スキップしてメイン コンテンツに移動

義と平和は口づけし(詩篇85:1〜13)

『義と平和は口づけし』 
詩篇 85:1-13
(朝岡 勝 師)
 
 夏の盛りを過ぎ、暑さの中にも少しずつ季節の変化を覚える日々を迎えています。8 月第三主日のこの日を平和記念礼拝として覚え、ともに御言葉に聴く時が与えられて 感謝します。詩篇の御言葉に教えられながらキリストの平和に生きる思いを新たにさ せていただきましょう。皆さんお一人一人に、またこの社会に主の祝福と平和がある ように祈ります。 

①回復と平和のための祈り
  今朝与えられている御言葉が詩篇 85 篇、特に 10 節、11 節に心を留めたいと思いま す。「恵みとまことはともに会い、義と平和は口づけします。まことは地から生え出で、 義は天から見下ろします」。ある翻訳聖書には「回復と平和のための祈り」とタイトル が付けられています。この詩篇は南ユダ王国がバビロン帝国によって滅ぼされ、捕囚 の民として連れ去られ、その後、苦難に満ちた日々を過ごした後にようやく捕囚から 解放されたイスラエルの民が、神の恵みを感謝のうちに振り返りつつ、そこで今、直 面している困難について神に救いを求める祈りです。
 「恵みとまことはともに会い、義と平和は口づけする」。他の翻訳聖書では「慈しみ とまことは出会い、正義と平和は口づけする」、あるいは「義と平和は抱き合う」と訳 す聖書もあります。「出会う」。「口づけする」。「抱き合う」。これらの言葉が特に心に 響きます。心がすれ違い、互いにきちんと出会うことができず、あやまった先入観と 相手に対する恐れや疑心暗鬼、それらが産み出す憎しみによってわかり合えない社会 が私たちの周囲に拡がっています。所詮、世の中はそんなものだという諦めの心が私 たちのうちにも浮かんで来ます。けれども聖書は、慈しみとまことは出会い、正義と 平和は口づけすると語る。詩的な表現ですが、だからこそこの言葉によって引き起こ されるイメージを私たちは大切に受け取りたいと思うのです。
  詩人は 1 節から 3 節で、かつて自分たちを捕囚から解放してくださった神の恵みの 御業を振り返っています。「主よ、あなたはご自分の地に恵みを施し、ヤコブを元どお りにされます。あなたは、御民の咎を担い、すべての罪を、おおってくださいます。 あなたは、激しい怒りをすべて収め、燃える御怒りから身を引かれます」。そしてこの 恵みの振り返りに基づいて、4 節から 7 節では、今、置かれている苦難の中で神の赦 しを請い、救いを求めています。「帰って来てください。私たちのところに。私たちの 救いの神。私たちへの御怒りをやめてください。あなたはとこしえに、私たちに対し て怒られるのですか。代々に至るまで、御怒りを引き延ばされるのですか。あなたは 帰って来て、私たちを生かしてくださらないのですか。あなたの民があなたにあって 喜ぶために。主よ。私たちにお示しください。あなたの恵みを。私たちにお与えくだ さい。あなたの救いを」。
  詩人が今どのような困難に直面しているのかは定かではありません。しかし彼の中には、過去において父祖たちが犯した罪への報いが、今、自分たちの上に注がれてい る。そのような認識を持っていたようです。彼らは過去に大きな罪を犯し、その裁き を受けました。そしてそこから赦され、救い出されて回復を遂げた。しかしそこでな お困難に直面するとき、過去の自分たちの罪を思い起こし、そこで詩人がすがるのは 神の恵みのほかにないのです。私たちはこの朝、この詩人の歴史の認識、時代の認識 というものを受け取りたいと願うのです。私たちの国もかつて大きな戦争の経験を通 して大変な苦難を自らも味わい、また近隣諸国にも味わわせて来ました。そして戦後、このような悲惨な戦争を繰り返さないという決意を持って平和憲法を定め、戦後 77 年の歩みを続けて来ました。私たち日本同盟基督教団も、戦時下の自らの教会の戦争 協力と偶像礼拝、そしてアジア諸国への侵略の罪を悔い改めて、憐れみの中でこれま での年月を過ごして来ました。しかし今たちの社会は、その戦争への道を再び歩もう とする危うい道に立っています。そのような時に、私たちもまた「主よ、お示しくだ さい。あなたの恵みを。私たちにお与えください。あなたの救いを。」と祈らざるを得 ないのです。

 ②主は平和を告げられる
  そこで詩人は主の恵みにすがりつつ、そこで主の御声を聴き、一つの確信へと導かれていきます。8 節、9 節。「聞かせてください。主である神の仰せを。主は御民に、主にある敬虔な人たちに平和を告げられます。彼らが再び愚かさに戻らないように。 確かに御救いは主を恐れる者たちに近い。それは栄光が私たちの地にとどまるためです」。私たちの神は平和を告げる神、シャロームを宣言される神です。私たちが再び愚 かな振る舞いに戻らないように、神の平和、シャロームを宣言なさるのです。私たち は、まことの平和は神からしかもたらされることがないと信じています。それは人間 の努力によって平和を作り出すことができない罪の現実を知っているからです。私た ちの内側には敵意があり、猜疑心があり、疑念があります。平和よりも争いに向かう 心、信頼よりも疑いに向かい心があります。それは人間の罪の現実です。ですから私 たちは、平和よりも安全を求め、ことばよりも剣を求め、開かれた門よりも、高くそ びえる塀を張り巡らそうとするのです。
  東北大学名誉教授の宮田光雄先生が『いま日本人であること』というエッセイ集の 中で、「敵・味方思考」ということを指摘しておられます。「われわれに敵対する《敵》 があると思い込み、彼らがわれわれにいつか襲いかかるだろうと信じて、われわれがそのように振る舞いつづけていれば、おそらく彼らの側でも、われわれに対して、事 実上、敵意を持つようになり、ついには、われわれにたいして襲いかかるように促さ れるかも知れない。当初においては、そうした意図はなかったのだけれども。さらに、 われわれは侵略者を《敵》という用語で、いわば単数形で一括して思い描くことが多い。しかし、実際には、そこには、何百、何千万もの人びとがいるのである。彼らは 多くの市民、農民、労働者、老若の男女をふくみ、何千、何万という異なった集団や 組織からなっている。・・・こういった細別化された認識をもたねばならないであろう。 それだけではない。《敵味方》的思考に欠けている最大のものは、《敵》のなかに人間 3 をみる基本的な感受性である。むしろ、そこでは、《敵》として役割を演じている相手 の中にも自己と同じ喜怒哀楽という人間的情感の担い手を見分けねばならない。・・・ 《敵》を抹殺する代わりに《敵》を《味方》に変えることによって、侵略者という非 人間的体制を克服することを狙っているのである」。これは国家間の問題にとどまらず、私たちに人間関係にも当てはまる大事な指摘です。キチンと出会い直すこと、人格と して出会い直すことの大切さを思います。これこそ、キリストが十字架で成し遂げて くださったことの実りであるのです。

 ③義と平和は口づけし
  主なる神がもたらされる平和は、人間の限界を越えて私たちを新しい地平に立たせ るものです。10 節。「恵みとまことはともに会い、義と平和は口づけします」。異なる 考え、異なる人間、異なる文化、異なる歴史、それらのものが行き会い、そこで固い 抱擁を交わす姿です。また 11 節では「まことは地から生え出で、義は天から見下ろし ます」と語られて、地から生え出でるまことと天から下る義によって実現する、神に よる平和のヴィジョンの姿が生き生きと描き出されています。
  このヴィジョンの実現を目指して、私たちは今日、ここから進んでまいりたいと願 います。12 節、13 節に「主が良いものを下さるので、私たちの大地は産物を産み出 します。義は主の御前に先立って行き、主の足跡を道とします」と締めくくられます。過去の回顧と現状の認識から、さらに未来への展望が開かれていくのです。しかもそ の未来は、私たちが空想する未来ではなく、主なる神が実現される確かな約束に基づ く未来の姿であり、それはまさに神の国の完成の姿です。そしてこの真の平和の実現 する神の国をもたらすために、私たちのもとにお出でくださったのが、今日、今、こ こで私たちが礼拝している神の御子イエス・キリストなのです。エペソ書 2 章 14 節 から 17 節でパウロはこう言います。「実に、キリストこそ私たちの平和です。キリス トは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において隔ての壁である敵意を打ち壊 し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二 つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つの からだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。 またキリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和 を、福音として伝えられました」。
  私たちが求める平和。それはキリストによってもたらされる平和であり、何よりも まずキリストの十字架の贖いによって成し遂げられた神との和解による平和です。こ のキリストの十字架の贖いによって罪赦され、神の愛で愛された人が「新しい人」で す。そしてこのキリストによる神の愛の中に生きる時、その新しい人は敵意を超えると聖書は語ります。そういう人が今、この時代に必要なのです。そしてそこにキリス ト者の使命があり、教会の使命があるのです。

コメント

このブログの人気の投稿

7月16日主日礼拝

兄息子への愛                                         日 時:2023年7月16日(日)10:30                場 所:新船橋キリスト教会                                         聖 書:ルカの福音書15章25~32節   1 ルカの福音書15章について  ルカの福音書15章では、イエスさまが3つのたとえをお話しになります。そのうちの3番目に「2人の息子のたとえ」があります。今日は、兄息子のたとえを中心にお読みいたします。  イエスさまが3つのたとえをお話しすることになったきっかけが15章1節から3節に書かれています。取税人たちや罪人たちがみな話を聞こうとしてイエスの近くにやってきました。その様子を見ていた、パリサイ人たちや律法学者たちがイエスを批判します。「この人、イエスは罪人を受け入れて一緒に食事をしている」と。そこで、イエスはパリサイ人たちや律法学者たちに3つのたとえ話をしたのです。  その結論は、最後の32節に書かれています。   「 だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。」 イエスさまが3つのたとえをとおしてお語りになりたかったのは、「取税人や罪人がイエスのもとにきたことを喜び祝うのは当然ではないか。」ということです。1番目のたとえでは、失われた羊、2番目のたとえでは失われた銀貨が見つかりました。3番目のたとえでは、弟が死んでいたのに生き返りました。大いに喜ぶのは当然です。イエスさまは、3つのたとえを用いて、神さまから離れてしまった魂、すなわち、取税人や罪人が神さまのもとに帰ってくることの喜びがいかに大きいかをパリサイ人や律法学者に伝えることで、彼らの批判に答えたのです。 2 兄息子の不満   さて、3番目のたとえでは、前の2つのたとえとは違うところがあります。それは、25節から32節に書かれている兄息子の存在です。兄息子は、いつも父親に仕えていました。弟が帰ってきたその日も畑にいました。一生懸命に仕事をしていたのでしょう。ところが、兄息子が家に帰ってきますと、音楽や踊りの音が聞こえてきました。なんと、弟が帰ってきたというの
  闇から光に! 使徒の働き26:13~18 パウロの回心の記事は、使徒の働きで3回出てきます。前回は9章と22章でした。この3つの記事は、全く同じというわけではなく、それぞれ特徴があり、強調点があります。例えば、前のパウロの回心の記事では、アナニアが登場し、アナニアを通してパウロに神からの召しと使命が告げられたことになっていますが、今回、アナニアは登場しません。そして復活のイエスさまご自身が、パウロに直接語りかけ、福音宣教の使命を与えられたということが強調されています。今日は、私たちもイエスさまの直接的な語りかけを聞いていきたいと思います。12~13節をお読みいたします。   このような次第で、私は祭司長たちから権限と委任を受けてダマスコへ向かいましたが、その途中のこと、王様、真昼に私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と私に同行していた者たちの周りを照らしました。   パウロは、祭司長たちから権限と委任を受けて、ダマスコに向かい、クリスチャンたちを迫害しようとしていたとあります。昔、「親分はイエス様」という映画がありました。やくざだった人が救われて、人生の親分が、組長からイエスさまに変わったという映画です。パウロも、ダマスコに向かう時には、祭司長たちから権限と委任を受けていたのですが、ダマスコ途上で救われて、親分が変わりました。イエスさまが、彼の親分になり、パウロに権限と委任を与えるお方になったのです。 さて、パウロがダマスコに向かう途中に、天からの光を見ました。私はパレスチナには行ったことがありませんが、インターネットで調べてみると、雨季と乾季があり、乾季の時には、昼間は灼熱の太陽が照り付け、非常に乾燥しているとありました。今、日本は真夏で、太陽がぎらぎらと照り付けていますが、「真昼に天からの光」と聞いて皆さんどう思うでしょうか?しかもそれは太陽よりも明るく輝いて、パウロと同行者たちの周りを照らしたというのです。想像を絶する明るさ、輝きです。そうでした。神は天地創造の初めに、「光よ、あれ!」とおっしゃったお方でした。第一ヨハネの1章5節では、「神は光であり、神には闇が全くない」とあります。神は光そのものです。全き光である神を前に、人は立っていられるでしょうか。罪や汚れを持つ人間が、一点の影も曇りもない神の前に立ちおおせる

マルタ島での出来事(使徒の働き28:1~10)

「マルタ島での出来事」 使徒の働き281~10 さて、2週間もの漂流生活が守られ、船に乗っていたパウロたち囚人も、ローマの兵士たちも、水夫たちも、276人全員が無事に島に打ち上げられました。この島の名はマルタ島。地図で確認しましょう。イタリアは目と鼻の先。もちろん嵐に巻き込まれて、漂流してここまで来たのですから、順調に船旅をするよりも時間はかかりましたし、失ったものも多かったと思いますが、それでもほぼ直線距離で、ここまで運ばれて来たようです。本来はクレタ島で冬の間を過ごして、それから船出するつもりでしたので、予定よりも早く、パウロが目指すローマに着くことになりました。11節を見ると、航海に適した時期になるまでもう3か月間マルタ島で過ごさなければいけなかったのですが、3か月後にクレタ島を出るのと、このマルタ島を出るのとでは、大きな時間差があります。しかも島の人たちは親切で、パウロたち一行にとてもよくしてくださり、また船出するときには、必要な物資を用意してくれたということですから、クレタ島の良い港や皆が冬を過ごしたがっていたフェニクスという港よりも快適に冬を過ごせたかもしれません。 神さまの導きは不思議です。私たちから見たら、嵐のように苦労が多くて、遠回りで、足踏みをしているようにしか見えない人生でも、神さまは、着実に導いてくださっている。前に進ませてくださっているのです。神さまは良いお方。私たちに良いものしかくださいません。皆さんは星野富弘さんを御存じだと思います。不慮の事故で、首から下が全く動かなくなり、口で筆を加えて、絵や詩をかいている詩人であり、絵描きです。彼の書いた「渡良瀬川」という詩をご存じでしょうか。少し長いですが、お読みいたします。 私は小さい頃、家の近くを流れる渡良瀬川から大切なことを教わっているように思う。 私がやっと泳げるようになった時だから、まだ小学生の頃だっただろう。 ガキ大将達につれられて、いつものように渡良瀬川に泳ぎに行った。 その日は増水して濁った水が流れていた。 流れも速く、大きい人達は向こう岸の岩まで泳いで行けたが、私はやっと犬かきが出来るようになったばかりなので、岸のそばの浅いところで、ピチャピチャやって、ときどき流れの速い川の中心に向かって少し泳いでは、引き返して遊んでいた。 ところがその時、どうしたはずみか中央に行き