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宣教開始(ルカの福音書4:14~21)

 

「宣教開始」

ルカの福音書 4:14-21

ルカの1章、2章ではイエスさまの誕生のいきさつが詳しく書かれていました。そして3章になると、バプテスマのヨハネが登場します。「主の通られる道をまっすぐにする」という使命を果たすべく、ヨハネは人々に悔い改めを迫り、ヨルダン川でバプテスマを授けました。そして4章から成人したイエスさまが登場します。この時イエスさまは30歳ぐらいだったと言われています。そしてこの後の約3年間を公生涯と言って公の宣教活動をされました。それでは公生涯に入る前は何をなされていたか…。イエスさまは大工のせがれとしてガリラヤのナザレで普通に生活しておられたのです。私たちと同じように日々の糧を得るため汗水たらして働き、父ヨセフの仕事を手伝っていました。何も30歳でスーパーマンのように突如として現れたわけではないということです。こうしてイエスさまは、父なる神さまのご計画に従って、救いの道を開くために十字架に向かって歩み始めました。4章以降で、まずイエスさまは聖霊によって導かれ、荒野で40日間断食しました。そしてサタンの試みを受けられたのです。断食の期間中、人としてのイエスさまは、飢えと疲れによって非常に弱っていましたが、そんな状態にあっても神のことばを武器にサタンを撃退し、大勝利を治めたのでした。そしてイエスさまは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られました。

 「帰られた」とあります。そうなのです。イエスさまはガリラヤに帰られました。当時の都エルサレムで華々しくメシヤデビューしたわけではないのです。イエスさまはご自分が生まれ育ったガリラヤの田舎町を「帰るところ」としてくださいました。皆さん思い出してください。ガリラヤと言えば、預言者イザヤによって「異邦の民のガリラヤ」、「闇の中」「死の陰の地」と呼ばれたその地でした。霊的には暗いガリラヤです。それに「預言者は故郷で尊ばれない」というようにイエスさまにとって故郷であるガリラヤは伝道しにくいところだったはず。それでもイエスさまはここから宣教を開始したのです。それだけではない。イエスさまの宣教活動の大半は、このガリラヤが舞台だったのです!まさにイザヤの預言がここに実現しました。「異邦の民のガリラヤは栄誉を受ける。闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。」(イザヤ9:1-2)

 さてこうしてイエスさまは、親兄弟のいるガリラヤの田舎町ナザレに行き、いつものように安息日に会堂に入り、聖書を朗読されました。当時はユダヤ人男性ならだれでも聖書朗読が許されたようです。おそらく会衆は、「ヨセフのところの長男が出て来た」ぐらいにしか思わなかったことでしょう。ところが今日のイエスさまはいつもと違いました。イエスさまにイザヤ書の巻物が渡されました。イエスさまは巻物を開きながら、イザヤ書の611-2節に目を留められ、朗読をはじめました。

「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。」

この内容は明らかに救い主についての預言、メシヤ預言です。主なる神さまに油注がれ(王のしるし)、遣わされたメシヤによって「良い知らせ」「主の恵みの年」が告げ知らされる。そしてそのよい知らせとは、「捕らわれ人が解放され、目の見えない人の目が開かれ、虐げられている人が自由の身となる」という希望の預言でした。 

 この「恵みの年」というのは、「ヨベルの年」を指しています。「ヨベルの年」とは、モーセの律法に定められているユダヤの特別な年です。ユダヤでは、7年ごとに土地を休ませる安息年がありました。その安息年が7度巡った翌年の50年目が「ヨベルの年」と呼ばれています。この年に3つのことが起こります。一つは、畑の休耕です。二つ目は売却されていた土地が売主のもとに復帰することができます。ユダヤ人にとって土地は、先祖から受け継ぐ大事な財産、家そのものです。ところが、窮乏のゆえに、時にやむを得ず土地を売らなくてはいけない事態が生じます。そんな人々への救済策として、50年目にはその売られた土地を返すというルールが制定されていたのです。そして三つめが全住民の解放の宣言の年でした。つまりヨベルの年には、借金のある人はすべて棒引きされ、借金の形に奴隷として売られた人々も全て解放されたのです。なんの条件も付けずにです。ヨベルの年は文字通り「恵みの年」だったのです。そしてこの「恵みの年」が今ご自分を通して実現しようとしていることをイエスさまはこの時宣言されました。「今日、この聖書のことばが実現しました!」

実はこの「ヨベルの年」が実際に適応されたという歴史的な記録はないようです。しかし、イエスさまによって「ヨベルの年」が実現しました。50年ごとではない。イエスさまによって永遠のヨベルの年が宣言されたのです。罪という借金を抱え、サタンに債務証書を突き付けられ、自分を罪の奴隷として売り渡すしかなかった私たちを救い出すために、イエスさまはご自分を十字架につけ、死んでくださったのです。これを「贖い」と言います。神さまは罪と死の奴隷になっていた私たちを十字架という代償を払って、買い戻してくださったのです。ここから私たちの解放と癒し、安息が始まります。

イエスさまは「今日、この聖書のことばが実現しました!」と宣言されました。皆さんの「今日」はもう訪れたでしょうか。イエスさまの救いと解放が皆さんに実現したでしょうか。もしまだでしたら、「今日」イエスさまを受け入れましょう。そうすれば「今日」が皆さんにとってのヨベルの年です。

 そしてすでにイエスさまを信じて、洗礼を受けている皆さんにもお話ししたいのです。サタンは借金取りです。もう無効になっている債務証書を握って、執拗に取り立ててきます。「おまえはクリスチャンなのに、生活が全然変わらないじゃないか。」「罪を犯し続けているじゃないか」「借金はどんどん膨らんでいるぞ!」と取り立てるのです。けれども皆さんがイエスさまを信じた「今日」があったなら、もうサタンの声に耳を傾けてはいけません。私たちの罪という借金はすでにすべてイエスさまによって支払われています。過去の罪、今も犯し続けている罪、将来犯すであろう罪、全て支払われているのです。いえ、イエスさまは罪の奴隷だった私たちを丸ごと買い取ってくださって、神の子どもとしてくださったのです。ですからもうサタンの声に耳を傾けてはいけません。救いの確信にしっかりと立ちましょう。お祈りします。 

天の父なる神さま。私たちにはかつては罪の奴隷であり、罪の中に死んでいた者でした。けれどもイエスさまの十字架血潮によって私たちはもう一度買い戻され、神の子どもとさました。しかし主よ、今もなお多くの人が暗闇の中を歩んでいます。どうぞそのような人々にこの恵みの年の訪れをお知らせすることができますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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