スキップしてメイン コンテンツに移動

前進し続ける宣教(使徒の働き14:1-7)

 

「前進し続ける宣教」

使徒の働き14:1-7 

さてパウロとバルナバはピシディアのアンティオキアを後にして、イコニオンに向かいました。イコニオンはアンティオキアから南東に150キロほど行ったところにある地方都市です。そしてそこでも「同じこと」が起こったと、ルカは言っています。どういう点が「同じこと」だったのでしょう。ユダヤ人の会堂で説教した。そのメッセージを聞いて、ユダヤ人もギリシャ人も大勢の人が信じた。信じようとしないユダヤ人が地元の異邦人たちを先導してパウロたちを迫害した。そしてその町から追い出した。パウロたちは次の町に行って宣教を続けた。以上の5点です。けれども前とは違うところもあります。一つは、彼らが「長く滞在した」ということです。長くというのがどれぐらいなのかわかりませんが、数カ月から半年だったと言われています。そしてもう一つは、「しるしと不思議」が伴う、「恵みのことば」が証しされたということです。おそらく前のアンティオキアよりも時間があったで、癒しなどの奇蹟を行うことができたということでしょう。

パウロは前の宣教地を追い出されたとは思えないような喜びと聖霊に満たされて、意気揚々とこのイコニオンの町に入って行ったようです。二世紀に書かれた書かれた「パウロ行伝」という外典には、イコニオンの住人オネシポロが町に入ってくるパウロの風貌を描写した記事があるので紹介しましょう。「小柄な男で、眉毛が寄り、割に大鼻で、頭は禿げ、ガニ股で、頑丈な体格で恵みに満ちていた。彼は、時には人間らしく見え、時には天使の顔つきをしていた。」 こんなパウロの風貌を想像しながら、ここでの宣教活動の様子を見ていきたいと思います。

 「二人がユダヤ人の会堂に入って話をすると、ユダヤ人もギリシャ人も大勢の人々が信じた。ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人たちを扇動して、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。」(1b-2節)

ここでもパウロの説教を聴いて、ユダヤ人ギリシャ人を問わず、大勢の人々がイエスさまを救い主と信じました。そしてこれもまたアンティオキアの時と同じく、信じようとしないユダヤ人たちもいました。そしてこの人たちは異邦人たちを扇動して悪意を抱かせるようにしたのです。

日本も江戸時代末期における「耶蘇教」に対する偏見と差別は、迫害を伴うひどいものでした。それは戦時下でも形を変えて続き、今もその余韻が残っていると思います。キリスト教への偏見やアレルギーにも似た拒否反応には、私たちに伝道する気力を萎えさせ、臆病にします。

また今の時代に当てはめると、デマやフェイクニュースを流して、人々に偏見をもたせるといったことがあります。インターネットの普及に伴い、ものすごい速さと勢いで、多くのデマが流されます。私たちは賢くそれを見分けなくてはいけません。デマを見抜くためには、自分で実際に見て、聞くこと、また自分で考え、検証することが大切です。特にキリスト教に関する偏見に満ちた情報も多く出回っています。またキリスト教とは似て非なる異端も、精力的にインターネットを駆使して、間違ったキリスト教を流しています。そしてそれに騙されて、それこそ扇動されてしまう人が多いのです。私たちがそのようなデマやフェイクに騙されたないためにはどうしたらいいのでしょうか。それは自分で聖書を読み、正統的な流れを汲む教会につらなって聖書を学ぶことです。聖書を読む時に聖霊が働きます。そして扇動する声や、悪意や偏見を抱かせる声を退けてくれるのです。

「それでも、二人は長く滞在し、主によって大胆に語った。主は彼らの手によってしるしと不思議を行わせ、その恵みのことばを証しされた。」3節)

感謝なことに、前のアンティオキアの時とは違って、信じないユダヤ人たちが沸点に達するまで、時間がかかったようです。その間、パウロとバルナバは、機会を上手に用いて福音を宣べ伝えました。彼らが宣べ伝えたのは「恵みのことば」です。イエスさまを信じるだけで、罪赦されて、永遠のいのちが与えらるという「恵みのことば」。私たちは何の代価も要求されない、ありがとうございますと受け取るだけの「恵みのことば」です。そして、この「恵みのことば」の証し、証明として、彼らは「しるしと不思議」を行いました。この世は、罪とそれに伴う悲惨が満ちていますから、パウロたちは実際に病いを癒し、悪霊に支配されている人を解き放つことによって、真の主権者、私たちの父なる神さまの力と愛とあわれみを示したのです。

 「すると、町の人々は二派に分かれ、一方はユダヤ人の側に、もう一方は使徒たちの側についた。」(4節)

町の人々は二派に分かれました。ここには「ユダヤ人の側」、「使徒たちの側」とありますが、要するにイエス・キリストを「信じる人」と「信じない人(拒絶する人)」とに分かれたということです。ユダヤ人と異邦人に分かれたわけではありません。ユダヤ人でも信じる人はいましたし、異邦人でも信じない人がいました。私たちは決断しなくてはいけないときがあります。曖昧な態度が許されないときがあるのです。私たち日本人は、よく言えば平和主義、対立を好みません。またどっちつかずの日和見主義とも言えるでしょう。けれども「救い」に関しては、どこかで決断がなされなくてはいけません。信じるのか、信じないのか二者択一です。

旧約聖書に登場する預言者エリヤは、土着の神バアル神の預言者たち450人とアシェラ神の預言者400人と対決しました。その時に、どっち着かずのまま傍観しようとしていたイスラエルの民に言いました。「おまえたちは、いつまで、どっちつかずによろめいているのか。もし【主】が神であれば、主に従い、もしバアルが神であれば、バアルに従え。」(Ⅰ列王18:21)と決断を迫りました。また、エジプトを脱出し、神の約束の地カナンにイスラエルの民が入ろうとするときに、指導者ヨシュアはイスラエルの民に決断を迫りました。「【主】に仕えることが不満なら、あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は【主】に仕える。」(ヨシュア記24:14~15)

ここにいらっしゃる皆さんの中は、家族の理解を得られないまま、それでも私の神はこの神さまだからと、家族の中に波風を立てることを覚悟で、洗礼を受けられた方が何人もいらっしゃることでしょう。けれどもその方たちは、誰も後悔をしていないと思うのです。一時的に波風は立っても、家族の中で灯された一つの灯火、その小さな小さな神の国は、やがては家族の祝福の基となっていくからです。小さな灯火、小さな神の国である私たちは、なお「私と私の家は主に仕えると」告白し続けましょう。

 「異邦人とユダヤ人が彼らの指導者たちと一緒になり、二人を辱めて石打ちにしようと企てたとき、二人はそれを知って、リカオニアの町であるリステラとデルベ、およびその付近の地方に難を避け、そこで福音の宣教を続けた。」(5~7節)

こうして「イエスを信じない」人々は、とうとう沸点に達し、暴徒と化して、パウロとバルナバを辱め、石打ちにしようと企てます。けれども神さまは、それをどのような方法をもってしてかは分かりませんが、二人に知らせました。彼らは急いで旅支度をして、そこから30~40キロ離れたリステラとデルベへと旅立って行ったのです。こうして降りかかろうとする難を避けることができました。そして性懲りもなく、そこでも福音の宣教を続けるのでした。どうして懲りないのでしょうか。それは、命がけでも伝える価値のあることだからでしょう。人の魂を救うことですから。

ナチス政権下で多くのユダヤ人が虐殺された時、心ある人々は彼らの命を救うために尽力しました。それは危険が伴い、命がけのことでもありました。けれども、命をかける価値がそこにあったので、彼らは救助活動をやめませんでした。パウロとバルナバも人々の魂を救うために福音の宣教を続けました。私たちも小さなパウロになりましょう。そしてこの罪と悲惨が満ちているこの世で、イエスさまの救いを宣べ伝えることを続けたいと思います。それは何にも替え難い、価値のあることなのです。




コメント

このブログの人気の投稿

クリスマスの広がり(使徒の働き28:23~31)

「クリスマスの広がり」 使徒の働き28:23~31 私が使徒の働きを松平先生から引き継いだのは、使徒の働き11章からでした。それ以来、少しずつ皆さんといっしょに読み進めてきました。これだけ長く続けて読むと、パウロの伝道の方法には、一つのパターンがあることに、皆さんもお気づきになったと思います。パウロは、新しい宣教地に行くと、まずはユダヤ人の会堂に入って、旧約聖書を紐解いて、イエスが旧約聖書の預言の成就者であることを説いていくという方法です。このパターンは、ローマでも変わりませんでした。もちろん、パウロは裁判を待つ身、自宅軟禁状態ですから、会堂に出向くことはできませんが、まずは、ローマに11あったと言われるユダヤ人の会堂から、主だった人々を招きました。そして彼らに、自分がローマに来たいきさつ語り、それについて簡単に弁明したのでした。エルサレムのユダヤ人たちから、何か通達のようなものがあったかと懸念していましたが、ローマのユダヤ人たちは、パウロの悪い噂は聞いておらず、先入観からパウロを憎んでいる人もいないことがわかりました。パウロは安心したことでしょう。これで、ユダヤ人たちからありもしないことで訴えられたり、陰謀を企てられたりする心配ありません。そして、今度は日を改めて、一般のユダヤ人たちも招いて、イエス・キリストの福音について、じっくり語ろうと彼らと約束したことでした。 けれども、みなさん疑問に思いませんか。パウロは異邦人伝道に召されていたはずです。自分でもそう公言しているのに、なぜここまでユダヤ人伝道にこだわるのでしょうか。今までも、新しい宣教地に入ると、必ずユダヤ人の会堂で説教するのですが、うまくいった試しがありません。しばらくすると必ず反対者が起こり、会堂を追い出され、迫害につながっているのです。それなのになぜ、ここまでユダヤ人にこだわるか、その答えは、パウロが書いたローマ人への手紙の9章から11章までに書かれています。 パウロの同胞、ユダヤ人への愛がそこにあります。パウロは9章2-3節でこう言います。「私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。私は、自分の兄弟たち、肉による自分の同胞のためなら、私自身がキリストから引き離されて、のろわれた者となってもよいとさえ思っています。」 凄まじいほどの愛です。そういえばモーセも同じような祈りをしま

イスラエルの望み(使徒の働き28:17~22)

さて今日の個所は、ローマに到着してから三日後から始まります。パウロはローマに到着すると、番兵付きながらも自分だけの家に住むことが許されました。当時ローマ市内には、11ものユダヤ人の会堂があったと言われています。パウロはさっそく、ローマに住むユダヤ人クリスチャンに頼んで、その会堂の長老たちなど、おもだった人たちを家に招いたのです。そして自分がエルサレムでユダヤ人たちによって告発されたことについての弁明と、これまでの裁判のいきさつについて語り始めました。 ここでのパウロの語りは、これまでのユダヤ人たちに対する少し挑発的な語りに比べると控え目で、ユダヤ人の誤解を解くことに終始しています。パウロは、自分がこのように捕らえられ囚人としてローマにやって来たのは、なにも、ユダヤ人に対して、また先祖の慣習に対してそむくようなことをしたからではなく、「イスラエルの望み」のためなのだと語っています。それこそパウロが伝えたい福音の中心だからです。旧約の預言者たちによって語られた「イスラエルの望み」、「救い主メシア到来の望み」が実はもう実現しているのだということです。パウロは実にこのことのために、今こうして、鎖につながれていたのでした。 パウロの弁明を聞いたユダヤ人のおもだった人たちの反応はどうだったでしょうか。彼らはまず、自分たちはパウロたちのことについてエルサレムからは何の知らせも受けていないこと、したがってパウロたちについて悪いことを告げたり、話したりしているような人はいないということ、ですから一番いいのは、直接パウロから話しを聞くことだと思っていることを伝えました。もちろん彼らの中には、パウロの悪いうわさを聞いていた人もいたでしょう。けれどもそうしたうわさ話に耳を傾けるより、本人から直接話を聞いた方がよいと判断したのです。彼らは言います。「この宗派について、至るところで反対があるということを、私たちは耳にしています。」実際、クラウデオ帝がローマを治めていたころ、キリスト教会とユダヤ人の会堂に集まる人々でごたごたがあって、「ユダヤ人追放令」が発布されました。そんなに昔のことではありません。彼らは、この宗派の第一人者であるパウロにから、直接話を聞いて、何が両者の違いなのか、ナザレのイエスを信じるこの宗派の何が問題なのかをつきとめたいとも思っていたことでしょう。 さて、パウロ

祝福の日・安息日(出エジプト記20:8~11)

「祝福の日・安息日」(出エジプト 20:8-11 ) はじめに  本日は十戒の第四戒、安息日に関する戒めです。この箇所を通して本当の休息とは何か(聖書はそれを「安息」と呼ぶわけですが)。そして人はどのようにしたら本当の休みを得ることができるかを、皆さんと学びたいと願っています。お祈りします。   1.        聖なるものとする 8-10 節(読む)  「安息日」とは元々は、神が世界を創造された七日目のことですが、この安息日を聖とせよ。特別に取り分けて神さまに捧げなさい、というのがこの第四戒の基本的な意味です。この安息日を今日のキリスト教会は日曜日に置いて、主の日として覚えて礼拝を捧げています。安息日という名前は、見てすぐに分かるように「休息」と関係のある名前です。でも、それならなぜ休息とは呼ばず、安息なのでしょう。安息とは何を意味するのか。このことについては、一番最後に触れたいと思います。  いずれにせよ第四戒の核心は、安息日を記念して、「聖とせよ」ということです。それは、ただ仕事を止めて休めばよいということではありません。この日を特別に取り分けて(それを聖別と言いますが)、神さまに捧げなさいということです。すなわち、「聖とする」とは私たちの礼拝に関係があるのです。  でもどうして七日目を特別に取り分け、神さまに捧げる必要があるのでしょう。どうしてだと思われますか。 10 節冒頭がその理由を語ります。「七日目は、あなたの神、主の安息」。この日は「主の安息」つまり神さまのものだ、と聖書は言うのです。この日は、私たちのものではない。主の安息、主のものだから、神さまに礼拝をもって捧げていくのです。   2.        七日目に休んだ神  七日目は主の安息、神さまのものである。でも、どうしてでしょう。その理由がユニークで面白いのです。 11 節に目を留めましょう。 11 節(読む)  神さまはかつて世界を創造された時、六日間にわたって働いて世界を完成し七日目に休まれました。だから私たちも休んで、七日目を「安息日」として神さまに捧げなさい、ということです。ここで深く物事を考える方は、神さまが七日目に休んだことが、なぜ私たちが休む理由になるのですか、と思われるかもしれません。そう思う方があったら、それは良い着眼です。