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2月, 2023の投稿を表示しています

教会はキリストのからだ(エペソ1:22〜23)

「教会はキリストのからだ」(エペソ1: 22 ~ 23 ) 齋藤五十三師  本日は教会総会の日です。教会について思い巡らしたいと、本日の聖書箇所を選びました。エペソ書の教会論を通して、教会の広がり、豊かさを共に分かち合いたいと思います。一言祈ります。   1.      心の目が開かれるように  私が礼拝の司会に立つ時、祈りの中で時折、ルカ福音書 12 章 32 節のイエスさまの言葉を引用しながら祈ることがあります。こういう言葉です。「小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。」「小さな群れよ」という印象的な語り掛けが、耳に残っておられる方もあるでしょう。 私たちの教会が、人数的には小さな教会であることを覚えながら、私は時々祈るのです。 新船橋キリスト教会は大きな教会ではありません。でも、イエスさまの目には、私たちの教会の可能性が映っています。「父は喜んで小さな群れに御国、すなわち神の国を与えてくださる」と約束してくださったわけですから。  それはパウロの目にもそうでした。パウロは1章 18 ~ 19 節でこう祈っています。  まずは 18 節(読む)  私たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものなのか、それが見えるようにとパウロはまず祈ります。 そして 19 節(読む)  「私たち信じる者に働く神のすぐれた力」、私たちの教会の内にも、神の偉大な力が働いていると、これが見えるように、とパウロは祈るのです。   どうですか。これらはいずれも祈りの中で見えてくる教会の広がりです。 もしまだ見えていないとしたら、私たちが気づいていない、ということなのでしょう。 そのように思うと、新船橋キリスト教会もなかなかに楽しみな教会です。    エペソ書によると、そもそも私たちの教会のルーツはまことに深い。1章 4 節には、「世界の基が据えられる前から」私たちの教会は選ばれていた、とありました。しかも、神の子どもに選ばれていた。 そして、その後の 10 節は言うのです。「時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められる」。 神に選ばれた教会は、時が満ちたある時に、一つところに世界中から集められる。 そうやって考えると、

パウロ殺害の陰謀(使徒の働き23:12〜24)

「パウロ殺害の陰謀」 使徒の働き23:12~24   あっという間のエルサレム滞在でした。神殿に異邦人を連れ込んだとの濡れ衣を着せられ、ユダヤ人による暴動が起き、ローマ軍が出頭するという騒ぎになりました。それでも、パウロにとっては「ピンチはチャンス」!いきり立つユダヤ人を前に自分がどうやって救われたのかを彼らの母語ヘブル語で証しするときとなりました。はじめは静かにパウロの言うことに耳を傾けていた人々でしたが、「私は異邦人伝道に召されている」と発言するやいなや、再び人々は暴徒化し、ローマ軍が介入しなければならなくなりました。そして、先先週の箇所では、ユダヤ人の最高法院(サンヘドリン)が招集されました。そこには復活を信じるパリサイ人と復活を信じないサドカイ人がいることを見てとったパウロは、神さまから知恵をいただいてこう発言しました。「私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」するとパリサイ人とサドカイ人による激しい論争が巻き起こり、これまた会議が成り立たなくなり、パウロは再びローマ軍に保護されたのです。その晩イエスさまがパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しなければならない」と言われたので、パウロは元気百倍!ローマに行って証しするという使命に燃えたのでした。 さて、今日の箇所では、再び大混乱が起こりかけます。先の最高法院71人の議員たちとは別の、恐らく当時熱心党員と呼ばれていたユダヤ教過激派組織の40人がパウロを殺す陰謀を企てたのです。彼らは「パウロを殺すまでは食べたり飲んだりしない」と呪いをかけて誓ったとあります。彼らは祭司長たちや長老たちのところに行って提案します。15節「あなたがたは、パウロのことをもっと詳しく調べるふりをして、彼をあなたがたのところに連れて来るように、最高法院と組んで千人隊長に願い出てください。私たちのほうでは、彼がこの近くに来る前に殺す手はずを整えています。」つまり、神殿の横にあるローマ軍が駐屯しているアントニア要塞から神殿内の一室に移動する間に、武装した40人の暗殺者が待ち構えて、一気にパウロを殺してしまおうというのです。パウロはすでにローマの保護下に入っていましたから、このままではそのままローマに移送されてしまい、自分たちの手の届かないとこ

私も私の父の家も(ネヘミヤ記1:1~11)

0212 新船橋キリスト教会 礼拝説教 「私も私の父の家も」  はじめに    今日、2023年2月12日の礼拝で取り上げるべき事柄があります。 昨日、2月11日は、世間では「建国記念の日」として知られています。 建国をしのび、国を愛する心を養う日として1966年に制定されました。もう少しことばを正確に使うなら、復活しました。  「建国記念の日」とは明治時代に祝祭日であった「紀元節」に由来する祝祭日です。  「紀元節」とは、日本書紀に記された初代天皇とされる神武天皇が即位したことを祝う日でし た。そして、戦前、「紀元節」は、天皇を中心とする国家、神国日本という国家観の形成の一端 を担いました。 このような日であったので、「紀元節」は、戦後の1948年、GHQの意向によって祝祭日ではな くなりました。天皇を中心とする国家からの脱却を目指したといえるでしょう。 しかし、その後、「紀元節」を復活させようという動きが起こり、9回の審議提出・廃案を経て 1966年に国民の祝日として復活したのでした。 何度も廃案になりながら、それでも「紀元節」の復活を諦めない、執念さえ感じます。 「紀元節」から「建国記念の日」と名前を変えましたが、天皇を中心にした国家に戻したい、戻 りたい、という意図が見え隠れするようです。 キリスト者たちは1966年「建国記念の日」制定後すぐに、この日を「信教の自由を守る日」とし、 国民の生活の中に天皇制を保ち続けようとする国の在り方への反対を表明したのでした。 今日は、「この信教の自由を守る日」を意識し、私たちの過去との向き合い方を聖書から教えら れたいと思います。  1.祈りの中で示される罪 今日の聖書箇所であるネヘミヤ記には、ネヘミヤによるエルサレムの城壁の再建について記され ています。 神さまは、この困難な働きの指導者にペルシアで献酌官として仕えていたネヘミヤを任命します。 ネヘミヤは、エルサレムの惨状を同胞たちから聞いたとき、「座り込んで泣き、数日の間嘆き悲 しみ、断食して、天の神の前に祈った」とあります。 エルサレムの同胞の痛みを自分の痛みとして受け取ったのです。 エルサレムの城壁の再建という困難に立ち向かうネヘミヤの働きは、この祈りから始まりまし た。 5節から11節がネヘミヤの祈りのことばです。  :5 「あぁ、天の神、主よ

勇気を出しなさい(使徒の働き23:6〜11)

「勇気を出しなさい」 使徒の働き23:6~11 先回の使徒の働きの講解説教からずいぶん時間が経ってしまいました。なんと3ヶ月ぶりです。11月は、いろいろと行事が立て込んでいましたし、そのままアドベントに突入、新年、年間聖句からの説教と続いたので仕方ありません。それではまずは、前回までの復習をしましょう。   場面はエルサレムです。パウロはほんの一時をエルサレムで過ごしました。時は五旬節の頃、多くの巡礼者がエルサレムを訪れて混み合っていました。パウロも他の4人のユダヤ人の兄弟と宮で礼拝をしていました。すると、エペソから来たユダヤ人たちが、パウロと一緒にいる4人が異邦人だと、異邦人を連れ込んで宮を汚していると騒ぎ立て、大暴動になったのでした。神殿の近くの要塞に駐屯しているローマ兵が騒ぎを聞きつけてやって来ました。そしてパウロを一旦保護し、安全な場所に連れて行こうとしたところ、パウロはこの群衆に話しをさせてほしいと願い出、それがかない、彼らにヘブル語で語りかけたのです。ユダヤ人のアイデンティティそのものでもあるヘブル語で語りかけられるものだから、それまで大騒ぎをしていた人々も静まりました。そしてパウロの証し、弁明に耳を傾けたのです。ところが、パウロが「神は私を異邦人に遣わす」と言った途端、そのことばに反応したユダヤ人たちはまたも大騒ぎ。「こんな男は生かしておくべきではない!」とわめきたてるので、またもローマ兵は彼を保護しなければなりませんでした。そして騒ぎを起こした廉(かど)で、むち打ちをしようとしたところ、パウロは「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むち打ってもよいのですか」と自分がローマ市民であることを明かし、難を逃れるのです。そして翌日、ローマ軍はユダヤ人の最高法院サンヘドリン議会を招集しました。今日の聖書箇所は、この会議の途中から始まります。   サンヘドリン議会の構成員は、71人で、主にサドカイ派とパリサイ派で構成されていました。この時代のサドカイ派は、ユダヤ社会で宗教的、政治的に力を持ち、実質支配階層でした。ですからこの議会の大半はサドカイ人だったようです。また彼らはモ─セ五書の権威だけを認め、他の旧約聖書の権威は受け入れませんでした。また彼らは、神さまは人間に律法をくださっただけで、世俗のことには無関心で介入なさることもないと考えました。そのた