「モーセと預言者に聞け」 ルカの福音書16:19-31 今日の聖書の個所に登場するラザロと金持ちのお話しを読んでいると、日本の昔話しによく出てくる欲張り爺さんと正直爺さんのおはなしを彷彿とさせます。欲張り爺さんはお金に物を言わせて、贅沢にわがままに生活します。一方正直爺さんは、たいてい貧しくて慎ましくも夫婦仲良くまじめに生きています。そして途中大どんでん返しが起こり、正直爺さんが大判小判を手に入れ、幸せになり、欲張り爺さんは痛い目にあって財産もすっからかんになくなるというお決まりパターンです。けれどもそんな昔話と今日のラザロと金持ちの話が決定的に違うのは、それが人生の途中で起こるのではなく、人生の終わり、死を境にして起こるということです。そうなるともう取り返しがつきません。そんなことにならないように、イエスさまはこのたとえ話を通して、私たちに警告を与えています。私たちは謙虚にこのたとえ話が言わんとしていることに耳を傾けたいと思います。 天の父なる神さま、尊いお名前を賛美します。変わりやすい天候の中、今日も健康が支えられて、あなたを礼拝するために集められましたことを心から感謝します。どうぞしばらくの時、御聖霊がこの会堂に臨在下さり、あなたが私たちに何を語ろうとしていらっしゃるのか心の耳を傾け、従う思いをもって聞くことができますように。語る小さな者を聖霊によって強めてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン さて、私たちは普段死を意識して生きているでしょうか。さすがに人生も終わりに近づいてくると死を意識せざるを得ないことでしょう。とは言っても昨年の日本人の平均寿命をみなさんご存知でしょうか?女性 87.45 歳、男性 81.41 歳でともに過去最高、そして女性の過半数がなんと 90 歳まで生きているのです。 また以前は死が身近にあったのですが、核家族化が進み、三世代同居の家が少なくなり、また三世代同居をしていたとしても最後は病院で亡くなるというのが普通になっていますので、やはり死は私たちの生活から遠く離れています。辛うじて宗教家だけは死は必ず訪れるのだと警告してきました。一休和尚などは、お正月にこんな句を詠みました。「門松は、冥途の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」しかし最近は宗教離れの時代、死を警告すると