スキップしてメイン コンテンツに移動

一粒の麦(ヨハネの福音書12:24~26)


「一粒の麦」

ヨハネの福音書12:24~26

24節「 まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」

 イエスさまは、「死」について語られました。「死」の話しはできれば避けたいものです。縁起でもないと遠ざけるが死の話題です。しかも今この時、この場面でイエスさまが「死」について話されるのは意外なことでした。なぜなら、たった今、熱狂的なイエスさまファンに迎えられ、お祭りのような騒ぎでエレサレムに入城したばかりだったからです。そのイエスさまが「死」について語る。しかも他の誰でもない、ご自分の「死」について。私たちは人生の絶頂期に「死」を考えるでしょうか。できれば、この絶頂期を満喫し、自分の意識から「死」遠ざけ、なるべく見ないようにするのではないでしょうか。しかしイエスさまは、地上の生涯で、一瞬たりとも「死」から目を離したがありませんでした。むしろイエスさまの短い生涯は、「死」を目指すものだったのです。「死」こそが、イエスさまの究極の目的だったのです。

ところが23節で、死を語る前に、イエスさまは言うのです。「人の子が栄光を受ける時が来ました」。人々の歓喜の中、エルサレム入城したときこそふさわしい言葉ではないでしょうか。けれども、イエスさまはエルサレム入城のそのときには、そんなことおっしゃいませんでした。イエスさまは知っていたのです。そんな歓喜は泡のように消えてしまうことを。実際、この後すぐに、人々の歓喜の声は、「十字架につけろ!」という怒号に変わるからです。イエスさまの栄光は絶頂期にはなかった。そして今、イエスさまは静かに、「栄光を受ける時が来た」というのです。いったい何があったのでしょうか。それは、何人かのギリシア人が、ピリポとアンデレを通して、イエスさまに面会を頼んだ出来事でした。ユダヤ人たちは政治的メシア(救世主)としてのイエスさまを歓迎しました。しかし、ギリシア人たちは、イエスさまを政治的メシアとして期待して会いに来たわけではありません。彼らの期待は、自分たち異邦人も含む、世界のメシアとしてのイエスさまだったのです。彼らはユダヤ人の祭りのためにエルサレムを訪れていた巡礼者ですから、イスラエルの神を信じる人々でした。けれども、異邦人ですから、神殿の外庭(異邦人の庭)までしか入れません。けれども彼らは、異邦人の自分たちが期待してもいい何かをイエスさまに感じたのでしょう。だから、イエスさまのお弟子のピリポに頼みました。「お願いします。イエスにお目にかかりたいのです」と。ピリポはもう一人のお弟子アンデレに話し、二人はイエスさまのところに行って取り次ぎました。当時、ユダヤ人にとって異邦人であるギリシア人は、見下げられている存在であったにも関わらず、今やスーパースターのイエスさまを紹介することを拒まなかったピリポとアンデレの行動は、イエスさまのみこころにかないました。そして、イエスさまは彼らに重要なメッセージを語られたのです。「人の子が栄光を受ける時が来ました!」ユダヤ人に熱狂的に迎えられた、あの時ではなく、今この異邦人たちが私と話したいというこの時こそ私の栄光の時なのだ。そしてさらなる栄光を受けるために、私は十字架へと向かうのだ。…そして一粒の麦の話しです。

ユダヤの種まきは、イエスさまが話された「種まきのたとえ」に見るように、一粒ごと穴をほって埋めるのでなく、投げ捨てるように種を蒔きます。そして無造作に蒔いた種からやがて芽が出て麦がたわわに実るのです。投げ捨てられたような種から無数の新しいいのちが芽生え、また育ち、多くの実を結び、その種がまた地に落ちてやがては実を結ぶ…、そんな繰り返される自然の営みをイメージしながらイエスさまは語ります。イエスさまは、数日後には、人々に投げ捨てられるかのように、むち打たれ、手足に釘を打たれて死にます。「一粒の麦」の中に、イエスさまは、そんなご自分の姿を見ました。けれどもイエスさまは知っておられました。投げ捨てられた種には、いのちの源がある。そして、その一粒の死によって、やがては多くの人々がいのちを得、それを永遠に持つようになるのだと。

この「一粒の麦」は紛れもなく、イエスさまのことです。神の子イエスさまは人となり、この地上に生まれてくださいました。そして地上での生涯で、ただの一度も罪を犯すことなく、神に従い通してくださり、果てには、私たちの罪を背負い、私たちの代わりに神からの罰を受けて死んでくださったのです。イエスさまの死だけが、人々を救うことができる。多くの実を結ぶことができるのです。私たちの死とは、全然意味が違う。人の歴史が始まって終わるまでの、その人類の救いがかかっている死なのです。この「一粒の麦」はそんなダイナミックな意義を持つ死でした。

そう、「一粒の麦」はイエスさまの専売特許。人間は一粒の麦にはなり得ないのです。しかしここでイエスさまは、弟子たちに向かってチャレンジを与えます。

25-26節「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになります。わたしに仕えるなら、父はその人を重んじてくださいます。」

これはどういうことでしょうか。聖書の中には、「愛する」と「憎む」という対比がよく出てきます。このような表現はいわゆるへブル的な表現で、優先順位をはっきりとさせるときに用います。自分のいのちに固執するものはそれを失い、それを手離して、イエスさまにおゆだねするときに、私たちは本当の意味で生きることができ、肉体が死んだ後も、おゆだねしたイエスさまのもとで永遠に生きるのだと言っているのです。

「自分のいのち」というのは、「自分」「私」そのものだと言ってもいいでしょう。私たちは、生きていく上で「私」を手離すことが難しい。最近橋爪大三郎氏の「死の講義」という本を読んだのですが、その中に、人はなぜ「死」から目を背けようとするのか、恐れるのかということが書いてありました。それは「死」というのは、この現実世界から「私」がいなくなることだからだと言っています。それだけ私たちは「私」中心に生きているのです。「私」という視点から離れることができないのが人間です。私のいない家族、私がいない職場、私がいない学校、教会、社会を想像してみてください。なんとも言えない寂しさ、空しさがこみあげて来ないでしょうか。けれども聖書は一貫して、私たちがしっかりと握っている「私」を主に明け渡していくこと、主にお任せすることを勧めています。26節の「わたしについてきなさい」という勧めも、「わたしがいるところに、わたしに仕える者もいる」というチャレンジも同じことです。イエスさまが「一粒の麦」になったように、私たちも自分に死んで、「私」を両手でイエスさまにお渡ししましょうという勧めです。「私」が心の中心にどっかりと座って、王さまになっているうちは、イエスさまの居場所はありません。聖霊によって心が満たされることもありません。それは残念なことです。聖霊が私たちの心を支配するなら、私たちは豊かな実を結ぶからです。御霊の実は何ですか?「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、時制」です。イエスさまは、私たちに、実を結ぶ人生を生きるようにと迫っておられるのです。

 今はもう亡くなりましたが、もとノートルダム清心女学園理事長、渡辺和子さんをご存知でしょうか。「置かれた場所で咲きなさい」という本が230万部以上売れ、ベストセラーになりました。その渡辺和子氏が「小さな死」ということを言っておられました。以下は渡辺和子氏のことばです。

 私が修道院に入りました時に目上の方に、「私はイエスのように十字架の上で死ぬ覚悟ができています」と生意気に申し上げました時に、目上の方が「いいえ、これからのあなたの十字架は、毎日毎日針の先でチクチク刺されるような、そういう痛みを笑顔で受けることなのですよ。決して華々しい死ではなくて、本当に人知れず、人知れず自分が受ける小さな苦しみを人に悟られることとなく受けていくこと」と、おっしゃってくださいました。

そして、修道院に入りましてから今50年経っておりますが、私は、日本語ではちょっとおかしな言葉かもしれませんけども、「小さな死」という言葉を自分の一つのモットーにしております。

  それは、人は誰しも迎えなければならない「大きな死」のリハーサル、それを毎日繰り返すということです。リハーサルをすればするほど本番が落ち着いてパフォームすることができるように、毎日の生活の中で「小さな死」を事あるごとに繰り返すことによって、しかも美しく繰り返していくことによって、もしかしたら大きな死を、心静かに美しく迎えることができるかもしれないと思います。わかりませんけれども、自分の毎日の体の不調とか、むつかしい人間関係とか、どうしても人様に話さなければいけない嫌なこととか、腹が立つこと、たくさんそういうことがございますけれども、そういうことを一つ一つ逃げないで自分らしく受け止めていく。

そしてもう一つ大切なのは、頭で「小さな死」を遂げるのではなくて、口の中で「小さな死」と、人に聴こえないようにつぶやくことなんです。これはわたしが経験して習いました。頭だけで、心だけで思っているだけでは駄目なんですね。やっぱり自分の口で「小さな死」とつぶやく。そうすることによって何か「小さな死」を意味あるものに変えることができると思います。つまり私たちは人に殺されるのではなくて、自分が主体性をもって死ぬんです。しかも、それは意味のある死に変えることができるんだと思います。

イエスさまは、「わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになります」とおっしゃいました。「一粒の麦」になって死んでくださった、イエスさまに助けていただいて、小さな死を繰り返す。それが、「イエスさまのいる」ということなのでしょう。イエスさまは「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」とも言われました。私たちは、あまりにも自分中心で、「私」がかわいいので、十字架を避けて、隅へ押しやって、負おうとしません。けれども日常生活の針でさされるような小さな十字架を私たちもイエスさまといっしょに担わせていただきませんか?私たちの小さな死は、きっとまわりに平和をもたらし、愛で潤し、やがては豊かな実を結ぶことになるでしょう。そうして迎える大きな死の果てで、私たちは永遠のいのちをもって、永遠に主をほめたたえて生きるのです。


コメント

このブログの人気の投稿

人生の分かれ道(創世記13:1~18)

「人生の分かれ道」 創世記13:1~18 さて、エジプト王ファラオから、多くの家畜や金銀をもらったアブラムは、非常に豊かになって、ネゲブに帰って来ました。実は甥っ子ロトもエジプトへ同行していたことが1節の記述でわかります。なるほど、エジプトで妻サライを妹だと偽って、自分の命を守ろうとしたのは、ロトのこともあったのだなと思いました。エジプトでアブラムが殺されたら、ロトは、実の親ばかりではなく、育ての親であるアブラムまでも失ってしまうことになります。アブラムは何としてもそれは避けなければ…と考えたのかもしれません。 とにかくアブラム夫妻とロトは経済的に非常に裕福になって帰って来ました。そして、ネゲブから更に北に進み、ベテルまで来ました。ここは、以前カナンの地に着いた時に、神さまからこの地を与えると約束をいただいて、礼拝をしたところでした。彼はそこで、もう一度祭壇を築き、「主の御名を呼び求めた」、つまり祈りをささげたのです。そして彼らは、その地に滞在することになりました。 ところが、ここで問題が起こります。アブラムの家畜の牧者たちと、ロトの家畜の牧者たちとの間に争いが起こったのです。理由は、彼らの所有するものが多過ぎたということでした。確かに、たくさんの家畜を持っていると、牧草の問題、水の問題などが出てきます。しかも、その地にはすでに、カナン人とペリジ人という先住民がいたので、牧草や水の優先権はそちらにあります。先住民に気を遣いながら、二つの大所帯が分け合って、仲良く暮らすというのは、現実問題難しかったということでしょう。そこで、アブラムはロトに提案するのです。「別れて行ってくれないか」と。 多くの財産を持ったことがないので、私にはわかりませんが、お金持ちにはお金持ちの悩みがあるようです。遺産相続で兄弟や親族の間に諍いが起こるというのは、よくある話ですし、財産管理のために、多くの時間と労力を費やさなければならないようです。また、絶えず、所有物についての不安が付きまとうとも聞いたことがあります。お金持は、傍から見るほど幸せではないのかもしれません。 1900年初頭にドイツの社会学者、マックス・ウェーバーという人が、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、略して『プロ倫』という論文を出しました。そこに書かれていることを簡単にまとめると、プロテス...

飼葉桶に生まれたキリスト(ルカの福音書2:1~7)

「飼葉桶に生まれたキリスト」(ルカ 2:1-7 ) 齋藤五十三 1.     ローマの平和の中で 6-7 節(読む)  今お読みした二節は待ちに待った救い主がちょうど生まれた場面なのに、拍子抜けするほどにあっさりしています。取り分け、この誕生前後のストーリーが華やかでしたから、なおのこと奇妙な感じなのです。このすぐ前のルカ1章には、何が描かれていましたか。そこには有名な絵画にもなった処女マリアへの受胎告知がありました。「マリア。あなたは神から恵みを受けたのです」と語る御使いの姿は、実に印象深いものでした。その他にも1章にはマリアの歌があり、ザカリアの預言ありと絵になる光景の連続なのですが、いざ、イエスさまの誕生となったら、実にあっさりとわずか二節。まるで華やかな前奏を聞いた後、いざメロディーに入ると、わずか二章節で終わってしまうかのような肩透かしです。  でも冷静に考えれば、救い主誕生に華やかな期待を抱いていたのは、聖書を読んでいる私たちだけなのかもしれません。世界はローマを中心に動いている時代です。ひとたび皇帝の勅令が出ると、すぐにローマ世界の民が一気に大移動していく。そんな騒がしさの中、救い主の誕生はすっかりかすんでしまうのです。そう、イエスさまの誕生は歴史の片隅でひっそりと起こった、まことに小さな出来事であったのでした。  しかも、生まれた場所が場所です。ギリシア語の原文を見れば、ここで言う宿屋は最低限の安宿で、そこにすら場所がなく、我らが救い主は何と飼葉桶に生まれていく。謙遜と言えば聞こえはいいですが、これは何とも寂しい、惨めな誕生でもあったのです。  それに比べて、圧倒されるのが皇帝アウグストゥスの力です。この時代はローマの平和(ラテン語ではパクスロマーナ)と呼ばれるローマの武力による平和が約 200 年続いた時代でした。平和でしたから人々の大移動が可能で、ひとたび皇帝が声を上げれば、多くの民が一斉に動いていく。パクスロマーナは、この皇帝の絶大な権力に支えられていたのです。  住民登録による人口調査は納税額を調べ、国家予算の算盤をはじくためであったと言います。いつの時代も権力者が考えることは同じです。日本では大昔、太閤検地と言って、豊臣秀吉が大勢の人々を動かし、いくら租税を取れるかと算盤をはじいた...

心から歌って賛美する(エペソ人への手紙5:19)

「心から歌って賛美する」 エペソ人への手紙5:19 今年の年間テーマは、「賛美する教会」で、聖句は、今日の聖書箇所です。昨年2024年は「分かち合う教会」、2023年は「福音に立つ教会」、2022年や「世の光としての教会」、2021年は「祈る教会」、 20 20年は「聖書に親しむ教会」でした。このように振り返ってみると、全体的にバランスのとれたよいテーマだったと思います。そして、私たちが、神さまから与えられたテーマを1年間心に留め、実践しようとするときに、主は豊かに祝福してくださいました。 今年「賛美する教会」に決めたきっかけは二つあります。一つは、ゴスペルクラスです。昨年一年は人数的には振るわなかったのですが、個人的には、ゴスペルの歌と歌詞に感動し、励ましを得た一年でもありました。私の家から教会までは車で45分なのですが、自分のパートを練習するために、片道はゴスペルのCDを聞き、片道は「聞くドラマ聖書」を聞いて過ごしました。たとえば春期のゴスペルクラスで歌った「 He can do anything !」は、何度も私の頭と心でリピートされました。 I cant do anything but He can do anything! 私にはできない、でも神にはなんでもできる。賛美は力です。信仰告白です。そして私たちが信仰を告白するときに、神さまは必ず応答してくださいます。 もう一つのきっかけは、クリスマスコンサートのときの内藤容子さんの賛美です。改めて賛美の力を感じました。彼女の歌う歌は「歌うみことば」「歌う信仰告白」とよく言われるのですが、まさに、みことばと彼女の信仰告白が、私たちの心に強く訴えかけました。   さて、今日の聖書箇所をもう一度読みましょう。エペソ人への手紙 5 章 19 節、 「詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。」 「詩と賛美と霊の歌」というのは何でしょうか。「詩」というのは、「詩篇」のことです。初代教会の礼拝では詩篇の朗読は欠かせませんでした。しかも礼拝の中で詩篇を歌うのです。確かにもともと詩篇は、楽器と共に歌われましたから、本来的な用いられ方なのでしょう。今でも礼拝の中で詩篇歌を用いる教会があります。 二つ目の「賛美」は、信仰告白の歌のことです。私たちは礼拝の中...