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闇の中の光

「闇の中の光」

イザヤ書9:1-7

 私がこの個所を読んですぐに目についたのは、「闇」「光」「喜び」でしたが、みなさんはいかがでしょう。「闇」というと皆さんは何を連想するでしょうか。「心の闇」という言葉が出て生きたのは、もう10年以上前でしょう。またインターネットが普及するにつれ現れたのが「闇アカウント」。若者はそこで「死にたい」などとつぶやきます。そしてもう3年も前になるでしょうか。その闇アカウントで知り合った9人の男女が座間の一人の男の家に転がり込み、そこで殺された事件がありました。そして今年の「闇」と言えば新型コロナ・ウイルスでしょう。今まさに第三派の真っただ中。未だ収束が見えません。このコロナ禍の中で、やはり社会的弱者と呼ばれる人たちが窮地に追い込まれています。非正規社員の割合がみるみる増え、それに伴い失業者も増えています。私の知り合いも4月から正社員として入社が決まっていたのに、講習期間が過ぎたころからコロナのせいで会社の経営が悪化し、結局採用取り消しになってしまいました。他の仕事を見つけたものの3カ月ごとの更新だということで、ひやひやしながら生活をつないでいます。またうちの父もそうですが、コロナのせいで病院や施設が面会を制限するようになり、伴侶や親などに会えないまま孤独のうちを過ごし、挙句は亡くなってしまうケースも少なくありません。オンライン授業になって入学してから一度も学校に行っていない大学生たちや、ステイホームやテレワークの影響で虐待やDV被害に遭っている女性や子どもたちもいます。そして極めつけが最近1か月の自殺者は過去最高になったことです。本当に世界規模で闇の濃い時代です。

 さて、先ほど読まれました聖書箇所は、イザヤによる預言です。この時代も本当に闇の深い時代でした。イスラエルはダビデの時代に統一王国になりましたが、次のソロモンの時代の終わりには、早くも北イスラエルと南ユダに分裂しました。そして北イスラエルに隣接する新興国アッシリアが、まさに侵略のために南下しようとしていたのです。アッシリアを恐れた北イスラエルとアラムは同盟を結び、南ユダにもそこに加入するように圧力をかけますが、それは失敗に終わり、そうこうしているうちにアッシリアはアラム、そしてイスラエルに進撃して、両国はあっけなく滅ぼされ、多くの北イスラエルの住民はアッシリアに捕え移されて行きました。(Ⅱ列王記1529節)

 北イスラエルの闇については、9章の1節、4節、5節に書かれています。「辱め」「くびき」「背の杖」「追い立てる者のムチ」「戦場ではいた靴」「血まみれた衣服」などです。これらのことばから想像するだけでも、闇の深い。まさに「死の陰」というのがふさわしい時代です。

このような国家的闇、国家情勢として闇の深さもさることながら、表面的には見えてこない霊的な闇もありました。それは北イスラエル建国と時から引きずっている偶像礼拝の罪による闇です。北イスラエル初代の王ヤロブアムはイスラエルの10の部族を支配し、北イスラエルを建国しましたが、彼はイスラエルの部族を南ユダにあるエルサレムから精神的に引き離すために、金の子牛2つを造り、ベテルとダンにすえたのです(1225‐30)。また特にガリラヤ地方には占領国の政策としてそこに異邦の民を住まわせました。そうすると当然のことながら雑婚が起こります。こうして彼らは異教の神を信じる人々と親戚関係を結び、イスラエルの神から離れていったのです。それがガリラヤが異邦の民と言われる所以です。さらに,レビの子孫でない者を祭司と定めたり,出エジプト以来イスラエルに定められていた仮庵の祭りの期間を変えるということもしています。北イスラエルのこのような罪は,預言者たちによってきびしく批判されましたが、彼らは終わりまでその背教を悔い改めなかったのです。こうしてとうとうアッシリアによって滅ぼされることになったのでした。北イスラエルの「闇」は当然の報いだったのかもしれません。むしろ神はよく今まで忍耐してくださったとさえ思います。私たちの時代の「闇」も自ら引き寄せた闇なのでしょう。人々は神から離れ、かつてはキリスト教国と呼ばれたヨーロッパやアメリカの国々でさえも、今では神を忘れ、人間至上主義に陥り、人々は相対主義の中でそれぞれが自分が良かれを思う道を勝手にあゆんでいるのです。

 しかし、この暗闇の真っただ中にある北イスラエル、ガリラヤの民に「光」が告げられます。そうなのです。闇の最中(さなか)にあっても、神は光を灯し続けておられることを忘れないでほしい。神は「傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともない。」神なのです。今のこの暗い世界の中でも、目を凝らしさえすれば、小さくともはっきりとした「光」が見えてくるでしょう。 

「異邦の民ガリラヤはは栄誉を受ける」(1節)「闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く」(2節)
この「栄誉を受ける」「光を見る」「輝く」は、実はすべて完了形の動詞です。これは旧約聖書独特の言い回しで、預言的な内容を表します。未来についての預言でありながら、その成就はあまりに確実なので、すでに起こったことのように完了形で書かれるのです。「異邦の民ガリラヤは栄誉を受けた!」「闇の中を歩んでいた民は大きな光を見た」「死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝いた」のです!そしてこの「光」が真っ先にガリラヤの地を照らします。「ガリラヤ」と言えば、先ほども述べましたが、霊的には暗い北イスラエルの地方です。アブラハムの子孫でありながら、「異邦の民」と呼ばれ、人々が「ガリラヤ人」というとき、そこには侮蔑の意味が込められています。そんなガリラヤへのイザヤの預言は700年以上経って完全な形で成就することとなります。

 イエスさまは、ガリラヤ地方のナザレという小さな田舎町のマリヤという乙女から生まれます。実際に出産を迎えたのは、これまた預言通りユダの町ベツレヘムで、家系的にもダビデの末裔として生まれますが(ヨセフがそうだったので)、それでも生まれ育ったのは、やはりガリラヤ地方でした。当時の人々がイエスさまを呼ぶ時に「ナザレ人イエス」と呼びます。そこには明らかに侮蔑の意味が込められています。そしてイエスさまが公生涯に入ってからの大半は、このガリラヤ地方で宣教活動をなされたのです!(マタイ4:13-16)霊的に暗いこのガリラヤに真っ先に光が届けられたというのはまさに預言の成就でした! 

 9:6 「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。」 それは小さな小さな光でした。また人々が思ってもみなかった方向から射して来た光でした。気を付けて見なければ、見逃してしまうような光だったのです。事実、神の御子の誕生はあまりにひっそりと始まり、それに反応したのはほんの一握りの人々でした。しかしそれは小さいながら「喜び」がぎっしりと詰まった光でした。まるで花火の火薬玉のようだなと思うのです。花火の火薬玉は小さくて地味ですが、それが打ち上げられると、美しく照り光り輝き、あたりを照らすのです。こうして神の御子の誕生は大いなる喜びをもたらしたのです。

「喜び」の理由が今日の個所に記されています。

1、 重荷からの解放…それは、「くびきと肩の杖、彼を追い立てる者のむち」からの解放でした。神はそれらを「打ち砕かれる」とおっしゃいました。今を生きる私たちも、日常生活でなんと重い荷を負っていることでしょう。生活の心配や家族にまつわる重荷、病気や経済的不安、仕事や学業の重荷もあります。人は生きている限り、重荷から免れることはできません。けれども私たちの主は「日々私たちの重荷を担われる方」(詩篇69:19)です。またイエスさまは共にくびきを負ってくださるとおっしゃいます。

2、 平和の訪れ…9:5 「まことに、戦場で履いたすべての履き物、血にまみれた衣服は焼かれて、火の餌食となる。」直接的には戦争の終焉の知らせです。戦争の血にまみれた道具は焼き払われ、平和が訪れるのです。

3、 メシヤ(救い主)の到来…みどりごの誕生こそが喜びの源泉となります。「私たちのために」「私たちに」と二回出てきます。この「私たち」には今を生きる私たちも含まれます。神の御子は私たちへのプレゼントでした。クリスマスに私たちはプレゼントを送り合いますが、それはイエスさまというプレゼントを私たちがいただいたからなのです。このプレゼントは私たちに無償で与えられたのですが、神さまが払われた犠牲は大変大きなものでした。イエスさまはそれこそ苦しむために、死ぬためにこの地上に生まれてくださったのです。私たちに救いと喜びを与えるために! 

 さて、このイエス・キリスト誕生の預言は、このお方がどういうお方なのかにまで及びます。9:6 後半「その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」

この個所を見るとヘンデルの「メサイア」を思い出します。実はアドベントの季節になるといつも私のBGMは「メサイア」です。特に「メサイア」の第1部第12曲の「一人のみどりごが我らのために生まれた」(For unto us a child is born)を聞くと一日頭の中でリピートしています。

不思議な助言者。英語ではワンダフル・カウンセラーです。私たちの相談にのってくださるだけではありません。私たちについて明確なすばらしい計画をもっておられ、私たちに行く先を示し、希望を示し、知恵を与え、手をとって導いてくださるお方です。

力ある神。マイティ―・ゴッド、「大能の神」です。全能の力を持って世を治める力ある神、戦いを勝利に導く神です。このみどりごを見ながら、誰がそのような大能を持ったお方だと想像するでしょうか。しかしこのみどりごは、神でありながら、人のかたちをもって生まれてきてくださったお方なのです。

永遠の父(エターナル・ファーザー)…永遠というと「延々と長く続く」ことを考えるかもしれませんが、この言葉はむしろ「いつでも(時々刻々)」という意味だそうです。この永遠の父はいつでもご自分の民を愛し、保護し、支えてくださるインマヌエルの神、私たちと積極的に関係を持ち、関わってくださる頼れるお父様なのです。

平和の君(プリンス・オブ・ピース)…この平和はヘブル語ではもちろんシャロームです。このシャロームは戦いがない平和な状態を指すだけではなく、豊かで調和のとれた状態、充足した幸せな状態をも表します。イエス・キリストはまさにシャロームなるお方でした。エペソ2:14では、「キリストこそ私たちの平和です。」とあります。このみどりごが平和の君と呼ばれるのは、ご自身が平和的なお方であるということに留まらず、平和をつくり出してくださるお方だからです。イエスさまは十字架で私たちの身代わりに罪の罰を受けてくださったことによって、神と人とを和解させ、人と人とをつなぐ役割を果たしてくださったのです。 

9:7「その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。」

私たちは暗闇の濃いこの時代、主の祈りでいつも祈るように「御国が来ますように」と願って止みません。為政者が神を畏れ、社会正義と平和と平等がなる社会です。廣瀬薫先生のことばを借りれば、「誰かが喜ぶために誰かが悲しんでいる国ではなく、だれもが活かされて喜ぶ神の国」が実現することを私たち願って止みません。そしてイエス・キリストこそが誰もが喜ぶ神の国を建て上げてくださるのです。神の御子が神さまからのプレゼントであったように、この神の国の実現も私たちではなく、神のわざによって成し遂げられることでしょう。「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」とある通りです。私たちが願う以上に、神がご自身が治められる平和の国を望んでいらっしゃる。そしてそれを成し遂げようとしていてくださるのです。この暗い時代、私たちもイエスさまの光を灯していきましょう。それは小さく、人々にとっては意外なところに灯っている光かもしれない。けれどもこの光を私たちが灯すときに、大きな喜びが起こるのです。カトリックのテレビ番組で「心のともしび」というのがあります。最近YouTubeでまとめて見直す機会があったのですが、その冒頭でいつも言われる言葉があります。「暗いと不平を言うよりもすすんで灯りをつけましょう」という言葉です。私たちも暗い暗いと不平を言うよりも、すすんでイエスさまという灯りを灯すクリスマスとしたいものです。お祈りします。


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