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6月, 2020の投稿を表示しています

はじめに神が(創世記1:1~5)

「はじめに神が」(創世記 1:1~5 )   天のお父様、感謝します。神の言葉に耳を傾けるこのひと時、聖霊が私たちの心を照らしてくださり、あなた御自身を、そしてあなたの御業を深く理解することが出来ますように。ひと時を御手にゆだねながら、イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン!   マルティン・ルターは、聖書全体を理解するためには三つの教えを学ぶ必要があると言いました。それは使徒信条、十戒、主の祈りの三つです。私もその通りだと思い、今回は使徒信条、「我は天地の造り主を信ず」という冒頭の部分から学んでいきたいと思います。   1 .天地のデザイナー・メーカーの存在   1 節 「はじめに神が天と地を創造された。」  これは歴史の始め、世界が時を刻み始めたその時、ということです。その時すでに神がおられ、その時、神はまず天地を創造した。それで歴史は動き始めたのだと、聖書は高らかに宣言していきます。  人によっては、こうした始まり方を不親切と感じる方もあるかもしれません。なぜなら、歴史の始まる前にすでに神がおられたことを当然のこととして始めているからです。神がいることの説明もなければ、断りもない。こういう始まり方は不親切でしょうか。よく考えた上での私の結論は、やはりこれでいいのだと。聖書では、神がいることを説明する必要もないし、論じる必要もない。  例えば、ここに花が活けてあります。美しい花です。ということは、これを活けた人がいる。当然です。偶然ここにあるわけじゃありません。また、会堂の入り口には、時計が掛かっていて時を刻んでいます。時計があるということは、それをデザインした人がいて、作ったメーカーがあるということ。それも当たり前の話。  じゃあ、もっと広く世界を見渡しましょう。でも道理は同じ。ここに世界があります。私たちの暮らす地球。それは会堂にかかっている時計よりもはるかに精巧で、一年に一回、太陽の周りを一周する。それほど正確な地球ですから、その背後にデザイナーがいるのは当然ではありませんか。また世界の中には、繊細で美しいいのちが生きています。花を見ていると思います。いのちは美しく繊細だと。そんないのちの背後にもデザイナーがいる。考えてみれば、これは当然のことではありませんか。  そのようにこの世界、そして存

主が御使いを遣わして

「主が御使いを遣わして」 使徒の働き  12 章 1 ~ 11 節   天の父なる神さま、尊いお名前を心から賛美します。梅雨空の中、今週も兄弟姉妹を励まして礼拝へと導いて下さり、みことばによって私たちを養ってくださることを心から感謝します。私たちの地上での歩みは、絶えず大なり小なり問題が絶えませんが、主はそんな中でも私たちといつも共にいて下さり、主にある平安をくださり、具体的な助けを与えてくださるので感謝します。今日もみことばの中で主からの励ましを受けたいと思っています。どうぞ私たちの心を整え、みことばに集中させてください。しばらくの時、御手にゆだねます。感謝しつつ。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン   「そのころ」とはいつのことでしょうか。アンティオキアで異邦人教会が設立し、エルサレムの教会からも認知され、ますます異邦人伝道が盛んに行われていたころです。実はそのことがますますユダヤ人から嫌われる原因となりました。キリスト教会の構成員が、ユダヤ人だけの時はまだよかったのです。ところが、そこにギリシャ語を話すユダヤ人が加わり、そのうちユダヤ教に改宗した外国人が加わり、そしてさらには、ユダヤ教を介さないで直接キリスト教信仰を持つ外国人が加わることによって、伝統を重んじるユダヤ教の指導者たち、また選民意識を持ち排他的なユダヤ人たちの反感を買いました。そしてますますエルサレムでの迫害が激化していったのがこのころです。    そしてこの時、ローマの属州であるユダヤ地方を治める王は、ヘロデ(ヘロデ・アグリッパ一世)でした。聖書の中には、何人かヘロデ王が出てきます。イエスさまが生まれた時、 2 歳以下の男の子を皆殺しにしたあの残酷なヘロデ王は、このヘロデ・アグリッパ一世の祖父に当たり一般にヘロデ大王と呼ばれています。ヘロデ・アグリッパ一世については、次の次の説教で、また詳しくご説明したいと思いますが、今日押さえておきたいことは、この三代目のヘロデ王はこの時代、激しくクリスチャンを迫害したということです。しかも迫害の理由は、ユダヤ人に気に入られるためだったのです。彼はクリスチャンを迫害することによって、ユダヤ人のご機嫌取りをしたのです。  そしてとうとう 12 使徒の一人、ヤコブを殺しました。あまりにあっけない。教会は彼のた

乳飲み子のように

「乳飲み子のように」 Ⅰペテロ2:1-3    今日は新船橋キリスト教会の年間聖句からのメッセージです。この年間聖句は私が赴任する前に決まっていましたので、もうここから説教されているかと思っていたのですが、どうやらまだのようでしたので、二カ月の会堂での礼拝休止期間が明けて、みなさんで集まることができるようになったら、一度皆さんとこの聖書箇所から学びたいと思っていました。今日はそれが実現できて感謝です。それではお祈りします。   生けるみことばなる主イエス・キリストの父なる神さま、尊いお名前を心から賛美します。日増しに暑さが厳しくなるこの季節、長いステイホームの時期が終わり、そろそろと外に出始めた私たちですが、こうしてあなたご自身が私たちを呼び集めて下さり、再びともにあなたを礼拝する恵みに与からせていただいていますことを心から感謝します。どうぞしばらくの時に、私たちの心を整えてく下さり、あなたのみことばの豊かさを味わせて下さりますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン    さて、このペテロの手紙ですが、誰がどんな背景の中で書いたのか、少し見てみたいと思います。この手紙を書いたのはペテロです。また時代背景は、ローマによるクリスチャン迫害の兆候が表れ始めた頃でした。実際ペテロはこの手紙を書いて間もなく殉教したと言い伝えられています。そんな困難な時代を生きるクリスチャンたちに向けて、ペテロは足腰の強い信仰者となるように、迫害の中でも与えられた新しいいのち、救いを手離すことがないようにと語っています。   2:1 ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、 2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。   「ですから」とは何を指しているでしょうか。1章に答えがあります。まずは1章3節を見てみましょう。「 神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、 私たちを新しく生まれさせ 、生ける望みを持たせてくださいました。」 次に 23 節です。 「 あなたがたが新しく生まれたのは 、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、 神

救援の物を送る

「救援の物を送る」 使徒の働き 11:27-30    恵みとあわれみに富んでいらっしゃる天の父なる神さま、尊いお名前を心から賛美します。新型コロナウイルスの影響で、私たちは長く会堂での礼拝を休止していました。その間も私たちはそれぞれのところで、礼拝を守り、信仰の歩みをしてきましたが、ある方にとっては非常に困難な、試みられるような日々だったかもしれません。けれども主よ、あなたは私たちが意識していようと、していまいと、いつも聖霊によって私たちのそばにいて下さり、守り支えてくださっていましたことを覚え感謝します。そして今週からこうして皆さんで集まって礼拝を献げることができますことを感謝します。礼拝に集われたお一人お一人に主の豊かな祝福がありますように。またこれからみことばを聞きますが、どうぞ心を開いて、従う思いを持って聞くことができるように助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン    先日 Facebook を見ていてたら、台湾の超教派団体「救助協会」から日本の病院へ、教会を通して医療用の防護服などが送られたという写真とニュースを見ました。ご存知の通り、台湾はコロナウイルス封じ込めに成功していますので医療品に余裕があるのでしょう。ですから一時は医療従事者のマスクさえ毎日取り換えられないという日本の惨状を憂慮してこうして援助してくれたようです。このような災害時の国を跨いで助け合いは、教会間でよく見られます。  さて今日の個所では、まだ生まれて間もない異邦人の教会、アンティオキア教会からエルサレム教会へ、心のこもった救援物資が送られたという麗しいお話が書かれています。   11:27 そのころ、預言者たちがエルサレムからアンティオキアに下って来た。 11:28 その中の一人で名をアガボという人が立って、世界中に大飢饉が起こると御霊によって預言し、それがクラウディウス帝の時に起こった。   「そのころ」とはいつでしょう。アンティオキアで多くの異邦人が救われて、教会に現地のクリスチャンが増え始めたころです。このことを聞いて、エルサレム教会が視察のためバルナバを送り、彼の報告を受けて、アンティオキア教会を正式に認知した、そんな時です。エルサレムからアンティオキアに預言者たちがやって来ました。預言者と聞くと