使徒の働き15:22~33
エルサレム会議は、聖霊の導きの中で無事終わりました。決議事項としては、「異邦人には割礼や律法の負担を負わせない。ただし4つのこと、偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、淫らな行いを避ける」ということでした。わざわざアンティオキア教会まで行って、「割礼を受けなければ救われない」とふれ回った人々は、この決議を前に恥じ入ったことでしょう。
今日のテキストでは、この決議事項をアンティオキア教会に伝える場面が描かれています。今みたいに、メールで議事録を添付して送るわけにはいきませんから、手紙を書きました。そして配達人も厳選したようです。選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダ、そしてシラスの二人でした。大事な内容ですし、補足説明や質疑応答もあるでしょうから、信頼できる人でなくてはなりません。22節では「全教会とともに」とありますし、25節でもこの二人を送ることを「全会一致で決めました」とあります。とても慎重に人選をしたことが分かります。こうして選ばれた二人はどんな人だったのでしょうか。
この二人は共に預言者だったと32節に書かれています。「預言者」とは文字通り、神のみことばを預かって解き明かす人です。聖書から、また時には直接神のことばを聞き、それを教会の人々に解き明かしていました。信仰も成熟しており、神さまとの深い親密な関係を持っており、教会では指導的立場にあった人たちです。25、26節では、「主イエス・キリストのためにいのちをささげている、バルナバとパウロと一緒に」彼らを送るのだとありますから、この二人は、バルナバやパウロと比べても引けを取らない忠実な主のしもべだったことわかります。
さて、この選ばれた二人のうち「ユダ」ですが、彼は「バルサバと呼ばれる」と言われています。聖書に精通している人は、「あれ聞いたことあるぞ」と思ったかもしれません。そうです。イエスさまが昇天し、御霊が下り、教会が誕生したあと、12使徒を補充する必要が出ました。その時の候補にあがっていたのが、「バルサバと呼ばれ、別名ユストというヨセフ」(2:23)でした。このヨセフはユダの兄弟ではないかというのが一般的な見方です。結局くじによって選ばれたのはもう一人の候補者マッティアでしたが、それでも使徒の候補にあがったぐらいですから、皆から信頼される、信仰も人格も成熟した人だったのでしょう。「バルサバ」の意味は「安息の息子」ですから、この兄弟は共にエルサレム教会に安息をもたらす存在だったと言えます。
そして「シラス」ですが、彼は別名シルワノ(ラテン語)と呼ばれており、パウロの手紙では時々この名前で呼ばれています。なぜラテン語名を持つかというと、彼はローマの市民権を持つギリシャ語を話すユダヤ人(ヘレニスト)だったからです。またⅠペテロの終わりには、「忠実な兄弟として私が信頼しているシルワノによって、私は(この手紙を)簡潔に書き送り、勧めをし」とありますから、「ペテロの手紙」を書き記すときにも少なからず関わったようです。彼はこの手紙を届けた後、パウロに同行して伝道旅行をします。つまりシラスも宣教のパッションに溢れる素晴らしい人物だったのです。
とにかくエルサレム教会は非常に慎重に人選をしました。キリストの教会はトップダウンの組織ではありません。エルサレム教会が教理や重大なことを決めて、あとは下々の教会に通達するようなものではないのです。大きな中枢の教会であっても、地方の小さな教会であっても、同等であり、公平であり、互いに尊重し合う関係があったということです。
そして24節では、驚きの事実が述べられています。なんと「割礼を受けなければ救われない」と言ってアンティオキア教会に混乱をもたらした人々は、エルサレム教会が派遣した人々ではなく、教会とは関係なく、勝手に出て行って、持論を述べた人たちだったというのです。しかしながら、彼らがエルサレム教会のメンバーであることを思うと、エルサレム教会は責任を感じないわけにはいきませんでした。ですから彼らはこれを教会の問題として扱い、会議を招集し、きちんと解決したのです。
この手紙が、ここに書かれているだけの内容だったのか、もっと長かったものをまとめて記されたのかは分かりません。けれどもここには今回のエルサレム会議の決議事項が、簡潔にまとめられています。その内容は「あなたがたには、4つの使徒教令以外、どんな重荷も負わせない」というものでした。しかもこれは「聖霊と私たち」によって決めたことだと、はっきりと宣言しています。そしてエルサレム教会で最も適任と思われたユダとシラスを送って口頭でもそれを伝えました。先の割礼派の人々によって傷ついた教会は、ユダとシラスとの交わりの中でその傷が癒されていくのを感じたことでしょう。
このエルサレム教会の丁寧な対応に、私たちは学ばなくてはいけません。教会の一部の人たちが、勝手にしたことだから関係ないというのではなく、教会の問題として、教会の管理不足、教育不足から出た問題として、エルサレム教会はきちんと向き合い、解決したのです。
話は飛躍し過ぎかもしれませんが、私は日本の教会の戦争責任について考えさせられました。太平洋戦争下において日本の教会は、国家神道体制に取り込まれ、特にアジアの諸教会に神社参拝を強要するなどの罪を犯しました。それだけでなく、日本の教会は戦後も長くその罪に向き合うことなく、公的な悔い改めと罪の告白をしてこなかったのです。そして戦後70年たって、同盟教団はやっと、教団100周年記念宣言という形で、公に戦争責任を表明するに至りました。内容は一部抜粋して週報にも載せました。「日本同盟基督教団は、太平洋戦争時に、国家神道体制の下で教会の自律性を失い、国策に協力しました。とりわけアジア諸国と、その教会に不当な苦しみを負わせました。その罪を認め、ここに悔い改め、教会のかしらであるイエス・キリストこそ、唯一の主権者であることを告白します。」
過去のことだから関係ないとか、自分は直接このことに加担したわけでないから知らない、ということではなく、教会の一部が罪を犯し、道を外したならば、それを真摯に受け止め、教会としての問題はどこにあったのか、何を悔い改めるべきなのか、改善するべきなのかをしっかり向き合って考え、解決していくことが大切です。エルサレム教会が、一部の人が勝手にしたことだと認めつつも、それを重く受けとめ、中枢の教会も地方の教会も全体で神のみこころを求めて会議をし、結論を出したように、私たち教会も道を逸脱してしまった兄弟姉妹がいた場合、その人を切り捨てて終わりにするのではなく、教会全体の問題として取り組む姿勢が求められているのではないでしょうか。
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