「カエサルに上訴」
今日は新しい総督が出てきます。先週までの総督フェリクスは、パウロについて、また「この道」と呼ばれるナザレ人イエスの教えについての知識が豊富で、興味関心もありました。ところが、今の地位や名声、富を失うことを恐れて、結局は悔い改めてイエスさまを信じることができず、2年の月日が空しく流れ、やがてはユダヤ総督の座から退くことになりました。
こうして新しくユダヤ総督として就任したのが、今日出て来るフェストゥスです。フェストゥス総督は、この時から3年、ユダヤ地方含むシリア州を治めることになります。 フェストゥスについての資料はあまりないのですが、今日の聖書箇所に記されている彼のふるまいを見るだけで、彼が職務に忠実で賢い総督であったことが想像できます。どうしてそう思うのか。いくつかのことがあげられます。
一つは、彼が着任三日後に、自らエルサレムに赴き、宗教的、また政治的指導者たちに会い、ユダヤ人たちと友好な関係を築こうとしているからです。何度も言うように、ユダヤ人というのは一筋縄ではいかない非常に統治するのに難しい民族です。民族意識が強く、律法に厳格で、創造主なる神を信じる民族。そして自分たちは他のどの民族よりもすぐれていると自負している誇り高き人々です。フェストゥスは、先のフェリクスと比べると、ユダヤ人に対する知識はなかったかもしれませんが、それでも、ユダヤ人たちが特異な民族であることは、よく承知していたので、自分が今後仕事がしやすいようにと、まずは、ユダヤ人の指導者たちにあいさつをするために、エルサレムに赴きました。
二つ目は、フェストゥスは、エルサレムに8日から10日滞在しました。その間、祭司長やおもだった者たちが、パウロの話しを持ちかけ、もう一度彼をエルサレムに呼び寄せてほしいと頼んだのですが、フェストゥスはそれを断りました。4節では、パウロはカエサリアに監禁されているし、自分も間もなく出発する予定だから無理だと言っていますが、本当のところは、パウロはローマ市民で、今ローマの法の下で裁きを受けているのに、今更エルサレムに戻すわけにはいかないというのが真意だったと思います。それをやんわりと、「いやいや、私はもう帰るから、そんな無理を言わないでくださいな」とユダヤ人たちの機嫌を損ねないように伝えたということでしょう。実際彼らは、パウロを呼び寄せてもらったら、その道中で、待ち伏せして殺そうとしていたのです。
三つめは、フェストゥスがカエサリアに帰ると、翌日すぐに裁判の席に着き、パウロに出廷を命じていることです。できる人というのは、目の前の仕事を先延ばしにするのを好みません。今日できることは今日やる、それが彼のモットーだったのでしょう。
そして、最後、フェストゥス総督は、裁判の終わりにパウロが、「私はカエサルに上訴します!」と言うと、その場で、陪席の者たちと相談して、すぐに決断しました。「おまえはカエサルに上訴したのだから、カエサルのもとに行くことになる!」と。本当に素早い決断です。前の総督フェリクスが2年かかってもできなかったことを、着任して数週間で決着をつけてしまいました。
しかしながらフェストゥス総督には、人間的な計算も見え隠れします。着任早々エルサレムにあいさつに行ったことも、パウロをエルサレムに呼び寄るといったユダヤ人の提案を拒絶したのも、彼は頭の中で素早く計算して、何が得策かをいつも考えていたと思われます。9節を見てみましょう。「ところが、ユダヤ人たちの機嫌を取ろうとしたフェストゥスは、パウロに向かって、『おまえはエルサレムに上り、そこでこれらの件について、私の前で裁判を受けることを望むか』と尋ねた。」とあります。ここに、ユダヤ人たちの機嫌を取ろうしたフェストゥスがいます。彼は確かに非常にできる、忠実で切れる総督ではありましたが、やはり人を恐れているのです。人を恐れるところに本当の自由はありません。そしてこれが、人の限界なのかもしれません。
そんなうまく立ち回ろうとする総督の姿を見るにつけ、パウロの全くぶれない姿勢に驚かされます。彼は、性懲りもなく、何の根拠もない訴えを突き付けてくる祭司長やユダヤ人のおもだった人たちに、毅然とした態度で、二年前と同じ弁明をします。でっちあげの話しだったら、2年も経てば、詳細な部分は変わってくるでしょう。けれども、パウロは真実しか語っていないので、2年前と全く同じことを語ります。例の三つのことです。①私はユダヤ人の律法に背いていない ②私は宮を汚していない(異邦人を連れ込んでいない) ③私はローマの治安を乱してはいないしそんなたくらみもなかった。この三つです。そして総督の提案「エルサレムで裁判を受けるか」についても、きっぱり「私はカエサルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です」と断ります。その上で「もし私が悪いことをし、死に値する何かをしたのなら、私は死を免れようとは思いません。」と言い、自分は何も保身でこんなことを言っているのではないと主張しています。そして最後こう叫ぶのです。「私はカエサルに上訴します!」そうです。パウロはローマ市民でした。ローマ市民は、裁判に不服がある時には、カエサル(ローマ皇帝)に上訴する権利をもっています。パウロは「ローマ市民」の使いどころをよく知っていました。パウロはその時思ったことでしょう。ああ、今、事が動こうとしている。2年間全く動かなかった事態が、今動こうとしている。そう、自分はローマで福音を伝えるようにと主に召されているのだった! こうして目の前の扉が、今開いたのです。神さまのGoサインでした!
小さな証しをします。私は、大学生の頃に、神さまから牧師(当時、女性は牧師にはなれなかったのですが)の召しをいただきました。私はその召しを握って、大学卒業後に当時の東京基督神学校に進みました。幸いなことに結婚願望が全くなかったので、これは独身で「婦人伝道者」になるということだなと思い、そのつもりで学び、準備をし、母教団に戻って一年、ドイツ人の先生を助けながら過ごしました。ところが、その後結婚に導かれ、牧師夫人になりました。その時は、「ああ、こういうかたちの献身もあるよね」と、特に不満はなかったのですが、心のどこかで、もっと自由に伝道したい、みことばを語りたい、与えられたビジョンと賜物を用いて、教会を建て上げたいという思いがいつもありました。そして、新潟の教会で8年と少し牧会した後に、主人と共に台湾宣教師になりました。子どもが小さい頃は、異文化の中で、子どもを守り、育てるだけで精一杯だったのですが、子どもたちが大きくなると、少し余裕が出てきました。そして、台湾での最後の6年は、教会開拓に携わらせていただき、毎日学校帰りに教会に来る30人ぐらいの子どもたちの学習支援をし、聖書のお話をしました。また、当時協力していた牧師夫人といっしょに「性教育」や「問題解決」プログラムを携え、近隣の小中学校に出向いて授業をしました。また、主日の午後には、個人的に若い女性たちと聖書の学びをし、それはもう充実した毎日でした。ああ、今私はずっとやりたかった働きをしている。これが私の召しなのだろうと思いました。ところが、そんな時期は長くは続かず、やがて台湾を引き上げることになりました。日本帰国が決まった時に、一人の神学校時代のお友だちが、私に、日本に帰ったら牧師になるように強く勧めました。そうなのです。私が台湾にいる間に、同盟教団は、既婚女性も正教師試験を受けられるようになり、按手を受けて牧師になれるようになっていたのです。けれどもその時は、まさかと思いました。正教師試験を受けるには、歳を取り過ぎている。今から正教師論文など書けるわけがないと思いました。でも、時間が経つにつれて、主が扉を開いてくださったのなら、Goサインを出してくださったのなら、私はそれに従わなければいけないと思いました。大丈夫、主のみこころでなければ、試験には合格しない。そんな変な安心感もあり、日本に帰国して試験を受けたら、まさかの合格。そして、正教師の按手を受け、最初の赴任地が、新船橋キリスト教会です。ローマ書の11章29節のみことばが胸に響きました。「神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。」
パウロは思わず、「カエサルに上訴します!」と叫びました。そして、フェストゥス総督が、「おまえはカエサルに上訴したのだから、カエサルのもとに行くことになる。」とそれに応じました。…カエサルのもと、それはローマです。23章11節で、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と、寝ているパウロの枕元で主が語られたそのことばが、今やっと実現しようとしています。
私たちクリスチャンは、二つの時計を持っています。一つは一日24時間のこの時計。もう一つは神の時計です。私たちは自分の時計ばかりを見て、あせったり、失望したり、あきらめたりします。けれども私たちにはもう一つの時計があるのです。それは神さまの時計です。神さまの時計は、人の目には長すぎたり、短すぎたりするかもしれません。神の時計はいつも自由で柔軟だからです。けれども、神の時はいつも最善です。そして神の計画は、神の時が来たら必ず実現します。箴言19章21節「人の心には多くの思いがある。しかし、【主】の計画こそが実現する。」のです。私たちは神の時計に従って生きること、神の時を信じて待つことを学びたいと思います。
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