「毎日聖書を調べた」
さて、私たちはパウロとシラス、テモテとルカによる第二伝道旅行から学んでいます。彼らはいつも4人で行動をしていたわけではなかったようです。パウロはどこに行っても迫害の標的にされてしまうので、短い期間で宣教地を転々としなくてはいけませんでした。ですから他の人たちは、生まれたばかりの教会の必要に合わせて、そこに残って、信徒を教え、訓練し、教会の基礎作りを手伝ったようです。
さて、こうして次の宣教地ベレアには、パウロとシラスが向かいしました。テサロニケの拠点、ヤソンの家にはもう泊まれたなくなってしまったので仕方がありません。夜の闇に紛れて出発し、テサロニケから60キロ離れたベレアに向かったのです。ベレアにもユダヤ人の会堂がありました。ですからパウロは懲りもせず、また会堂を拠点に説教をするという方法で、イエス・キリストの福音を宣べ伝えます。なぜユダヤ人にこだわるのでしょうか。またなぜ会堂にこだわるのでしょうか。なぜならユダヤ人は、何といっても選びの民だからです。ですから優先的に彼らに福音を宣べ伝えなければなりませんでした。けれどもそれだけではありません。ユダヤ人は旧約聖書を信じているわけですから、クリスチャンになるほんの手前まで来ているわけです。そして最後のただ一点、イスラエルがずっと待ち望んでいたメシアが、イエス・キリストである、そのことを受け入れれば、まるでドミノ倒しの最後のコマが倒れて全部ひっくり返るように、一人のクリスチャンが出来上がってしまうのです。
こうしてパウロはここでも会堂を拠点にして、旧約聖書の預言を引用しつつ、説明し、論証する方法をとりました。するとどうでしょう。テサロニケでは、ユダヤ人たちの「ある者たち」が信じた程度だったのですが、ここでは「多くのユダヤ人」(12節)が信じました。またテサロニケでは、「神を敬う大勢のギリシア人たち」「かなりの数の有力な婦人たち」が救われましたが、ここでも「ギリシアの貴婦人たち」、そして「男たちも少なからず信じた」とあります。そして、ベレアでも心を頑なにして信じないユダヤ人たちはいましたが、テサロニケのユダヤ人とは違って紳士で、ねたみに駆られて騒ぐこともなかったので、非常に順調に伝道が進みました。
さて、イエス・キリストを信じたベレアのユダヤ人たちのことがここに描かれています。彼らは、今までの宣教地で出会ったユダヤ人たちとは違っていました。彼らは「素直」だったとあります。この「素直」と訳されているギリシア語は、もともと「高貴な人」とか「身分の高い人」などと訳されることばです。ここの文脈に合わせるなら、「高尚な性向をもった人」「高潔な人」という意味となります。どんな人たちのことを意味しているのでしょうか。私は一つのエピソードを思い出しました。
私たち家族が台湾から引き揚げて来る少し前に、綠島に旅行に行きました。文字通り緑のきれいな小さな島でした。そこに"新生訓導処"というところがあってそこを訪れました。台湾は1949年から87年まで国民党軍が戒厳令をしいていたのですが、その間、白色テロと呼ばれる恐怖政治が続きました。白色というのはホワイトカラーのことです。多くの知識階級の人々が、思想犯の汚名を着せられて、この施設に収容されていました。中には牧師やクリスチャンたちもいました。新生訓導処は、そんな囚人たちの強制労働施設であり、再教育施設だったのです。多いときには2000人もの人々がそこに収監されていたといいます。面白いエピソードがあります。この施設を作る前、国民党軍は島の人に、今度ここに入ってくる人間は極悪人だから、一切接触を持たないように言って聞かせたようです。ですから島人はおっかなびっくりで彼らに近づかないようにしていました。しかししばらくすると、そこにいる人々が、今まで会ったことのないような紳士で、物腰が穏やかで、教養のある人々なのがわかってきました。そんな彼らと接するうちに、島の子どもたちの中には、
「ぼく大きくなったら、新生訓導処に入って、あのおじさんたちみたいになりたい!」などと言う子が出てくる始末です。それぐらい、そこに収監されていた人々は島人に尊敬されていたという話しです。譬えが長くなりましたが、ベレアのユダヤ人はこのように教養があり、物腰が穏やかで、偏見にとらわれず、パウロの言うことは果たしてその通りかどうか調べる心のゆとりがあったということではないかと想像できます。
そして彼らは「非常に熱心にみことばを受け入れ」たとあります。この「みことば」は旧約聖書というよりも「福音」と理解した方が良いようです。パウロが「私たちが待望していたメシアはこのお方なのだ」という福音を彼らは非常に熱心に受け入れたのです。つまり飢え渇きを持って、パウロの語る福音に食いついたのでしょう。
けれども、ただ無批判に福音を受け入れたわけではありません。彼らは「毎日聖書を調べ」ました。調べて納得ずくで受け入れたのです。この「調べた」の意味は、もともと「取り調べる」「問う」「裁く」「批判する」という意味です。パウロは講壇から、イエスがメシアであることの証拠として旧約聖書のいろんな個所を引っ張り出してくるのですが、人々は、そのたびに本当にそうなのかとその聖書箇所を開き、吟味したというのです。何だか楽しそうじゃないですか。聖書勉強会って楽しいのです。一人で聖書を読むのもいいですが、みんなで、ひざを突き合わせて、あーやこーや言いながら聖書研究をする楽しさをみなさんもぜひ味わってほしいと思います。
ところがそんな楽しい日々も束の間、テサロニケのユダヤ人たちがベレアにまでやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こしました。ここでもパウロたちが福音を宣べ伝えていると聞いたからです。自分たちのところから追い出すだけでは飽き足らず、60キロも離れたベレアまで来るとは!14節「そこで兄弟たちは、すぐにパウロを送り出して海岸まで行かせたが、シラスとテモテはベレアにとどまった。」またまたパウロだけ追われました。シラスとテモテは、生まれたばかりの教会の基礎作りのためでしょう、ベレアに留まりました。パウロ一人だけがアテネに向かったのです。さすがのパウロも一人は心細かったようで、15節を見ると、アテネまで送ってくれたべレアの兄弟たちに、シラスとテモテにできるだけ早くアテネに来るように伝えてくれと頼んでいます。
さて、ここまでがベレアでの出来事ですが、私たちはこの個所から、ベレアの兄弟姉妹の「聖書を調べる」姿勢を学びたいと思います。
①ベレアの兄弟姉妹たちは、パウロの話すことを無批判で鵜呑みにしたわけではありませんでした。ある意味「冷めた目」で、聖書に照らし合わせて吟味したのです。そして、確かにイエス・キリストは、イスラエルが待ち続けてきたメシアだと確信するに至りました。今、コロナ禍で、多くの人がインターネット上で聖書のメッセージを語っています。わたしも時々、ネット上で話題の説教者が語るメッセージを聞きます。中にはチャンネル登録者数1万人を越すようなYouTuber牧師がいます。確かに面白い、引きつけられます。しかし、中には「ん~、その聖書解釈はどうなんだろう」とか「いや、そんなこと断言してもいいの?」と思うようときもあります。私たちはどんな人気の説教者でも、話が面白くても、はたして聖書の通りかどうか吟味する必要があります。自分で聖書に向かう姿勢がとても大切なのです。でもある人は思うでしょう。私はそれほど聖書を知らない、どこをどう調べて吟味したらいいのかもわからない。でもいい方法があります。それは「教理」を学ぶことです。教理は、キリスト教会2000年の歴史の中で、多くの先人クリスチャンたちが聖書を読んで、それを体系的にまとめた言わば聖書のエキスです。ですから教理を学ぶ時、私たちは自然と見分ける目が養われるのです。簡単には「教えの風に吹きまわされない」クリスチャンになることができます。
②聖書の主人公はイエス・キリストです。新約聖書だけではありません。旧約聖書から一貫して、イエス・キリストが主人公なのです。ヨハネの福音書5章39節で、イエスさまはこのように言っています。「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。」聖書は全体でイエス・キリストについて証ししているのです。ベレアの人々は、そこに目が開かれました。私たちも聖書を読む時には、イエス・キリストにフォーカスをあてて読みましょう。
③ベレアの人々のように「みことばを受け入れ」「信じ」ましょう。ただ聖書の知識を蓄えても意味がありません。みことをばを受け入れ、信じるためには、聖霊の助けが必要です。私たちは聖霊の助けを求めつつ、聖書を読む必要があります。また自分の考えに固執してはいけません。柔軟な心で聖書を読みましょう。自分の考えや思いをサポートしてくれるようなみことばばかり探して、それを盾にして、自分を正当化してはいけません。聖霊に助けられて、柔らかな心で聖書を読む時に、私たちはみことばによって変えられていくのです。
私たち新船橋キリスト教会もベレアの教会のように、「非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べ」る、そんな教会を目指したいものです。お祈りしましょう。
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