本日から教会の暦は、クリスマスを待ち望む四週のアドベント(日本語では待降節)に入ります。この季節を意識しながら、この朝はヨハネ福音書1章の御言葉に聴いていきます。
天の父なる神様、御名があがめられますように。神の国が来ますように。キリストの誕生を待ち望む季節の中で、私たちは今日も、生ける御言葉に聴いていきます。どうか聖霊の導きの中で、人を生かす命の光を今日も見出すことができますように。救い主、キリスト・イエスのお名前によって祈ります。アーメン!
1節「初めにことばがあった。」
ここを一読して、皆さん何を思われたでしょう。多くの方々がおそらく、聖書の一番初め、創世記1章1節と似ているな、とお感じになったのではないかと思います。 そうです。「はじめに神が天と地を創造された。」「初めにことばがあった。」 このように創世記1章も、ヨハネ1章も、ともに世界の初めから書き始めていくのです。
キリストの生涯を描く福音書は、全部で四巻あります。読み比べるとそれぞれに特色のある書き方をしてますね。マタイ福音書は、イエス・キリストの系図、つまり名前の羅列から始まっていく。マルコ福音書は、「神の子、イエス・キリストの福音のはじめ」と切り出し、キリストの公の生涯にフォーカスしていくのです。ルカ福音書はどうでしたか。ルカはクリスマスの前のストーリー、ザカリヤ、エリサベツという老夫婦に子どもが与えられる、印象深い話から書き始めていきます。
このように福音書の書き出しにはそれぞれ特色があるのですが、最も独特なのがこのヨハネ福音書です。何と世界の始まりから筆を起こしていく。 ヨハネはそうやって、世界の初め、つまり世界の根源まで遡りながら、大事な問いを投げかけていくのです。 この世界とはいったい何であるのか。人とはどのような存在か。そしてこの世界が新しく変えられるには、何が必要か、いや、もっと正確に言えば、「だれが」必要か。 ヨハネはこうした、物事の根源を問うような深いアプローチで書き始めていくのです。
2.「ことば」というお方
「初めにことばがあった。」この書き出しを最初に読んだ時、皆さんはきっと一つの疑問を持ったのではなかったですか。この「ことば」とは何か。いや、もっと正確に言えば、「ことば」とは誰か。皆さんもお考えになったことがあるでしょう。
この「ことば」は、「すべてのもの」を造られたとありますし、しかも、この「ことば」にはいのちがあったそうですから、これは私たちの口から普段発せられているような、普通の言葉ではありません。この「ことば」は「お方」です。ご人格をお持ちなのです。「ことば」と呼ばれるお方に、人格がある。実はこういう表現は、旧約聖書の中にも見られるのです。
例を挙げればキリがないのですが、特に印象深いイザヤ書から。55章11節には、神が語られたこういう御言葉があるのです。10節から読みます。「雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。 (次です) そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰ってくることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。」 雨や雪は、天から降ると潤いとなり、地に実りをもたらす。 それと同じように、神の言葉は、神の口から発せられると、神が願うことを成し遂げ、成功させるのだという。 一読してわかるように、これは普通の言葉ではありません。「ことば」自らが神の御業を行い、成し遂げる。そう、つまり生きているのです。4節が語るように、この「ことば」にはいのちがあるのです。しかも、この「ことば」は生きて働き、神を証しするのです。 皆さんもうお分かりでしょう。この「ことば」はイエス・キリストです。この後の1章18節には、「ひとり子の神(つまりキリスト)が、神を解き明かされた」とありますが、この「ことば」は、神を示し、神の御心を行うお方。そのため別名、「生ける御言葉」とも呼ばれてきました。
1章1節には、「ことばは神であった」とあります。生ける御言葉は、父なる神を示すお方ですが、同時にご自身も神でした。 実は、キリスト教の歴史の中には、この生ける御言葉は、少し劣った神であった、との異端的な考え方が出てきたことが何度もありました。今もあります。 しかし、原文を注意深く読むと分かるのですが、ここはギリシャ語の強調になっていて、「ことばこそは神であった」と、父と等しい、紛れもない神であったことを明確に語っているのです。その証拠に、3節を読むとどうですか。この生ける御言葉は、すべてのものを創造した、造り主でもあったのです。父なる神の御業に加わって、ともにこの世界を創造してくださった。 だから、すべての造られたものが、この生ける御言葉によって生かされ、命を得ているのです。
どうでしょう。このように読んでくると、生ける御言葉、キリストというお方のスケールの大きさに圧倒されるのです。「知らなかった!」と。 キリストはこんなにもスケールの大きなお方であったのか、と。考えたこともなかったと、そんな印象を抱く方もあるかもしれません。 でも、キリストが世界を創造したということは、新約聖書の他の箇所でも言われているのです。中でもコロサイ1章16節は有名です。「万物は御子によって造られ、御子のために造られました」と使徒パウロは言うのです。
そうです。生ける御言葉は、この世界を創造された。 だから命の源でもあるのです。4節「この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。」 世界中の生きとし生ける物のいのちは、すべて、造り主キリストのいのちから始まっていきます。しかもこのお方、命を造っただけでなく、その造った命と関わり続け、そこに光を灯していくのです。「このいのちは人の光であった」とある通りです。 生ける御言葉は、ご自分が創造した人と関わり続け、人々に光を与え続ける。 このお方は、造った後、造りっぱなしで放っておくお方ではなかったのです。心のこもった造り主とは、このようなお方だと思います。
それは私たちの間でもそうですね。本当に草花を愛する人は、花が咲いたあとも、まるで我が子のように手をかけ続けるでしょう。 心を込めて家を建てる大工さんもそうです。建てた家の補修、メンテナンスに丁寧に対応する大工さんは、本物の物づくりだと思います。 そしてそのように、キリストのまた、ご自分が造られた最高の作品に心を注いで、光を示し続ける。「この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった」とある通りです。
3.光は闇の中に
ところが、ところが、、でした。その世界に悲しい変化が起こったのです。ある時から世界は闇に覆われるようになってしまった。 いったい何が起こったのですか。闇はどこから来たのですか。 福音書を記したヨハネは、この点で寡黙です。多くを語ろうとはしない。 しかし、ヨハネ福音書において闇は「悪しき罪の力」を表す言葉なのです。それでは、闇はどこから来たのでしょう。 そうです。人が神に逆らい、罪を犯してしまったのでした。それで世界は変わり、闇に覆われるようになった。人間の堕落、と呼ばれる出来事です。1章5節が描くのは、実は堕落後の世界なのです。
ご自分が心を込めて、愛をこめて造った世界が闇に覆われてしまった。 そんな世界の変わりように、生ける御言葉は何を思われたでしょうか。生ける御言葉がいったい何を思ったか。 聖書は多くを語りませんが、ヒントが一つあるのです。それはヨハネ11章の記す、主イエスの友人ラザロの出来事です。ラザロが死んで、彼の姉妹のマリヤ、またその周りの人々も皆泣いていたのです。罪が世に入り、闇となった世界では、人はやがて悲しい死を迎えねばならない。この現実に主イエスは「霊に憤りを覚え」ました。そして心を騒がせながら、35節はこう記します。「イエスは涙を流された」と。
ご自分が造られた世界が闇に覆われてしまった。 その世界を見つめた時の、生ける御言葉の思いも同じだったと信じます。 この闇に覆われた世界にあって、多くの人が苦しみ悲しみ、涙している。それほどに闇は深く大きくて、すべてを吞み込み、まるで光が一切消えてしまったかのようでした。 今のコロナ禍の世界で、私たちも同じことを感じているのではないですか。この世の闇は深い。まるで神がおられないかのように。
しかし、しかし、です。 その闇の中にも希望がある。 5節「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」 光は失われることなく、輝き続けていたのでした。それは小さな光であったかもしれない。しかし、それでも決して闇に呑み込まれることはなかったのです。小さいけれど、確かな揺るがぬ光。 そうです。生ける御言葉が、自ら光となったのでした。世界の初めからおられた「ことば」が、光となって、闇の中に輝き続けていたのです。
今日は、ヨハネ1章の書き出しという、印象深い箇所を思いめぐらしています。ここでさらに深く思いめぐらすため、1章1節の日本語聖書の歴史に少し触れたいと思います。皆さんは、明治初めの宣教師で、ヘボン式のローマ字で知られるヘボン博士をご存じでしょうか。彼はローマ字を広めた他、東京港区の明治学院大学を創設したことでも知られています。 ヘボン博士の初来日は、江戸時代の終わり、1859年でした。その時ヘボンはヨハネ福音書の日本語訳聖書を携えてきたのです。その翻訳はギュツラフ訳と言って、ドイツ生まれの宣教師ギュツラフという人が訳した聖書です。ヨハネ福音書とヨハネの手紙第一だけですが、日本語で最も古い翻訳聖書です。
このギュツラフ訳、ヘボンが来る23年前にすでに完成していたのですが、宣教師ギュツラフを助けた三人の日本人がいたことは、あまり知られていません。 作家の三浦綾子さんが、ギュツラフ訳誕生を助けた、もと船乗りの三人、岩吉、久吉、音吉の三名を紹介しようと、「海嶺」という小説を書きました。映画にもなりましたね。
時は1832年10月、江戸幕府にまだ力があった頃です。この三人は、お米を船で江戸に運ぶ途中に嵐で遭難。何とそのまま14か月も太平洋を漂流し、最後にアメリカ西海岸に漂着するのです。その後、囚われの身になったり解放されたりと、数奇な人生を辿りながら、やがてイギリスに渡り、最後にアジアのマカオにやってくる。そこで日本に福音を届けたいと願う宣教師ギュツラフと出会い、日本語を教えて、翻訳を手伝いました。そうやって生まれたのがギュツラフ訳聖書です。
そのギュツラフ訳、ヨハネ1章1節の翻訳の際に、ずいぶんと苦労したようです。この御言葉の意味するところを宣教師が岩吉、久吉、音吉の三人に説明し、ああでもない、こうでもないと議論を重ねたのでしょう。そして、最後にたどり着いた1章1節の訳文がこれでした。「ハジマリニ カシコイモノ ゴザル(繰り返し)」。生ける御言葉を、「カシコイモノ」賢きお方、と訳した。「ハジマリニ カシコイモノ ゴザル」。 この訳文はなかなかの名訳だと私は思っています。それから23年後、この聖書をヘボンが携えて来日、プロテスタントの歴史がそこから始まっていったことに、神の御業の不思議を思わずにはいられません。
結び
生ける御言葉は、まことに賢きお方でした。このお方は、闇で覆われた世界に光を灯してくださった。そして、灯すだけでなく、世にくだり、この世を救おうとしたのです。9節「すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。」 何と賢きお方でしょう!
アドベントは、この生ける御言葉、賢きお方を迎える心備えの四週間です。祈りつつ、御言葉を思いめぐらしつつ、生ける御言葉を迎える準備にいそしみたいと思います。お祈りします。
1、5節(読む)
天の父なる神さま、感謝します。どうかこの生ける御言葉を私たちの内に、この教会の内に住まわせ、この地域にあって、この光を掲げながら、このお方にこそ希望があることを私たちが語り続けることができますように。生ける御言葉、闇に輝く光、イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン!
コメント
コメントを投稿