スキップしてメイン コンテンツに移動

飼葉桶のみどりご


「飼葉桶のみどりご」

ルカの福音書2:1~7


天の父なる神さま、尊いお名前を心から賛美します。アドベントの第三主日を迎えました。私たちは主日ごとにクリスマスを迎える準備を整えております。どうぞ今日もみことばによって備えさせてください。語るこの小さな者も上よりの聖霊によって満たしてくださり、あなたのみことばをまっすぐに解き明かすことができますように。お助けください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


1.「そのころ」

歴史家でもあるルカは「そのころ」と、イエスさまがお生まれになった時代背景を語り始めます。先週は北イスラエルがアッシリア帝国に滅ぼされ、捕囚となって引いて行かれたことを話しました。この時にはアッシリアの侵略を逃れた南ユダでしたが、間もなく当時台頭してきたバビロン帝国に滅ぼされ、紀元前586年にはエルサムは完全に破壊され、人々は捕囚となってバビロンに引かれて行かれます。ところが強国バビロンもやがては新興国ペルシャによって滅ぼされます。当時のペルシャの王クロス二世は、イスラエル人に温情を示し、紀元前538年にはイスラエルの人々の帰還を許すのでした。しかし国の再興がなされたわけではなく、そのまま400年が過ぎました。時代は移り変わり、ギリシャの支配を経て、ローマ帝国の時代となりました。その間、預言者は途絶え、神はもうイスラエルを忘れてしまったのだろうかと思われたときに、神がアクションを起こされました。神さまは忘れてはおられなかった。イスラエルを見捨ててはいなかったのです。それどころか、この400年で福音宣教のために最適な土壌を準備しておられたのです。

まずは人々の心を備えさせました。神のことばが途絶える中で、人々はみことばに飢え乾き、本人が自覚していようといまいと、霊的飢餓状態にありました。また暗黒の時代、人々の罪は増大し、互いに傷つけ合い、憎み合い、争いが絶えず、愛が冷えていました。今の時代のようです。乾いた大地が雨水を吸い込むように、人々はイエスの教えに耳を傾けました。

また当時ローマ帝国は広大な地域を支配していました。そして各国への支配体制は比較的寛容で、帝国に反抗さえしなければ、各国の文化や宗教も尊重されていたようです。今までになく平和な時代だったと言えます。そして広い世界を商業目的で行き来するために交通網も整えられました。「すべての道はローマに通じる」と言われた通りです。またギリシャ語という共通語がありました。こうしてユダヤの片隅で起こったこの出来事は、使徒たちの宣教を通して瞬く間に世界中へと広まっていったのです。「そのころ」というのは、まさにベストタイミングなその時でした。

「全世界」というのは、もちろん今でいう全世界ではありません。ローマ帝国の支配が及んでいた世界でした。当時絶大な権力を掌握していた皇帝アウグストゥスは、住民登録の勅令を出しました。日本も四年に一度国勢調査が行われますが、同じようなものでしょう。ただその目的は徴税と徴兵のためでした。そして人々はこの登録のために、それぞれの町に帰って行かなければならなかったのです。ヨセフも身重のマリアを連れて故郷のベツレヘムに帰ります。ここでルカが言いたかったことは、イエスさまが歴史上実在した人物だったとうこと。またヨセフは、正真正銘ダビデの家系であったことです。また救い主はベツレヘムから出るという預言者ミカの預言がここで成就したことも示しています。「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」(ミカ書5:2

 

さて、5節以降を見てみます。

2.「居場所のない悲しみ」

住民登録に行くときになぜ、マリアはなぜ身重の状態で夫ヨセフについて行ったのでしょう。別に家長のヨセフ一人だけで行ってベツレヘムで登録してもよかったようです。その方が簡単ですし、妊婦を連れて歩くリスクもありません。でもよく考えてみますと。彼らが住んでいたところはナザレという田舎町です。まだいいなずけの二人がいっしょに住んでいないときに妻のおなかが大きくなってきたら、これはナザレの田舎町では恰好のゴシップです。それを避ける意味もあって、マリアは御使いの告知を受けるとすぐにエリサベツのところに行き、そこで3カ月を過ごしました。そして帰ってからは、ヨセフと暮らしはじめたと思うのですが、きっと意地悪なゴシップ好きの近所のおばちゃんは、「あら~、おめでたなのね~。何か月?それにしてはおなか大きいんじゃない?予定日は?」など根ほり葉ほり聞いたのではないでしょうか。ヨセフはそんなマリアをナザレにおいて行けたでしょうか。ひょっとしたら住民登録があると聞いて、思わずガッツポーズ…だったかもしれません。これでナザレの人々に知られずに産ませることができる。そう思ったと思うのです。ナザレには彼らの居場所はありませんでした。だからマリアは夫ヨセフについて100キロから120キロ離れていたと思われるベツレヘムについて行ったのです。

そしてベツレヘムについてからも彼らの居場所はありませんでした。「宿屋には彼らのいる場所がなかった」とあります。宿屋とは言っても当時「宿屋」を看板にあげているところがあったわけではありません。民泊か親戚などを頼っての宿泊だったようです。貧しい人々は、洞穴(洞窟)を利用した家に住んでおり、洞穴の一番奥に家畜を置き、真ん中が母屋、そして入り口付近が客間で、旅人などを泊めたようです。少しマシになると、軒先に囲いを付けただけの家畜小屋を持っている人もいました。また、家の離れの洞窟に家畜だけを置く場所を持っている家もあったようです。マリアとヨセフは、おそらく家の離れの洞窟にある家畜小屋に泊まったのではなかったかと言い伝えられています。何しろ大勢の人が住民登録のために移動していましたから、いわゆる客間はどこもいっぱいだったのです。誰もイエスさまのために居場所を空けてはくれませんでした。

今も居場所のない時代と言わざるを得ません。ある人は、人には二つ以上居場所が必要だといいます。一つだけでは脆弱(ぜいじゃく)です。何かがあって一つがダメになってしまえばその人は完全に孤立するからです。ですから、家族と学校とか、家族と友だち、家族と会社、私たちには家族と教会があるので大丈夫です。けれども今の時代、どこにも居場所のない人がたくさんいます。年末、年を越す家がない人のために「年越し派遣村」が用意されたのは3年前のことでした。今年もこのまま新型コロナによる不況が続けば、最大で3393世帯が年末年始に住まいを失いかねない状況だと、11月末のニュースで言われていました。今もネットカフェに寝泊まりする人々が都会にはあふれています。二つどころが一つも居場所のない孤独な人が世界にはたくさんいるのです。また物理的には誰かと一緒にいても感じる孤独もあります。誰も自分を受け入れてくれない、愛してくれない、独りぼっちだ…そんな孤独です。でもイエスさまも居場所がありませんでした。ですから居場所のない私たちの孤独と悲しみをご存知なのです。

 

「不釣り合いな環境で」

 神の子が生まれるには、あまりに不釣り合いな、ふさわしくない環境でした。後にイエス・キリストを礼拝しにくる東方の博士たちは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか」とよりよってヘロデ王の住む宮殿に行きました。宮殿こそ神の子がお生まれになるのにふさわしいところだと思ったからです。また栄華を極めたソロモンが立派な神殿を作ったときに、「神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです。」と言いました。

その神が人となって下さり、まずは女性の子宮に宿り、生まれて来た場所は家畜小屋、そして布にくるまれ、家畜のえさを入れるための飼い葉桶に寝かされたのです。臭くて汚い飼葉桶です。また当時のこの地方の飼葉桶は木製ではなくて、石や漆喰でできていたというのが今の定説のようです。石の飼葉桶を想像してみてください。固いです。冷たいです。私たちが住んでいた台湾の家を思い出します。台湾は暑い国ですから、家も夏仕様でした。床は大理石か磁器のタイル張り、壁もコンクリートに直にペンキを塗ったもだけのです。ですから冬は寒波が来るたびにとても寒かったことを覚えています。飼葉桶は固くて冷たかっただろうなと私は想像します。ですからきっとたくさんの藁が敷かれたことでしょう。そしてそこにイエスさまは寝かされたのです。

 そして今回ここを読んでいてもう一つのことに気が付きました。マリアの出産のときに果たして誰が手伝ってくれたのだろうかということです。産婆さんは来てくれたのでしょうか。ひょっとしたら、マリアは自分でその子を取り上げ、布にくるんで、飼葉桶に寝かせたのではないでようか。原語を見ると、前の「マリアは月満ちて」を引き継ぐ形で、「産んだ」も「布にくるんで」も「寝かせた」も、主語はすべて三人称単数なのです。マリアは一人で赤ちゃんを取り上げ、布にくるんで、飼葉桶に寝かせたのではないでしょうか。もし、そうだとするとこれまた壮絶な光景になってきます。

 私たちも自分の出生を選べません。どんな親で、どんな経済状況で、どんな家で生まれるのか、私たちは選べませんでした。…イエスさまもそうでした。いえ、イエスさまはある意味選んだのでしょう。あえて一番貧しく、一番低く、一番みじめで、一番過酷な環境を選んだのです。私たちは愛する人のすべてを知りたいと思うものです。同じ空気を吸い、同じ水を飲み、時間と空間を共にしたいと思うものです。イエスさまは私たちを愛して、私たちと同じ体験をし、共感したいと思われました。貧しいってどういうことか、人々から拒絶されるというのはどういうことか、居場所がないとはどういうことなのか、私たちを愛するがゆえに体験し、共感してくださったのです。ある人はこれを「便所の窓から世界を見る」というような表現をしました。イエスさまは私たちと同じ窓から世界を見てくださるために、私たちのところまで下りて来てくださったのです。

 

 今年のクリスマス。私たちは、心に飼葉桶を置きたいと思います。立派なベビーベッドにはイエスさまは来てくださいません。石でできた貧しい飼葉桶、臭くて冷たい飼葉桶を、つまりそのまんまのあなたでイエスさまを迎えましょう。「神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与える」と聖書は言っています。「私は貧しいです。罪深いです。あなたをお迎えする資格はありません。」そう神の前にへりくだる時に、イエスさまは私たちのところに来てくださるのです。こうしてイエスさまをお迎えした私たちの飼い葉桶は、ぽかぽかと暖かくなってくるでしょう。そしてそのぬくもりは、私たちの心だけに留まらず、まわりの人をも暖めていくのです。

 

家畜小屋の飼い葉桶の中に生まれてくださったイエス・キリストの父なる神さま。尊いお名前を心から賛美します。あなたは私たちを愛するがゆえに、人となってくださったばかりか、飼い葉の桶にお生まれくださったことを感謝します。主よ、私たちも心に飼葉桶を用意します。どうぞ私たちの心にお住まいください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


コメント

このブログの人気の投稿

人生の分かれ道(創世記13:1~18)

「人生の分かれ道」 創世記13:1~18 さて、エジプト王ファラオから、多くの家畜や金銀をもらったアブラムは、非常に豊かになって、ネゲブに帰って来ました。実は甥っ子ロトもエジプトへ同行していたことが1節の記述でわかります。なるほど、エジプトで妻サライを妹だと偽って、自分の命を守ろうとしたのは、ロトのこともあったのだなと思いました。エジプトでアブラムが殺されたら、ロトは、実の親ばかりではなく、育ての親であるアブラムまでも失ってしまうことになります。アブラムは何としてもそれは避けなければ…と考えたのかもしれません。 とにかくアブラム夫妻とロトは経済的に非常に裕福になって帰って来ました。そして、ネゲブから更に北に進み、ベテルまで来ました。ここは、以前カナンの地に着いた時に、神さまからこの地を与えると約束をいただいて、礼拝をしたところでした。彼はそこで、もう一度祭壇を築き、「主の御名を呼び求めた」、つまり祈りをささげたのです。そして彼らは、その地に滞在することになりました。 ところが、ここで問題が起こります。アブラムの家畜の牧者たちと、ロトの家畜の牧者たちとの間に争いが起こったのです。理由は、彼らの所有するものが多過ぎたということでした。確かに、たくさんの家畜を持っていると、牧草の問題、水の問題などが出てきます。しかも、その地にはすでに、カナン人とペリジ人という先住民がいたので、牧草や水の優先権はそちらにあります。先住民に気を遣いながら、二つの大所帯が分け合って、仲良く暮らすというのは、現実問題難しかったということでしょう。そこで、アブラムはロトに提案するのです。「別れて行ってくれないか」と。 多くの財産を持ったことがないので、私にはわかりませんが、お金持ちにはお金持ちの悩みがあるようです。遺産相続で兄弟や親族の間に諍いが起こるというのは、よくある話ですし、財産管理のために、多くの時間と労力を費やさなければならないようです。また、絶えず、所有物についての不安が付きまとうとも聞いたことがあります。お金持は、傍から見るほど幸せではないのかもしれません。 1900年初頭にドイツの社会学者、マックス・ウェーバーという人が、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、略して『プロ倫』という論文を出しました。そこに書かれていることを簡単にまとめると、プロテス...

飼葉桶に生まれたキリスト(ルカの福音書2:1~7)

「飼葉桶に生まれたキリスト」(ルカ 2:1-7 ) 齋藤五十三 1.     ローマの平和の中で 6-7 節(読む)  今お読みした二節は待ちに待った救い主がちょうど生まれた場面なのに、拍子抜けするほどにあっさりしています。取り分け、この誕生前後のストーリーが華やかでしたから、なおのこと奇妙な感じなのです。このすぐ前のルカ1章には、何が描かれていましたか。そこには有名な絵画にもなった処女マリアへの受胎告知がありました。「マリア。あなたは神から恵みを受けたのです」と語る御使いの姿は、実に印象深いものでした。その他にも1章にはマリアの歌があり、ザカリアの預言ありと絵になる光景の連続なのですが、いざ、イエスさまの誕生となったら、実にあっさりとわずか二節。まるで華やかな前奏を聞いた後、いざメロディーに入ると、わずか二章節で終わってしまうかのような肩透かしです。  でも冷静に考えれば、救い主誕生に華やかな期待を抱いていたのは、聖書を読んでいる私たちだけなのかもしれません。世界はローマを中心に動いている時代です。ひとたび皇帝の勅令が出ると、すぐにローマ世界の民が一気に大移動していく。そんな騒がしさの中、救い主の誕生はすっかりかすんでしまうのです。そう、イエスさまの誕生は歴史の片隅でひっそりと起こった、まことに小さな出来事であったのでした。  しかも、生まれた場所が場所です。ギリシア語の原文を見れば、ここで言う宿屋は最低限の安宿で、そこにすら場所がなく、我らが救い主は何と飼葉桶に生まれていく。謙遜と言えば聞こえはいいですが、これは何とも寂しい、惨めな誕生でもあったのです。  それに比べて、圧倒されるのが皇帝アウグストゥスの力です。この時代はローマの平和(ラテン語ではパクスロマーナ)と呼ばれるローマの武力による平和が約 200 年続いた時代でした。平和でしたから人々の大移動が可能で、ひとたび皇帝が声を上げれば、多くの民が一斉に動いていく。パクスロマーナは、この皇帝の絶大な権力に支えられていたのです。  住民登録による人口調査は納税額を調べ、国家予算の算盤をはじくためであったと言います。いつの時代も権力者が考えることは同じです。日本では大昔、太閤検地と言って、豊臣秀吉が大勢の人々を動かし、いくら租税を取れるかと算盤をはじいた...

心から歌って賛美する(エペソ人への手紙5:19)

「心から歌って賛美する」 エペソ人への手紙5:19 今年の年間テーマは、「賛美する教会」で、聖句は、今日の聖書箇所です。昨年2024年は「分かち合う教会」、2023年は「福音に立つ教会」、2022年や「世の光としての教会」、2021年は「祈る教会」、 20 20年は「聖書に親しむ教会」でした。このように振り返ってみると、全体的にバランスのとれたよいテーマだったと思います。そして、私たちが、神さまから与えられたテーマを1年間心に留め、実践しようとするときに、主は豊かに祝福してくださいました。 今年「賛美する教会」に決めたきっかけは二つあります。一つは、ゴスペルクラスです。昨年一年は人数的には振るわなかったのですが、個人的には、ゴスペルの歌と歌詞に感動し、励ましを得た一年でもありました。私の家から教会までは車で45分なのですが、自分のパートを練習するために、片道はゴスペルのCDを聞き、片道は「聞くドラマ聖書」を聞いて過ごしました。たとえば春期のゴスペルクラスで歌った「 He can do anything !」は、何度も私の頭と心でリピートされました。 I cant do anything but He can do anything! 私にはできない、でも神にはなんでもできる。賛美は力です。信仰告白です。そして私たちが信仰を告白するときに、神さまは必ず応答してくださいます。 もう一つのきっかけは、クリスマスコンサートのときの内藤容子さんの賛美です。改めて賛美の力を感じました。彼女の歌う歌は「歌うみことば」「歌う信仰告白」とよく言われるのですが、まさに、みことばと彼女の信仰告白が、私たちの心に強く訴えかけました。   さて、今日の聖書箇所をもう一度読みましょう。エペソ人への手紙 5 章 19 節、 「詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。」 「詩と賛美と霊の歌」というのは何でしょうか。「詩」というのは、「詩篇」のことです。初代教会の礼拝では詩篇の朗読は欠かせませんでした。しかも礼拝の中で詩篇を歌うのです。確かにもともと詩篇は、楽器と共に歌われましたから、本来的な用いられ方なのでしょう。今でも礼拝の中で詩篇歌を用いる教会があります。 二つ目の「賛美」は、信仰告白の歌のことです。私たちは礼拝の中...