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走るべき道のりを走り尽くし(使徒の働き20:13〜27)

「走るべき道のりを走り尽くし」
使徒の働き20:13~27

5月29日の説教は、20章1~12節でした。パウロとの別れを惜しんで、夜中まで語り合ったトロアスの兄弟姉妹たちでしたが、途中若者ユテコが、居眠りをして、窓から下に落ちてしまいました。ところが、パウロがユテコの上に身をかがめ。「心配することはない。まだいのちがあります」と皆を励まし、実際ユテコは息を吹き返したというお話でした。

こうしてパウロも集まった兄弟姉妹も、その晩は一睡もしないで翌朝を迎え、人々はそれぞれの仕事に。パウロたち一行は、エルサレムに向かったのでした。当時は大型船でエルサレムまで直行!というわけにはいかず、彼らの小さな船は、岸に沿うようにして、あちこちに寄港しながら、ゆっくりとエルサレムに向かうのでした。

ところが、トロアスでパウロは船に乗っていません。13節を見ると、船に乗り込んだのは、ルカと数人の同行者たちです。パウロ自身は陸路でアソスに向かい、そこで彼らと落ち合ったというのです。パウロがなぜ一人、陸路で30キロもの道のりを歩いたのか。何も書いてないのでわかりませんが、イエスさまもよく一人になって祈る時間を持っていたことを考えると、パウロも一人で歩きながら、祈りながら、主との交わりを楽しみ、充電し、これからのことを主と相談したのではないかと思うのです。こうしてアソスに到着。他の仲間と落合い、今度はいっしょに船に乗り込み、ミティレネに行き、翌日そこから船でキオスの沖に達し、その次の日にサモスに立ち寄り、さらにその翌日にミレトスに着きました。

ミレトスは、パウロが3年近く滞在して、福音を宣べ伝え、心血注いで育てたエペソ教会(ひとつとは限なない)のすぐ近くでした。近くとは言っても50~65㎞の距離があったようです。本当は、パウロ自身がもう一度エペソに寄って、彼らを励ましたかったのですが、16節を見ると、「できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたいと急いでいた」とありますから、エペソに寄るのはやめにしました。そしてその代わりに、エペソの長老たちにミレトスまでご足労願ったのです。今のようにLINEで「すぐにミレトスに来て」なんて呼べませんので、使いの者を送るのに1日。彼らがミレトスに来るのに1日。こうしてエペソ教会の長老たちがミレトスに到着したのは3日目になっただろうと思われます。エペソの長老たちが集まって来ると、パウロは語り始めました。これが有名なパウロの告別説教です。パウロはなにも、エペソ教会の長老たちだけにこのメッセージを語ったわけではありません。ここで告別説教を聞いた長老たちが、帰ってそれをエペソ教会の皆さんにシェアするのを期待していたのです。

さて、今日はこの告別説教の前半を見ますが、この前半では、パウロのエペソ伝道の回顧(振り返り)とこれからの展望が書かれています。…展望というと明るい未来のようなイメージですが、むしろ今後の暗澹たる未来の予測と言った方がいいかもしれません。こうしてパウロはまずエペソ宣教を振り返ります。

一つ目の振り返り。19節「私は、ユダヤ人の陰謀によってこの身に降りかかる数々の試練の中で、謙遜の限りを尽くし、涙とともに主に仕えてきました。」えっ、ユダヤ人の陰謀は、初めに会堂を出されたときの1回じゃなかったの?と思うかもしれません。確かにルカが記したのは、その1回きりでしたが、記されていないだけで、実はユダヤ人による「数々の試練」があったようです。けれどもそんな中で、パウロは「謙遜の限りを尽くし、涙とともに主に仕えてきた」と言います。パウロのすごいところは、自分で「謙遜の限りを尽くし」と言えることです。もし私が「謙遜の限りを尽くし」と言えば、おそらく真っ先に主人がぷっと笑うことでしょう。普通言えない。けれども、彼は自分でそう言い切れるほど、自他共に認める謙遜な主の弟子だったのです。「サーバントリーダー」という言葉がビジネス界で用いられるようになって久しいですが、クリスチャンのリーダーの特質は「謙遜」です。そう、イエスさまがそうだったように。Ⅰペテロ2:21「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。」とある通りです。イエスさまの弟子はイエスさまに似てきます。こうしてパウロはイエスさまのように謙遜の限りを尽くし、涙とともに主に仕えて来たのです。

 振り返り二つ目。20節「益になることは、公衆の前でも家々でも、余すところなくあなたがたに伝え、また教えてきました。」「益になること」というのは、儲け話や得する話のことではありません。究極の「益」は「救い」ですから、「救いのために益になること」を指しています。そしてそれを「公衆の前でも、家々でも」とありますから、パブリックでもプライベートでもということでしょう。つまりどこででも、救いの益になることは、余すところなく、全部あなたがたに伝え、教えてきたということです。

  振り返り三つ目。21節「ユダヤ人にもギリシア人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰を証ししてきたのです。」ユダヤ人にもギリシア人にもというのは、何の差別も区別もなく、すべての人にということです。ユダヤ人からしたら、異邦人とひとくくりにするなと言いたくなるでしょう。彼らは創造主を知り、律法を持ち、それを厳格に守ってきた人々です。けれども、そんなユダヤ人も、神の前では罪ある人間ですから、悔い改めなければ滅びに向かいます。実際パウロがユダヤ人に伝道しなくてもよかったらどんなに楽でしょうか。パウロを悩ませ苦しませてきたのは、ユダヤ人たちなのですから。けれども、パウロは誰であっても差別なく、この主イエスさまを信じるだけで救われるという福音、「救いのご計画のすべて」(27節)を伝えずにはいられなかったのです。

そして次にパウロは今後自分に降りかかることになる苦難について語り始めます。22節「ご覧なさい。私は今、御霊に縛られてエルサレムに行きます。そこで私にどんなことが起こるのか、分かりません。ただ、聖霊がどの町でも私に証しして言われるのは、鎖と苦しみが私を待っているということです。」パウロは何も好き好んで、この苦難の道を行こうとしているのではありません。聖霊が半ば強制的に、連れて行くのだと言っています。しかも行くといいことがあるよと連れて行くのではなく、行った先でも「鎖と苦しみが待っている」から覚悟を決めて行くのですよと引いていくのです。25節を見ると、パウロは死を覚悟してることもわかります。「今、私には分かっています。御国を宣べ伝えてあなたがたの間を巡回した私の顔を、あなたがたはだれも二度と見ることがないでしょう。」なぜそこまで…、と私たちは思います。しかし彼は、自分は伝道者として、宣教師として、そのように召されているのだという、明確な召命感を持っていました。そしてその召命を全うするために、何をするべきなのか彼は知っていたのです。

私のもう一つのミニストリー、チャンピオンズ教育協会には「問題解決」というプログラムがあります。対象は中学生です。それぐらいの子どもたちというのは、からだの変化や友人関係の難しさ、家族との関係の変化の中で、様々な問題にぶつかります。それを上手に解決していく方法を学ぶプログラムなのですが、その中に、生活の優先順位を知るというトピックがあります。目の前のやるべきことには、それぞれ重要性と緊急性があり、それを見分けて、優先順位をつけていくことを学びます。

例えば、土曜日の私の過ごし方ですが、緊急かつ重要なこととしては、説教の準備、週報の準備、その他配布物の準備、会堂の最終チェック、メール配信。パワーポイントの準備、もちろん家族のケガや事故などが入ったら、それこそ早急に対応します。また、物事には重要だけれど、緊急ではないこともあります。それは、デボーションや食事やエクササイズ、適度な休息やリラクゼーション、家族の団らんや読書。これらは緊急ではないですが、重要です。後回しにしてばかりいると、大変なことになります。そして緊急だけれど重要ではないこともあります。LINEの返信、スーパーの特売、スポーツ観戦や連続ドラマでしょうか。そして重要でも緊急でもないことがあります。テレビをだらだら見たり、スマホを眺めたり、おやつを食べたりということでしょうか。けれども私たちはともすると、このような重要度や緊急度を意識しないで生活してしまいがちです。そして後から、やるべきことがまだできないないと後悔するのです。

しかしパウロを見てください。彼はこう言っています。24節「けれども、自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。」彼の優先順位の一番は、神の恵みの福音を証しすることでした。そして、それは「いのち」よりも優先すべきものだったのです。こうして彼は自分の走るべき道のりを走りつくし、自分に与えられている任務を全うした上で宣言します。26節「私は、誰の血に対しても責任がありません。」 私のなすべき分、責任はすべてない終えたということです。私は最善を尽くして、福音を宣べ伝えた。いつでも、どんな状況であっても、ユダヤ人にもギリシア人にも、すべての人に福音を宣べ伝えたと宣言しています。彼はこの告別説教で、「余すところなく」「限りを尽くし」「走り尽くし」「全う」しと、何度も語っています。なぜそこまでできたのでしょうか。それが彼の使命であり、召命であるからです。重要度からしても緊急度からしても一番の最優先事項だからです。願わくは、私たちもそのような人生を歩みたいと思います。皆さんが神さまからいただいている使命は何でしょうか。神さまが皆さんに導くように任せておられる魂はどなたでしょうか。主の召しに応えることは、みなさんにとって重要かつ緊急なことでしょうか。どうぞ、優先するべきことを優先する人生を歩んでください。後悔のない人生を歩んでください。パウロのように「走るべき道のりを走り尽くした」と言える人生を歩んでください。お祈り致します。


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