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星に導かれて(マタイの福音書2:1〜12)

今日の聖書箇所には星が出てきます。ここに登場する東方の博士たちは、「その方の星」を見たので、はるばるエルサレムまで1200キロもの道のりを、キャラバン隊を組んでやってきたというのです。この星博士ですが、博士と言うより占星術師と言った方がいいでしょう。星を観察しながら、災害がくるぞとか戦争が起るぞとか予告をして、国の為政者たちに忠告したり、進言したりしていたようです。

彼らは、東の国で不思議な星を見つけました。皆さんのまわりには星マニアはおられるでしょうか。私の経験からすると、星好きの方は、たいてい好奇心旺盛です。見たことのない不思議な星を見つけようものなら、それを調べないではいられないでしょう。さっそく彼らは調べ始めました。すると過去にこの東の国に捕囚の民として連れて来られた民族が残していった資料に出くわした…そう考えることができるでしょう。そこにはこうありました。「ヤコブから一つの星が進み出る。イスラエルから一本の杖が起こり…」(民数記24:17)これだ!と思った彼らは、この星はユダヤの王、いや世界の王が生まれたしるしだと確信したのです。そして星を頼りに長い道のりを恐らく数ヶ月かけてやって来ました。あとに出て来るように貴重品をたくさん持っていましたから、よくある絵のように、3人の博士がラクダに乗ってお気楽旅…とはいかなかったことでしょう。キャラバン隊を組んで、非常時にも対応できるようにしました。また人やラクダなどの食料や水を準備しなくてはいけません。恐らく準備に何日も要したことでしょう。またそもそも「ユダヤの王」を礼拝しに行きたいと王に申し出たとしたら、はいそうですかどうぞと、すぐに許可してくれたとは思えません。だいたいユダヤの国は、600年前には宿敵でした。当時の東の国、バビロニア王国やアッシリア王国は、イスラエルを滅ぼし、多くの人々を捕囚として引いて行った国です。そう思うと、東の国の王がやすやすと旅の許可をしたとは思えないのです。きっと一悶着あったでしょう。とにかく、そうこうしてるうちに時間が流れ、エルサレムに到着したのは、すでにイエスさまがお生まれになってから、1年以上、いや2年近くも経ってしまっていたいたのです。彼らが最終的にベツレヘムに着いたときには、赤ちゃんだったイエスさまは、「幼子」、つまり「幼児」になっていましたし、彼らはすでに家畜小屋ではなく、「家」に住んでいたようです。博士たちは、よくあきらめないでここまでやって来たなと感心します。イエスさまに会うのに、イエスさまを礼拝するのに、遅すぎることはないということでしょう。あきらめてはいけません。

さて、ここで残忍非道な暴君ヘロデ王が出てきます。彼は、独裁者が最終的には陥っていくように、猜疑心が強くなり、王位をねらう者(狙っていると疑われる者)をことごとく粛清してきました。それは家族までにも及び、まず自分の妻マリアンメとその息子の二人を処刑し、そして、最初の妻の子である長男アンティパトロスを陰謀の疑いで粛清しました。また、今日の箇所の後では、「ユダヤに新しい王が生まれた」という情報をもとに、ベツレヘムの二歳以下の幼児を皆殺しにしました。このヘロデに対して皇帝アウグストスはこう言っています。「ヘロデの息子に生まれるぐらいなら豚に生まれた方がましだ。」と。それは、ユダヤ人は宗教上の理由から豚を殺して食べるということをしなかったので、息子は殺されることがあっても、豚は殺されることがなかったからです。

それでも彼はユダヤ人の王になりたかったのです。彼の血の半分はイドマヤ人と言って、エサウの子孫だったのですが、恐らくそこからくる劣等感があり、ユダヤ人に気に入られるため、神殿を修復したり、マサダの離宮を建築したり、要塞、貯水池、水道などを建造したりして、インフラを整えました。そうやってユダヤ人に認められようとしてきたようです。その甲斐あって、ローマ帝国を後ろ盾に彼はどんどん上り詰め、とうとうダビデ時代に匹敵する広大な領土を支配する王として君臨したのです。こんなに努力して、多くの血を流して、ユダヤ人の王になったのに、遠く東の国から博士たちがやって来て、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と来たわけです。それはもう心中穏やかではなかったでしょう。

さて、東の国の博士たちは、真っ先にエルサレム宮殿に行きました。常識的に考えて、「ユダヤ人の王」ですから、その王子は宮殿にいるに決まっている、そんな先入観からでした。これが後に悲劇を生むことになります。せっかく、星を通してメシア、キリストの誕生を知らされたのに、彼らは世の常識にとらわれて、自分の判断で行動しています。私たちもそんな過ちをします。神さまがせっかく、私たちを見つけ出し、不思議な出会いと導きを通して、罪の生活から、また死と滅びから救い出してくださったのに、いつもこの世の常識、世間体、自分の考え、自分の価値観にとらわれて行動してしまう。神さまに聞かない、みことばに聞かない、そうして狭いこの世の常識や人の意見、自分の考えにとらわれて行動して、信仰がどんどん縮こまっていく…。星を見上げましょう。星を見上げるとは、神さまを見上げて祈ることです。みことばに聞くということです。博士たちが東の国で古の書を広げて「ヤコブに一つの星が上る」と見つけて、それを頼りに旅に出たように、みことばに導かれましょう。そうすれば的外れなところに行くことはないでしょう。

さて、王は民の祭司長たち、律法学者たちをみな集め、キリスト(メシア)はどこで生まれるのかと問いただします。彼らはすぐに答えられました。そして700年前のミカという預言者の言葉を出してきて言うのです。「ユダヤのベツレヘムです。」彼らは知っていた。でも知っているのと、求めるのとは大きな隔たりがあります。当時の宗教家たちは知っていた。でも捜し求めなかったのです。ある人は、ここに救いがあると知っている。知ってるけど、今は他のことに夢中だから、働き盛りで仕事が忙しいから、子育て中だから、救いは逃げはしないだろう、そう言って求めることを先延ばしにしています。知っているなら、イエスさまに会いに行きましょう。「今が恵みの時、救いの日」です。

ヘロデ王は、ご用学者たちの話しを聞き、博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞きました。そして「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」と口から出まかせを言って、おとり捜査?をさせるためにベツレヘムに送り出したのでした。博士たちは、言われるがまま、とりあえずエルサレムから10キロ弱ぐらいにあるベツレヘムを目指して出発しました。ベツレヘムは偉大な王ダビデの出身地ということで伝統のある町でしたが、その当時は小さな町で、せいぜい100世帯ぐらいしかなかったと言われています。しかしながら、小さな町とは言っても、外国人の彼らにとっては未知の世界、どうやって救い主を見つけ出していいものかと思いつつ空を見上げた…。すると東の国で見たあの不思議な星がまた現れ、彼らを先導したのです。私たちも行き詰って、八方ふさがりになって、やっと上を見上げるのではないでしょうか。下を向いていないで上を見上げましょう。そこには「星」があり、私たちを導いてくれます。博士たちは大喜びでその星について行き、とうとう幼子イエスさまがいらっしゃるところにたどり着きました。

それにしても、外国からのキャラバン隊の訪問に、マリヤとヨセフは驚いたことでしょう。博士たちはそこにおられる、もう歩き始めているであろう幼子を見て、ひれ伏して礼拝をしたのです。そうしてうやうやしく宝の箱を開けて、「黄金、乳香、没薬」を贈り物としてささげました。これら三つは、王にささげられる最高の贈り物の組み合わせでした。博士たちは、幼子を礼拝をしました。遠い国、小さな国の王様としてではなく、自分たちの王として、そして世界を統べ治める王として、この幼子を礼拝し、このお方にふさわしい贈り物をささげたのです。

そして、彼らは夢でヘロデのところへ戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国へ帰って行きました。彼らはもう人の声や自分の声、この世の常識や風潮に従わない、神の声に聴いて、それに従いました。それが別の道から帰るということです。帰るところは同じかもしれません。異教の地です。けれども彼らは救い主と出会った喜び、礼拝の喜びを胸に、今までとは違う人生を歩み始めたのです。お祈りします。

齋藤千恵子牧師


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