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教会は祈っていた



「教会は祈っていた」

使徒の働き121217

 

天の父なる神さま、御名を心から賛美申し上げます。梅雨の季節、蒸し暑い日が続いておりますが、私たちの健康を支えて下っていますことを感謝します。東京では新型コロナウイルス感染者が100名を超す日が続き、熊本では大雨で川が氾濫し、大きな被害を出しました。神さまそれぞれの大変な状況にある皆さんに上に神さまの具体的な助けがありますように。神さま、私たちはこのような不安が絶えない時代にあって、あなたの御手のうちに守られ、こうして礼拝をおささげするために集められましたことを心から感謝します。しばし日常のこのような不安、雑念から私たちをしばし解き放ってくださり、あなたのみことばに浸らせてくださり、あなたのみこころを行うことのすばらしさを体験させてくださいますように。心からお願いします。感謝しつつ。主イエス・キリストの御名によってお祈致します。アーメン

 

12節は、「それがわかったので」で始まります。ペテロは何がわかったのでしょうか。それはこのすぐ前の11節を見ればわかります。「今、本当のことが分かった。主が御使いを遣わして、ヘロデの手から、またユダヤの民のすべてのもくろみから、私を救い出してくださったのだ。」自分がこうして解放されたのは、主が助けてくださったからだと告白しています。すっかり目が覚めて正気に戻ったペテロは、すぐに仲間のところに向かいました。そのままどこか遠くに逃亡することもできましたが、彼はそれをしませんでした。彼は知っていたのです。教会の仲間が自分のために祈ってくれていたということを。そしてペテロは祈ってくれていた仲間に、神さまがどんなふうに自分を救ってくださったのか報告したかったのです。祈り合っている仲間、教会というのはそういうものです。私たちが宣教師だったころ、4年に一度いつも祈ってくださっている皆さんに宣教報告をするために教会訪問しました。また毎月教団から発行される教団誌『世の光』に宣教報告を載せました。それは皆さんの祈りが、この異国でどんなふうに答えられたのかを報告するためです。ペテロはそのように祈りの場へと急いだのです。

さて、ペテロが向かったのは、「マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家」でした。この家は裕福な家で、広いお屋敷を持っていました。一説によると、イエスさまが昇天した後、皆がエルサレムに戻って一つ所に集まって祈っていましたが、その時もこの家ではなかったかと言われています。このマリヤの家はいわゆる家の教会なのです。そんな金持ちの御曹司マルコは、ちょっと世間知らずで気が弱いところもあったようで、後にパウロと一緒に行った宣教旅行では奉仕を投げ出して途中で帰ってしまいました。けれども後に成長し、パウロにも「役に立つようになった」と評価され、最終的にはマルコの福音書を書くまでに成長しました。そんなマルコは信仰においては、お父さんの影響よりもお母さんの影響を受けたようです。当時は封建的で女性の地位は低かったのですが、初代教会では、女性がのびのびと奉仕をしていたらしく、使徒の働きやパウロが書いた手紙には、こんな風に女性の名前がよく出てきます。のびのびし過ぎて、教会ではちょっと黙っていなさいとか、そんなに派手にケンカしないようにとかたしなめられている場面もありますが…。

さて、ペテロはマリヤの家につきました。何しろ隣り近所に気づかれてはまずいですから、細心の注意を払いつつ門を叩きました。こうしてペテロが門を叩いていると中にいる人たちがその音に気付きました。彼らは迫害されている身でしたから、ドキリとしたことでしょう。まれはまずい!我々も捕えられるのか?そう身構えたかもしれません。

台湾では「白色テロ」と呼ばれるいわゆるホワイトカラー、知識人階級の人々が弾圧された歴史があります。1945年、日本に50年統治された台湾が解放され、代わりに蒋介石率いる国民党軍が台湾にやって来ました。ところがこの国民党軍、長年にわたる中国本土での戦いで疲れ果て、愚連隊と化していました。台湾の人は日本語教育ではあったけれど、大学まで卒業しているエリートも多くいて、国民党軍にとっては非常に支配しにくい存在だったのです。そのため軍は、何かと言いがかりをつけてこのエリートたちの弾圧を始めたのでした。この時約14万人の台湾人が投獄され、3千人から4千人が拷問のすえ殺されたと言われています。私たちが台湾に行った当初、初老の中国語の先生にお世話になったのですが、その先生は当時のことを振り返って、あの時自分は子どもだったけれど本当に怖かったとその当時の体験を語っていました。夜に玄関に誰かがやってくると、必ずその家の男が連れ去られて行くので、子ども心にいつもおびえて夜を過ごしたというのです。

そうです。マリヤの家で祈っていた彼らにも戦慄が走りました。ひょっとしたら裏口から逃げ始める人もいたかもしれません。みんな固唾を飲んで、誰が来たのか確かめに行った女中ロダが戻って来るのを待っていました。

 一方ロダは、門のところまで行くと、用心深く門を開けないで「どなたですか?」と尋ねました。すると門の向こうから、「わたしだ、ペテロだ」と聞こえてくるではありませんか!?ロダは驚きで息が止まりそうでしたが、確かに聞きなれたペテロの声でした。彼女は嬉しさのあまり気が動転し、早くこのことをみんなに知らせなくてはとドアを開けもしないで、母屋の方に戻って行って皆に報告したのです。「みなさん、安心してください。ペテロでした。牢屋にいるはずのペテロが帰って来たのです!!」

 ここでのロダと兄弟姉妹とのやり取りは非常にユニークです。ロダは嬉しくて興奮しながら、ペテロが帰って来たと、早くドアを開けてあげないと言い張るのですが、みんなは引き止める。「まて、そんなわけない。」「ロダ、君は気が変になったんじゃないのか?」「ヘロデの手先がペテロの声色(こわいろ)を真似ているんじゃないのか。」「ああ、わかったペテロの御使いだ」「きっとペテロが死んだから、彼の守護天使がそれを告げに来たのだ!」などと言っています。ロダは「違う!確かにペテロです」と言い張ります。

 私たちはこのやり取りを面白おかしく読むのですが、当時は厳しい階級制度がありましたから、召使いが雇い人やその客人たちに自分の意見を主張するなんてことはない時代でした。ロダはペテロの声を聞いてのその喜びようからするとクリスチャンだったようです。クリスチャンというからには奴隷も主人もない、みんな兄弟姉妹です。みなさん、これがキリスト教会です。他の共同体、社会では見られない、キリスト教会独自のコミュニティです。とにかく、みんなで侃々諤々(かんかんがくがく)やり合って、結局召使いロダが人々を説得したのです。そして、「わかったみんなで確かめよう!」ということになりました。

 かわいそうなのはペテロ、戸口でずっとノックし続けていました。そして教会の人々は今度はみんなで家の門に向かい、恐る恐る扉を開けるとロダの言う通りそこにペテロがいたのです。幽霊でも天使でもありません。確かにペテロでした。皆は非常に驚き、大興奮しましたが、その場では大声を出すわけにもいかず、とりあえず家の中に入りました。そこからが大変です。みんな興奮を抑えきれず、ワイワイガヤガヤ、おばちゃんたちは本物のペテロだろうかとペタペタと触ってみる人もいたんじゃないかと想像します。

 ペテロはそんな人々を手で制して、主がどのようにして自分を牢から救い出してくださったかを彼らに説明しました。そこに集まっていた人々は固唾を飲んでその証しに耳を傾けたことでしょう。つい先だって使徒ヤコブが殺されたばかりでした。そしてペテロも明日には公開処刑にされるはずだったのです。みな救出を祈っていたけれども、半ばあきらめていて、それでも最後まで平安があるように、信仰を貫き通せるようにと祈っていたのです。でも神さまは、人々の思いを超えて祈りに応えてくださいました。人々はペテロの証しを聞きながら、神さまのご真実に感謝をささげ、賛美しました。

 けれどもゆっくりしてはおれません。すぐに追手がやって来るでしょう。ペテロは「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください」と告げて、そこを出て他の場所に出て行きました。ペテロはローマに行ったのだとか、アンティオキアに行ったとか、いろいろな説がありますが、定かではありません。またここに出てくるヤコブというのは、もちろん122節に出てくる殉教した使徒ヤコブではなくて、イエスさまの肉親の兄弟ヤコブのことです。彼も今や教会のリーダー的な存在でした。このあと15章では大きな教会会議がもたれるのですが、その時には彼が議長役を務めています。ペテロは、エルサレム教会のことは彼らに任せて、主に導かれるまま別のミニストリーへと向かうのでした。死んでいてもおかしくはなかった人生です。これから先はいわゆるおまけの人生。彼は残りの生涯をやはり主のために精一杯生き、最後はローマで殉教したと伝えられています。

 私たちはこのテキストから「祈り」ついて教えられたいと思います。まずみなさんはこの個所を読んで「教会の祈りが聞かれたのだ」と思ったでしょうか。「やっぱり信じて祈ると神さまは答えてくださるのだ」と思ったでしょうか。どうでしょう。もしペテロが牢屋から救出されることを期待して、信じて祈っていたら、ペテロが解き放たれて帰って来たとき、ロダが「ペテロが戸口にいる」と報告した時、すぐに「神さまは私たちの祈りをきいてくださった!」と大喜びでドアを開けに行ったんじゃないですか?でも彼らはロダに向かって「気が変になっている」と言い、「それはペテロの御使いだ」と言い張ったのではないでしょうか。彼らはペテロの救出を信じて祈ってはいませんでした。

私たちは「祈り」について根本的なことを考えなおさなくてはいけないかもしれません。祈りの答えというのは、私たちの熱心や信仰、祈りのために払った犠牲には拠らないのです。それはただ神さまの一方的な恵みだとうことです。私たちは、祈りによって神を思いのまま動かそうとしていないでしょうか。アラジンと魔法のランプのように、祈りというランプをこすると、「はいご主人様なんなりと!」と魔法使いが現れて自分の願いを聞いてくれるのと同じように、神は私たちの祈りを聞かなくてはいけないのだと思っていないでしょうか。逆に祈りが聞かれないのは、自分の信仰が足らないから、熱心さが足らないから、完璧な整った祈りができていないからだと思っていないでしょうか。もしそうだとしたら、それはバアルの預言者たちと同じです。Ⅰ列王記19章で、エリヤはバアルの預言者たちと祈りの対決をします。バアルの預言者たちは450人もいました。対してエリヤはひとりです。バアルの預言者たちは、祭壇の前で必死に大声で叫び、からだを傷つけながら祈りました。それはそれは熱心な祈りでした。彼らは自分たちの熱心さが、自分たちが払う犠牲の大きさが、自分の信心深さが神を動かすのだと思っていたのです。もちろん私たちは天地を創造された真の神さまに祈っていますからバアルの預言者とは違うでしょう。でも祈る姿勢においては同じなんじゃないでしょうか。

祈りは神さまを動かす道具ではありません。祈りは私たちクリスチャンに与えられた当然の権利でもなければ、神さまには祈りを聞く義務もありません。では何なのでしょう。私たちはどう祈ればいいのでしょうか。私たちは祈りを通して神への信頼を表すのです。そして祈りの答えは神の恵みです。神さまは神の子どもたちが父への信頼を持って祈る時に、それを聞く義務も必然性もないけれども、その愛のゆえに喜んで私たちの祈りを受け入れて下さり、あふれるばかりの恵みをもってそれに応えようとしてくださいます。そうです。私たちの不信仰を超えて、期待以上に祈りに応えてくださるのです。私たちは神に祈ることができるということをまず感謝しつつ、私たちの祈りの貧しさ、足らなさ、不信仰を超えて祈りに答えてくださる神に信頼し、神の前にへりくだって、精一杯の父への愛と信頼を携えて祈りましょう。恵み豊かな神は、私たちの思いや期待をはるかに超えてその祈りに応えてくださいます。祈りましょう。

 

天の父なる神さま、御名を賛美します。あなたは私たちが祈り願うこと以上に、私たちに応えてくださるお方です。そんな神さまに、私たちはありったけの愛と信頼を持って、御前に出て祈ることができますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

説教者:齋藤千恵子

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