スキップしてメイン コンテンツに移動

主は彼女の心を開いて(使徒の働き16:11~15)

 

「主は彼女の心を開いて」

使徒の働き16章11~15節

 先週は、聖霊によって禁じられたために、二度にわたって計画変更を余儀なくされたパウロたち一行が、西の果てトロアスまで導かれ、そこで「マケドニアを渡って来て、私たちを助けてください」との幻を見たところまで読み進めてきました。そして、人の目には無駄な時間、回り道、挫折の連続に見える道でも、神さまの目には全て意味のあることなのだと確認したことでした。

 さてパウロたちは、ただちにマケドニアに渡ることを決め、トロアスを出航しました。目の前には澄み切った青いエーゲ海が広がっています。同行者は、シラスとテモテ、そしてルカです。こうして彼らは、200㎞離れたネアポリスという港を目指しました。一気にそこまで行くには遠すぎます。そこで途中100㎞ほどの地点にあるサモトラケという小島に碇を下ろし、一晩碇泊をしました。そして、次の日、残り100㎞を航海し、ネアポリスに着きました。パウロたちにとっても未知の世界です。しかしながら、ここで伝道することは神さまのみこころだという強い確信がありましたから、彼らは意気揚々、新天新地に赴きました。

 彼らは、港に着くとすぐに、そこから15㎞ほど内陸に進んだところにあるピリピという町に行きました。このピリピという町は、ローマの植民都市です。その昔アレクサンダー大王の父、フィリップ二世が金鉱開発のために開拓した町で、その名にちなんで「ピリピ(フィリッピ)」と呼ばれるようになりました。また紀元前42年にはオクタヴィアヌスがブルータスと共にカシウスをピリピ近くで打ち破り、紀元前31年には、さらにアントニウスとクレオパトラに勝利を治めたということで、その勝利を記念してピリピを植民都市としたのです。以後、この町は退役軍人が多く住み、人々は免税や自由を含むローマ市民の特権を享受しながら豊かな生活していました。

 そのせいもあるでしょう。ピリピにはユダヤ人が少なかったようです。その証拠にユダヤ人の会堂(シナゴーグ)がありませんでした。当時はユダヤ人が10人いれば会堂を作ると言われていましたので、それはつまりピリピのユダヤ人は10人に満たなかったということです。12節には、「この地方の主要な都市」とありますから、人口も少なくなかったはずですが、創造主なる真の神を信じる人々は少なかったということです。 

 さて、会堂もない、真の神を信じる人もほとんどいない中で、細々と真の神さまに礼拝をささげる人々がいました。彼女たちは町はずれの川岸で集まりを持ち、礼拝をささげていました。しかもその集まりにはほとんど男性がいなかったようです。どうりで会堂を持てないわけです。パウロたち一行は、彼女たちが川岸で集まりを持っていることを聞きつけて、安息日にそこにやって来ました。彼女たちはどんなに喜んだことでしょうか。導く者がいない群れでしたし、聖書を説き明かす人もいなかったことでしょう。彼女たちは喜んでパウロたちを迎え、パウロたちも女性たちを軽んじたり、女性しかいないということでがっかりしたりしないで、腰を下ろして、集まっている女性たちに福音を語り始めたのです。

 ところがパウロの話す内容は、彼女たちがきいたことのない内容でした。天地万物を創造され、イスラエルを愛され、選び、彼らに律法を与えた神、そしてその神が、イスラエル復興のためにメシヤ(救世主)を送られるという話しは、彼女たちも知っていました。しかしパウロは、すでにそのメシヤはこの地上にお生まれ下さったのだと言いました。そしてこのお方は人として生涯を歩まれ、しかもその生涯に一度も罪を犯しませんでした。しかし、人々は彼をねたみから十字架につけて殺してしまいました。しかし、その背後には神の救いのご計画があり、このお方は、聖書の預言通りよみがえったのだと話すのです。おそらくその場にいた女性たちのほとんどは、戸惑い、ある人たちはおそらく拒否反応さえ起こしたことでしょう。ところがただ一人、パウロの話しを顔を輝かせて、真剣に聞いている女性がいました。それがリディアです。 

 彼女は小アジアにあるティアティラ市出身でした。女性実業家だったようで地元の特産、紫布を商う商人でした。紫布というのは、もともとは地中海のアッキ貝からとれる微量の色素を集めて染料として染めた布で、非常に高価なものでした。けれども、リディアが扱っていた紫布は、ティアティラで生産されたもので、この地方でとれるあかね草の根っこからとった染料で染められたものだったのではないかと言われています。ですからきっと、庶民にも買い求めやすい人気商品だったのではないでしょうか。とにかく夫がいたかいないかは書いていないのでわかりませんが、彼女はなかなかやり手だったので、事業を任され、外国にまで来て商売をするぐらい手を広げていたということです。

 彼女がどこでユダヤ教の信仰を持ったのかは書かれていないのでわかりません。ティアティラにいたころかもしれませんし、ピリピに来てからかもしれません。けれども彼女については「神を敬う人」とありますから、ユダヤ教を信仰する異邦人であったことは間違いありません。パウロはおそらく、「異邦人もキリスト信じるだけで救われる」と話したことでしょう。そんなこともあって、リディアはパウロの語ることにどんどん引き込まれていったのです。

 しかし福音が彼女の心をとらえた一番の要因は、彼女の求めでも、彼女に理解力があったからでもありません。14節にはなんと書いてありますか。「主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。」そうです。聖霊が彼女の心を開いたからでした。皆さんも身に覚えがあるでしょう。初めて教会に行ったときは、お友だちと一緒に教会の扉を叩いた。ところがお友だちはいつの間にか離れて行ってしまい、残ったのは自分だけ。実は齋藤五十三先生も小学校1年生の時、たくさんの同級生のお友だちとクリスマスのイベントのときに教会に初めて行きました。ところが続けて普段の教会学校に通ったのは五十三少年だけだったと言います。どうしてでしょうか。五十三少年に要因があるのでしょうか?そうではないでしょう。聖霊に捕えられたのです。主が五十三少年の心を開いて、教会学校の先生の語ることに心を留めるようにされました。五十三少年はその後中学の時に引っ越しましたが、続けて教会学校の先生に紹介された教会に通い、中二で洗礼を受けたのです。 

 こうしてピリピで第一号の受洗者が生まれました。リディアはピリピ教会の信徒第一号です。彼女はユダヤ人でもなく、地元の人でもなく、男性でもありませんでした。神さまの選びはいつも私たちの予測を超えています。リディアが救われると、すぐに家族や従業員たちもそろって救われました。そして彼女はパウロたちのヨーロッパ伝道の協力を申し出ます。彼女は自分の家をパウロたちに提供したのです。「私が主を信じる者だとお思いでしたら、私の家に来てお泊りくださいと懇願し、無理やり私たちにそうさせた。」とあります。それまでは岸辺で集まって礼拝をささげていたリディアでしたが、今度は自分の家を家の教会として開放し、そこで集まりを持つことになったのです。こうしてピリピ教会が誕生しました。この後も、ピリピ教会は、他のどの教会よりも、パウロを物心両面で支えていくことになります。 

 神さまの選びは不思議です。そして恵みに満ちています。ですから私たちも救われて今あるのです。私たちのまわりにいるどの人が、神さまに招かれている人がわかりません。聖霊は、どの人の心を開き、福音に心を留めるように導かれるのかも分かりません。しかも神さまは意外な人を救いに召しておられます。ですから私たちは、とにかく手あたり次第、福音を伝えるのです。聖霊に期待しましょう!




コメント

このブログの人気の投稿

人生の分かれ道(創世記13:1~18)

「人生の分かれ道」 創世記13:1~18 さて、エジプト王ファラオから、多くの家畜や金銀をもらったアブラムは、非常に豊かになって、ネゲブに帰って来ました。実は甥っ子ロトもエジプトへ同行していたことが1節の記述でわかります。なるほど、エジプトで妻サライを妹だと偽って、自分の命を守ろうとしたのは、ロトのこともあったのだなと思いました。エジプトでアブラムが殺されたら、ロトは、実の親ばかりではなく、育ての親であるアブラムまでも失ってしまうことになります。アブラムは何としてもそれは避けなければ…と考えたのかもしれません。 とにかくアブラム夫妻とロトは経済的に非常に裕福になって帰って来ました。そして、ネゲブから更に北に進み、ベテルまで来ました。ここは、以前カナンの地に着いた時に、神さまからこの地を与えると約束をいただいて、礼拝をしたところでした。彼はそこで、もう一度祭壇を築き、「主の御名を呼び求めた」、つまり祈りをささげたのです。そして彼らは、その地に滞在することになりました。 ところが、ここで問題が起こります。アブラムの家畜の牧者たちと、ロトの家畜の牧者たちとの間に争いが起こったのです。理由は、彼らの所有するものが多過ぎたということでした。確かに、たくさんの家畜を持っていると、牧草の問題、水の問題などが出てきます。しかも、その地にはすでに、カナン人とペリジ人という先住民がいたので、牧草や水の優先権はそちらにあります。先住民に気を遣いながら、二つの大所帯が分け合って、仲良く暮らすというのは、現実問題難しかったということでしょう。そこで、アブラムはロトに提案するのです。「別れて行ってくれないか」と。 多くの財産を持ったことがないので、私にはわかりませんが、お金持ちにはお金持ちの悩みがあるようです。遺産相続で兄弟や親族の間に諍いが起こるというのは、よくある話ですし、財産管理のために、多くの時間と労力を費やさなければならないようです。また、絶えず、所有物についての不安が付きまとうとも聞いたことがあります。お金持は、傍から見るほど幸せではないのかもしれません。 1900年初頭にドイツの社会学者、マックス・ウェーバーという人が、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、略して『プロ倫』という論文を出しました。そこに書かれていることを簡単にまとめると、プロテス...

飼葉桶に生まれたキリスト(ルカの福音書2:1~7)

「飼葉桶に生まれたキリスト」(ルカ 2:1-7 ) 齋藤五十三 1.     ローマの平和の中で 6-7 節(読む)  今お読みした二節は待ちに待った救い主がちょうど生まれた場面なのに、拍子抜けするほどにあっさりしています。取り分け、この誕生前後のストーリーが華やかでしたから、なおのこと奇妙な感じなのです。このすぐ前のルカ1章には、何が描かれていましたか。そこには有名な絵画にもなった処女マリアへの受胎告知がありました。「マリア。あなたは神から恵みを受けたのです」と語る御使いの姿は、実に印象深いものでした。その他にも1章にはマリアの歌があり、ザカリアの預言ありと絵になる光景の連続なのですが、いざ、イエスさまの誕生となったら、実にあっさりとわずか二節。まるで華やかな前奏を聞いた後、いざメロディーに入ると、わずか二章節で終わってしまうかのような肩透かしです。  でも冷静に考えれば、救い主誕生に華やかな期待を抱いていたのは、聖書を読んでいる私たちだけなのかもしれません。世界はローマを中心に動いている時代です。ひとたび皇帝の勅令が出ると、すぐにローマ世界の民が一気に大移動していく。そんな騒がしさの中、救い主の誕生はすっかりかすんでしまうのです。そう、イエスさまの誕生は歴史の片隅でひっそりと起こった、まことに小さな出来事であったのでした。  しかも、生まれた場所が場所です。ギリシア語の原文を見れば、ここで言う宿屋は最低限の安宿で、そこにすら場所がなく、我らが救い主は何と飼葉桶に生まれていく。謙遜と言えば聞こえはいいですが、これは何とも寂しい、惨めな誕生でもあったのです。  それに比べて、圧倒されるのが皇帝アウグストゥスの力です。この時代はローマの平和(ラテン語ではパクスロマーナ)と呼ばれるローマの武力による平和が約 200 年続いた時代でした。平和でしたから人々の大移動が可能で、ひとたび皇帝が声を上げれば、多くの民が一斉に動いていく。パクスロマーナは、この皇帝の絶大な権力に支えられていたのです。  住民登録による人口調査は納税額を調べ、国家予算の算盤をはじくためであったと言います。いつの時代も権力者が考えることは同じです。日本では大昔、太閤検地と言って、豊臣秀吉が大勢の人々を動かし、いくら租税を取れるかと算盤をはじいた...

心から歌って賛美する(エペソ人への手紙5:19)

「心から歌って賛美する」 エペソ人への手紙5:19 今年の年間テーマは、「賛美する教会」で、聖句は、今日の聖書箇所です。昨年2024年は「分かち合う教会」、2023年は「福音に立つ教会」、2022年や「世の光としての教会」、2021年は「祈る教会」、 20 20年は「聖書に親しむ教会」でした。このように振り返ってみると、全体的にバランスのとれたよいテーマだったと思います。そして、私たちが、神さまから与えられたテーマを1年間心に留め、実践しようとするときに、主は豊かに祝福してくださいました。 今年「賛美する教会」に決めたきっかけは二つあります。一つは、ゴスペルクラスです。昨年一年は人数的には振るわなかったのですが、個人的には、ゴスペルの歌と歌詞に感動し、励ましを得た一年でもありました。私の家から教会までは車で45分なのですが、自分のパートを練習するために、片道はゴスペルのCDを聞き、片道は「聞くドラマ聖書」を聞いて過ごしました。たとえば春期のゴスペルクラスで歌った「 He can do anything !」は、何度も私の頭と心でリピートされました。 I cant do anything but He can do anything! 私にはできない、でも神にはなんでもできる。賛美は力です。信仰告白です。そして私たちが信仰を告白するときに、神さまは必ず応答してくださいます。 もう一つのきっかけは、クリスマスコンサートのときの内藤容子さんの賛美です。改めて賛美の力を感じました。彼女の歌う歌は「歌うみことば」「歌う信仰告白」とよく言われるのですが、まさに、みことばと彼女の信仰告白が、私たちの心に強く訴えかけました。   さて、今日の聖書箇所をもう一度読みましょう。エペソ人への手紙 5 章 19 節、 「詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。」 「詩と賛美と霊の歌」というのは何でしょうか。「詩」というのは、「詩篇」のことです。初代教会の礼拝では詩篇の朗読は欠かせませんでした。しかも礼拝の中で詩篇を歌うのです。確かにもともと詩篇は、楽器と共に歌われましたから、本来的な用いられ方なのでしょう。今でも礼拝の中で詩篇歌を用いる教会があります。 二つ目の「賛美」は、信仰告白の歌のことです。私たちは礼拝の中...