スキップしてメイン コンテンツに移動

その信仰に倣いなさい(へブル13:7~8)

 


「その信仰に倣いなさい」 ヘブル13章7~8節

齋藤五十三

7 神のことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、覚えていなさい。彼らの生き方から生まれたものをよく見て、その信仰に倣いなさい。 8 イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。

 

本日は、当初からの予定を変えてヘブル13章から御言葉を語ります。実はこの説教は、先週火曜に千恵子牧師の父である、川村江弥牧師の葬儀の際に語らせていただいたものです。語り終えて千葉に向けた帰途につく中、千恵子牧師の励ましもあり、この内容を皆さんにもお分かちしたいとの思いになりました。千恵子牧師の父についてわずかでも知っていただきたいと思っておりますし、一人の伝道者、また一人のキリスト者が一生を全うするとは、どういうことなのか。そんなこともまた、皆さんと共に思いめぐらすことができたらと願っております。

 

お祈りします。生命の造り主である天の父なる神さま。御名を崇め、賛美します。神の言葉に聴くこの時、今日もまた聖霊の助けによって、静かに、そして豊かに、心を照らされて神の語り掛けに聴くことができますように。この礼拝のうちに、キリストに出会い、そして私たちが握る希望を確認する時となりますように。生ける御言葉、キリスト・イエスのお名前によって祈ります。アーメン。

 

1.    二つの動詞

7節:神のことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、覚えていなさい。彼らの生き方から生まれたものをよく見て、その信仰に倣いなさい。

 

  7節において、ヘブル書の著者は二つの動詞に特別な力を込めています。一つは「覚えていなさい」という動詞、「指導者たちのことを、覚えていなさい」。そしてもう1つは「倣いなさい」という最後の動詞。覚えていなさい。記憶しなさい、あなたがたの指導者だった人のことを … 。そして倣いなさい … と、この二つの点に、7節の力がこもっているのです。

  指導者を覚えていなさいとか、倣いなさい、と言われると、千恵子先生の父である川村牧師を天に送ったこともありますので、千恵子牧師や私たち家族にとっては、自然にノスタルジーというか、郷愁がこみ上げて来るところでもあります。愛する父、信頼する指導者を天に送るというのは、慰めもあるけれど、やはり寂しく悲しいもの。そんな思いに浸るのは、人の情としては当然のことです。  

 

しかし、私たちはまず集中して、神の言葉に静かに聴きたいと思います。すると、ここで隠し味のように効いてくるのが、「彼らの生き方から生まれたものをよく見て」というこの部分。よく見なさい、じっと観察しなさい、という、隠し味のような一言です。そうです。指導者を思い返しつつも、「その生き方から何が生まれたか」「何が残ったか」を冷静にじっと見つめる。そうすると、指導者を懐かしみ称賛するのとは違う、何か、落ち着いた気持ちになってくるはずです。もちろん、川村牧師は多くの良いものを残した人でした。説教の賜物がある人で、語りが上手。千恵子牧師もそれを受け継いでいます。されど、どんな良い指導者でも、「人」であるがゆえに、「良いもの」の他に、様々な弱さや、人としての揺らぎも、地上の歩みの中では残していく。それが「人の常」であろうと思います。

  そう、だから7節は言うのです。「その信仰に倣いなさい」と … 。皆さんも瞼を閉じると思い出だされる、尊敬する指導者の方々が何人かおられると思います。ここで私たちは7節に聴く必要がある。「その信仰に倣いなさい。」つまり、その指導者たちの業績や人柄ではなく、その「信仰」に倣いなさいと。皆さんの尊敬する方々は、いったい誰を信じ、誰に信頼して歩んできたか。彼らの眼差しは、「昨日も今日も、とこしえに変わらぬ」キリストを見つめ、キリストに信頼して歩んだ。私たちは、その信仰にこそ倣い、私たちを指導した人々がその信頼を置いた、キリストを見上げて歩むのです。

 

2.    キリストを示す

  神はそれぞれの教会に指導者をお立てになります。そして、その指導者を通して、神の民は、神の言葉の養いを受ける。しかし、そうした指導者とて、人間であるがゆえに、必ず揺らぐ時があります。

  ヘブル書全体を読むと、その中には、まるでリマインダーのように響いてくる一つの言葉があります。「もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。」これは、四十年に及んだ荒野の旅路の中、神の言葉に従えなかったイスラエルに重ね合わせながらのリマインダーです。あの荒野においては、預言者モーセや祭司アロンにさえも、神の言葉に従いきれなかった揺らぎや弱さがありました。人は必ず揺らぎます。だからこそ、昨日も今日も、とこしえに変わらないキリストの確かさが際立ってくるのです。

  大事なのはキリストを見つめて、指し示すことです。ヘブル書のクライマックス122節で「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい」とヘブル書の著者が、キリストを真っすぐに指し示すように、このヘブル書という書物は、キリストの卓越した素晴らしさを示し続ける書物です。

 

  ヘブル書は、一貫してキリストを示す。例えば、冒頭の1章3節では「御子は神の栄光の輝き」「神の本質の完全な現れ」と指し示し、3章3節では、旧約を代表する預言者モーセと比べながら、「イエスはモーセよりも大いなる栄光を受けるにふさわしい」と賛美しました。4章では、「神の子イエスという偉大な大祭司」と、ヘブル書のテーマ、大祭司キリストを指し示す。そしてクライマックスでは、「イエスから目を離さないで」と励まし、結びは「永遠の契約の血による羊の大牧者」、イエス・キリストに委ねながら、この書物は結ばれていくのです。

  ヘブル書の中では11章も有名な個所ですが、そこではノアとか、アブラハムとか、モーセとか、信仰の勇者たちのリストが読み上げられています。総勢15名以上の、旧約を代表する信仰の勇者たちの名前が並ぶ、そうそうたるリストです。ですから11章を読むと、彼らを思わず持ち上げたくもなる。でもどうでしょう。112節によると「昔の人たちは、この信仰によって称賛されました」と。「この信仰によって」です。彼らもまた、彼ら自身の働きや業績ではなく、神に信頼するその信仰のゆえに私たちの模範なのだと。ヘブル書はこのようにして、ひたすらに「キリスト」を指し示していくのです。

 

3.指導者が残したもの

  13章に戻って7節には、「神のことばをあなたがたに話した指導者たち」とありました。「話している」ではなく、「話した」、つまりこれは、過ぎ去った過去です。ヘブル書の著者は、どんな優れた指導者であっても、過行く過去の思い出になる日がくることを知っているのです。そして、そのようにして指導者の残した思い出を振り返る時にどうでしょう。もちろん良い思い出もたくさんある。けれど、あの先生にも、弱さがあったなあと。そんなことも思い起こされてくるはず。そうです。牧師も宣教師も揺らぐのです。私も宣教師時代に台湾で揺らぎました。もうグラグラに揺らぎました。だからこそ8節が励ましです。キリストは変わらない。決して変わらず、私たちを支えていく。指導者たちも、その「変わらぬキリスト」を信頼した。キリストは、人となり、大きな試みにあわれたがゆえに、私たちの弱さにも寄り添うことが出来る。この大祭司は、人に寄り添うお方。その御手に支えられて、指導者たちもまた、神の言葉を語り続けることが出来たのです。

 

(証し)ここでしばらく、義理の父、川村牧師の思い出を語ります。川村牧師のことを私はずっと「お父さん」と呼んでおりましたので、ここでは、「父」と呼ばせていただきます。

  父は、青森県の津軽出身。元は裕福だったものの、財を失い、貧しく、困難な家庭環境の中で育ちました。そのため高校に行けず、中学を出て川崎に仕事に出るのですが、途中六回も仕事を変えて挫折してしまう。最後は津軽の田舎に戻り、住み込みで、本屋で働くようになります。いわゆる丁稚奉公、朝6時から夜9時まで、今で言う、まことにブラックな職場で、人生の厳しさが川村青年の若い日々を覆っていました。

  そんな折でした。イギリス人宣教師(OMF)、ステファン・メティカフ先生との出会いがあるのです。メティカフ先生は、アカデミー賞映画『炎のランナー』の主人公、中国宣教師エリック・リデルの教えを受けた方。ご自身も宣教師の家庭に生まれ、中国で育ったメティカフ先生は、少年期に日本軍の捕虜になって虐待を受けた方です。その捕虜収容所で、少年メティカフはエリック・リデルに出会い、深い影響を受ける。ただメティカフ先生には、少年期の虐待のトラウマがありましたので、日本を赦せない思いが長くあったそうです。その恩讐を聖霊の助けの中、信仰によって乗り超え来日。そして生涯、日本人を愛して福音を伝えた方です。最後は千葉県浦安市で伝道しています。

  メティカフ先生、笑顔の素敵な方でした。私も写真を見たことがあります。川村青年は、知り合う前に一度、汽車の中でメティカフ先生を見かけたそうで、車中で苦労するお婆さんの荷物を笑顔で荷台へと持ち上げるという、戦後の殺伐としていた当時、珍しい紳士だったそうです。

  そのメティカフ先生の愛、いや先生を通して証しされた主の愛に打たれ、川村青年はキリストと出会う。そして導かれて神学校へ。神学校を卒業以来、父は五十年以上、牧師として、伝道者として汗を流し続けます。その途上には、もちろん良い時もありましたし、病や弱さを背負った、揺らぎの時期もありました。

  父については、約三十年付き合いましたので、私もいろいろ思い出があります。一つ紹介しますが、皆さんに一度お話ししたことがありますね。あれは千恵子と婚約していた時期、私は千恵子にこんなことを尋ねたのです。「お父さんって、どんな人?」それに対する答えがこれでした。「普通の牧師。特別優れた賜物があるわけではないけれど、イエスさまに信頼して、福音を伝えて来た人」。いい言葉だと思いました。「普通の牧師」。

 

結び: 変わらぬキリストを信じて

  父もまた、「変わらぬキリスト」を信じ、キリストを示し続けた。そのキリストに支えられ、五十年を超える伝道者生涯を全うしました。千恵子牧師はもちろん、私も、私の子どもたちもいろんな励ましを受けましたので、千恵子を筆頭に私たち家族は皆、父の「生き方」が残した実りです。正確に言えば、父自身の実り、というよりも、「普通の牧師 川村江弥」を用いて、キリストが残した実りです。父もそうやって、自分自身でなく、キリストを示し続けた。晩年の弱さの時には、その弱さをもって、父を支える大祭司キリストを証ししていました。最後に信仰問答の名作、ハイデルベルクの1番を読みます。

 

  問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。

  答  わたしがわたし自身ものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。 (もう一度)

 

  父の生涯は、真実な救い主イエス・キリストのものとされ、キリストに支えられた生涯でした。皆さんは、川村牧師にお会いしたことはないと思います。たとえそうであっても、私たちはこの信仰のバトンを受け継ぐことができます。バトンをしっかり受け取りながら、昨日も今日も、とこしえに変わらぬキリストを示していきたいと願います。お祈りします。

 

天の父なる神さま、変わることのないキリストを私たちに与えてくださり感謝します。この変わらぬ確かなキリストを見上げながら、私たちもまたキリストを指し示していくことが出来ますように。唯一の慰め、救い主キリスト・イエスのお名前によってお祈りします。アーメン。


コメント

このブログの人気の投稿

7月16日主日礼拝

兄息子への愛                                         日 時:2023年7月16日(日)10:30                場 所:新船橋キリスト教会                                         聖 書:ルカの福音書15章25~32節   1 ルカの福音書15章について  ルカの福音書15章では、イエスさまが3つのたとえをお話しになります。そのうちの3番目に「2人の息子のたとえ」があります。今日は、兄息子のたとえを中心にお読みいたします。  イエスさまが3つのたとえをお話しすることになったきっかけが15章1節から3節に書かれています。取税人たちや罪人たちがみな話を聞こうとしてイエスの近くにやってきました。その様子を見ていた、パリサイ人たちや律法学者たちがイエスを批判します。「この人、イエスは罪人を受け入れて一緒に食事をしている」と。そこで、イエスはパリサイ人たちや律法学者たちに3つのたとえ話をしたのです。  その結論は、最後の32節に書かれています。   「 だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。」 イエスさまが3つのたとえをとおしてお語りになりたかったのは、「取税人や罪人がイエスのもとにきたことを喜び祝うのは当然ではないか。」ということです。1番目のたとえでは、失われた羊、2番目のたとえでは失われた銀貨が見つかりました。3番目のたとえでは、弟が死んでいたのに生き返りました。大いに喜ぶのは当然です。イエスさまは、3つのたとえを用いて、神さまから離れてしまった魂、すなわち、取税人や罪人が神さまのもとに帰ってくることの喜びがいかに大きいかをパリサイ人や律法学者に伝えることで、彼らの批判に答えたのです。 2 兄息子の不満   さて、3番目のたとえでは、前の2つのたとえとは違うところがあります。それは、25節から32節に書かれている兄息子の存在です。兄息子は、いつも父親に仕えていました。弟が帰ってきたその日も畑にいました。一生懸命に仕事をしていたのでしょう。ところが、兄息子が家に帰ってきますと、音楽や踊りの音が聞こえてきました。なんと、弟が帰ってきたというの
  闇から光に! 使徒の働き26:13~18 パウロの回心の記事は、使徒の働きで3回出てきます。前回は9章と22章でした。この3つの記事は、全く同じというわけではなく、それぞれ特徴があり、強調点があります。例えば、前のパウロの回心の記事では、アナニアが登場し、アナニアを通してパウロに神からの召しと使命が告げられたことになっていますが、今回、アナニアは登場しません。そして復活のイエスさまご自身が、パウロに直接語りかけ、福音宣教の使命を与えられたということが強調されています。今日は、私たちもイエスさまの直接的な語りかけを聞いていきたいと思います。12~13節をお読みいたします。   このような次第で、私は祭司長たちから権限と委任を受けてダマスコへ向かいましたが、その途中のこと、王様、真昼に私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と私に同行していた者たちの周りを照らしました。   パウロは、祭司長たちから権限と委任を受けて、ダマスコに向かい、クリスチャンたちを迫害しようとしていたとあります。昔、「親分はイエス様」という映画がありました。やくざだった人が救われて、人生の親分が、組長からイエスさまに変わったという映画です。パウロも、ダマスコに向かう時には、祭司長たちから権限と委任を受けていたのですが、ダマスコ途上で救われて、親分が変わりました。イエスさまが、彼の親分になり、パウロに権限と委任を与えるお方になったのです。 さて、パウロがダマスコに向かう途中に、天からの光を見ました。私はパレスチナには行ったことがありませんが、インターネットで調べてみると、雨季と乾季があり、乾季の時には、昼間は灼熱の太陽が照り付け、非常に乾燥しているとありました。今、日本は真夏で、太陽がぎらぎらと照り付けていますが、「真昼に天からの光」と聞いて皆さんどう思うでしょうか?しかもそれは太陽よりも明るく輝いて、パウロと同行者たちの周りを照らしたというのです。想像を絶する明るさ、輝きです。そうでした。神は天地創造の初めに、「光よ、あれ!」とおっしゃったお方でした。第一ヨハネの1章5節では、「神は光であり、神には闇が全くない」とあります。神は光そのものです。全き光である神を前に、人は立っていられるでしょうか。罪や汚れを持つ人間が、一点の影も曇りもない神の前に立ちおおせる

マルタ島での出来事(使徒の働き28:1~10)

「マルタ島での出来事」 使徒の働き281~10 さて、2週間もの漂流生活が守られ、船に乗っていたパウロたち囚人も、ローマの兵士たちも、水夫たちも、276人全員が無事に島に打ち上げられました。この島の名はマルタ島。地図で確認しましょう。イタリアは目と鼻の先。もちろん嵐に巻き込まれて、漂流してここまで来たのですから、順調に船旅をするよりも時間はかかりましたし、失ったものも多かったと思いますが、それでもほぼ直線距離で、ここまで運ばれて来たようです。本来はクレタ島で冬の間を過ごして、それから船出するつもりでしたので、予定よりも早く、パウロが目指すローマに着くことになりました。11節を見ると、航海に適した時期になるまでもう3か月間マルタ島で過ごさなければいけなかったのですが、3か月後にクレタ島を出るのと、このマルタ島を出るのとでは、大きな時間差があります。しかも島の人たちは親切で、パウロたち一行にとてもよくしてくださり、また船出するときには、必要な物資を用意してくれたということですから、クレタ島の良い港や皆が冬を過ごしたがっていたフェニクスという港よりも快適に冬を過ごせたかもしれません。 神さまの導きは不思議です。私たちから見たら、嵐のように苦労が多くて、遠回りで、足踏みをしているようにしか見えない人生でも、神さまは、着実に導いてくださっている。前に進ませてくださっているのです。神さまは良いお方。私たちに良いものしかくださいません。皆さんは星野富弘さんを御存じだと思います。不慮の事故で、首から下が全く動かなくなり、口で筆を加えて、絵や詩をかいている詩人であり、絵描きです。彼の書いた「渡良瀬川」という詩をご存じでしょうか。少し長いですが、お読みいたします。 私は小さい頃、家の近くを流れる渡良瀬川から大切なことを教わっているように思う。 私がやっと泳げるようになった時だから、まだ小学生の頃だっただろう。 ガキ大将達につれられて、いつものように渡良瀬川に泳ぎに行った。 その日は増水して濁った水が流れていた。 流れも速く、大きい人達は向こう岸の岩まで泳いで行けたが、私はやっと犬かきが出来るようになったばかりなので、岸のそばの浅いところで、ピチャピチャやって、ときどき流れの速い川の中心に向かって少し泳いでは、引き返して遊んでいた。 ところがその時、どうしたはずみか中央に行き