スキップしてメイン コンテンツに移動

神が召した働きに(使徒の働き13:1-3)

「神が召した働きに」
使徒の働き13:1-3

エルサレムではヘロデ王によるキリスト教弾圧が起っていました。そしてまずは使徒ヤコブが剣で殺され、その後ペテロも投獄されました。ところが神さまは御使いを遣わし、不思議な方法でペテロを救い出してくださったのでした。そしてペテロ処刑の企てが失敗に終わったヘロデ王は、失意のうちにカイサリアに帰りました。そして大きな野外劇場で演説をしているさなかに、虫に食われて息絶えたのでした。

さて、舞台は再びアンティオキアに戻ります。アンティオキアの教会は、はじめは迫害によって散らされたユダヤ人クリスチャンによって生まれた小さな群れでした。ところがそこに多くのユダヤ人以外のクリスチャンが加わり、彼らの積極的な伝道によって、さらに救われる人が起こされ、その数は日増しに増えていきました。当初は異邦人の割合が増えて行くことに戸惑いを覚えたユダヤ人クリスチャンたちでしたが、エルサレム教会から視察のために派遣されたバルナバからお墨付きをいただいて、総本山とも言えるエルサレム教会からの認知も獲得することができました。教会は基礎が大事です。バルナバは急成長するアンティオキア教会の基礎を固めるために、当時タルソにいたパウロを呼び、まる一年の間、共に信徒教育に専念しました。密度の濃い一年だったでしょう。けれども別れは突然やってきました。ある時皆で祈っていると聖霊によってバルナバとパウロを世界宣教に送り出すようにと告げられたのです。今日の聖書箇所は、そんな一場面です。

13:1
さて、アンティオキアには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどの預言者や教師がいた。

アンティオキア教会は、パウロとバルナバ以外にも素晴らしい預言者や教師たちがいました。ここにはバルナバとパウロ以外に3人の名前が出てきます。ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、そして領主ヘロデの乳兄弟マナエンです。この3人の誰が預言者で誰が教師だったのかは聖書には書かれていないのでわかりません。ただ彼らは教会では指導的な立場にあり、今でいう牧師のような役割を果たしていたということは間違いないでしょう。「預言者」は文字通り、神のみことばを神さまから預かって解き明かす賜物を持っている人です。聖書から、また時には直接神のことばを聞き、それを教会の人々にわかりやすく解き明かしていました。「教師」というのは文字通り教師で、豊富な聖書の知識、神学的知識を持ち、それによって教会の中で信徒教育、訓練を行っていた人たちです。また預言者が預言するときに教師が聖書と照らし合わせて、吟味する役割もあったかもしれません。とにかく初代教会では、使徒たちと預言者、教師と呼ばれる人たちが重要な役割を果たしていたのです。

それではここに登場する人々を順番に見ていきましょう。一人目、ニゲルと呼ばれるシメオンですが、この「シメオン」というのはユダヤ名ですが、「ニゲル」というのはラテン語で「黒い」という意味です。ですからおそらく彼はアフリカ人であったと思われます。そして二人目、クレネ人ルキオですが、彼もアフリカ北部のクレネの出身で、やはりアフリカ人のようです。離散のユダヤ人で、クレネで生まれ育った人だとも言われています。彼はアンティオキア教会初期からの主要メンバーでした。最後に「マナエン」、この名前はユダヤ名なのですが、その意味は「慰める者」です。そして面白いことに彼は領主ヘロデ・アンティパスの乳兄弟だというのです。アンティパスと言えば、異母兄弟の妻ヘロデヤを取り上げ、結婚し、彼女の連れ子にねだられて、バプテスマのヨハネの首をはねた王です。そのヘロデ・アンティパスと共に育ったというのです。かたや権力を得たばかりに自分の欲望のままに生きたアンティパス。かたやクリスチャンとなり教会のリーダーとなったマナエン。人生の分かれ目はどこにあったのでしょう。ちなみにヘロデ家にも当初からクリスチャンはいたようです。ルカの福音書83節では「ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ」という人も出てきます。またこれは余談ですが、先日「What the pastors」というPBA(太平洋放送協会)の番組を聞いていましたら、加藤常明先生という有名な説教者がゲストとして出演していました。先生がおっしゃるには、先生のお母さんは若いころからクリスチャンだったのですが、なんと徳川家の奥女中だったということでした。福音の浸透を抑えられるものは何もありません。王家であろうとヤクザであとうとあらゆるところに福音は入り込んでいくのですね。

とにかく、当初のアンティオキア教会のリーダーたちの多様性、バラエティにおどろかされます。当時は今の日本と違って階級社会ですから、一般社会でそれぞれの階級が交わるということはまずありませんでした。そう思うと教会は特殊な社会です。初めからそうでしたし、今でもそうです。教会というところは、基本誰でもウエルカムの場所ですから、とにかくいろんな背景の人がやって来る。そして分け隔てなく接し、交わるところなのです。そしてそのせいか個性の強い人が多い。どうして一致してやっていけるのか不思議なぐらいです。でもそれが教会のダイバーシティです!すばらしいところです!私などは宣教師経験者ですから、こういう教会のダイバーシティを見るとわくわくしてきます。そしてこのようなバラエティに富んだ人々を一つにしているもの、それが礼拝であり、祈りなのでした。

13:2
彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。

断食というのは、祈りとセットです。健康のためでもダイエットのためでもありません。念のため。彼らはいつものように集まり神を礼拝していました。ひょっとしたらユダヤ教の一年に6回ある断食の習慣に従って断食をしている時が重なったのかもしれません。そのように断食して祈っているときに、おそらく預言者を通して「パウロとバルナバを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」という聖霊の迫りを受けたのでしょう。この「聖別して」というのは、「選び出されて」とか「取り分けて」という意味を持ちます。また「わたしが召した働きに就かせない」というところですが、口語訳では「彼らに授けておいた仕事に当たらせなさい」新共同訳では、「わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために」と訳されています。そうでした。パウロは世界宣教に召されていたのでした。みなさん覚えておられるでしょうか。使徒9章15節では神さまは、アナニヤをパウロのところに遣わすときにこう言われました。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。」神さまは目的を持って、パウロを「選び取った」のでした。ローマ1129節では「 神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。」とあります。確かに神さまの召し(Calling)は取り消されることはなかった。今も有効で、時至って実現したのです。この召しを受けて、教会はどんな思いだったでしょう。「いや、ちょっと待ってください。まだ一年ですよ。」「私たちにはまたパウロ先生とバルナバ先生が必要です。」「先生たちがいなくなってしまったら、私たちはどうしたらいいんですか。」「心細いです」「寂しいです」いろんな思い、葛藤があったでしょう。けれども彼らが下した決断は3節の通りでした。

13:3 そこで彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いてから送り出した。

彼らはまた断食しました。断食して祈ると霊性が研ぎ澄まされる言います。彼らはこの召しが神からのものであることを確かめたかったのではないでしょうか。心を研ぎ澄ませて神の声の耳を傾けました。…やはり結果は変わりません。神はバルナバとパウロを必要としていらっしゃいました。世界に福音を広めるために必要としておられたのです。そしてバルナバもパウロもその神さまの召しに応えたのです。もちろん不安もあったでしょう。「この教会大丈夫だろうか。」「あの兄弟はまだ学びが途中だけど」「みんな個性が強くて、一致してやっていけるだろうか…。」けれども、バルナバとパウロは使徒の働き1426節にあるように「神の恵みにゆだねて」宣教師として歩みだす決心をしたのです。

教会の教師たちは二人の上に手を置いて送り出しました。「上に手を置く」というのは、按手の祈りです。私も宣教師として派遣されるとき、当時の理事の皆さんが頭に手を置いて祈ってくださいました。また今年317日教団総会が終わってから持たれた派遣礼拝で、やはり理事の皆さんが頭に手を置いて正教師任職の祈りをしてくださいました。ですから、パウロとバルナバの気持ちが少しはわかります。これは重責だなと思いました。けれどもそれだけじゃない。ああ、確かに私はこの働きに召されているのだとの深い確信が与えられました。そしてまた、これは神さまからの派遣であり、同盟教団250教会の派遣でもあるのだと心強く思いました。そして何よりも大きな祝福、聖霊による力が注がれた気がしました。

そして最後の「送り出した」という言葉。この言葉は原語では「釈放する」とか「自由の身とする」という意味があるそうです。教会としては、パウロ先生、バルナバ先生に続けていてほしかったことでしょう。もっと先生たちから学びたかった。牧会されたかった。いっしょに伝道したかった。でも神さまが二人を呼ばれたのであれば、私たちは二人をこれ以上ここに縛り付けてはいけない。神さまが自由に先生たちを用いることができるように、自由の身としなければいけなかったのです。

新船橋キリスト教会も多くの先生を送り出してきました。新卒で来られた先生を育てては送り出し、育てては送り出しと繰り返して来られた教会です。日本の教会は小さくて、交わりが密なので、牧師との距離もどうしても近くなります。そうすると別れる時には引きはがされるような痛みが生じるものです。けれどもアンティオキア教会がそうだったように、わたしたちの教会は神の恵みにゆだねて、先生たちを祝福して送り出して来たのです。主の召しに応えてバルナバとパウロを送り出したアンティオキア教会はこの後ますます祝福されます。多くの人が救われ、成長し、アジア、ヨーロッパ一帯の中心的な教会になります。そして、自由の身とされたバルナバとパウロは心置きなく、宣教旅行に出かけ、行った場所で多くの魂が救われ、多くの教会が建て上げられていったのです!主の召しに従うときに教会も教師も祝福されるのです。お祈りします。




















































教会の主なるイエス・キリストの父なる神さま、尊いお名前を心から賛美します。神さまはみこころのままに、目的をもって私たちを召し出してくださいました。そして教会も働き人もその召しに応えるようにと聖霊によって呼びかけられています。どうぞおとめマリヤが「おことばどおりこの身になりますように」と応答したように、私たちもいつも主の召しに応えていくことができますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

コメント

このブログの人気の投稿

人生の分かれ道(創世記13:1~18)

「人生の分かれ道」 創世記13:1~18 さて、エジプト王ファラオから、多くの家畜や金銀をもらったアブラムは、非常に豊かになって、ネゲブに帰って来ました。実は甥っ子ロトもエジプトへ同行していたことが1節の記述でわかります。なるほど、エジプトで妻サライを妹だと偽って、自分の命を守ろうとしたのは、ロトのこともあったのだなと思いました。エジプトでアブラムが殺されたら、ロトは、実の親ばかりではなく、育ての親であるアブラムまでも失ってしまうことになります。アブラムは何としてもそれは避けなければ…と考えたのかもしれません。 とにかくアブラム夫妻とロトは経済的に非常に裕福になって帰って来ました。そして、ネゲブから更に北に進み、ベテルまで来ました。ここは、以前カナンの地に着いた時に、神さまからこの地を与えると約束をいただいて、礼拝をしたところでした。彼はそこで、もう一度祭壇を築き、「主の御名を呼び求めた」、つまり祈りをささげたのです。そして彼らは、その地に滞在することになりました。 ところが、ここで問題が起こります。アブラムの家畜の牧者たちと、ロトの家畜の牧者たちとの間に争いが起こったのです。理由は、彼らの所有するものが多過ぎたということでした。確かに、たくさんの家畜を持っていると、牧草の問題、水の問題などが出てきます。しかも、その地にはすでに、カナン人とペリジ人という先住民がいたので、牧草や水の優先権はそちらにあります。先住民に気を遣いながら、二つの大所帯が分け合って、仲良く暮らすというのは、現実問題難しかったということでしょう。そこで、アブラムはロトに提案するのです。「別れて行ってくれないか」と。 多くの財産を持ったことがないので、私にはわかりませんが、お金持ちにはお金持ちの悩みがあるようです。遺産相続で兄弟や親族の間に諍いが起こるというのは、よくある話ですし、財産管理のために、多くの時間と労力を費やさなければならないようです。また、絶えず、所有物についての不安が付きまとうとも聞いたことがあります。お金持は、傍から見るほど幸せではないのかもしれません。 1900年初頭にドイツの社会学者、マックス・ウェーバーという人が、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、略して『プロ倫』という論文を出しました。そこに書かれていることを簡単にまとめると、プロテス...

飼葉桶に生まれたキリスト(ルカの福音書2:1~7)

「飼葉桶に生まれたキリスト」(ルカ 2:1-7 ) 齋藤五十三 1.     ローマの平和の中で 6-7 節(読む)  今お読みした二節は待ちに待った救い主がちょうど生まれた場面なのに、拍子抜けするほどにあっさりしています。取り分け、この誕生前後のストーリーが華やかでしたから、なおのこと奇妙な感じなのです。このすぐ前のルカ1章には、何が描かれていましたか。そこには有名な絵画にもなった処女マリアへの受胎告知がありました。「マリア。あなたは神から恵みを受けたのです」と語る御使いの姿は、実に印象深いものでした。その他にも1章にはマリアの歌があり、ザカリアの預言ありと絵になる光景の連続なのですが、いざ、イエスさまの誕生となったら、実にあっさりとわずか二節。まるで華やかな前奏を聞いた後、いざメロディーに入ると、わずか二章節で終わってしまうかのような肩透かしです。  でも冷静に考えれば、救い主誕生に華やかな期待を抱いていたのは、聖書を読んでいる私たちだけなのかもしれません。世界はローマを中心に動いている時代です。ひとたび皇帝の勅令が出ると、すぐにローマ世界の民が一気に大移動していく。そんな騒がしさの中、救い主の誕生はすっかりかすんでしまうのです。そう、イエスさまの誕生は歴史の片隅でひっそりと起こった、まことに小さな出来事であったのでした。  しかも、生まれた場所が場所です。ギリシア語の原文を見れば、ここで言う宿屋は最低限の安宿で、そこにすら場所がなく、我らが救い主は何と飼葉桶に生まれていく。謙遜と言えば聞こえはいいですが、これは何とも寂しい、惨めな誕生でもあったのです。  それに比べて、圧倒されるのが皇帝アウグストゥスの力です。この時代はローマの平和(ラテン語ではパクスロマーナ)と呼ばれるローマの武力による平和が約 200 年続いた時代でした。平和でしたから人々の大移動が可能で、ひとたび皇帝が声を上げれば、多くの民が一斉に動いていく。パクスロマーナは、この皇帝の絶大な権力に支えられていたのです。  住民登録による人口調査は納税額を調べ、国家予算の算盤をはじくためであったと言います。いつの時代も権力者が考えることは同じです。日本では大昔、太閤検地と言って、豊臣秀吉が大勢の人々を動かし、いくら租税を取れるかと算盤をはじいた...

心から歌って賛美する(エペソ人への手紙5:19)

「心から歌って賛美する」 エペソ人への手紙5:19 今年の年間テーマは、「賛美する教会」で、聖句は、今日の聖書箇所です。昨年2024年は「分かち合う教会」、2023年は「福音に立つ教会」、2022年や「世の光としての教会」、2021年は「祈る教会」、 20 20年は「聖書に親しむ教会」でした。このように振り返ってみると、全体的にバランスのとれたよいテーマだったと思います。そして、私たちが、神さまから与えられたテーマを1年間心に留め、実践しようとするときに、主は豊かに祝福してくださいました。 今年「賛美する教会」に決めたきっかけは二つあります。一つは、ゴスペルクラスです。昨年一年は人数的には振るわなかったのですが、個人的には、ゴスペルの歌と歌詞に感動し、励ましを得た一年でもありました。私の家から教会までは車で45分なのですが、自分のパートを練習するために、片道はゴスペルのCDを聞き、片道は「聞くドラマ聖書」を聞いて過ごしました。たとえば春期のゴスペルクラスで歌った「 He can do anything !」は、何度も私の頭と心でリピートされました。 I cant do anything but He can do anything! 私にはできない、でも神にはなんでもできる。賛美は力です。信仰告白です。そして私たちが信仰を告白するときに、神さまは必ず応答してくださいます。 もう一つのきっかけは、クリスマスコンサートのときの内藤容子さんの賛美です。改めて賛美の力を感じました。彼女の歌う歌は「歌うみことば」「歌う信仰告白」とよく言われるのですが、まさに、みことばと彼女の信仰告白が、私たちの心に強く訴えかけました。   さて、今日の聖書箇所をもう一度読みましょう。エペソ人への手紙 5 章 19 節、 「詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。」 「詩と賛美と霊の歌」というのは何でしょうか。「詩」というのは、「詩篇」のことです。初代教会の礼拝では詩篇の朗読は欠かせませんでした。しかも礼拝の中で詩篇を歌うのです。確かにもともと詩篇は、楽器と共に歌われましたから、本来的な用いられ方なのでしょう。今でも礼拝の中で詩篇歌を用いる教会があります。 二つ目の「賛美」は、信仰告白の歌のことです。私たちは礼拝の中...