「あなたの敵を愛しなさい」
マタイ5:43~48
マタイの福音書は、旧約聖書の預言の成就としてのイエス・キリストを描いていますから、旧約聖書の引用がとても多いです。実は43節「あなたの隣人を愛し」の部分も旧約聖書レビ記19章18節の「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」からの引用です。けれども後半部分、「あなたの敵を憎め」というような記載は、実は聖書のどこにもありません。これはユダヤ人的な慣用句のようです。どうしてこのように言うようになったのかは後で考えてみますが、それにしても「憎め」というのは極端です。何でもオブラートに包んで表現するのが好きな日本人としては、ちょっといただけない。けれどもこれは彼らイスラエル人の独特の言い回しのようです。例えばマタイ6:24 ではこうあります。「だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。」つまり、「憎む」というのは「愛する」の対義語としてではなく、比較、優先順位を表す表現だということがわかります。富を優先させ、神を軽んじることは「神を憎むこと」だと言っているのです。ですから、今日の個所に出ている「敵を憎む」というのも同じようにユダヤ的な表現だと見れば、なるほどと納得できます。隣人、つまりイスラエルの同胞を大切にし、異邦人と区別せよ、分離せよ、との意味なのでしょう。
ではなぜ、彼らはそんなことを言うようになったのでしょう。それは、長年にわたるイスラエル民族がたどって来た歴史が関係しています。アブラハム、イサク、ヤコブなどの族長時代には、イスラエルの民は定住地を持たず、寄留の民として異邦人の中に住んでいました。けれども彼らはいつもまわりの国や民族にねたまれ、疎まれ、差別を受け、迫害されてきました。その理由はいくつかあると思いますが、主に二つ。彼らが信仰の純潔を守るためにあえて他民族と分離し、距離をとっていたということ。そしてもう一つは、寄留の民の分際で、いつも神さまに祝福され豊かだったことが近隣諸国のねたみを買ったことがあげられるでしょう。イスラエルの民はヨセフがエジプトの危機を救ったことで、一時は好待遇を受けたのですが、その恩を忘れた後代のエジプト王ファラオによってイスラエル人は苦役に服せられ、エジプト脱出を余儀なくされました。またエジプトを出てからの荒野での40年も、絶えず敵に脅(おびや)かされてきました。やっとの思いで約束の地カナンに入った後も、まわりは敵ばかり。自分たちの領土を広げるために多くの戦いを重ねてきました。またこの戦いは異教徒、つまり偶像や異教の悪しき習慣との戦いでもありました。彼らは異教徒たちと混ざり合うことを嫌ったのです。そしてダビデとソロモンの時代、しばしの平和が与えられましたが、それも束の間、イスラエルの国の分裂とともに、国は弱体化し、やがて近隣の大国に占領され、イスラエルの民は捕囚として外国に散らされて行くのでした。そして、イエスさまが地上に来られたこの時代も、イスラエルはローマの支配下にあり、その圧政と重税に苦しめられています。「敵を憎め」というのはそんなイスラエルが受けて来た抑圧と迫害の歴史の中で生まれて来た言葉なのでしょう。ところが、イエスさまは「隣人を愛し、敵を憎め」という当時の常識を、いや歴史の中でイスラエルが貫いてきた信念と言ってもいいこの言葉を根底からひっくり返すようなことをおっしゃったのです。それが「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」とのみことばです。
しかし「自分の敵を愛する」ということは、なにも自分たちの信仰や生き方を妥協して、相手に合わせて仲良くするというということではありません。また「敵を好きになる」ということでもないのです。もっと言うと、敵に妥協しなくても、好きにならなくても愛することはできるということです。ナチスの時代のドイツの神学者でもあり牧師でもあるボンヘッファーはこう言いました。「自分の敵を愛する」とは、「無条件で誰かれの差別なしに祝福すること、親切を施し、祈ることである。」と。ユダヤ人の迫害に心を痛め、ナチスに反旗をあげたボンヘッファーのことばだけに重みがあります。彼が言いたかったことは、愛することにおいては優劣をつけない、差別をしない、誰でも同じような態度で親切にし、その人の祝福のためにいのるのだと言っているのです。またローマの12:20にもこのみことばを実践するためのヒントが書かれてあります。「もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。」そうなのです。「愛する」というのは、「情」でも「概念」でもない。もっと動的なものなのです。「愛する行動をすること」なのです。意志的なものです。たとえ好きになれなくても親切にする。嫌な奴だと思っても祝福する。自分を傷つけるような人であってもその人のために祈ることなのです。イエスさまが話された「よきサマリヤ人」のたとえは、まさに敵を愛するとはどういうことかを教えています。ユダヤ人はサマリヤ人を軽蔑し嫌っていましたが、サマリヤ人も同様でした。けれどもそのサマリヤ人は、強盗に襲われて身ぐるみはがされ、けがをして横たわっているユダヤ人を放っておくことができなかったのです。ユダヤ人は好きになれない、でも愛する行動を取りました。彼の傷の手当てをし、宿屋に運んで、その宿泊費を払ってあげたのです。もう一度言います。愛するというのは、情や概念ではありません。意志であり、行動です。そしてそこに優劣や差別をつけないことなのです。
ここでイエスさまは取税人や異邦人を引き合いに出しています。申し上げるまでもなく、イスラエル人にとって取税人や異邦人は、彼らが考えていた「隣人=イスラエルの同胞」のカテゴリーに入らない人々です。隣人の枠外の人々なのです。取税人はユダヤ人でありながら、同胞を裏切り、ローマの手先になり、重税を取りたて私腹を肥やしている人々です。また異邦人は先ほど説明した通り、歴史の中でイスラエルの民を苦しめてきた人々です。それだけじゃない、神の民が軽蔑し忌み嫌う、道徳的にも腐敗した異教徒たちです。けれども彼らだって、自分を愛してくれる人を愛することはできるのです。自分の兄弟には笑顔で挨拶をするものなのです。では神の子たち、クリスチャンの特異性は何なのでしょうか。神さまを知らない人と違うところ、取税人や異邦人と違うところは何なのでしょうか。それは「敵を愛し、敵のために祈る」ことだとイエスさまはおっしゃるのです。
45節では「父の子どもになるため」だとあります。「天の父はご自分の太陽を悪人にも善人にも上らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」とあります。そうなのです。天の父は公平です。その扱いに区別も優劣もありません。そして48節では「あなたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。」とあります。あなたがたがこの天の父の子どもだというなら、父がそうであるように「完全」でありなさいと言うのです。この「完全」という言葉は、この時イエスさまが話していたアラム語では、「すべてを包む」とか「すべてを覆う」という意味があるそうです。つまり愛する範囲を限定しないこと、愛する対象の垣根を取っ払うことです。そのような意味において、神さまの愛は完全です。神さまの愛は公平で、その愛は特定の人だけに注がれるものではなく、全ての人に注がれるものなのです。太陽の光がすべての人に降り注ぐように。雨がすべての人を潤すように、全ての人を包み込み、全ての人を覆うものです。その上でイエスさまは、「天の父が完全であるように」あなたがたも「完全でありなさい」とおっしゃいました。つまり、私たちの天のお父さまのように、誰にでも同じように、分け隔てなく愛するようにと言っているのです。
ここでステファン・メティカフ宣教師をご紹介します。実はこの宣教師は、私の父を信仰に導いて下さった宣教師です。メティカフ宣教師は、1927年、中国雲南省で生まれました。父はイギリス人、母はオーストラリア人で、宣教師として、雲南省の山奥にある少数民族、リス族の村で暮らし、当時全く手つかずだったハンセン氏病の人たちのお世話をし、福音を伝えていました。ところが、ステファンが七歳になると、両親は彼にイギリス人としての教育を受けさせるため、山東省にある学校に彼を入学させました。しかし、1941年12月、真珠湾攻撃を機に、日本はアメリカ、イギリスなどの連合国に宣戦布告しました。そして中国北部にいた同盟国の人々は、日本の憲兵によって捕虜収容所に集められ、翌年の1942年、ステファンが通っていた学校は、生徒も教師もそっくりそのまま、日本軍の民間人収容所に入れられてしまったのです。ステファンが14歳の時でした。幸いにも彼がいた収容所の日本兵は、比較的おだやかな人たちだったということでした。食べ盛りの年頃にもかかわらず常に飢餓状態で、様々な苦労があったことはもちろんですが、彼自身が直接暴力を受けるようなことはなかったそうです。しかし、日本兵の中国人に対する振る舞いは残虐で、ステファン自身、首を切り落とされた死体、生きたまま両目をくりぬかれ、リヤカーに乗せられて引き回されている中国人を目撃した体験をもっています。こうした見るに耐えない光景を目にしているうちに、当然のことながら、日本人に対する憤り、憎しみは膨れあがっていきました。
ところで、メティカフ氏がいた収容所には、時を同じくして、エリック・リデル氏が収容されていました。彼は1924年のパリ・オリンピック400メートルで金メダルを獲得し、イギリス映画「炎のランナー」のモデルとなった人物です。彼もまた、宣教師として中国で暮らしているうちに戦争に巻き込まれ、民間人抑留者として捕らえられていたのでした。ステファンや友人たちは、リデル氏が収容所の中で開いていたバイブルクラスに出席していました。ある時、そのバイブルクラスで、一つの議論が持ち上がったそうです。それは、「自分の敵を愛しなさい」というイエスの教えは、ただの理想かそれとも現実的な教えか、という議論でした。少年たちの意見が「それは理想にちがいない。日本兵を愛することなどできるはずがない」という結論に傾き始めた時、リデル氏が口を開きました。「私もそう思うところだった。でも次に続く言葉に気がついたんだ。『自分を迫害する者のために祈りなさい』という。私たちは愛する者のためには時間を費やして祈るが、イエスは愛せない者のために祈れと言われた。だから君も日本人のために祈れ。祈るとき君は神中心の人間になる。神が愛する人を憎むことはできない。祈りは君の姿勢を変える」そう教えるリデル氏自身、毎朝早く起きては日本のために祈っていたのだそうです。こうして、敬愛するリデル氏の勧めに従って、ステファンは日本のために祈り始めたのでした。ところが、日本と日本人のために祈っても、事態は一向に変わりませんでした。しかし、続けて日本人のために祈るステファンの心の中には変化が生じてきました。そして、やがては、自らが宣教師となって日本へ行き、神の愛を伝えたいという祈りに発展していったのです。「祈りは君の姿勢を変える」、リデル氏が言った通りでした。
リデル氏は、1945年2月に強制収容所の中で43歳という若さで亡くなりました。2千人いた収容所のすべての人が参列した葬儀で、ステファンはリデル氏からもらったスニーカーを履き、彼の棺を担いだということです。そして終戦を迎え、ステファンらも開放されます。ステファンの心にリデル氏が残していった祈りの火は燃え続け、彼は25歳になったときに、とうとうOMFの宣教師として日本へ派遣されたのでした。そして日本語を学び最初に向かった赴任地が、青森県の金木というところでした。そしてそこには、20歳前の私の父いました。父は本屋さんで丁稚奉公していましたが、その近くの洋裁学校の二階借りた教会でステファン・メティカフ師と出会い、そこで父は求道し、信仰に導かれ、献身し牧師になったのです。
今日は平和記念主日です。平和というと、私たちには手の届かない大きなテーマだと思ってしまいがちですが、平和は私たち一人ひとりが隣人を愛し、敵を愛するところから始まります。リデル氏のことばをもう一度心に刻みたいと思います。「祈るとき君は神中心の人間になる。神が愛する人を憎むことはできない。祈りは君の姿勢を変える。」 お祈りします。
「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。」
愛の源なる天の父なる神さま。尊いお名前を心から賛美します。「敵を愛せよ」というのは私たちにとってあまりに高いハードル、到底達しえない境地だと思っていました。けれども、私たちには祈りが与えられています。感情が伴わなくても、心から同意できなくても、敵のために祈り始めるときに、まずは私たちの姿勢が変わると、神の視点から見ることができるようになると学びました。私たちをそのような祈りへと押し出してください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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