スキップしてメイン コンテンツに移動

ゆるし〜五郎くんのクリスマスプレゼント(ヨハネの福音書3:16)

①五郎君は男ばかりの五人兄弟の長男。小学五年生です。

今日は5人みんなで居間に集まって、なにやらワイワイガヤガヤ話しています。

「もうすぐ待ちに待ったクリスマス。
今年はみんな、サンタさんにどんなプレゼントをお願いするの?」
おもちゃの広告や雑誌を広げて、誰が何を頼むのかおしゃべりしています。
「うーん。ミニカーも欲しいけど、プラモデルも捨てがたい…
 ねえ、ねえ、五郎兄ちゃんは何を頼むの?」
「へへん。俺はもう、とーっくの昔に何を頼むか決めてるんだ。
  今年は絶対にラジコンヘリコプターだ!
  赤くて超かっこいいやつ。ぜったいにこれ!」
五郎君はずっと前から欲しかったラジコンがあったのです。
クリスマスにサンタさんにもらう事をとっても楽しみにしていました。

 ②けれども数日後、5人にとてもショックな知らせが告げられたのです。
「サンタさんは今年は一身上の都合により我が家には来られなくなりました。
 残念だけど、今年のプレゼントは我慢してくださいね。」 

可愛そうな5人兄弟。
チビなんて悲しみのあまり大泣きです。
五郎君だってチビと同じくらい泣きたい気持ちです。
だってあんなに楽しみにしていたんですもの。

 ③日曜日、五郎君は教会学校に行って聖書のお話を聞きました。
教会学校の先生がクリスマスのイエス様誕生のお話をしてくれました。
「イエス様は私達の罪を赦すためにこの世界にお生まれになったのよ。
 そのことをお祝いするのがクリスマスですよ。
 だからイエス様が最高のクリスマスプレゼントってことね。嬉しいわね。」 

部屋の隅でお話を聞いていた五郎君は思いました。
「イエス様は最高のクリスマスプレゼントかもしれないけど、
 俺はラジコンだって欲しいもん…
 ラジコンのもらえないクリスマスなんてあんまり嬉しくないや…」
五郎君の気持ちはなかなか晴れません。 

④教会からの帰り道、五郎君が腐った気持ちで公園を歩いていると、
ブルルルルーンと、遠くから音が聞こえてきました。
見上げるとそこには五郎君が欲しかったラジコンヘリコプターが飛んでいました。
「あ、あれ、俺が欲しかったやつだ!
 いいなぁ。やっぱりかっこいいなぁ。
 なんだよ、俺よりずっと小さい子が遊んでるじゃんかよ。悔しいなぁ。」
五郎君は羨ましくて羨ましくてしょうがありません。 

⑤すると、ラジコンヘリコプターで遊んでいた男の子がヘリを置いて別の遊びをしだしました。
みんな別の事に気を取られて誰もラジコンを見ていません。
その時、五郎君はちょっとラジコンを見ようと近づいて行きました。
…ちょっと触ってみよう。
誰もみていない。
誰もみていない。

 ⑥五郎君はラジコンヘリコプターを手に取ると、一目散に家に帰りました。
なんということでしょう。五郎君は男の子のラジコンヘリコプターを盗んでしまったのです。
心臓がドクドクいっています。
五郎君は急いでそのラジコンヘリコプターを自分の机の一番下の引き出しの中に入れました。

 ⑦ずっと欲しかったラジコンヘリコプターを手に入れた五郎君ですが、
五郎君は全然嬉しくありません。むしろ前よりも、もっともっと心が苦しくなりました。
男の子、今頃泣きながら探しているかな…?
俺が人の物盗んだってみんなが知ったらなんて思うだろう…?
ああ、俺はなんてことをしてしまったんだ…。

⑧次の日曜日、教会学校では先生がイエス様の十字架の話をしてくれました。
「イエス様は私達の罪を赦すために犠牲になってこの苦しい十字架刑をお受けになったの よ。私達の身代わりになって十字架にかかるためにこの世界に来てくださったのね。」

 その話を聞いていた五郎君は辛くて辛くて涙がポロポロ落ちてきました。
みんなに見られないように後ろの方でこっそり泣いている五郎君に先生は気がつきました。

⑨教会学校が終わった後、先生は誰もいないお部屋で五郎君に何があったのか聞きました。五郎君はもう黙ってはいられないと思い、全部先生にお話ししました。
ラジコンヘリコプターがずっと欲しかったこと。
自分より小さい男の子がラジコンで遊んでいるのが悔しかったこと。
誰も見ていなかったからつい盗んでしまったこと。
でもそれからずっと心が苦しかったこと。
全部全部お話しました。
先生は泣いている五郎君の横でずっと聞いていました。
「そっかぁ、それで最近元気がなかったのね。
 五郎君の心が苦しかったのは、神様が五郎君の心とつながっていてくれたからよ。
 神様は五郎君に泥棒のままでいてほしくなかったのよ。
 今回の事、神様にお祈りして赦していただきましょう。
 そしてその男の子にラジコンヘリコプターを返しに行って謝ろう。
 先生も一緒に行くから。」 

⑩先生は男の子の家を調べてくれました。
五郎君はラジコンを持って謝りにいきました。
男の子のお母さんは優しい人で、勇気を持って謝りに来た五郎君を赦してくれました。
男の子も最初は怒っていたけれど、五郎君が真剣に謝っているのをみて最後は赦してくれました。

 ⑪男の子にも赦してもらい、神様にも赦してもらい
心の苦しいのがすーっととれた五郎君。
帰りの足取りはいつになく軽やかです。
五郎君はポツリと言いました。
「先生、イエス様って本当に最高のプレゼントなんだね。」
それを聞いた先生はふふっと笑って自慢げに言いました。
「だから言ったでしょ?」

 ⑫それからクリスマスの日、先生は五郎君兄弟をお家によんでクリスマスパーティーをひらいてくれました。
先生の美味しい料理を食べて、兄弟みんなでたくさん笑って過ごしました。 

ラジコンヘリコプターは手に入らなかったけど、優しい先生や楽しい兄弟が周りにいて、そしてイエス様がいて、自分は本当に幸せ者だなぁと思った五郎君でした。

おしまい


コメント

このブログの人気の投稿

収穫のための働き手(マタイの福音書9:35~38)

「収穫のための働き手」(マタイ 9:35-38 )   天の父なる神さま、神の言葉に聴くひと時、どうか聖霊によって私たちの心を照らしてください。御言葉のうちに、生けるキリストに出会うことができますように。救い主、キリスト・イエスのお名前によってお祈りします。アーメン。   1.     収穫は多いのだろうか   37 節「そこでイエスは弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない」。  これを聞いて日本の多くのクリスチャンが思うこと、それは「本当に収穫は多いのだろうか」という疑問だろうと思います。(働き手が少ないのはもっともとしても)「本当に収穫は多いのか」と。私たちはこれをなかなか実感できないのです。 ここで言う「収穫」とは、人々の魂を神の国に迎えていく、神の国の収穫です。「救われる人」と言い換えることもできるでしょうか。でも、そう聞くと思わず、「本当だろうか」と思ってしまう。日本のキリスト教会においては、そうした「収穫が多い」実感を得られないでいる人が大半なのではないかと思うのです。  「本当に収穫は多いのか」。しかしこれは、私たちが実感できる収穫では必ずしもないのです。 38 節には、「収穫の主、ご自身の収穫」つまり、神ご自身の収穫であると言われていますね。ですからここで言う「収穫」は、主ご自身がご覧になっている収穫の広がりのことなのです。神の目で見れば、収穫は確かに多い。そして、それをイエス・キリストご自身も実感して、このように口にされたのでした。「収穫は多いが、働き手が少ない」と。   2.     イエスの心で見る  確かに、イエスさまの心で世を見渡せば、多くの収穫が見えてくるのです。世の中には、神の国の福音を必要とし、そのために備えられている人々が実に多くいるのです。  マタイ9章を最初から読むと、そこにはまさに多くの人々が導かれる「収穫」が描かれています。もう、次から次へ、という感じです。たとえば、2節に登場する「中風で床に寝かせたまま」運ばれてきた人がいましたね。その病人に主は、「あなたの罪は赦された」と宣言していく。それから9節には、人生の目的を持てず、収税所に座っているマタイ本人が出てくるのです。そのマタ...

父よ彼らをおゆるしください(出エジプト記32章30~35節)

説教題「父よ、彼らをお赦しください」  聖書箇所 出エジプト32章30節~35節  おはようございます。今日は「TCU Day・神学校を覚えて祈る日」です。いつも東京基督教大学と神学生たちを覚えてお祈りして下さりありがとうございます。本日はそれにともないキリスト者にとって祈り、その中でもとりなしの祈りについて共に考えてまいりたいと思います。 お祈り 恵み深い天の父なる神さま。本日も私たちを主の御前に集めて下さり感謝いたします。これからみことばを聞きます。主が私たちのこころに語って下さい。みことばを取り次ぐこの者も神への恐れと兄弟姉妹への愛を持って語れますようにこの唇をきよめ用いて下さい。このお祈りを主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。 祈りについて  祈りって本当にいいものですよね。一人静かなところで祈る祈りは神さまとの距離をグッと近くに感じますし、ともに祈る祈りは兄弟姉妹との交わりにもなります。また、目に見えないけれど祈りは必ず天につまれていますし、祈りはキリスト者にとって神の御業に共に与れる素晴らしい働きの一つですね。  この祈りについて、カルヴァンという昔の教会の偉い人は祈りを「神との対話である 」と言いました。また、『ナルニア国物語』を書いた作家のCS.ルイスは、「祈りは神の御心を知り行うためのもの  」と記しました。最後に貧困や病に苦しむ人々の救いに生涯をささげたカトリックの修道女マザー・テレサは「祈りは信仰を深めます。信仰から愛が生まれ、愛からは奉仕が生まれるのです」と祈りが愛の行動を生み出すことを教えてくれました。  このように祈りには多種多様な理解と、神と私たちとの関係において沢山の良いことを生み出す力が存在します。  また、新船橋キリスト教会にも、それぞれが大切にしている祈りの場所、祈りのスタイルがあることだと思います。その中で私たち神学生も水曜日の夜は牧師夫婦のご自宅に集まって新船橋キリスト教会を覚えて祈りをささげてきました。そこでは祈りだけでなく、みことばの学びや近況の分かち合いなど、お茶とお菓子も提供されて、豊かな交わりの時を持たせて頂いています。 とりなしについて これらの祈りの中で、今日共に考えていきたいのが「とりなしの祈り」についてです。「とりなし」とは、聖書では「神に対して罪を犯し、神と敵対している人...

私は主をほめたたえよう(創世記29:31~30:24)

「私は主をほめたたえる」 創世記 29 章 31 ~ 30 章 24 節 創世記をずっと学んでいますが、今日の個所は、思わず目を覆いたくなるようなストーリーが展開されています。二人の姉妹が一人の夫に嫁ぎ、一人は愛され、一人は嫌われ…。ところが嫌われている妻が次々と子を産み、愛されている妻には一向に子どもが与えられない。渦巻く嫉妬の嵐と駆け引き、もはや修羅場と言ってもいいような悲惨な状況です。日本の昼ドラでもこれほどの愛憎劇は見られないでしょう。 彼らはどこでボタンを掛け違えてしまったのでしょうか。それはやはり、ヤコブが姉妹二人を娶ったこと、その決断をしたことに問題があったと思うのです。ヤコブは、ラケルと結婚したくて、7年ものきつい労働に耐えたのですが、結婚初夜に寝室に送られてきたのは、姉のレアでした。翌朝、レアとラケルの父ラバンに騙されたと知ったヤコブは、ラバンに抗議するのですが、ラバンは、しれっと「姉より妹を先に嫁がせることはしないのだ。ラケルもほしければ、さらに7年働くように」と言うのです。ヤコブは、ラケルをあきらめきれず、その 残酷な 提案を飲むのです。誰に対して残酷なのでしょう。レアに対して、そしてラケルに対してです。そしてその結果が、今日見るこの家庭の修羅場です。 ヤコブはどうすればよかったのでしょうか。私は、彼はラケルをあきらめるべきだったと思います。そして、レアだけと結婚し、7年でハランを引き上げ、故郷に帰るべきだったのです。アブラハムへの祝福の契約は、サラを通して、その子イサクに引き継がれ、イサクとリベカによって、ヤコブに引き継がれました。今、神はレアを選んで、レアを通して祝福を継承しようとしているのだと、ヤコブは悟り、自分の好みではなかったとしてもレアとの結婚生活を大切に育めばよかったのです。そもそもヤコブはなぜラケルに固執したのでしょうか。ラケルが美しかった、それだけです。それだけとは言っても、男性にとっては重大なことなのでしょう。一般的に言われるのは、女性は好きという感情がない相手でも、誠実で尊敬できる相手であれば、結婚の対象として考えられるのですが、男性は、女性としての魅力が感じられないと結婚は考えられないのだそうです。けれども、そもそも結婚は、自分が幸せになるためにするのでしょうか。そうではなく、相手を幸せにするために結婚す...