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聖霊を受けましたか?(使徒の働き19:1〜7)

「聖霊を受けましたか?」
使徒の働き19:1~7

アポロがエペソを去ってコリントに伝道の拠点を移すと、入れ替わりでパウロがエペソに下って来ました。パウロは派遣元の教会、シリアのアンティオキア教会を出発すると、海岸沿いの大きな幹線道路ではなく、内陸のガラテヤ地方やフリュギアを通り、諸教会をめぐって、彼らを励まし、力づけ、そしてエペソに到着しました。

そしてそこで何人かの弟子たちに遭遇します。1節には「何人か」とありますが、7節を見るとそれが12人だったことが分かります。少なくない注解者が同じようなことを言っているので、おそらくあたっていると思うのですが、彼ら12人は皆、独身男性で共同生活をしていたようです。そして、彼らは修道僧のように、文明からは距離をおき、質素で禁欲的な生活をしていたと思われます。そうです。彼らは、言って見れば、バプテスマのヨハネの弟子でした。バプテスマのヨハネが当時の人々に大きなインパクトを与えたことは、以前お話した通りです。彼はラクダの毛衣を来て、いなごと野蜜を食べ、悔い改めを説いて、多くに人々に洗礼を授けました。後にイエスさまが現れたときに、パイリサイ人たちに対してこう言っています。「バプテスマのヨハネが来て、パンも食べず、ぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは『あれは悪霊につかれている』と言い、人の子(イエス)が来て食べたり飲んだりしていると、『見ろ、大食いの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言います」(ルカ7章33-34)。つまり、バプテスマのヨハネは、節制と禁欲の代表株、イエスさまは自由人の代表株だったと言えるでしょう。こうしてヨハネの影響を受けた人々があちこちに点在していて、このような共同生活をしていたと想像できます。

パウロは彼らを見るとすぐに、ああ、彼らはヨハネを心棒しているのだなと分かったようです。そして問うのです。「信じたとき、聖霊を受けましたか?」この問いは、アポロの時にお話しました、アップデートされているクリスチャンと、そうでないクリスチャンを見分ける試金石となります。すると案の定、彼らは答えました。「いいえ、聖霊がおられるかどうか、聞いたこともありません。」これは英語で言うと、“Not only A, but also B”の構文です。つまり「バプテスマを受けていないどころか、聖霊があるということさえ知らない、聞いていない」ということです。そこでパウロは更に尋ねます。「それでは、どのようなバプテスマを受けたのですか」、すると彼らは答えます。「ヨハネのバプテスマです」。やはりそうでした。アポロと同じです。パウロは言います。「ヨハネは、自分の後に来られる方、すなわちイエスを信じるように人々に告げ、悔い改めのバプテスマを授けたのです」。少し言葉足らずなので、補足するとこんな感じでしょう。「いいですか、イエスさまの復活と聖霊の降臨があって、救いの完成なのです。悔い改めのバプテスマだけでは不十分です。ヨハネ自身がそう言っているじゃないですか。ヨハネのバプテスマだけでは、人を水に沈めてそのままのようなものです。水から上がらなければいけません。イエスさまが死んで、よみがえったように、私たちの古い人は死んで、キリストにあってよみがえらなければいけないのです。聖霊によって新しいいのちをいただかなければいけません。さあ、聖霊を受けなさい! 」こうして、パウロは、主イエスの名によって彼らにバプテスマを授けました。そして「パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が彼らに臨み、彼らは異言を語ったり、預言したり」しました。

ここで注意したいことは、この使徒の時代は、ちょうど過渡期だったということです。アポロや今日の箇所に出て来る12人の弟子のように、ヨハネのバプテスマしか知らない人々がいました。また、イエス・キリストの復活もペンテコステの聖霊降臨の出来事も知らない人が大勢いた時代です。ですから、時に目に見えるしるしが必要だったのです。そしてそれが異言や預言というかたちであらわれました。今の私たちは、その必要はありません。私たちが福音を聞いた時はどうだったでしょう。イエスさまの十字架と復活、新しいいのち、すべてセットで聞いたのではなかったでしょうか。そして、クリスチャンである私たちは、父と子、聖霊の御名によってバプテスマ(洗礼)を受けました。もちろん今も聖霊が強く働かれるとき、異言や預言というしるしがともなうこともありますし、そのようなしるしを強調する教団教派もあります。それはそれでその教団教派の特色なので、私たちがとやかく言うことではありません。とにかく、覚えていただきたいのは、もし今、私たちが同じ質問をされたら、つまり「信じたときに聖霊を受けましたか?」聞かれたら、答えは「Yes!」です。聖霊のおかげで、私たちは「イエスさまを信じます!」と告白しましたし、それが真実な告白なら、その時に聖霊が私たちの心に住まわれたからです。

では、「聖霊を受けましたか?」という問いは、今の私たちには関係ない問いなのでしょうか。答えは、YesでもありNoでもあります。先ほど言ったように、私たちは信じたときに聖霊をいただきました。私たちの心にはすでに聖霊が住んでいます。ですから、「聖霊を受けましたか?」と問われれば、「はい、受けました」、Yesと答えることできます。けれどももし、私たちが聖霊を心の片隅に追いやり、聖霊に聞かず、聖霊と関係なく生活しているならば、残念ながらNoでもあります。そしてこの問いは、クリスチャンが日々、生きている限り、何度も自分に問わなければならない問いなのです。

ここでわかりやすいように、聖霊を受けていない、正確には聖霊に自分を明け渡してないクリスチャンの特徴をあげてみたいと思います。一つは、罪との戦いにおいて無力です。ガラテヤ人への手紙5章16~25節でパウロは言います。「御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らうからです。この二つは互いに対立しているので、あなたがたは願っていることができなくなります。御霊によって導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。」聖霊と罪とは共存できません。もし罪の中にあるなら、私たちは、聖霊を無視して生活している証拠に他なりません。そして、聖霊を心の片隅に追いやり、自分が心の中心にいるのです。私たちは、時には罪と戦おうとするでしょう。けれども残念ならが、連戦、連敗ではないでしょうか。なぜでしょうか。それは自分の力で戦っているからです。私たちは聖霊に言うのです。「ちょっと待ってください。今、悪い思い、罪でいっぱいの私の心を整理してから、片付けてから、この汚いものをすべて追い出してから、あなた様に来ていただきます。もうちょっとお時間をください。自分で努力して、何とか頑張ってみますので…」。これは愚かなことです。まず心を開いて聖霊に来ていただくことです。罪を片付けるのは聖霊との共同作業でしかできないのです。罪に勝利したいのであれば、聖霊の支配に明け渡してください。そうすれば、罪を追い出し、逆に御霊の実を結ぶことができるのです。そうです。御霊の実を結ぶのも私たちの力では決してできない、それは聖霊の仕事だからです。

二つ目、聖霊に明け渡していないクリスチャンの特徴は、愛すること、ゆるすことにおいて無力です。私たちクリスチャンの自由と幸せを奪うものは何ですか?それは先に述べた罪と、そしてゆるせない、愛せないという思いです。これも罪との闘いと同じです。残念ながら、私たち人間には、ゆるす力も愛する力もありません。言い過ぎかもしれないですね。多少はあるのかもしれません。けれどもそれは、なんて小さな、次元の低いものでしょうか。私たちは、イエスさまの十字架に見る神さまの愛と赦しを知っています。完全な愛、完全な赦しです。十字架上で自分をののしり、あざける人々に、「父よ、彼らをおゆるしください」と祈ったイエスさま。私たちの中にそのような愛も赦しもありません。ですから聖霊が必要です。私の大好きな信仰を教える児童書に「雪のたから」という本がありますが、そこでお友だちをゆるせない孫におばあちゃんがこういうのです。「イエスさまは愛なのよ。愛が入って来られたら、憎しみや自分勝手や不親切は、愛に居場所をゆずるの。ちょうど、部屋に日の光を入れたら、闇が光に居場所をゆずるようにね。だけど憎しみだけを追い出そうとするのは、暗い部屋から闇を追い出そうとしているようなものなのね。それって時間の無駄ってこと。」聖霊に心を明け渡しましょう。それは、カーテンを開けてお部屋に太陽の光を入れるようなものです。そうすれば心の闇、ゆるせない思い、憎しみ、ねたみ、意地悪な思いが、光に場所をゆずるのです。

黙示録3章20節には、こんなみことばがあります。「見よ、わたしはとの外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」このみことばは、何も未信者に語られている言葉ではありません。クリスチャンに、教会に語られている言葉です。イエスさまは、聖霊は、私たちの心をノックしています。聖霊の支配を受け入れるようにと、心の王座を聖霊に譲るようにとノックしています。あなたの心の奥の間、しっかり鍵を閉めてこもっているその開かずの間に、聖霊に入っていただきませんか?最後にもう一度皆さんに聞きます。「信じたときに、聖霊を受けましたか?」お祈りします。


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