「ねたみに駆られて」
さて、牢獄から解放されたパウロとシラスは、その足でリディアの家に行きました。紫布を扱う女性実業家で、パウロたちを通して信仰を持ち、後々までパウロたちの宣教を物心両面で支えたリディアの家です。そしてそこで「兄弟たちを励ましてから」次の宣教地に旅立ちました。迫害を受け、ムチ打たれ、牢に投げ込まれていたパウロたちですが、励まされるのではなく、かえって兄弟たちを励ました、というのですからさすがパウロです。それは強がりではなく、看守とその家族の救いの喜びが、迫害の痛みを上回ったということでしょう。
パウロとシラスは、アンピポリスとアポロニアを通って、テサロニケに到着しました。それまで同行していた「使徒の働き」の記者ルカはどうやら、ピリピに残ったようです。16章までは「私たち」となっていますが、17章以降では「彼ら」になっていますからもそれが分かります。とにかくピリピからテサロニケまで、途中アンピポリスとアポロニアで一泊ずつして目的地テサロニケまで到着しました。
テサロニケは、マケドニア州の首都で、ローマから自治権を認められている自由都市でした。ですから後に出て来るこの町の役人は、彼ら自身が選挙をして選んだ役人です。またテサロニケは、港のある貿易で栄えている町で、人口も多く、大変にぎやかだったようです。そんなテサロニケの町でしたが、パウロたちがまず目指したのは、ユダヤ人の会堂(シナゴーグ)でした。ピリピには会堂がなく、川岸の祈り場でユダヤ人と異邦人求道者の集まりが持たれていましたが、ここテサロニケにはユダヤ人の会堂がありました。ということは、ユダヤ人たちが少なからず住んでいたということです。また4節を見ると、「神を敬う大勢のギリシャ人たちやかなりの数の有力な婦人たち」が、その会堂に集っていたとあります。ここのユダヤ人たちは、非常に伝道熱心だったようです。そしてパウロとシラスは、その会堂で3回の安息日を使って、聖書に基づいて、集まる人々と論じあったとあります。何もテサロニケでの滞在が3週間だったとは限りません。Ⅰテサロニケの2章9節では当時のことを振り返って、 「私たちは、あなたがたのだれにも負担をかけないように、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。 」とありますし、ピリピ4章16節では「テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは私の必要のために、一度ならず二度までも物を送ってくれました。」とありますから、それほど短い期間ではなかったと言えるでしょう。
パウロたちが説明し論証していた内容は何だったのでしょうか。一つはイエスさまの受難と復活の必然性についてです。ここでの「イエスがメシア(救い主)」であるとの論証は、今までと違うようです。今まではまず、イエスさまの十字架と復活を話し、そこから旧約聖書をさかのぼり、これらはすべて預言されていたことなんだという道筋で話していたのに対して、今回は逆方向で話しました。聖書全体でメシアについて書いていることを引用し、その預言の成就者としてのイエスさまは、どうしても十字架に架かり、復活せねばならなかったのだと言っているのです。パウロも手を変え品を変え、何とかユダヤ人の心に届くようにと話します。そして二つ目は「イエスこそキリスト(救い主)」ということです。教会はこの後に、多くの信仰告白が生まれてきますが、初代のキリスト教会が握っていた信仰箇条、告白はこの一文です。基本の基本。大元(おおもと)の大元です。今も私たち、また教会は、この「イエスこそキリスト(救い主)!」という告白に立っているのです。
パウロの説明、また論証を聞いて、ある者たちは納得しました。このある者たちというのは、ユダヤ人たちのことでしょう。そして先ほども触れましたが、神を敬うギリシャ人、有力な婦人たちも同様に、イエス・キリストを信じました。この神を敬うギリシャ人というのは、モーセの律法を完全には守れないし、割礼も受けられないけれど、ユダヤ人たちが信じている唯一神を信じて会堂に集い、この神を礼拝している人々です。そして有力な婦人たちというのは、テサロニケの経済界、政治界で力を持っていた婦人たちです。ですから彼女たちが離れて行ったということは、ユダヤ人たちにとって痛手でした。なぜなら、その町における彼らの政治的発言力を失うことにもつなりかねないからです。彼らは焦りました。パウロたちに会堂で説教する機会を与えたのは、大失態でした。それこそ感染力の強い福音がパンデミックを起こしたのです!福音の感染力、恐るべし!
福音に耳を傾けず、シャットダウンしていたユダヤ人たちは慌てました。これは困ったことになったと思いました。そしてねたみに駆られて、広場にいるならず者たちを集め、暴動を起こして町を混乱させたのです。この「ならず者」というのは、町の広場でぶらぶらしている人たちです。彼らにお金でもばら撒いたのでしょうか。彼らに暴動を起こさせ、町を混乱させました。そして、パウロとシラスが拠点として寝泊まりしていたヤソンの家を襲い、二人を捜して集まった会衆(市民の集まり、議会?民会?)の前に引き出そうとしたのです。ところが二人はどこかに雲隠れしてしまいました。誰かが騒動をいち早く嗅ぎつけて、パウロたちに告げたのでしょう。
さて、ユダヤ人たちは「ねたみに駆られ」てこのような暴動を起こしたようですが、なぜ彼らはねたみに駆られたのでしょうか。この状況から考えられることは二つです。一つはユダヤ人の仲間のある者たちが、パウロとシラスの言うことに耳を傾け、「そうだ、私たちがずっと待っていたメシアはイエス・キリストだったのだ!」と納得してしまったこと。そしてもう一つは、パウロたちが、多くのユダヤ教信者予備軍、つまりギリシャ人求道者をかっさらって行ってしまったからでした。
さあ、二人が見つからないので、ユダヤ人たちは、仕方がないので、ヤソンとすでにイエスさまを信じている兄弟たちを町の役人のところに引いて行き、大声で訴えます。訴えた内容は二つ。一つは「世界中を騒がせてきた者たちが、ここにも来ています!」ということ。もう一つは「パウロとその仲間は、『イエスという別の王がいる』と言って、カエサルの勅令に背く行いをしている」というのです。つまり、彼らはイエスを王とする政治的な反体制勢力だ!と訴えたわけです。この訴え、どこかで聞いたことがないでしょうか。そうです。イエスさまが十字架につけられた時、その頭上に掲げられた罪状書きは何だったでしょうか。「ユダヤ人の王」です。またも同じ理由でイエスの弟子たちが訴えられました。
これを聞いた群集と町の役人たちは動揺しました。ところがここの役人たちは、先のピリピの長官たちよりちゃんとした判断ができました。本人たちがいないということ、訴えについて証拠不十分だということ、またこのことで騒いでいるのが、いつも広場にたむろしているならず者だという状況を見て、事を荒立てない方がいいと判断したのでしょう。ヤソンたちに、二度とこのような騒ぎをおこさないこと、パウロたちの活動の拠点とならないことなどを約束させ、その保証金としていくらかのお金を取った上で釈放したのです。この約束を守れば保証金は返って来ます。守らなければ没収です。こうして釈放されたヤソンたちはすぐに、パウロたちに会い、夜のうちに二人をベレヤという次の宣教地へ送り出します。
今日の説教題は「ねたみに駆られ」としました。私たちはどんなときにねたみを感じるでしょうか。その人が自分にはないものを持っていてうらやましい時ではないでしょうか。その人が自分より優秀だったり、容姿がよかったり、人に評価されたり、自分より収入があったり、いい家に住んでいたり、すてきな奥さんや旦那さんがいたり、子どもが優秀だったり…、あげればきりがありません。だれでもねたみの心はあるでしょう。
ユダヤ人たちもねたみに駆られました。なぜでしょうか。直接的には、先ほど言いましたように、仲間のユダヤ人たちや異邦人求道者たちが、パウロとシラスが伝える福音を信じて、群れを離れてしまったことにあります。けれども、「ねたみ」というのが自分たちにないものを羨むことによって湧き上がっている感情だとするなら、パウロとシラスには、自分たちにはない何かがあると感じたからだとも言えないでしょうか。自分たちにはなかったもの。それは救いの確信とその救いの確信から来る喜びと平安ではないでしょうか。そうです。パウロとシラス、そしてヤソンには、救いの確信がありました。それは彼らが告白していた「イエスこそキリスト(救い主)!」という信仰告白から来る確信です。ユダヤ人たちは救い主を待ち続けてはいたけれども、イエスを来たるべき救い主だとは認めなかったのです。しかしパウロたちは、すでに救い主を見つけました。イエスというメシア、キリスト、救い主と出会ったのです。
わたしたちも「イエスこそキリスト(救い主)」に出会っているなら、また、この信仰告白の上に立つなら、誰もうらやむ必要はありません。この信仰は、何にも替え難い宝です。イエスさまはわたしを罪と死から救ってくださった。そして神の子とされたのです。やがてを御国を継ぐ、神の国の王子、王女が、なぜ庶民を羨むでしょうか。もう人を羨む必要はありません。ねたみに駆られる必要もないのです。わたしたちは胸を張って、「イエスこそキリスト」と信仰しつつ、今週も歩みましょう。
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