2026 年 3 月 15 日 塚田響 新船橋キリスト教会 礼拝説教 「自分にできることを」 マルコの福音書 14 章 1 〜9節 1 . はじめに 私たちは、自分の生き方が「神さまの心にかなっているだろうか?」と自問する時、しばしば答えることに悩むことがあるかと思います。一方、「神さまの心にかなった生き方がしたいですか?」と聞かれれば、迷わず「はい」と答えられる気がします。それでは、なぜ最初の質問にはなかなか答えられないのでしょう。「神さまの心にかなっている」ということ、「神さまに受け入れられている」ということは、いったいどういうことなのでしょうか。 今朝は、「イエスさまに受け入れられた女性の行い」からともに学んでいければと思います。 2 . マルコの福音書 14 章の背景 マルコの福音書の 14 章は過越の祭りがいよいよ間近に迫っていることを知らせるとともに、祭司長たち、律法学者たちの策略が記されているところから始まっています。 ・過越の祭り まず、背景となっている事柄として、過越の祭りについて簡単に確認をしたいと思います。過越の祭りは、出エジプト記の 12 章にその由来となる出来事が記されています。文脈を要約しますと、イスラエルの民がエジプトの支配から解放されるために、神さまが行った十回目の災いの場面のことが、出エジプト記 12 章に記されています。エジプトはこの災いによってさばかれましたが、イスラエルの民は、神さまから命じられた通りに行うことによってそのさばきを免れることとなりました。その命令とは、傷のない一歳の雄羊を屠って、その血を家の門柱と鴨居に塗るということでした。塗ったその血は、さばきを下す神さまが過ぎ去るため、民にとってのしるしとなり、こうして、神さまのさばきが過ぎ去って、イスラエルの家々は救われたのでした。それから後も、このことはイスラエル人々の記念となり、過越の祭りは毎年同じ時期に、行われるようになりました。 さて、このような過越の祭りがいよいよ近づく中で、マルコは同時に祭司長たちと律法学者たちがイエスさまを殺害する計画を練っていたことを並べて記しています。マルコはこのように、過越の祭りの出来事とイエスさまの死を重ねつつ、キリストの死が表している事柄を指し示そうとしているよう...
コリント人への手紙第二 3章12節~18節 『聖霊による福音の手紙』 お祈り 恵み深い天の父なる神さま、新船橋キリスト教会で、兄弟姉妹たちと共にささげる礼拝の時間をありがとうございます。この朝もみことばによって、今日を生きるいのちの糧を私たちに豊かに与えて下さい。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。 コリント人への手紙第二について コリント人への手紙第二は、パウロが主と共に開拓したコリント教会の問題を聞き、その問題に答えるために書かれた、コリント人への手紙第一の続きとなる手紙です。この第一の手紙が教会に届けられ朗読されることによって、コリント教会の問題は収束するかと思われましたが、まだいくつかの問題が残されており、その問題解決のために、この第二の手紙は書かれました。本日はこのパウロによる手紙から共に主が聖霊を通して私たちにどのように働きかけるのかということを見てまいりたいと思います。 3章1節~11節までの文脈 まず、3章11節までの文脈を簡単に確認いたしましょう。3章は大きく分けると1節から3節、4節から6節、7節から11節、12節から18節と四つに分けることが出来ます。また、3章は古い契約と新しい契約、律法と御霊ということが全体を通して語られています。 まず、1節~3節でパウロは自分の使徒としての働きの正当性が何によって証しされているのかを説明します。パウロはある人々、つまり偽教師の働きの証は紙で書かれた推薦状であるのに対して、パウロたちが神さまに仕えて働いていることの証は、パウロたちの奉仕の結果である「コリント教会の兄弟姉妹たちである」と言います。パウロは教会の兄弟姉妹たちがパウロの働きを証明する、神の御霊によってやわらかな心にみことばが書き記された、キリストの手紙であると言うんですね。パウロ先生かっこいいですね。私も将来こういうこと言ってみたいなと思うと共に、まず私自身がキリストの手紙であり、私の立ち居振る舞いがこの世界にイエス様を証ししているということを忘れないようにしなければと思います。 また、4節~6節で...