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わが神、どうして



「わが神、どうして」 マタイ27:45~50
牧師 齋藤千恵子

 今週は受難週です。就任して初めての礼拝が受難週の主日というのは、実に意味深です。また新型コロナウイルスの不安と脅威の中での礼拝、緊張します。しかしこのような中でも主を礼拝するためにお集まりくださった皆様に敬意を表します。コロナ対策のために普段の礼拝とは勝手の違うところも多々あり、戸惑われている方もいらっしゃると思います。けれども万全の体制とは言えないまでも、できる限りの体制をもって、何とか礼拝を続けたいと思っていますので、ご理解くださいますようお願いします。
 さあ、イエスさまの苦難と十字架に思いを馳せながらみことばに聞きましょう。

27:45 さて、十二時から午後三時まで闇が全地をおおった。
 私たちが生きているこの世界は、「光よ、あれ!」で始まりました。世界が始まる前「地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり…」という状態でした。真っ暗闇でした。そこに神の愛のご意思が働き、「光よ、あれ!」とおっしゃった。そう、神さまが私たちに御顔を向けられた時に光があったのです。
 しかし、神の御子イエスさまが人に裁かれ、断罪され、裏切られ、あざけられ、鞭うたれ、標本の虫のように十字架に釘づけにされ、磔になったときに、闇が全地を覆いました。この闇は何を表しているでしょうか。聖書が「闇」に言及するとき、その意味するところは、「霊的無知」であり、「悪」であり、「さばき」であり、「苦しみ」です。例えば、出エジプトの時、イスラエルがエジプトから出て行くのを阻止したエジプトとその王ファラオに神は10の災いを下されました。その中の一つが、エジプト人が住むところだけ、3日間真っ暗闇になるという災いでした。けれどもイスラエル人の住むその場所には「光があった」と書かれています。そうなのです。神さまが御顔を向けたところに光があり、神の臨在のあるところに光があるのです。反対に神かが御顔を背けたところ、神がいないところ、そこは闇なのです。そしてイエスさまが十字架につけられたその時、全地は闇に覆われました。

27:46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
 この部分は後で詳しく見ます。まずは、これを聞いた人々の反応に目を向けたいと思います。47~49節

27:47 そこに立っていた人たちの何人かが、これを聞いて言った。「この人はエリヤを呼んでいる。」
27:48 そのうちの一人がすぐに駆け寄り、海綿を取ってそれに酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けてイエスに飲ませようとした。
27:49 ほかの者たちは「待て。エリヤが救いに来るか見てみよう」と言った。

 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」というのは、ヘブル語です。マルコの福音書では「エロイ、エロイ」となってますが、こちらはアラム語だそうです。どちらにしても、「エリヤ」と似てますね。ですから十字架を見物していた人々は、エリヤを呼んでいると理解したのです。なぜエリヤなんでしょうか。どうして突然エリヤの名前が出てきたのでしょうか。それには理由があります。エリヤは終末において、メシヤに先駆けて現れると期待されている預言者です。そして、エリヤはメシヤが必要とするときに天から現れて助けるという通説もあったようです。ですから、ユダヤ人たちは49節のように「エリヤが救いに来るか見てみよう」と言っているのです。
 では、酸いぶどう酒というのは何でしょうか。「酸いぶどう酒」は要するにワインビネガー(ぶどうで作られたお酢)です。当時このビネガーは疲労回復などを含むエナジードリンク?として、ローマの軍人たちに用いられており、「ポスカ」とも呼ばれていました。彼らは日常的にポスカを持ち歩いていたと言われています。つまり、十字架のまわりで警護していたローマ兵が、苦しむイエスさまを見るに見かねて、親切心でもって自分の携帯しているポスカを長い葦の棒の先にスポンジに含ませて、イエスさまに差し出したのでしょう。けれどもある人々はそれさえも許さず、「待て!エリヤが助けに来るか見ていよう」とどこまでも意地悪な見物人の立場を取り続けるのでした。46節にもどります。

27:46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

この十字架上のイエスさまのお言葉を三つに分けて考えてみたいと思います。①わが神、わが神 ②どうして ③わたしをお見捨てになったのですか。

わが神、わが神
 イエスさまは、「わが神、わが神」と呼ばれました。「父よ」ではなかった。イエスさまは、いつも父なる神さまに呼びかけるときには「父よ」と呼ばれました。ところがここはイエスさまが共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)の中で、「父よ」という呼びかけなして語りかけられている唯一の個所です。イエスさまが公生涯に入られるとき、バプテスマのヨハネから洗礼を受けましたが、その時に天から声がしました。「これは私の愛する子、私はこれを喜ぶ!」と。また、山の上で弟子たちが見守る中でみ姿が変わった時も、雲の中から「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞け」との呼びかけがありました。父なる神さまはいつも「これは私の愛する子」だとおっしゃいましたし、イエスさまもいつも「父よ」「父よ」と呼びかけ、「父」とご自分が完全に一致していること、誰も入り込めない親密な関係にあることを語っていました。このようにイエスさまが公然と神を父と呼ぶことに、宗教指導者たちは驚愕しました。ありえない!神への冒涜だと騒ぎました。それでもひるむことなく、イエスさまは「父」と呼び続けたのです。
 けれども、イエスさまの地上の生涯で初めて、「父よ」と呼びかけられなかった瞬間がここにあります。「わが神、わが神」と呼んだのです。なぜでしょうか。それは、私たちが「父よ」と呼びかける道を開くためでした。天地万物を造られ、今も支配し、完全な聖さをもっておられるこのお方を、私たちは何をしたって、口が裂けても「父よ」などと呼ぶことができません。その私たちが「父よ」と親しく呼びかけられるように、そう、つまり神の子としての身分が与えられるために、御子イエス・キリストは子としての身分を放棄されたのでした。完全に一つだった父との関係を断絶されたイエスさまの孤独と心の痛みはどれほどだったでしょうか。
 けれども、それでもイエスさまは「わが神」と呼びました。そこにはどんな意味があるのでしょう。ご自分が背負った大きな罪のために父に目を背けられながら、それでも「わが神」と呼んだ意味は!そこにあるのは人としてのイエスさまでした。人としてこの世に生まれて下さり、人としてその生涯を歩まれ、そして最後、人として神への従順を尽くしたのでした。ご自分の神としてのあり方を捨てて「わが神」と呼ばれた。主権者であられる神をご自分の真実、真心を尽くして「わが神」と呼んだのです。ここにイエスさまの従順があります。イエスさまは人として生まれ、人として死んでくださったのです。

どうして
 イエスさまは「どうして」と父なる神さまに訴えました。私たちもよくこの問いを神さまに向けるでしょう。「どうして神はこのような試練を与えるか?」「どうして自分なのか?」「どうして神は沈黙しておられるのか?」「どうして助けてくださらないのか?」私たちはすぐに、本当にすぐに神にこのようにつぶやくのです。もちろんこの「どうして」と問うレベルは、私たちとこの十字架上でのイエスさまとは全然違います。でもあえて言うと、イエスさまは、「どうして」と神に問う私たちの思いをご存知です。それは十字架上で、イエスさまが「どうして」と神に訴えたからです。理屈ではわかっている。自ら進んで受け取った杯だけれども思わず「どうして」と発したイエスさまは、私たちの「どうして」も理解してくださるのです。
 中村佐知さんが書かれた『隣りに座って』という本を最近読みました。中村さんのお嬢さんミホさんは、20歳という若さでスキルス胃ガンになり、11カ月の闘病生活をした後に亡くなりました。彼女は著書の中でこんな風に書いています。
「ミホが激しい痛みの中で『どうして神様はこんなにも私のことを憎んでるの』と叫んだとき、私はとても切なかった。でも、あとからそのことについて祈り、思いをめぐらしていると、ミホのその叫びが十字架上での『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』というイエスさまご自身の叫びと重なった。誰よりもイエス様が、ミホの気持ちと痛みをご存知であられるのだ。そして、誰よりもイエスさまが、ミホに寄り添い、ミホといっしょにその苦しみを担ってくださっているのだ。」
 私たちは、「どうして」と神に問うてもいい。イエスさまはその心の痛みと叫びをご存知なのです。そして共にその苦しみを担ってくださるからです。

お見捨てになったのですか
 イエスさまは、神に捨てられました。これは「見捨てられた気がする」とか、「見捨てられたようなものだ」とか、そういうことではなく、本当に見捨てられてしまったのです。十字架にかかる前、ゲッセマネの園でイエスさまが「私は悲しみのあまり死ぬほどです」と弟子たちに祈りを要請し、悲しみにもだえながら、血の汗を流すほどに苦しんで「この杯を過ぎ去らせてください」と言われたのは、このことを恐れていたのだと、今になってわかります。
 イエスさまは、父なる神さまに捨てられました。これはイエスさまが罪人の代わりにさばきを受けた、罪の罰を受けた結果でした。Ⅱコリ 5:21 神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。とある通りです。義なる神さまは、罪人を受け入れることができません。ですから人の罪を負ったイエスを神は受け入れることができなかったのです。そして罪の罰を与えなくていけませんでした。これが神に捨てられるということです。イエスさまは自ら神に捨てられることを通して、本来神から見捨てられて当然の私たちが神から捨てられないようにしてくださったのです。

27:50 しかし、イエスは再び大声で叫んで霊を渡された。
 イエスさまは大声で叫ばれて、息を引き取りました。からだが弱ってゆっくりと意識がなくなっていったのであれば、大きな声は出せません。大声を出せたということはまだ体力が十分残っていたのです。マルコによると十字架につけられたのは、午前9時過ぎですから、イエスさまは、一番長く見積もっても6時間で絶命したことになります。けれども、もともと十字架刑ではそんなに早く絶命しません。はりつけ状態にあると、自然と体は下に下がっていきます。しかし、呼吸するために横隔膜を伸縮させるには、体を上へ持ち上げなければいけません。何度も体を持ち上げて息をしますが、徐々に手足の力だけで身体を持ち上げることができなくなり、呼吸困難へと陥り、ついには絶命するのがこの十字架刑です。そうすると死因はたいてい窒息死なので、絶命までは何時間も、ひどい場合には数日かかることさえあったようです。ところがイエスさまは異例のはやさで息を引き取りました。ですから死因は窒息死ではなく、内臓破裂(心破裂)ではないかと言われています。なぜならヨハネの福音書で、イエスが死んだかどうか確かめるためにローマ兵がわきから心臓にめがけて槍で刺したのですが、その時に血と水が流れたとあるからです。それは心臓が破裂したことを意味しているということです。とにかくイエスさまは大声で叫ばれました。そう言えば「わが神、わが神」と言った時もイエスは大声で叫ばれたのでした。十字架を前にしてのイエス様は寡黙でした。ローマ総督であり裁判官でもあったピラトが何を聞いても、イエスさまは、何もお答えにならないか、答えても二言三言でした。ところが今、イエスさまは叫びます。絶叫されます。それはまだ体力があったからということもあるでしょう。またそれほど肉体の苦痛がひどかったということもあるでしょう。けれども、それ以上に「わが神、わが神、どうして!」と父に体当たりする子の姿を私はそこに見るのです。私たちも神に体当たりしたらいい、聞き分けのいいいい子ちゃんである必要なない、「わが神、どうして!」と叫ぶ祈りをしてもいいのではないでしょか。

 こうしてイエスさまは霊を渡されました。霊を奪われたのではない、イエスさまは自ら、ご自分の意思で霊を父なる神さまに渡されたのです。ささげたのです。リレーの選手が自分が走るべき行程を走り終えて、バトンを次の走者に渡すように、イエスさまは人を救うためにご自分が果たすべき十字架という役割、救いのわざを完成させて、父にご自分の霊を渡された!そう思うと、この最後の叫びは、勝利の雄叫びのようにも聞こえるのです。実際ヨハネの福音書に照らすと、このイエスさまの最後の叫びはを「完了した!」だった可能性があります。パズルの最後のピースをはめ込むように、イエスさまは人の罪を身代わりに負って死ぬというイエスさましか成し得ないわざを完成させ、父に従い切ってくださったのです。

 これがイエスさまの十字架の最後です。からだの痛みもさることながら、心の痛みはどれほどだったでしょうか。それは私たちの想像を絶するものです。この痛みと苦しみを担ってくださったイエスさまに私たちはどう応答するべきなのでしょうか。それはやはり、イエスさまを十字架につけた自らの罪を心から悔い改め、イエスさまが命がけで開いてくださった救いの道を歩み始めることではないでしょうか。そして、神との関係を回復し、「父よ」とお呼びすることじゃないでしょうか。お祈りします。

天の父よ、お父さま…。私たちがこのようにお呼びすることができるのは、イエス・キリストが十字架上で尊い血潮を流されたためでした。お父さま、あなたの愛する御子を捨ててまで、開いてくださった救いの道と罪の赦しをありがとうございます。受難週であるこの一週間、私たちはそんなイエスさまのお苦しみと十字架を覚えて祈りつつ過ごします。そしてイエスさまの復活を覚えるイースター礼拝に備えさせてください。イエスさまの御名によってお祈りします。アーメン 

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