分でした。

10. さて、掃除の時間です。いつもはサボってばかりいる太郎くんがなぜか今日はちゃんとお掃除をしていました。五郎くんは太郎くんに、「ごめん、ちょっとこの辺履くから、机運んでくれない?」太郎くん、いつもなら「何だと~、俺に命令するなよ」と言うところなのに、なぜか「おう」と言って運んでくれたんです。五郎くんは嬉しくなって、「ありがとう!」って言ってみました。太郎くんは何にも言わなかったけど、そのあと「ふん、ふ~ん♪」なんて鼻歌歌ってから、きっと気持ちよかったんだど思う。その後も、五郎くんのぎこちない声掛けや、小さな小さな親切が続きました。

11. すると、太郎くんも少しずつ変わって来ました。そして、そのうちに「おう」だけじゃなくて、五郎くんにいろいろ話しかけてくるようになりました。そして、五郎くんが消しゴムを忘れた時にも、消しゴムを「おれ二つあるから、今日一つ貸しといてやるよ」って言ったり、「おい、五郎、今日学校から帰ったら遊ぼうぜ」って言ったりするようになったのです。大変化です!知らない間に二人は大のなかよしになりました。

12. さて日曜日!「マッチョ先生、太郎くん連れてきたよ~」「おっ、君が太郎くんか。プロレスうまいんだってな、先生と勝負するか?」「あれ?言ってなかったっけ?先生はもとプロレスラーなんだ。」「えっ?ホント?すげー!!俺になんか技を教えてくださいよ」「プロレスの技かい?先生と五郎は、プロレスの技よりももっと強い技を知ってるんだぜ。」「え?何ですか、それ?」「なっ!?五郎」「うん!」二人はそう言いながら目配せをするのでした。プロレスの技より強い技ってなんだろうね。みんなは、もう知ってるよね。おしまい

 


コメント

このブログの人気の投稿

いのちがけで逃げなさい(創世記19:1~38)

「いのちがけで逃げなさい!」 創世記 19 章 長い聖書朗読になりました。前半のソドムが滅ぼされるところと、後半のロトと娘たちの近親相姦の記事を分けて扱おうとも思いましたが、「いのち」と「滅び」について、神さまの御思いと、人間の思いの落差というカテゴリーでくくれると思い、一気に読むことにしました。 ソドムの町には、み使い二人だけで来たようです。アブラハムが天幕を張っていたヘブロンからソドムまでは、約60キロ。アブラハムのところには、「日の暑いころ」(18:1)に訪れていますから、その後ゆっくりアブラハムのおもてなしを受けたとしたら、夕暮れにソドムに着いたというのはあり得ないのですが、そこはみ使いですから、超自然現象だと理解したいと思います。 み使いたちが到着すると、ロトがソドムの門のところに座っていました。当時は、長老格の人たちが、町の広場や門のところに座り、民を裁いていたと言います。また後に、ソドムの人が、ロトを批判して「こいつはよそ者のくせに、さばきをするのか!」と批判していますので、ロトは、ソドムの町でも知恵と人格において一目おかれていたことをうかがい知ることができます。 またロトは、アブラハムといっしょにいたころの「神の民」として生き方や文化、習慣みたいなものも残っていました。そしてもちろん、堕落したソドムにあっても、創造主なる唯一の神を信じていました。旅人を見ると、アブラハムと同様、立ち上がって彼らを迎え、丁寧にお辞儀をして、「ご主人がた、どうか、このしもべの家に立ち寄り、足を洗って、お泊りください。」と申し出ています。み使いたちが、ソドムを訪れた目的は、神さまのもとに届いた、虐げられている者たちの叫びが本当かどうか見極めるということでしたから、「いや、私たちは広場に泊まろう」と答えたのですが、この町の治安の悪さを知っているからでしょうか、ロトは、「そんなこと言わないでぜひ!」としきりに勧めたので、み使いたちも折れて、ロトの家に泊まることにしました。 しかしその夜、事件は起こりました。ロトの家の周りに、町中の男たちが、若い者から年寄りまで集まって来きたのです。そしてロトの家を取り囲んで叫びます。「今夜おまえのところにやって来た、あの男たちはどこにいるのか。彼らをよく知りたいのだ!」この「知りたい」というのは、何も「お名前は?」「趣...

サラの死と埋葬(創世記23:1~20)

「サラの死と埋葬」 創世記12章1~20節   サラが天に召されました。127歳でした。今の私たちの感覚からすると非常に長寿ですが、アブラハムが召されたのは175歳ですから、それを思うと、当時としてはそれほど長寿だとも言えないかもしれません。聖書にはたくさんの女性が登場しますが、亡くなったときの年齢が記されているのは、なんとサラだけだそうです。このことからも、アブラハムだけでなく、サラも聖書の救いの歴史の中で重要な役割を果たしていたことがわかりますね。 サラの生涯は幸せだったでしょうか。いろんなことがありました。夫が神さまから呼ばれたことによって、住み慣れた土地を離れなければなりませんでした。たいていの女性は定住志向ですから、寄留者として生きなければならないことは、サラにとってはつらいことだったことでしょう。時には、いのちの危険があるようなところに寄留することもありました。そんなときには、決まって夫アブラハムは、自分のことを兄だと言ってくれと頼むものですから、彼女は2回もその土地の王に召し抱えられる危機に遭いました。それは、サラの美しさのゆえでした。最近はルッキズムと言って、容姿が美しいことが幸せの条件のように思われています。確かに美しいことで得をすることもあるかもしれませんが、美しさゆえの悩みもあるようです。美しさゆえの誘惑があり、落とし穴があるからです。 けれども、サラの生前の一番の悩みは、やはり子どもがいないことでした。一時は自分で子を産むことをあきらめて、女奴隷ハガルを夫に与えて、彼女によって子をもうけようとしました。けれども、実際に身ごもったハガルを見るのは耐えがたく、ハガルに辛く当たり、彼女が逃げ出すぐらいひどくいじめたのでした。そんな事件があった後、不思議な3人の旅人が来て、「来年の今ごろ、サラに男の子を産む」と告げました。その時サラは、天幕の陰に隠れて、思わず心の中で笑ったのです。ところが神はご真実で、サラは本当に身ごもり、一年後には子どもが与えられました。その時サラは、すでに90歳。しかし、子どもが与えられた喜びに浸る日々もつかの間、今度は女奴隷ハガルの子イシュマエルが邪魔になります。そして、イサクの乳離れの祝いの席で、イシュマエルがイサクをからかったことを機に、夫にイシュマエルを追い出すようにと攻め寄り、とうとう二人を家か...

約束の子の誕生(創世記21:1~21)

「約束の子の誕生」 創世記 21 章1~21 21章の1節から8節までは、喜びと笑いに満ちています。とうとう、アブラハムとサラとの間に子どもが生まれたからです。この子の誕生は、まさに神さまによる奇跡でした。聖書はそのことを強調しています。1節「主は約束したとおりに」、「主は告げたとおりに」、2節「神がアブラハムに告げたその時期に」。また、それが神の御力の表れであることを示すために、神さまが「来年の今ごろ」と告げたまさにその時期に生まれたこと。また、その時アブラハムは100歳だったこと(サラも90歳だったこと、)。そして、生まれた子が、主が告げたとおりに、男の子だったことを語っています。 そしてもう一つ。聖書は、このイサクの誕生は、アブラハムのためだけではない、サラのためであったことも示しています。1節では「(主は)サラのために行われた」、6節では、「神は私(サラ)に笑いをくださいました」とあるように、神さまは、サラを覚え、顧みてくださったのです。 生まれてきた子は、イサクと名付けられました。「彼は笑う」という意味です。日本で、この「笑う」という字を使ってイサクと読ませる名前を持っている男の子はいるか調べてみました。ありました!笑いを作ると書いて、「笑作(いさく)」と読ませています。 「笑い」とは言ってもいろんな種類の笑いがあります。17章ではアブラハムが笑い、18章ではサラが笑っています。どちらも不信仰から来る笑いでした。神さまが、アブラハムとサラの間に子どもを授けると約束しているのに、そんなことあるはずがない…と言って彼らは笑ったのです。けれども今回の笑いは、喜びと賛美の笑いでした! よくクリスチャンは、3 K (固い、厳しい、暗い)と言われますが、私たちクリスチャンこそ、この喜びの笑いがふさわしいのではないかと思います。私たちの教会の役員会は、よく笑います。がはは、がははと笑いながら、1時間半ぐらいが、あっという間に過ぎていきます。神さまはご真実なお方で、私たちの教会の必要をご存じで、よい計画を持っておられる、それを信じているから笑いが絶えないのだと思います。アブラハムは祝福の基と言われましたが、笑いの基でもありました。私たちクリスチャンも、家族に笑いを届け、学校や職場に笑いを届けるものでありたいですし、私たちの教会も、地域に笑いと希望を届け...