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10月, 2021の投稿を表示しています

アキラとプリスキラ(使徒の働き18:1~4)

アキラとプリスキラ                                使徒の働き18:1~4 私たちは、台湾宣教師になる前、8年余り、新潟の亀田というところで牧会伝道していましたが、実はこの教会は、信徒伝道者、佐々木博氏が開拓した教会でした。佐々木さんは、1938年、東京に生まれました。高校生の時、人生の目的を求めてさまよっていた時、池袋の駅から見えた十字架に望みを託し、初めて訪れた教会でイエス・キリストと出会ったそうです。その後、ビジネスマンとして新潟の地に転勤になり、新潟福音教会に出席するようになりました。ところが、隣町の亀田にはまだ教会が無く、家庭集会があるだけだと知り、佐々木氏はその家庭集会に出席するようになり、やがては、新潟から亀田に引越してきてその家庭集会を引き継いだのでした。その後結婚された佐々木さんは、奥さんのかほる姉とともに、別のアパートに引越し、新居のアパートで家庭集会が続けられました。その時初めて「亀田キリスト教会」の看板を掲げたそうです。そして2年経った1965年(昭和40年)にプレハブの教会堂を建てました。5人のスタートでした。そして2年が経ったころ、再び関東に転勤になり、新しい牧師にバトンタッチして、亀田を後にしたのでした。宣教師が開拓し、日本人牧師に引き継ぐのがお決まりパターンだった中で、この信徒伝道師夫妻による開拓は目を見張るものがありました。今日の聖書箇所には、アキラとプリスキラが出てきますが、彼らはまさに信徒伝道者でした。そしてパウロを手伝って、コリント教会の基礎を築いたのです。  さてパウロはアテネを後にしてコリントに到着しました。テモテとシラスとはまだ合流できていません。この「使徒の働き」を記したルカだけはいっしょにいたようです。コリントも大きな都市でした。ユダヤ人も多く住んでいたようで、ユダヤ人の会堂もありました。そして18章4節を見ると、パウロはここでも会堂を拠点に伝道活動をしています。 さて、このコリントの町ですが、他の町と同様、異教チックな名前でした。太陽神ヘリオスのひ孫にあたるマラトンの子がコリントスだったということで、その名にちなんでつけられたのです。またコリントは、人口60万人ですが、そのうちの40万人が奴隷だったといわれています。非常に繁栄した町でしたが、裕福だったのはほんの一握りの人で、そ

負い目をお赦しください(マタイの福音書6:12)

  「負い目をお赦しください」(マタイ 6:12 ) 齋藤五十三 (招詞 コロサイ3章 12 ~ 14 節) 本日は、献堂記念礼拝の特別なプログラムですので、説教は短めに準備しました。短い時間で語れる内容ということで、私が東京基督教大学で、最近学生たちに語ったチャペルメッセージから分かち合うこととしました。主の祈りの学びからです。   一言お祈りします。   イエス・キリストの父であり、私たちの天の父となってくださった神さま、主の祈りに目を留める御言葉のときを感謝します。聖霊が豊かに私たちの心を照らし、福音に生きることを助けてくださいます。救い主、イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン!   初めに主の祈りの全体をお読みします。マタイ 6 章 9 節から 13 節。   ですから、あなたがたはこう祈りなさい。 「天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。 私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。」     主の祈りは、教会に通っておられる多くの方にとって、馴染の深い祈りだと思います。しかし、馴染が深くても、主の祈りが、いったい何を実現するための祈りなのか、意外と意識されていないように思います。「天にいます私たちの父よ」と始まる主の祈りは、「父よ」との呼びかけから明らかなように、神の子どもたちのための祈りです。主の祈りは、神の子どもの祈り。 そして、それは三つのことがらの実現を祈るのです。一つは、子どもとして、神を愛する者に成長できるように。「御名があがめられますように」から、「日ごとの糧を、今日もお与えください」までが、それにあたります。神を愛し、信頼し、日々の必要をすべて神にゆだねる者としてください、という祈りです。  二つ目は、神の子どもとして、人を愛する者へと成長させてください、という人間関係に関する祈りです。本日目を留める 12 節が、それに相当します。そして三つめは、神の子どもとして、罪から守られ、信仰の生涯を全うできるように、という祈りです。それが最後の 13 節です。   本

神を見出す(使徒の働き17:22~34)

  「神を見出す」 使徒の働き 17 章 22 ~ 34 節   広場で人々と論じ合っていたパウロは、とうとうアレオパゴスという法廷(評議会)に連れて行かれ、議会の真ん中でアテネの人たちに話すことになりました。この「アレオパゴス」という言葉自体、「アレス神の丘」という意味で、軍神アレスがここで審判を受けたという神話 から 名付けられました。見渡す限り、ギリシャ人ばかり。イスラエルが信じる創造主なる神のことを知らない人々です。パウロはそんな人々の前で、イエスの十字架と復活を大胆に語るのでした。 パウロの説教の中心は、あくまでイエス・キリストの福音でした。そうなると、今日の説教の本論は、30節、31節の2節にだけになります。それまでは、いわゆる序論なのです。ずいぶんと長い序論ですが仕方ありません。何しろ相手は天地創造の神も、唯一神も知らない人々なのです。そう、日本人のように。かつて日本の教会では、アメリカの宣教団体キャンパスクルセードが広めた、「4つの法則」を用いた個人伝道法が流行りました。「4つの法則」の一つ目は、「神はあなたを愛してる」、2つ目が「人は罪を犯した」、3つ目が「イエス・キリストは人を救うために十字架に架かり私たちの罪を赦してくださった」、そして4つ目が「信じる者は新しいいのちを得る」というものです。ところが、しばらくすると、これはちょっと日本には合わないぞと議論になりました。なぜでしょうか。それは、日本人は「神」と言われても、創造主なる神に直結しないからです。そこに「神は愛です」と始まっても理解できないと言うのです。パウロもまさに、その状況でした。そこで、これはいっそ回り道をしてこの神について説明しようということになったようです。   22節「アテネの人たち、あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ています」 パウロはそう語り始めました。今までにはなかった切り口です。先ほどまでは、町が偶像でいっぱいなのを見て心に憤りを覚えていたのに、それをぐっとこらえて、アテネの人々に敬意を払いつつこう言うのです。相手が日本人だったらこんな感じでしょう。「みなさんは大変信心深いですね。朝にはまだ暗いうちから起きて、ご来光に手を合わせ、そして、自分たちがご飯を食べる前に、炊き立てのご飯をまずは、仏様に供え、1日の守りをご先祖様にお願い

わたしたちは主のもの(ローマ人への手紙14:7~9)

わたしたちは主のもの ローマへの手紙14:7~9  コロナのせいでしょうか。昨年から今年にかけて、何度も訃報を聞きました。岡田姉のご主人が亡くなられたのは、私がこの教会に赴任する前でした。またこの夏には習志野台キリスト教会で長く牧会なさっていた中嶋基之先生が召されました。8月にはラザロ霊園で納骨式があり、私たちの教会からも有志が参列しました。また私の父も 7 月半ばに召されました。父は昨年の年明けぐらいから、急速に病気(核上性麻痺)が悪化し、入退院を繰り返すようになり、親族もほとんどお見舞いに行けないまま、天に召されました。訃報は悲しいものですし、生前、ああすればよかったこうすればよかったと後悔も少なからずありますので、キリスト者と言えども、涙涙のお別れになります。けれども不思議な平安があるのも事実です。どうしてでしょうか。それは故人が「主のもの」として召されたからです。生前ずっと故人手を引いてともに歩んで来られた主が、そのまま天の御国に連れて行ってくださり、これからもずっと共にいてくださると知っているからです。そしていつか私たちも地上の歩みを終えたら、同じ主に導かれて、御国で再会する希望があります。本日は、本来は午後からラザロ霊園で墓前礼拝が行われるはずでしたが、昨年に続いて今年も中止となってしまったので、今日はみことばを通して、キリスト者の生と死について、考え、教えられたいと思います。   14:7 私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。 クリスチャンってすごいなぁと思うでしょうか。自分のために生きない。自分のために死ぬこともない。神のために生き、死ぬのがクリスチャンなら、自分はクリスチャン失格だ。そう思われる方もいるかもしれません。けれども、このみことばはそういうことを言っているのではありません。また、クリスチャンはこうあらねばならぬという命令でもありません。これはクリスチャンの状態、単純な事実を述べているだけなのです。 実はここにある「自分のために」の「ために」は、原語をたどりますと、「~に向かって」と言い換えることもできる言葉です。「~目標をとして」とも言えるでしょうか。また、「~と向き合って」という意味も持ちます。つまり、私たちの中で誰一人、自分を目標にして生きている人はなく、自分を目標と

新しい教え?(使徒の働き17:16~21)

「新しい教え?」 使徒の働き17:16~21    先々週はベレア宣教の個所でした。ベレアの会堂に集まったユダヤ人たちは、偏見に凝り固まったテサロニケのユダヤ人たちとは違って、柔軟な心でパウロの語る福音に耳を傾け、果たして本当にそうだろうかと、毎日聖書を調べたとありました。そしてそこでは多くのユダヤ人や異邦人がイエスさまを信じたのでした。ところがねたみに駆られたテサロニケのユダヤ人たちが、遠くベレアまでやって来て、人々を扇動し、騒ぎを起こそうとしたので、危機感を感じたベレアの信徒たちは、夜中にパウロを連れてアテネまで送って行ったのでした。急なことでしたので、シラスやテモテは、パウロと同行することができませんでした。パウロは、送って来てくれた人々に、二人に早くこちらに来るように伝言して、しばらくは一人、アテネで活動することになったのでした。   17:16  さて、パウロはアテネで二人を待っていたが、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを覚えた。 アテネの町は、今でもギリシアの首都ですが、非常に古くから栄えた町で、ギリシア神ゼウスの頭から武装姿で生まれた女神アテナを守護神とする町でした。女神アテナと言えば、学問や芸術、技術や知恵の神です。ですから、町の広場ではソクラテスやプラトンに代表されるような哲学者や思想家たちが議論をし、通りの両脇には芸術的な建築物、野外劇場や音楽堂、芸術的な彫刻があふれていました。小高い丘、アクロポリスにあるパルテノン神殿跡などは、今でも有名な観光名所です。また、自由で民主的であることを象徴するようなアレオパゴスの議会や評議会などもあったのです。   ところが、この町に入ったパウロはざわざわしたものを感じました。なぜでしょうか。それは町が偶像でいっぱいだったからです。私たちが台湾にいた頃に、一度だけ台湾一周旅行をしたことがあります。台北や台中、高雄などの台湾の主要都市は、台湾の西側に集中して、新幹線でつながれているのですが、台湾の東側は、あまり開発も進んでいなくて、海と山に囲まれ、自然が美しく、水も空気もきれいです。そして、戦地中は高砂族と呼ばれた台湾先住民が多く住んでします。彼らは戦後、村ごとキリスト教に改宗しましたからクリスチャンが非常に多いのです。東の海岸沿いをドライブしながら、山の斜面を見上げると、時々墓地があるのですが、十字架の墓