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恐れることはありません(マタイ28:1〜15)

「恐れることはありません」
マタイの福音書28:1~15

イエスさまが死んで、墓に葬られたのは金曜日の夕方でした。ユダヤ人の安息日は金曜日の日没から始まります。イエスさまが息を引き取られたのは、午後3時頃ですから、死体の引き渡しから葬りまで、3時間ぐらいしかなかったと思われます。彼らは埋葬を急がなくてはなりませんでした。幸いアリマタヤのヨセフというサンヘドリン議員で、ユダヤ社会で信頼され、しかも裕福だった人が、自分の所有するお墓を提供してくれました。そこで大急ぎでイエスの死体を十字架から取り下ろし、最低限の処置だけしてお墓に葬ったのです。イエスさまが埋葬される様子をそばでじっと見ていた女性たちは、本来なされるべき処置(遺体に没薬や乳香を塗る)が十分なされていないことが、気が気ではなかったようです。

安息日は金曜日の日没後から土曜日の日没まででした。けれども夜に出歩くことはできませんから、安息日の明けた翌日、日曜日の夜明けを待って、女たちは墓へと急いだのでした。手には没薬や乳香などを持っていました。イエスさまのお体に塗るためです。気になるのは墓の前の大きな石でした。彼女たちは道々、そんなことを話し合いながら、墓へと向かったのです。彼女たちはしっかりと埋葬の様子を見届けていますから、墓を間違えることはありません。ところが墓に到着するなり、突然大きな地震が起こり、主の使いが天からが下りて来て、石を脇に転がし、その上に座ったというのです。墓の前にはたくさんのローマ兵が墓の番をしていました。ところが、「その姿は稲妻のようで、衣は雪のように白い」御使いの姿を見たときに、勇敢でマッチョなローマ兵たちも、恐ろしさのために震え上がり、腰が抜けてしまったようです。

だいたいどうして、こんなに厳重な見張りがなされていたのでしょうか。VIP待遇です。それには伏線がありました。前の章の最後のところに書いてあるように、祭司長たちとパリサイ人がピラトに頼んだのです。63-64節「閣下。人を惑わすあの男がまだ生きていたとき、『わたしは三日後によみがえる』と言っていたのを、私たちは思い出しました。 ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと弟子たちが来て、彼を盗み出し、『死人の中からよみがえった』と民に言うかもしれません。そうなると、この惑わしの方が、前の惑わしよりもひどいものになります。」これを聞いてピラトは、「番兵を出してやろう。行って、できるだけしっかりと番をするがよい。」と答え、異例の警備態勢で墓の番をさせたのでした。

どうでしょうか、これを見ると、パリサイ人や祭司長たちの方が、弟子たちよりよっぽど、イエスの復活を意識していました。イエスの弟子たち、そして女たちも、イエスのからだの復活のことは全く考えられなかったようです。弟子たちは意気消沈してこもっていますし、女たちも遺体に薬や香料を塗ることばかりを考えていました。また、今日の聖書箇所では、女性たちはとにかく恐れていました。5節で御使いは女たちに「恐れることはありません」(5節)と言っていますし、彼女たちは、御使いのお告げを聞いた後も「恐ろしくはあったが」(8節)と恐れています。そしてその後、イエスに会った時さえも、イエスさまは彼女たちに、「恐れることはありません」と言わなければならなかったのです。とにかく、彼女たちにとって、復活は予期せぬ出来事だったことがわかります。イエスの復活をでっちあげだと主張する人々は、女の弟子たちのイエスさまに対する熱烈な愛が、イエスさまの復活への期待となり、妄想の中でこのような復活物語を作り上げたのだと言います。しかし、ここに見る女たちは、十字架にかかるイエスさまを間近で見、イエスの体がお墓に納められる過程もしっかりと見届けた人たちです。ですから、その状態からよみがえるなどということは、全く考えられなかったのです。彼女たちが乳香や没薬のような死体に塗る薬や香料を持って行ったのは、その何よりの証拠です。

またある人は言います。現代人と違って、当時の人たちは、復活のような不思議な出来事を信じやすかったのではないかと。とんでもないです。当時の人々も現代人と同じです。彼女たちの「恐れ」がそれを物語っています。イエスさまはマタイの福音書の中だけでも5回、ご自身の復活のことをはっきりと預言、予告しているのに、それを直接聞いている弟子たちでさえ、全くそれを信じていなかったし、あり得ないことだとしていたのです。ルカ福音書24章では、女の弟子たちが、復活の主に会ったと男の弟子たちに報告した時も、彼らは女たちのことばは「たわ言に思われた。」と言っています。当時の人々は単純で、迷信深かったため、復活を信じられたのだということはありません。 

他にも、復活はでっちあげだとする説は数多くあります。少なくとも日本では、復活を信じないクリスチャンの方が、復活を信じるクリスチャンより多いのではないでしょうか。しかし復活が歴史上起った事実だとする証拠はたくさんあります。実は復活はなかったとすると、説明のつかないことが多々あるのです。

まずは「空の墓」です。「空の墓」つまり遺体がなかったのです。悲しいことですが、ニュースで子どもが行方不明になる事件が時々報道されます。親はもちろん、子どもが生きて帰ってくることを期待しますが、4日、5日、1週間も経つと、生存の可能性が低くなります。それでも親は子どもの遺体を見るまでは、子どもがどこかで必ず生きていると信じ、捜索を続けるのです。そして、遺体を発見し、それを目にして、はじめて「ああ、子どもは死んだのだ」と、一切の生存の可能性、期待を失い、別れの悲しみに移行するのです。このように、もし、祭司長やパリサイ人たちが、イエスは死んだんだと、復活などしていないと証明したいなら、遺体を見つけ出せばよかったのです。そしてそれを弟子たちやイエスを信じる人々に見せて「ほらごらん、ここに遺体がある」と言えば、もう誰もイエスは復活したとは言わないでしょう。ところが遺体は、どこを探してもなかった。誰もイエスの遺体を見つけ出すことはできなかったのです。

では、弟子たちが盗み出したという可能性はどうでしょうか。実際ユダヤ人の間では、11~15節までのユダヤ人たちのつくり話しが広まり、今でもそういうことになっています。13節では、祭司長、パリサイ人たちが墓の番兵に言いました。「『弟子たちが夜やって来て、我々が眠っている間にイエスを盗んで行った』と言いなさい。」しかし、当時のルールとして、ローマ兵が居眠りして、囚人を逃したら死刑でした。思い出してください。パウロとシラスが主の不思議な介在によって脱獄したときに、ローマ兵は自害しようとしたではありませんか。けれども、この時のローマ兵は死刑になりませんでした。それどころか14節にあるように、祭司長たちは言います。「もしこのことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」15節「そこで、彼らは金をもらって、言われたとおりにした。」死刑どころが、口止め料をもらって彼らは無罪放免となりました。

また仮に、弟子たちがイエスの遺体を盗み出したとしましょう。そうやって、「イエスは復活した」とでっちあげたとします。しかし、この後、弟子たちは「イエスは復活した」と大胆に宣べ伝えるようになります。その変化は目覚ましいもので、十字架を前に散り散りばらばらに逃げて行った弟子たちからは考えられないほどの変化です。彼らはこの後、ユダヤ人から、また後にはローマ帝国からひどい迫害を受けるようになります。そして多くの復活の証人と呼ばれる使徒たちは、最後は殉教の死を遂げるのです。自分たちででっちあげた「うそ」のために、人はいのちをかけられるでしょうか。弟子たちの変化、それこそがイエスの復活が事実であることの証拠なのです。

第一目撃者が女性だったことは、4つの福音書すべてに共通していることです。当時女性は、正式な裁判で証人として証言台に立つことはできませんでした。女性の証言は信頼性がないとみなされていたのです。もし福音書の記者たちが、復活の物語を作り上げて、イエスの復活を信じさせたいという意図があるなら、男性を第一目撃者にするべきでした。また4つの福音書の復活のストーリーが微妙に違うのも、むしろ復活が事実であったことを証明しています。もし4つの福音書が細部にわたるまで一致していたら、お互い示し合わせている可能性があり、かえって信憑性が疑われます。細部にわたっては違いがある。けれども空の墓と女たちが復活の主に会ったというこの中心的なメッセージは、4つの福音書すべてで一致しているのです。

最後にイエスの復活については多くの信頼できる証人たちがいるということです。イエスの弟子のようなコアメンバーだけではない、500人もの人にイエスは現れてくださったのです。そしてパウロの時代にも証言者は生きていたとパウロの手紙に記されています。そしてマタイの福音書28章16~17節では、「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示された山に登った。そしてイエスに会って礼拝した。ただし、疑う者たちもいた。」とあります。復活の主にお会いし、礼拝しながらも疑う者たちがいた…、もし、復活を信じさせようという目的でこの福音書を記したのであるならば、どうして「疑う者たちもいた」なんていうことを書くのでしょう。福音書記者は、どこまでも正直に、事実だけを書きたかったのです。 

先週と今週と、私たちは復活の記事を見てきました。復活のイエスさまに出会った人々は、みな恐れていました。なぜもっと両手放しで喜べなかったのかと思います。イエスさまが何度もご自身で復活の予告をしていたのに、どうしてそれを信じられなかったのかと私たちは思うのです。でもそれでいいのかもしれません。それが人間なのです。復活という、人間の理解を越えた出来事を前に、人は恐れ、戸惑うものなのです。ですから、恐れたままでいい、疑ったままでいい、そしてそのまま、正直に復活のイエスの御前に出ればいいのです。女たちが8節で「恐ろしくはあったが大いに喜んで急いで墓から立ち去り、弟子たちに知らせようと走って行った」とあるように、私たちも恐ろしいなら恐ろしいまま、疑いがあるなら疑いのあるまま、それでも女たちのように、「イエスはよみがえられた」との知らせを人々に分かち合うときに、復活の信仰も希望も喜びも、必ずや私たちの中で確かなものとなっていくことでしょう。そして来たるべき日には、イエスさまのように栄光のからだをもってよみがえるのです!


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