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取って食べなさい(マタイ26:26~30)

 

「取って食べなさい」(マタイ26:26-30

齋藤五十三

 

天の父なる神さま、私たちは今日も、神の言葉に耳を傾けようと集まりました。今日は取り分け、久しぶりの聖餐式を、より深く味わうために、イエス・キリストが聖餐式を設立された箇所から学びたいと願っています。聖霊が私たちの心を照らし、また語るこの者と共に働き、私たちが最後の晩餐の席に連なる弟子たちと同じ思いをもって、キリストの御声を聴くことができますように。聖餐式の主、イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン!

 

1. ただならぬ雰囲気

 「わたしのからだ」、そして「契約の血」。これらは、これから大変なことが起ころうとしていることを予感させる、まことに重たい言葉です。 しかも主イエスがこれらの言葉を発したのは、ユダ裏切りの予告をした直後でした。 前の21節で、食事のさなかに主は弟子たちに向けて言われました。「まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ります。」 それを聞いた弟子たちは大いに悲しみ、「まさか私ではないでしょう」と ... 。そんな動揺の中で、主は「わたしのからだ」、そして「契約の血」と言われたのでした。 それを聞いて、弟子たちはいよいよ緊張を覚えたことであったでしょう。 なぜなら、裂かれたパンは、主イエスの死を語り、杯は、その血が罪の赦しのために流されることを示していたからです。 弟子たちは皆覚悟を求められたのでした。主イエスは肉を裂き、血を流して、いなくなられる。 弟子たちの思いは、深い悲しみに包まれたことであったでしょう。

 

しかし、同時にちょっと待てよ、とも思いました。確かに弟子たちは緊張を覚えたでしょうけれど、果たして弟子たちの中に、パンと杯の意味するところを本当の意味で理解した者がどれほどいたのでしょうか。 おそらく弟子たちは皆、その本当の意味を殆ど分かっていなかったのではありませんか。 そう、弟子たちは、実は殆ど分かっていない。この後いったい何が起こるのか、その意味すらも分かっていない。 そうした弟子たちの未熟さは、何よりも、主ご自身がよくご存知でした。

この後の31節で主は言っておられますね。「あなたがたはみな、今夜私につまづきます」と。 この晩餐の夜、パンと杯を共にしながら、弟子たちは一つ絆で結ばれたはずでした(はずでした)。しかし、それもつかの間、このすぐ後に弟子たちはつまづき、散らされ、交わりも壊れていくと主は言われる。  それを聞いたペテロはあわてて、「他の者はどうであれ、私は決して(私は決してつまづきはしない)」と強がるのですが、そのペテロに対して主イエスは、「あなたは今夜、三度わたしを知らないと言う」と厳しい予告を突き付けたのでした。そして、それが実際、その通りになっていくことを皆さんもご存じでしょう。 そうです。主は弟子たちの不十分さと弱さを知っていた。けれども弟子たちは自分の弱さを認めようとしない。 たとえ主イエスの言葉であっても、受け止めることが出来ない。それほどに弱く愚かな弟子たちに、主はこの夜、大事なパンと杯を渡されたのでした。

 

2. 希望

しかし、そう考えると逆に不思議です。なぜなら主は、この未熟で弱い弟子たちに対して、なぜか「希望」を抱いているのです。 それは29節の語る「父の御国」での再会の希望です。 杯を取りながら主は言われます。 「わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日」がいつか来るのだと。この後、大変なことが起こるのだけれど、必ずまた一緒に杯から飲む日がくる。 弟子たちの未熟さを知り、そして弟子たちが散らされることもご存知の主が、同時に御国での再会の希望をしっかり握っているのです。「大丈夫。君たちはつまづいても必ず帰って来る。大丈夫、立ち直って、再び父の御国で杯を共にする日がくる。」 そうです。不思議なことに主イエスだけは、つまづきの向こうにある希望を一人見ていたのです。

この希望はどこからくる希望でしょう。どうして希望があるのか? 実はそれこそが、パンと杯を弟子たちに与えた理由でした。 ここで重なって来るのは、この同じ夜、主が弟子たちの足を洗った時の言葉です。「わたしがしていることは、今は分からなくても、後で分かるようになります」。 ご存じでしたか。 この最後の晩餐が始まる前、主イエスは、まるで召使のようにして上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って、腰をかがめ、弟子たち一人一人の足を洗ったのでした。これは召使やしもべの仕事です。それを見て驚き、恐縮する弟子たちに、主はこう言われたのです。 「わたしがしていることは、今は分からなくても、後で分かるようになります」。たとえ今は分からなくとも、「後で分かるようになる」、そういう教育の方法があるのです。 今は分からなくとも、後からその意味が分かり、励ましとなっていく。そういう励ましの仕方があるのです。そしてそれは、パンと杯、つまり聖餐式についてもそうであったのでした。

 

3. 繰り返し教え続けるために

裂かれたパンを「取って食べる」。そして、渡された杯から「飲む」。「取って食べ」そして「飲む」。こうした単純な動作が繰り返される今日の聖書箇所では、主が語った言葉の内容も印象深いのですが、それとともに印象深いのは、主の言われるままに弟子たちが食べ、飲んだという、単純な動作です。大事な場面で行う動作や所作というものは、人の心に深い印象を残すのです。

私も、信徒の時代に横浜の教会で与った聖餐式の恵みを覚えていますが、印象に残っているのは、私の牧師の所作や動作です。ああ、あの時、先生はああやって、聖餐のパンを渡していたなとか、ご自分でこのように杯を掲げていたなとか、そんな動作が瞼を閉じると思い起こされる。

 

この晩餐の後、イエスさまは逮捕され、十字架の嵐が吹き荒れることになります。でも、復活の後に弟子たちが立ち直り、再び集まるようになる日がきます。 再び集まった時、彼らだけでパンを取り杯から飲んだ時、弟子たちの記憶には、この最後の晩餐でのイエスさまの所作、主がパンを取り、杯を渡した記憶がよみがえってきたはず。まるでそこにイエスさまがおられるかのように。 そして、主が語られた言葉の深い意味が刻み込まれる。 そうでした。あの夜、弟子たちは、主からパンと杯を与えられ、ただ言われるままに与った。あの時は何もわからなかったけれど、それでも主は、自分たちにパンと杯をくださった。 そのようにして毎回毎回の聖餐の度に、あの夜の動作が繰り返し甦っていくのです。そして、あの夜に語られたイエスさまの御言葉も、聖霊を通して、弟子たちを教え続けていく。 そんな繰り返しの教育の中で、弟子たちは、やがて父の御国でも再会の日に向けて、信仰を育まれていくのでした。ここに主イエスは希望を抱いていたのです。

 

これは何という恵みでしょう。主が天に帰られた後も、弟子たちが聖餐式を繰り返す度、パンと杯を取る動作を通して、そこに主がおられるかのように臨在を感じる。そして主イエスの御言葉がよみがえり、弟子たちを何度も教えていく。 「そうであったのか。主は、そこまでして、残される私たちを思ってくださったのか」と。 このように弟子たちは聖餐式を通して教えられ、励まされ続けていきます。 そして私たちも同様に、御国で主にお会いするまで、聖餐式を通して、御言葉と聖霊によって教えられ続けていきます。 主イエスは、他でもない私たちの罪が赦されるためにご自分の肉を裂き、尊い血を流してくださったのだと、パンと杯は語り続けます。  主イエスは、パンと杯を、すべて分かって成熟した弟子たちに与えたのではありません。今なお弱く愚かで、十字架を前にして、つまづいて逃げてしまうような、そんな弟子たちに強いて、パンから食べ、杯から飲むように命じ、後々の励ましとした。 そうです。これは強いられた恵みです。パンと杯は主によって強いて与えられた、目に見える恵みの教材です。弟子たちが学び、十分に成長したからではなく、まだ未熟だったから、だから主は先立つ恵みで、強いてパンと杯を取らせ、弟子たちを支え、励まし続けようとされたのでした。

 

結び: 強いられた恵み

「聖餐式」が、イエス・キリストによって与えられた「強いられた恵み」である。 主は、未熟な私たちを支え、励ますようにと、強いて、この恵みを取らせてくださった。 この強いられた恵みとしての「聖餐」について私に教えてくださったのは、東京基督教大学の初代学長である、丸山忠孝という先生でした。

 

最初に聞いた時、私は感動したのですが、その意味するところを、深くは理解できませんでした。 その意味を理解し始めたのは、実際に牧師として聖餐式を司式するようになってからです。 若くして牧師になりましたので、自分の力量にいつも限界を感じていました。そんな中、聖餐式を行うたびに、それが「強いられた恵み」であるとの実感が、回を重ねるごとに深まっていきました。 自分の牧会や伝道は不十分。 しかし、聖餐式を行うたびに、私ではなく、イエス・キリストが共にいて、聖霊を通して、パンと杯のうちに語ってくださる。教えてくださる。 若い牧師を迎えた教会は、そのようにして、聖餐のうちに共におられるキリストの言葉と恵みによって、毎回慰めと励ましを受けたのでした。

 

千恵子牧師も私も、東京基督教大学の大学院の前身の神学校で、この恵みを教えられ、それを教えられたとおりに皆さんに伝えています。あの学び舎で30年近く前に学んだことが、今も千恵子牧師と私の働きを支え、愛する新船橋キリスト教会を、主が導いておられる。

今日は、TCUデー(東京基督教大学を覚える日)として記念しつつ、礼拝をささげています。 皆さんに支援の祈りをささげて欲しいと、東京基督教大学から依頼がきました。急なことではありましたが、千恵子と牧師と私を育んでくれた学び舎からの依頼ですので、今日は、私が御言葉を通して聖餐の意味を覚え、千恵子牧師が聖餐式を司式して、私たちを育ててくださった東京基督教大学を覚えることとしました。

 卒業して約30年の月日が流れました。 学び舎で教えられたことに支えられ、励ましを受けてここまで歩んできましたが、今なお、未熟であるとの思いが実感です。しかし、未熟だからこそ、恵みは強いられて、目の前に差し出されている。聖餐式にはそんな恵みが溢れています。「取って食べなさい、飲みなさい」。たとえ今はすべて分からずとも、この強いられた恵みに浸り、養われていきたい。この恵みの内に、イエス・キリストと出会い、その御言葉を心に刻みたい。 この御言葉は私たちの教会を一つに結んで教え、励まし続けます。この恵みを逃してはならない。この恵みの中で、キリストと出会い、一つとされていきたい。そう願われた、この幸いな御言葉のときでした。お祈りします。

 

天の父なる神さま、感謝します。あなたはイエス・キリストを通して、この強いられた恵みをくださいました。今日も聖霊の導きの中で、この後の聖餐のうちに、生けるキリストと出会い、味合わせてください。 聖餐の主、イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン!



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