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互いに別行動を(使徒の働き15:30~41)

 

「互いに別行動を」

使徒の働き15:30~41

  エルサレム会議では、ユダヤ人であっても異邦人であっても、人は律法を行うことによってではなく、イエス・キリストを信じることによって救われるという基本方針が確立されました。そしてこの基本方針を伝えるために、エルサレム教会は、バルナバとパウロといっしょにユダとシラスを送り、彼らは手紙を携えてアンティオキア教会に向かったのでした。 

こうして彼らは、アンティオキア教会に到着し、さっそく教会の会衆を集めて手紙を手渡しました。アンティオキア教会とエルサレム教会の間には500キロもの距離がありますから、往復最低1か月ぐらいはかかったと思われます。その間、アンティオキア教会の人々は、どんな思いで話し合いの結果を待っていたのでしょう。何しろ自分たちが救われているかどうかの確証がかかっているのです。彼らはドキドキして、その手紙が読み上げられるのを待ったと思います。誰がその手紙を読み上げたのかは書いていないのでわかりません。教会の長老でしょうか。あるいはユダかシラスでしょうか。とにかく、アンティオキアの会衆はみな、期待して手紙が読み上げられるのを待ったのです。そして、手紙が読み上げられると、「その励ましのことばに喜んだ」とあります。そうです。彼らにとってその手紙の内容は、励ましでした。なぜならそれは、私たちは今のままで救われている。割礼は受けていないけれども救われているという確証だったからです。また彼らはユダヤ人になる必要はない、ユダヤ人に対して、コンプレックスを持つ必要もない。彼らは異邦人のままで、そのままで信仰によって救われたのです。それは彼らにとって、まさに「福音」、グッドニュースでした!彼らは、手紙が読みあげられると、立ち上がって拍手喝采したことでしょう! 

32節、手紙が読み上げられると、エルサレムから派遣された、預言者であるユダとシラスが、みことばをもって兄弟たちをさらに励まし、力づけたとあります。この「力づける」という言葉は、「確立する」「しっかり建てる」という意味があるそうです。彼らは「キリストを信じて救われる」というゆるぎない教理、つまり信仰の土台に立ちました。私たちも今、祈祷会で「ニューシティーカテキズム」を学んでいますが、しっかりとしたみことば、教理に立つ信仰は、確固たるものです。簡単には揺るぎません。私たちの信仰は、感情や体調、その時の状況の影響を受けやすいのです。「今日は、喜びがあふれているから救われている気がする」、「今日は罪を犯したし、気分が落ち込んでいるから、救われてない気がする」というような信仰では、いつまでたっても振出しに戻ってしまい、信仰の成長もありません。「みことばが何と言っているか」「真理」に立つ信仰は強いのです。 

さて、ユダとシラスは、しばらくアンティオキアに滞在した後、エルサレムに帰って行きました。残されたパウロとバルナバは、そのまましばらくアンティオキアに留まって、他の多くの人々とともに、主のことばを教え、福音を宣べ伝えたと書いてあります。彼らは根っからの伝道者でした。そして彼らの中の燃え立つ宣教への思いは、第二次伝道旅行へと彼らをかき立てました。パウロはバルナバに言います。「さあ、先に主のことばを宣べ伝えたすべての町で、兄弟たちがどうしているか、また行って見て来ようではありませんか!」もちろん、バルナバはこの提案に大賛成でした。誕生したばかりの教会ですから、フォローアップが必要です。またエルサレム会議での決議事項も伝えなければいけません。二人は具体的に第二次伝道旅行の計画を立て始めました。

ところが問題が起こりました。バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネをいっしょに連れて行くつもりでしたが、パウロはそれに反対の意を唱えたのです。理由は「パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かない方がよいと考えた」(38節)からでした。そうでした、先の第一次伝道旅行でマルコはキプロス島からパンフィリアに移動したあたりで、どういうわけかくじけて帰ってしまったのでした。こうしてパウロとバルナバの間に「激しい議論が起こり」ました。前の訳(第3版)では「激しい反目が起こり」とありますから、かなり激しい議論だったと言えるでしょう。みなさん、クリスチャンはいつも意見が一致するとは限らないのです。パウロもバルナバも信仰的には私たちが足元にも及ばないような信仰者です。でも、ここでほぼケンカと言ってもいいほどのぶつかり合いをしているのです。この個所の一般的な読み方としては、パウロは未だ未熟な青年マルコに対する扱い。手厳しい、その反面バルナバは、さすがに「慰めの子」というだけあって寛容だ、人格者だという捕え方をします。確かにそうなのでしょう。けれども寛容で人格者のバルナバも、どういうわけかこの場面では一歩も譲らなかったので不思議です。

ではなぜ、パウロはマルコを同行させることを拒んだのでしょうか。考えられることとして3つ挙げられます。実際、先の伝道旅行では、マルコのせいで迷惑を被りました。本当に困ったのです。ひょっとしたらマルコのせいで、予定していたよりも早く帰らなくてはいけなくなってしまったかもしれません。実際、第一次伝道旅行は、第二次伝道旅行や第三次伝道旅行に比べると、それほど広い範囲で伝道できませんでした。あるいは、パウロは、マルコはまだ挫折から立ち上がっていないと判断したのかもしれません。挫折の経験が何度も続くと、人は立ち上がれなくなってしまうものです。そんなこともあって、パウロは、マルコのためにも、もうちょっと時間をおいた方がいいと思った可能性もあります。逆にバルナバは、マルコの挫折の経験を今回の成功体験によって克服してもらいたいと思ったのかもしれません。人が失ってしまった信頼関係を回復するには時間がかかるということです。それはパウロがまだ前の事を怒っているとか、マルコのことを赦せていないとかそう言うことではありません。相手をゆるしていたとしても、信頼関係を回復するのはまた別問題なのです。

以上の3つは、パウロがマルコの同行を許さなかった理由として考えられることです。でも安心してください。マルコは後に、パウロとの信頼をしっかりと取り戻しています。Ⅱテモテ4:11では、テモテに宛てた手紙の中で、「マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。」と言っているのです。ここで言えることは、とにかく、この時マルコは、少なくともパウロに同伴しなくてよかったということです。パウロではなく、バルナバについて行って、キプロス方面に行く、それがこの時の最善策だったのです。前回の第一次伝道旅行でも、マルコはキプロスの伝道旅行のときは、一緒にいられました。キプロスを離れてから離脱したのです。それに前にもお話ししたように。バルナバはキプロスの出身、マルコはバルナバのいとこだったので、当然キプロスにも何度か訪れたことがあったと考えられます。そういうわけで、マルコはキプロスでの伝道で、もう一度自信を取り戻すことができたのでしょう。 

またパウロにとっても、「互いに別行動をとる」というこの決断は正解でした。理由としてはやはり3つあります。二手に分かれた方が伝道できる範囲が広くなります。シラスという新しい宣教師を生み出しました。彼は手紙を携えてアンティオキアに来て、一度エルサレムに戻りましたが、再びパウロに呼び出され、500キロもの道を戻って来ました。そしてパウロの伝道旅行に同伴したのです。彼は前にも話したように、ギリシャ語を話すユダヤ人で、「シルワノ」というラテン語名を持つローマ市民でした。彼はこの後、ローマ帝国の支配下にある地域で伝道するのに大変重宝したのです。また、パウロとシラスは「シリア及びキリキアを通り、諸教会を力づけた」(41節)とあります。この地名は先週の個所にも出てきました。そうです、エルサレム教会からの手紙の宛名です。「アンティオキア、シリア、キリキアにいる異邦人の兄弟たち」でした。シラスにとってはこの手紙を届けるというのが第一の使命でしたが、なんとこの後、パウロと一緒にシリアとキリキアにも行って、諸教会に手紙を届けることができたのです。キプロス方面は、バルナバとマルコが行ってくれたので、もう行く必要がありませんから、先にシリア及びキリキア方面に行ってから、前回訪れたガラテヤ州のデルベとかルステラとか、先回とは逆方向でそれぞれの町を回ることができたいのです。 

そう思うと、激しい議論で一時は不穏な空気が流れたかもしれませんが、結局は最善がなされたわけです。箴言19章21節には、「人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。」とあります。人はいろんな思惑がありますし、自分なりの計画を立てます。そして時にはそれがぶつかり合うこともあるけれど、それでも主のご計画だけが実現する。そして主のご計画は、いつもベストなのです。エレミヤ書29章11節にはこうあります。「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」主に信頼しましょう。主のご計画がなりますようにと私たちも心を合わせましょう。主は最善をなされます。


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