「極みまで愛されて」
ヨハネの黙示録3:14~22
「極みまで愛されて」と題しましたように、ラオディキア教会にキリストのご愛は豊かに示されています。教会の現状は霊的に裸同然の貧しさで、その信仰の生ぬるさは「吐き出そう」と言われるほどです。そのすべての原因が、「見よ、わたしは戸の外に立って叩く」と告げられるごとくに、救い主を屋外に追い出して自分たちの交わりの外に置き去りにしたままの「キリスト抜き」の信仰生活でした。
そのようなラオディキア教会に、主は霊的に豊かな者となるために「火で精錬された金を、白い衣を、目薬を買いなさい」と奨められます。七つの教会の中で「わたしは、愛する者を」と告げられたのは唯一、このラオディキア教会なのです。その群れに「ともに食事を」と交わりを求められたことに、さらに「わたしとともにわたしの座に着かせよう」と、ご自分の栄光のみ座をラオディキア教会に約束されたことに、ともに主のご愛の真実さ、豊かさを覚えて主の御名を讃えます。
柴田敏彦師
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