スキップしてメイン コンテンツに移動

救援の物を送る



「救援の物を送る」

使徒の働き 11:27-30

 

 恵みとあわれみに富んでいらっしゃる天の父なる神さま、尊いお名前を心から賛美します。新型コロナウイルスの影響で、私たちは長く会堂での礼拝を休止していました。その間も私たちはそれぞれのところで、礼拝を守り、信仰の歩みをしてきましたが、ある方にとっては非常に困難な、試みられるような日々だったかもしれません。けれども主よ、あなたは私たちが意識していようと、していまいと、いつも聖霊によって私たちのそばにいて下さり、守り支えてくださっていましたことを覚え感謝します。そして今週からこうして皆さんで集まって礼拝を献げることができますことを感謝します。礼拝に集われたお一人お一人に主の豊かな祝福がありますように。またこれからみことばを聞きますが、どうぞ心を開いて、従う思いを持って聞くことができるように助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

 

 先日Facebookを見ていてたら、台湾の超教派団体「救助協会」から日本の病院へ、教会を通して医療用の防護服などが送られたという写真とニュースを見ました。ご存知の通り、台湾はコロナウイルス封じ込めに成功していますので医療品に余裕があるのでしょう。ですから一時は医療従事者のマスクさえ毎日取り換えられないという日本の惨状を憂慮してこうして援助してくれたようです。このような災害時の国を跨いで助け合いは、教会間でよく見られます。

 さて今日の個所では、まだ生まれて間もない異邦人の教会、アンティオキア教会からエルサレム教会へ、心のこもった救援物資が送られたという麗しいお話が書かれています。

 

11:27そのころ、預言者たちがエルサレムからアンティオキアに下って来た。

11:28 その中の一人で名をアガボという人が立って、世界中に大飢饉が起こると御霊によって預言し、それがクラウディウス帝の時に起こった。

 

「そのころ」とはいつでしょう。アンティオキアで多くの異邦人が救われて、教会に現地のクリスチャンが増え始めたころです。このことを聞いて、エルサレム教会が視察のためバルナバを送り、彼の報告を受けて、アンティオキア教会を正式に認知した、そんな時です。エルサレムからアンティオキアに預言者たちがやって来ました。預言者と聞くと、違和感を覚える方もおられるかもしれません。預言者は旧約聖書で終わったんじゃなかったの?最後の預言者がバプテスマのヨハネだと思っていた。この預言者たちって大丈夫?確かにそう思われても仕方ないでしょう。実は使徒時代の教会にはこのように預言者と呼ばれる人たちがいました。預言者の定義としては、「神の啓示を直接受け取り、権威を持って民に伝える人」です。もちろん旧約聖書のイザヤやエリヤ、エレミヤのような預言者、またバプテスマのヨハネのように、イエス・キリストが来られる前に道を整える特別の使命を与えられた預言者とは区別されています。けれでも教会設立期、使徒と並んで教会の土台を据えるための重要な役割りを果たしていたようです。ただその間、便乗して偽預言者も現れましたので、パウロの手紙などではこのような偽預言者に気を付けるようにと何度も忠告されています。当時の文書、「十二使徒の教訓」には「偽預言者と本物の預言者との見分け方」のような記述もあるようです。とにかくこの時期はまだ新約聖書が完成していませんでしたので、その間のギャップを埋めるために、預言者と呼ばれる人が使徒と並んで霊的な権威を持ち、教会の指導にあたっていたのです。そういうことですから新約聖書完成に伴い、また預言者がらみの異端の出現などもあって、次第に教会での権威を失っていきました。

さて預言者の中でも知名度が高いのがこのアガボです。この後もう一度登場して、パウロの晩年のことなどを預言しています。アガボは言いました。「世界中に大飢饉が起こる」と。ヨセフスというこの時代の記録を残した歴史家がいるのですが、彼の著書によるとAD41年から54年までの間に、パレスチナ地方を中心に飢饉や凶作が何度かあったそうです。特にAD46年のパレスチナを襲った凶作は深刻でした。エルサレム教会は設立当初、財産を共有し、共同生活をしたり、やもめたちを養ったりしていましたので、もともと経済的には苦しかった上に、ステパノの殉教以降、迫害が起こり、多くの教会のメンバーが外国に散らされ、ますます苦境に陥っていきました。そしてこの飢饉…。こうしてエルサレム教会は窮地に追い込まれたのです。そしてその知らせを受けたアンティオキア教会が援助に立ち上がりました。

 

11:29 弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。

 

 アンティオキア教会は、つい先だって母教会でもあり親教会でもあるエルサレム教会に認知されたばかりの教会です。言ってみれば新参者。その新参者からの援助は、まるで分家が本家に援助をするようなものです。「援助の物」とは言っても、トラックのような運送手段もない時代、おそらく主に「援助金」であったと言われています。そうです。「義援金」であり「献金」だったのです。ではここで援助をする側と援助される側それぞれを見ていきたいと思います。

 まずは援助をする側、献金を送る側のアンティオキア教会に注目します。アンティオキア教会は短い期間で成長しました。そもそも教会の成長はどうやって測るのでしょう。人数でしょうか、年数でしょうか、教会の年間予算でしょうか。私たちはすぐにそちらに目が行きます。けれども実は教会の成長は、愛の大きさで測ります。成長した教会、成熟した教会は愛することにおいて成熟しています。アンティオキア教会はエルサレムに比べると大都会でしたから、確かに教会も経済的に余裕があったことでしょう。またこの地域は飢饉の影響が少なかったのかもしれません。けれども愛の動機がなければそのような援助の発想は出て来なかったでしょう。もともとは援助される側の教会でした。実際エルサレム教会からバルナバを送ってもらい、教会設立期を助けてもらいました。けれどもアンティオキア教会はいつまでも援助される側に甘んじてはいませんでした。彼らはエルサレム教会の窮乏を聴くと、すぐに献金を送ろうと決定し、献金を集め、使徒たちの手にそれを託して送ったのです。エルサレム教会には恩を感じていました。教会の核となる人はエルサレムから散らされてきた人々でしたし、先ほど述べたように教会の初期のころ、バルナバやパウロなどの使徒たちを送ってくれたのもエルサレム教会でした。ですから彼らは、このような機会に恩返しをしたいと考えたのかもしれません。とにかく、彼らはもうお世話してもらうだけの赤ちゃんじゃなくなった、成長したのです。愛することにおいて、献げることにおいて成長したのです。

 次に援助を受ける側、救援の物を送られる側のエルサレム教会です。私はこのエルサレム教会も成熟した教会だと思うのです。エルサレム教会は、言ってみれば全キリスト教会の総本山です。使徒たちを中心に教会形成をし、迫害の中にあってもその信仰は揺らぎませんでした。地方の教会を含む公同の教会で信仰や教理の問題が発生すると、総本山であるエルサレム教会で会議をし、討議し、決定を下し、それを地方の教会に通達する役割も負っていました。そのエルサレム教会が、新参者のアンティオキア教会からの贈り物を感謝して受け取るというのは、簡単なことではないと思うのですが、皆さんはどう思われるでしょうか。

 私たちは最初の赴任教会、亀田キリスト教会を辞して、台湾宣教師として派遣されるまでの2年間、アメリカのミシガンに住んでいました。主人がカルヴィン神学校で学ぶためです。亀田にいる時に貯めた貯金はすぐに底をつき、教会からの月々の献金もとても生活費には足りません。私たちはアメリカの低所得者が利用するフードスタンプス、食品や日用品などと引き換えられるクーポンなどを利用していました。また神学校にはフードパントリーがあり、廃棄処分されるはずの食品を企業が学生に寄付してくれて助かりました。またアメリカには11月にThanks givingがあます。その際アメリカ人は家族、親戚が集まり食事をして楽しむのですが、同時に教会では、貧しい人たちにプレゼントを贈ります。そして我が家にもそれが送られてきました。シリアルやパスタなど、そして果物もありましたが、でもそれは腐っていたのです。私はそれを見て何ともみじめな気持ちになりました。考えてみると私はいつも施す側、寄付する側、支援をする側だったのです。施される側になってみて初めて経験する複雑な思いでした。私たちは上から目線で施してはいないでしょうか。援助してはいないでしょうか。相手の尊厳を慮っているでしょうか。想像力を働かせましょう。そう、そして支援を受ける側にも信仰の成熟と謙遜が必要です。そういう意味で、エルサレム教会は立派でした。決して卑屈にならず、つまらないプライドに縛られて固辞せず、それでも親教会である誇りを保ち、喜んで感謝して援助を受けたのです。

 

さて、アンティオキア教会に視線を戻しましょう。彼らは自発的に、それぞれの力に応じてささげました。このささげる態度を見るときに、私たちは福音書に記されているレプタ銅貨二枚をささげたやもめのことが思い出されます。また五千人の給食の際、イエスさまに五つのパンと二匹の魚をささげた少年のことも思い出します。どちらもわずかではあったし、人の目から見れば小さなささげ物でした。けれどもイエスさまは、それを大変喜んで、しかも高く評価して、豊かに用いてくださったのです。

私たちが神さまに、また主にある兄弟姉妹に献げられるものは何もお金だけではありません。労力や時間、神さまから与えられている賜物なども含まれます。実際ここで「救援の物」と訳されている言葉は「ディアコニア」というギリシャ語で「奉仕」とも訳せる言葉です。私たちは自分が持っているもので、示された方法で愛を現していけばいいのです。それが「力に応じて」という意味です。神さまは、私たちの喜んでささげる態度、背伸びせずとも力に応じたささげものを大変喜んでくださいます。

 

11:30 彼らはそれを実行し、バルナバとサウロの手に託して長老たちに送った。

 

「実行し」というのはとても大切です。アンティオキア教会のみなさんは、実際に献金を集め、バルナバとサウロの手に託して、エルサレム教会の長老たちに確かに手渡しました。私たちクリスチャンはよく、助けを必要としている人に「祈ってますね」と言います。確かに本当に祈るのなら、それは素晴らしい愛の行為ですし、大きな助けになります。けれども時にそれがその場しのぎのような、言い逃れのようなものになっていないでしょうか。ヤコブ書にはこんなことが書かれています。

2:15 兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、2:16 あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。

またⅠヨハネ31718にはこうあります。

3:17 この世の財を持ちながら、自分の兄弟が困っているのを見ても、その人に対してあわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょうか。

3:18 子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。

聖書は非常に具体的に私たちに愛することはどういうことかを教えます。私たちは愛を論じるのではなく、ちゃんと愛を表現しましょう。愛を実行しましょう。レプタ銅貨のように、5つのパンと二匹の魚のように、たとえわずかでも、それが心からの愛の表現であるならば、援助する相手以上に、神さまが喜んで、幾倍にも祝福して、豊かに役立ててくださいます。そして神さまは献げる人を豊かに祝福してくだるというのが聖書の約束です。献げる喜びは、献げた人にしかわからないのです。

 

 今日は国外宣教デーです。本当は先週だったのですが、私たちの教会は今週から正式に礼拝が再開されましたので、一週ずらすことにしました。あとで各宣教地からのビデオレターを観ますが、今は世界中でコロナウイルスが蔓延していますので、教団から派遣されている宣教師たちは大変な状況です。また宣教師を派遣している私たち同盟教団の各教会も財政的にはピンチの教会が多いです。けれどもこのような時だからこそ、私たちはキリストのからだとして弱った部分を助ける姿勢を持ちましょう。アンティオキア教会が駆け出しの若い教会だったにも関わらず、愛することにおいては成熟した教会であったように、私たちも小さな群れですが、愛することにおいては成熟した教会でありたいです。お祈りします。

 

 教会の主なるイエス・キリストの父なる神さま。尊いお名前を心から賛美します。今日は経済的危機にあったエルサレム教会に、救援の物を送るアンティオキア教会から学びました。私たちは小さな群れですが、愛することにおいては富んだ者になりたいと思っています。主が私たちを与える群れとしてさらに成長させてくださいますように、導いてください。感謝します。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

説教者:齋藤千恵子

コメント

このブログの人気の投稿

祝福の日・安息日(出エジプト記20:8~11)

「祝福の日・安息日」(出エジプト 20:8-11 ) はじめに  本日は十戒の第四戒、安息日に関する戒めです。この箇所を通して本当の休息とは何か(聖書はそれを「安息」と呼ぶわけですが)。そして人はどのようにしたら本当の休みを得ることができるかを、皆さんと学びたいと願っています。お祈りします。   1.        聖なるものとする 8-10 節(読む)  「安息日」とは元々は、神が世界を創造された七日目のことですが、この安息日を聖とせよ。特別に取り分けて神さまに捧げなさい、というのがこの第四戒の基本的な意味です。この安息日を今日のキリスト教会は日曜日に置いて、主の日として覚えて礼拝を捧げています。安息日という名前は、見てすぐに分かるように「休息」と関係のある名前です。でも、それならなぜ休息とは呼ばず、安息なのでしょう。安息とは何を意味するのか。このことについては、一番最後に触れたいと思います。  いずれにせよ第四戒の核心は、安息日を記念して、「聖とせよ」ということです。それは、ただ仕事を止めて休めばよいということではありません。この日を特別に取り分けて(それを聖別と言いますが)、神さまに捧げなさいということです。すなわち、「聖とする」とは私たちの礼拝に関係があるのです。  でもどうして七日目を特別に取り分け、神さまに捧げる必要があるのでしょう。どうしてだと思われますか。 10 節冒頭がその理由を語ります。「七日目は、あなたの神、主の安息」。この日は「主の安息」つまり神さまのものだ、と聖書は言うのです。この日は、私たちのものではない。主の安息、主のものだから、神さまに礼拝をもって捧げていくのです。   2.        七日目に休んだ神  七日目は主の安息、神さまのものである。でも、どうしてでしょう。その理由がユニークで面白いのです。 11 節に目を留めましょう。 11 節(読む)  神さまはかつて世界を創造された時、六日間にわたって働いて世界を完成し七日目に休まれました。だから私たちも休んで、七日目を「安息日」として神さまに捧げなさい、ということです。ここで深く物事を考える方は、...

「神のことばによって造られた世界」(創世記1:6~25)

「みことばによって造られた世界」 創世記1:6~25  先週は、茫漠として何もないところに、神さまがみこころを向け、「光あれ!」とおっしゃったところを学びました。神さまは、「光」をよしとされて、光を昼と名づけました。そして、闇は、それを残しながらも、ここまでという境界線を引き、「夜」と名づけたのです。名づけるというのは、神の支配と統治の下に置かれるということを意味します。言い換えると、闇の中にも神さまはおられるということでした。そして、「夕があり、朝があり、第一日」が終わりました。 さて、今日は、神さまの創造の第二日から第五日までを一気に見ていきます。この創造の記事は、とかく現代科学と競合してしまい、議論されるのですが、聖書は科学の教科書ではなく、神さまのみこころを知るための書物なので、今日も「神のみこころを知る」という視点で読み進めていきたいと思います。 さて、光が造られ、昼と夜とが分けられると、神さまは次に「大空」を造られました。「大空よ、水の真っただ中にあれ。水と水の間を分けるものとなれ」。この「大空」という言葉は、もともとは「金属などを打ち延ばす」という言葉からできているそうです。 ヨブ記の37章18節では、「あなたは大空を神とともに張り広げられるのか。鋳た鏡のように硬いものを。」 と同じ「大空」という言葉が使われています。神さまはこうして、下の水と上の水とに分けられたのですが、私はここで、モーセが紅海を分けたときのことを思い出しました。イスラエルの民は命からがらエジプトから逃げていたのですが、目の前に立ちはだかったのは、紅海でした。四面楚歌、万事休すと思われたその時に、モーセが神さまの指示を受けて、彼の手、杖を海に伸ばすと、なんと海が真っ二つに分かれて地の底が見えたのです。出エジプト記の 14章22節には、「イスラエルの子らは、海の真ん中の乾いた地面を進んで行った。水は彼らのために右も左も壁になった。」 創世記の1章2節にあった、その大水、それは荒ぶる大水だと言いました。その大水が、上の水と下の水とに分かれて、大空が造られたのです。そして神さまは、「大空を天と名づけ」ました。それは神さまの支配と統治の下に置くことでした。そして神は、それをよしとされ、夕があり、朝があった。第2日。 9節「神は仰せられた。『天の下の水は一つの所に集まれ。乾...

賞を得られるように走る(Ⅰコリント24~27)

「賞を得られるように走る」 コリント人への手紙 9 章 24 節~ 27 節 塩原 美小枝 実習生 皆さんが学生のころ運動会ではどのような競技があったでしょうか。私の小学校では騎馬戦や組体操、徒競走などがあり、人気だったのを覚えています。  実は、パウロの手紙を受け取った教会のあるコリントの町でも競技大会なるものが二年に一回開かれていたようなのです。今でいえばオリンピックのようなものでしょうか。パウロは競技大会の花形であった「競走」を「信仰生活」に例えて、コリントの教会に訴えかけます。 パウロは彼らに何を伝えているのでしょうか。共に聖書を見ていきましょう。 まず、 24 節でパウロは競技大会での競走で賞を受けるのは、ただ一人であることをコリントの人々に思い起こさせます。皆さんも思い出してみてください。リレーや徒競走で 1 位になるのは 1 人、または 1 チームではなかったでしょうか。競走に「参加する」のと「勝利を得る」ということは別物だということです。参加は誰にでもできても、勝利は限られた人にしか得られません。皆さんも競争をしていると想像してください。「用意ドン!」と旗が上がった瞬間、負けるために走りだす人はいないでしょう。だれもが、あのゴールテープを切り勝利するために走るのではないでしょうか?  パウロは、競走で走る参加者を信仰者にたとえて、「あなたがたも賞を得られるように走りなさい」と訴えます。賞を得るのが一人かそうでないかの人数は実は問題ではありません。ここで大切なのは、「賞を得られるように」という、走る目的です。信仰生活とは、信仰をもって洗礼を受けたら、あとは自動的にゴールして、賞を得られるというものではないのです。  ではパウロが言っている「賞」とは何でしょうか。 25 節を見てみましょう。 実際に、競技大会の競走で勝利した人に与えられるのは「朽ちる冠」と書かれています。これは当時の賞が月桂樹の葉で編まれた冠で、いずれは枯れてしまうことから、「朽ちる冠」と表現されています。しかし、いずれは枯れる冠であっても、賞は賞です。競争で勝利した証であり、競争に参加した選手なら誰だって喉から手が出るほど欲しい物なのです。オリンピックでも、日本人が金メダルを取るとニュースで何度も報道されるように、選手にとっては非常に名誉のある賞なのです...