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勇気を出しなさい(使徒の働き23:6〜11)

「勇気を出しなさい」

使徒の働き23:6~11

先回の使徒の働きの講解説教からずいぶん時間が経ってしまいました。なんと3ヶ月ぶりです。11月は、いろいろと行事が立て込んでいましたし、そのままアドベントに突入、新年、年間聖句からの説教と続いたので仕方ありません。それではまずは、前回までの復習をしましょう。

  場面はエルサレムです。パウロはほんの一時をエルサレムで過ごしました。時は五旬節の頃、多くの巡礼者がエルサレムを訪れて混み合っていました。パウロも他の4人のユダヤ人の兄弟と宮で礼拝をしていました。すると、エペソから来たユダヤ人たちが、パウロと一緒にいる4人が異邦人だと、異邦人を連れ込んで宮を汚していると騒ぎ立て、大暴動になったのでした。神殿の近くの要塞に駐屯しているローマ兵が騒ぎを聞きつけてやって来ました。そしてパウロを一旦保護し、安全な場所に連れて行こうとしたところ、パウロはこの群衆に話しをさせてほしいと願い出、それがかない、彼らにヘブル語で語りかけたのです。ユダヤ人のアイデンティティそのものでもあるヘブル語で語りかけられるものだから、それまで大騒ぎをしていた人々も静まりました。そしてパウロの証し、弁明に耳を傾けたのです。ところが、パウロが「神は私を異邦人に遣わす」と言った途端、そのことばに反応したユダヤ人たちはまたも大騒ぎ。「こんな男は生かしておくべきではない!」とわめきたてるので、またもローマ兵は彼を保護しなければなりませんでした。そして騒ぎを起こした廉(かど)で、むち打ちをしようとしたところ、パウロは「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むち打ってもよいのですか」と自分がローマ市民であることを明かし、難を逃れるのです。そして翌日、ローマ軍はユダヤ人の最高法院サンヘドリン議会を招集しました。今日の聖書箇所は、この会議の途中から始まります。

  サンヘドリン議会の構成員は、71人で、主にサドカイ派とパリサイ派で構成されていました。この時代のサドカイ派は、ユダヤ社会で宗教的、政治的に力を持ち、実質支配階層でした。ですからこの議会の大半はサドカイ人だったようです。また彼らはモ─セ五書の権威だけを認め、他の旧約聖書の権威は受け入れませんでした。また彼らは、神さまは人間に律法をくださっただけで、世俗のことには無関心で介入なさることもないと考えました。そのため彼らは、神さまが摂理をもって歴史を支配されているという考えはありません。また後で議論になりますが、天使や霊の存在、復活と永遠のいのちのような死後の世界も信じませんでした。彼らに重要なのはいつも現世だけでした。その結果彼らは道徳性と倫理性を喪失した物質主義者にならざるを得なかったのです。そういうわけで、ローマの権力に寄生し、利得を貪り、堕落したサドカイ人に、ユダヤの一般民衆は嫌悪感を覚えていたのでした。

  かたや"分離された者"あるいは"区別された者"を意味するパリサイ派は、律法に忠実でした。彼らは世俗を嫌い、律法に対し厳格であったために、民衆の尊敬と信望を得ていました。彼らはモーセ五書のみならず旧約聖書をすべて正典として受け入れ、また先祖代々伝えられてきた伝統を尊重しました。彼らは天使と霊の存在、そして復活と永遠のいのちのような死後の世界も信じました。

さて、6-8節「パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見てとって、最高法院の中でこう叫んだ。『兄弟たち、私はパリサイ人です。パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。』パウロがこう言うと、パリサイ人とサドカイ人の間に論争が起こり、最高法院は二つに割れた。サドカイ人は復活も御使いも霊もないと言い、パリサイ人はいずれも認めているからである。」

ここに書かれていることの意味がおわかりになるでしょうか。彼らは今まで、共通の敵パウロを殺すために一致していましたが、ここに破れが生じたのです。その試金石となったのが「復活」でした。サドカイ人は復活はないと信じる。パリサイ人は復活はあると信じる。結局どちらを信じるかということなのです。私たちクリスチャンは復活を信じます。何で信じるかと言われたら、信じるから信じるとしか言いようがない。無神論者やイエスさまの奇蹟や復活を史実として信じないリベラルなキリスト教信者は、自分たちは科学で実証できないことは信じないと言いますが、復活はないと、永遠のいのちはないと、死後の世界はない、死んだら無なのだと、どうやって証明するのでしょうか。それは科学の及ばないことなのです。要するに彼らも無神論教の信者なのです。ですから私たちは何も引け目を感じることはない、堂々と「私は復活を信じます」と告白すればいいのです。

さて、ここで疑問が出てきます。どうしてパウロは、議会が混乱し、両者が分裂すると知っていながら、こんなことを言ったのでしょうか。考えられることは3つです。一つは、議会を混乱させ、ユダヤ人の最高法院でもこの問題をさばけないことを示し、ローマの法廷に送られることをねらったのだという見解。もう一つは、先ほども言ったように、今パウロを殺すために一枚岩になっている議会を分裂させ、この不毛な議論をやめさせるため。そして三つめは、復活を信じるパリサイ人を救いに導くため。皆さんはどれだと思うでしょうか。私はすべてあるんじゃないかと思います。特に三つめのパリサイ人を救いに導くためという考えが私の心を捕えました。

パウロはかつてパリサイ派の中でも特に厳格なガマリエル門下で学び訓練を受けてきた筋金入りのパリサイ人でした。律法に対しては忠実で、その熱心はキリスト者を迫害したほどでした。そして彼は今もパリサイ人なのです。6節では「兄弟たち、私はパリサイ人です!パリサイ人の子です!」と言っています。何もパリサイ人に対するリップサービスではない、本当に彼は今も律法に忠実に生きるパリサイ人だったのです。ただ彼は、律法に支配されているのではなく、救われた感謝と喜びを持って律法を守っているのですが。パリサイ人であることイエス・キリストを信じてクリスチャンになることは、何も矛盾しないんだと、彼は言いたかった。彼は、イエスに出会う前も復活を信じていた。現世だけではない、見える世界だけでなはない、見えないもの、魂、霊、そして摂理を持って私たちの世界に、またこの世界に生きる私たちに関わり、介入して来られる神を信じていたのです。だから「私はパリサイ人です。」「私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです」と、ここで一石を投じたのです。

9-10節「騒ぎは大きくなった。そして、パリサイ派の律法学者たちが何人か立ち上がって、激しく論じ、『この人には何の悪い点も見られない。もしかしたら、霊か御使いが彼に語りかけたのかもしれない』と言った。論争がますます激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと恐れた。それで兵士たちに、降りて行ってパウロを彼らの中から引っ張り出し、兵営に連れて行くように命じた。」

サドカイ人とパリサイ人の論争は激しくなり、そのうちに、パリサイ人はパウロを擁護するようになっていました。そしてついには、「この人には何の悪い点も見られない。もしかしたら、霊か御使いが彼に語りかけたのかもしれない」とまで言うようになったのです。パウロは言いたかったでしょう。「霊か御使い」なんかじゃない、復活された主イエス・キリストが、私に語りかけられたのだと、このお方こそ、私たちがずっと待ち望んで来た救い主、メシアなのだと!

しかし、論争はますます激化し、ローマ軍が介入しなければいけない状況になりました。文字通りパウロが彼らに引き裂かれそうになる危険を感じたのです。ですから、千人隊長は兵士たちに命じて、パウロをそこから引っ張り出して、兵営に連れて行くように命じました。千人隊長は、この問題は彼らの宗教上の問題だから、ユダヤ人議会を招集して、そこで決着をつけて終わりにしようと考えていましたが、決着どころがついには大混乱になり、これからどうしたものかと途方に暮れたことでしょう。

一方パウロは、ローマ軍に助け出され、命拾いをし、パリサイ人たちの中から救われる人が起こされるようにと祈りつつ床に就いたことでしょう。そしてその夜、主がパウロのそばに立ってくださり、おっしゃるのです。「勇気を出しなさい。」と。「勇気を出しなさい」(サルセオー)ということばは、「元気でいなさい」「しっかりしなさい」「喜んでいなさい」とも訳せる言葉です。イエスさまが枕元に立って、こんな風に語りかけてくださったら、私たちも元気100倍になるのにと思います。でもこの励ましは、次の使命に向かってのものでした。「エルサレムでわたしのことを証言したように、ローマでも証しをしなければならない」 エルサレムでわたしのことを証言したように、というのはどういうことでしょう。エルサレムでイエスさまのことを証言できたのは、神殿で暴動に遭い、人々に半殺しにされ、ローマ兵に担ぎ出されて要塞への階段上から、殺気立っている群衆に向かって証しした、あの時だけでした。つまり、ローマでも困難が待っているだろう、だけど、勇気を出しなさい。わたしがいっしょにいるから、確かに支えるから、ローマでも証ししなさいと、イエスさまはおっしゃったのです。

イエスさまの励ましは、「ご苦労様」「もう十分だ」「もうやめていいよ」「あきらめていいよ」というものではないのです。むしろ、「大丈夫だよ」「あきらめちゃいけない」「わたしがついてる」「前にすすもう」「勝利が約束されているから」そういう励ましなのです。実はヨハネの16章33節にも同じサルセオーという言葉が使われています。「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」このみことばは、イエスさまが十字架に架かられる前に、弟子たちに話した言葉です。「世にあっては苦難がある」その通りです。それはクリスチャンでもクリスチャンでなくても同じこと。けれども私たちにはイエスさまがついている。十字架と復活によって、闇の力、罪と死に勝利された主がついている。私が戦うのではない、そのイエスさまが私たちのために戦われるのです。私たちのローマはどこでしょうか。私たちの教会のローマはどこでしょうか。私たちが福音を届けなければならない人たちは誰でしょうか。もう一度立ち上がって、前を向いて、私たちのいまだ見ぬ地、ローマに向かいましょう。


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