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心は内で燃えていた(ルカ24章13~36節)

 

「心は内で燃えていた」

ルカの福音書24:13~36

 スイスの画家、カラヴァッジョの『エマオへの道』という絵はとても有名です。本来失意の中でとぼとぼと歩いていた二人の弟子のところに、その話題の主(ぬし)であるイエスさまがおいでになって、並んで歩かれ、彼らの話しを聞き、それを説き明かしている絵です。この絵にはすがすがしい明るさと視野の広がりがあります。この明るさと広がりはどこから来ているのか、私たちは今日の聖書箇所から見ていきたいと思います。

「ちょうどこの日」(13節)というのは、イエスさまが十字架にかかって息を引き取られ、埋葬された金曜日の次の次の日、ユダヤではこれを3日目という言いますが、その3日目の日曜日のことです。もう夕方に差し掛かった頃でしょうか。エマオに向かう二人の弟子のところにイエスさまが現れ、とも歩きました。エルサレムからエマオまでは60スタディオン、約11㎞ありました。歩いて45時間というところでしょうか。それまで、この二人の弟子たちの足取りは非常に重かったのです。なぜなら、彼らが愛し、尊敬し、すべてをかけて従おうと思っていたイエスさまが、十字架にかかられて、息を引き取り、埋葬されてしまったからです。彼らは道々、そのことについて話し合ったり、論じ合ったりしていました。けれどもなぜ彼らは、なぜエルサレムを離れようとしているのでしょうか。それは、もうエルサレムには用はないと思っていたからだでしょう。イエスさまはもういない。もう革命も新しい時代もやってこない。エルサレムにいても意味がない。彼らはそう思ったのではないでしょうか。1921節では、彼らがイエスさまのことをこんな風に言っています。「この方は、神と民全体の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、この方を死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまいました。私たちは、この方こそイスラエルを解放する方だ、と望みをかけていました。」彼らは完全にロス状態にありました。イエスさまこそ救い主、解放者だと望みをかけていたのに、無残にも殺されてしまったからです。彼らは無念な思いでエルサレムをあとにして、おそらく自分の家のあるエマオへと向かったのです。

 ところがそんな二人に復活のイエスさまが近づいて、話しかけます。「歩きながら語り合っているその話は何のことですか。」二人は、その話しかけてきた相手がイエス様だとも知らないで、「はっ?ご存知ないのですか?」(25節)と、この旅の同伴者の無知に半ば呆れて、思わず立ち止まりました。そして「どんなことですか?」と問うイエスさまに、彼らは今まで「話し合ったり論じ合ったり」していたことについて語り始めました。

 イエスさまはどうして「どんなことですか?」と問うたのでしょうか。話題の主はイエスさまなのですから、イエスさまの方が事細かく知っているはずです。当時者なのですから。でもイエスさまは聞かれるのです。「どんなことですか?」「何があったのですか?」「あなたはそれをどう見たのですか?」「そのことはあなたとどんな関係があるのですか?」「どんな意味があるのですか?」これはイエスさまが私たちに「祈り」を求めているのだなと思いました。神さまは、私たちの思いも願いもすべてご存知です。それでも神さまは、私たちの口からそれを聞きたいと思ってらっしゃいます。あなたは今どんな思いなのか、どう感じているのか、神さまに何を期待しているのか、神さまはそれを聞きたいと思っておられます。

 彼らの一人クレオパという弟子が、本人を前にしているとも知らないで、したり顔でエルサムで起こった一部始終を話します。「私たちがイスラエルを解放し、救ってくださると期待していたナザレ人イエスが、私たちの宗教指導者たちによって十字架につけられて殺されました。しかし今朝仲間の女たちが墓に行ってみると、イエスさまの遺体が無くなっていたと、そして御使いが現れて、イエスさまは生きておられると告げたというのです。(まあ、女たちの言うことですからどうかと思い、)他の仲間の弟子たちも墓に行って確かめたのですが、やはりあの方は見当たらなかったのです。」

イエスさまは、途中口を挟むことなく、黙って聞いておられたのでしょう。そして彼らが語り終わると、思わずため息をついて言いました。「ああ、愚かな者たち」「心が鈍くて、不信仰な者たち」と。新共同訳では、「物わかりが悪い」と訳しています。彼らの愚かさ、物わかりの悪さは、彼らのどういうところにあるのでしょう。彼らは知識としてはすべて知っていました。裁判や十字架の様子、イエスさまが埋葬されたこと、そしてその墓が空だったこと、彼らはすべて知っていたのです。彼らの愚かさは、知識がないことではありません。それは「心の鈍さ」であり、「信じられない」ことだったのです。私たちもそういう意味では愚かです。私などは、牧師家庭に生まれ、教会生活を五十数年も続け、計算すると三千回近くも説教を聴いているのです。でも心が鈍い、悟りが悪い、ここぞというときに、神さまを信じられない。これが私たちの愚かさです。

 けれどもイエス様は、彼らにあきれながらも、彼らを見捨てたり、どうしようもない奴らだとあきらめたりしませんでした。そして聖書全体に書いてあることを整理して、かみ砕いて、解き明かし始めました。でもちょっと待ってください。イエスさまは彼らにご自身が聖書の預言通り復活されたことをお示しになりたかったのでしょう。ではどうしてこんなまどろっこしいことをなさるのでしょう。イエスさまは復活されたご本人ですから、後に弟子たちの前でするように、両手両足の釘の痕を見せ、「ほらわたしだ」とご自身をお示しになればよかったのではないでしょうか。文字通り百聞は一見に如かず、彼らは納得したでしょう。しかし、これがイエスさまの「ご自身の現し方」でした。しるしを求めるユダヤ人たちに、いつも「モーセと預言者」を指し示してきたイエスさまでした。結局は、みことばを信じることなのだと、みことばに信仰の拠りどころを置くべきなのだとイエスさまは教えたかったのです。実際、後に彼らは告白します。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えてたではないか。」と。彼らは、イエスさまが語られるみことばによって、見ること以上の感動を覚えました。心燃やされる経験をしたのです。神さまはみことばを通して、私たちの鈍い心を燃やし、信仰を振るい立たせてくださるのです。

 わたしはこの個所を読む度に、父のことを思い出します。父は19歳で献身し、福島の須賀川というところにある神学校に行きました。当時その神学校はほとんど自給自足だったらしく、学び以上に農作業がきつかったと父は言っていました。でもそんな父が楽しみにしていたのが、一人の先生の授業であり、その先生の語る説教でした。その先生というのは木田俊彦先生、木田友子さんのおじい様です。父は、いつも木田先生のみことばの説き明かしを聞きながら、文字通り「心燃やされる」経験をしたというのです。みなさんはそんな経験があるでしょうか。みことばが説き明かされるときに、そこに聖霊が働き、私たちの心は燃やされるのです。

 彼らは、イエスさまの語られる聖書の説き明かしに魅了されました。そしてもっと聞きたいと思いました。目的地に近づくと、「一緒にお泊りください」と誘います。いえ、聖書には「強く勧めた」とあります。原語ではかなり強い表現で、腕を引っ張り家に連れ込むような勢いでお誘いしたようです。私たちには、みことばの説き明かしを聞くことへの、これほどの熱意があるでしょうか。イエスさまは私たちのみことばへの渇きと熱意に応えてくださいます。本当は「もっと先まで行きそうなご様子であった」(28節)のに、それをやめて、そこに留まってくださったのです。

そして、食卓でイエス様がパンを取って、感謝と賛美をささげ、裂いて彼らに渡されたときに、彼らの目が開かれ、とうとうこのお方がイエスだとわかったのです。主イエス様は、今も主の食卓(聖餐式)で私たちの霊の眼(まなこ)を開いてくださいます。聖餐は、「食べるみことば」と言われます。みことばが語られるところに聖霊が働かれるように、主の食卓、聖餐にも聖霊が働き、私たちの霊の眼を開いてくださいます。

 こうして彼らが目の前のお方がイエスさまだとわかると、イエスさまのお姿が見えなくなりました。でも大丈夫。彼らはもう「見える、見えない」は関係ありませんでした。みことばによって心の目が開かれ、復活の主に出会ったからです。彼らは立ち上がり、エルサレムに戻りました。「もう夕刻で日も傾いている」(29節)ことを理由にイエス様を強くお引止めした彼らが、もう暗くなっていたであろうエマオの道を再び息せき切って戻って行く姿は、なんともほほえましいです。彼らが到着すると他の弟子たちもそこに集まっており、復活されたイエス様についての報告会が行われていました。彼らもそこに合流し、自分たちに起こったことを分かち合ったのです。するとそこに、「平安があるように(シャローム)」とイエス様が現れました。

 私たちも日々みことばで心燃やされたいものです。みことばによって復活の主にお会いしたいものです。そして、この『エマオへの道』という絵のように、イエスさまと語り合いながら、この地上での生涯を歩んでいきたいと思うのです。


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