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そして今!(使徒の働き26:1〜11)


「そして今」
使徒の働き26:1~11

さて、今回もパウロの弁明です。エルサレムの神殿で騒ぎが起こってから、すでに5回目の弁明です。パウロが異邦人を宮に連れ込んだとの誤解から暴動が起こり、集団リンチに遭ったパウロでしたが、九死に一生を得、ローマ兵たちに保護されたところで、向き直って、神殿に集まっていたユダヤ人たちに弁明したのが1回目。その後エルサレムにあるローマ軍の要塞で、ユダヤ人たちの最高議会が招集され、そこで弁明する機会を得たのが二回目。その時は、「復活はある派」のパリサイ人と、「復活はない派」のサドカイ人の分裂が起こり、ほとんど弁明できないまま終わったのでした。そして3回目は、千人隊長クラウディア・リシアの判断でカエサリアに護送された5日後に、大祭司アナニアと長老たち、そして弁護士テルティロが、総督フェリクスの前でパウロを訴えたときでした。そして、二年後、新しい総督フェストゥスが就任したのを機に、再びユダヤ人たちがカエサリアに訪れ、彼を訴えました。これが4回目です。ところが告訴に値するような証拠はなく、行き詰まったところで、パウロが「カエサルに上訴します」と申し出たのでした。ところが困ったことにカエサルに上訴するにも「告訴理由」がない。そこでフェストゥスは、アグリッパ王たちがカエサリアを訪れたのを機に、公聴会を開き、パウロに弁明させ、何か告訴理由の手掛かりになるものを見つけようとしたというのが今日の場面です。

 

26:1 「アグリッパはパウロに向かって、「自分のことを話してよろしい」と言った。そこでパウロは、手を差し出して弁明し始めた。」

 

パウロはアグリッパ王の前で、手を差し出し、語り始めるのですが、この場面はすでに聖書で預言されていたことでした。一つはイエス様が弟子たちに語られた言葉でした。ルカ21章12-13節「しかし、これらのことすべてが起こる前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出します。」そして二つ目が、パウロがダマスコ途上で回心した後に、パウロのもとに遣わされたアナニアにイエスさまが語った言葉です。使徒の働き9章15節「しかし、主はアナニアに言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。」王の前で弁明…、いえ証しができるなんて、本来あり得ないことです。金と地位と権力を持った者でなければ、王の前で話す機会など到底得られないからです。パウロは、みすぼらしい服を着て、くさりにつながれた囚人でした。神さまさご計画は、いつも私たちの想像をはるかに超えるものです。

 

さて、パウロは話し始めます。26:2-3 「アグリッパ王よ。私がユダヤ人たちに訴えられているすべてのことについて、今日、王様の前で弁明できることを幸いに思います。特に、王様はユダヤ人の慣習や問題に精通しておられます。ですから、どうか忍耐をもって、私の申し上げることをお聞きくださるよう、お願いいたします。」

 

この話のとりかかり方は、パウロの知恵です。パウロはⅠコリントで「ユダヤ人にはユダヤ人のように異邦人には異邦人のように」と言っていますが、例えば、偶像で満ちたアテネでは、「アテネの人たち。あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております。道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られていない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけたからです。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう!」で話し始めたことは記憶に新しいことでしょう。パウロは、アグリッパ王のユダヤ人としてのアイデンティティを尊重したのです。先週お話しましたように、アグリッパは幼少期にローマの王家の子どもたちと一緒に育ちました。ユダヤ人たちは、そんなアグリッパを、ローマにしっぽを振るローマの犬だと揶揄しました。彼はユダヤ人でありながら、ユダヤ人とは認めてもらえないコンプレックスがあったと考えられます。ですから、この語り始めはアグリッパに少なからず心を開かせたと思うのです。

こしてパウロは4~7節で、自分がどんなにユダヤ人らしかったかを語ります。「私は、私たちの宗教の中で最も厳格な派にしたがって、パリサイ人として生活してきました。」と。そして次に私たちユダヤ人が抱いている望みについて語り始めるのです。

ここでのキーワードは何でしょうか。「同胞」「エルサレム」「宗教の中で最も厳格な派」「パリサイ人」「父祖たちに与えられた約束」「十二部族」。おそらくそばで聞いていたフェストゥスや千人隊長たちは、全く分からなかったことでしょう。けれどもパウロは、熱を帯びた目でアグリッパを見つめ言うのです。「ユダヤ人の王よ、あなたならおわかりになるでしょう。私たちの神、私たちの祖先の神の約束です。イスラエルの望みのことです!」そして言います。「王よ。私はこの望みを抱いているために、ユダヤ人から訴えられているのです。 」と。そして8節でさらに王に迫ります。

「神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととお考えになるのでしょうか。」と。私たち神の民は、いつか救い主(メシア)が現れ、神の民が贖われることを待ち望んできました。アブラハムに与えられた契約、私たちはそれを握ってここまで来ました。エジプトでの奴隷だった時も、長い捕囚の時期も、この望みがあったからこそ、私たちは耐えてこられたのではないですか。その約束が、望みが、イエスの復活によって今、成就しました。ナザレ人イエスは、私たちが待ち望んでいたメシア。イエスの復活は、約束の成就そのものなのです。パウロはそうアグリッパ王に訴えかけているのです。

 

この後、パウロはトーンダウンします。そして自分の過去を話し始めるのです。9~11節「実は私自身も、ナザレ人イエスの名に対して、徹底して反対すべきであると考えていました。そして、それをエルサレムで実行しました。祭司長たちから権限を受けた私は、多くの聖徒たちを牢に閉じ込め、彼らが殺されるときには賛成の票を投じました。そして、すべての会堂で、何度も彼らに罰を科し、御名を汚すことばを無理やり言わせ、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを迫害して行きました。」

実は、パウロの回心のストーリーは、使徒の働きで3回繰り返して書かれています。使徒の働きの記者ルカは、同じ話は、一度詳しく書いて残りは省略して繰り返さない傾向があるのですが、このパウロのダマスコ途上でのイエスとの出会いのストーリーは省略しません。むしろその変化を丁寧に追っています。私たちも誰かに自分の救いの証しを語るとき、毎回変わるでしょう。相手の理解度に合わせたり、自分の信仰の成長が影響したりして、証しは変化するものす。パウロもそうです。特に、今回目を留めたいのは、9節の「ナザレ人イエスの名に対して、徹底的に反対すべきであると考えていました」というところと、11節の「御名を汚すことばを無理やり言わせ」というところです。この言及は以前の証しではありませんでした。パウロは今回、「イエスの名」にこだわっていました。パウロは、当時の自分を振り返り、クリスチャンたちが「神の名」と同レベルに「イエスの名」を置いたこと、「神の名」に「イエスの名」を重ねたことが許せなかったのだと思い出しました。イスラエルの民は、神の名を呼べなかった。神の名を「聖なる四文字」と言い、口にすることも許されなかったので、その読み方さえも忘れてしまいました。そしてただ「主」とだけ呼ぶようになっていたのです。エペソ1章20-21節でパウロは言っています。「この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。」イエスのよみがえりは、イエスが神であることの証しなのです。だから以前のパウロは、イエスのよみがえりを絶対に受け入れられなかった。そして「イエスの名」に反対し、クリスチャンたちに「御名を汚すことばを無理やり言わせ」たのです。

 

皆さんは「トラウマ」という言葉をご存じでしょう。「個人で対処できないほどの圧倒されるような体験によってもたらされる心の傷のこと」です。それは脳裏に焼き付いていて、ふとした拍子に出てきて、一瞬のうちに心を黒く塗り替えてしまう、そんな体験です。パウロにとって、クリスチャンを迫害していたときのあの経験は、トラウマではなかったのでしょうか。イエスの名を汚す言葉を強いて言わせ、言わない者は牢にぶち込み、ある者は殺したあの経験はトラウマとなって彼を苦しめたでしょう。ステパノを殺すときに賛成の票を投じて、仲間たちの上着の番をし、仲間がステパノに石を投げ、血まみれになって、それでも天を見上げていたステパノの姿がパウロの心に焼き付いてトラウマになっていたのではないのでしょうか。しかしパウロは、この経験を何度も繰り返し語ります。例えば戦争に行った兵士は、自分の経験を何十年も語りません。墓までもっていきます。語れないのです。けれどもパウロはどうして語れたのでしょうか。

なぜなら、復活の力は、トラウマさえも包み込み、癒していくからです。パウロは「そして今!」と6節で言います。「そして今、神が私たちの父祖たちに与えられた約束に望みを抱いているために、私はここに立って、さばかれているのです。」「神が私たちの父祖たちに与えられた約束」それこそがイエスの復活でした。復活の主と出会ったパウロは、復活の視点で過去を見ることができたのではないでしょうか。復活の主は、確かにあのステパノと共にいました。けれども、復活のイエスさまは、あのとき、青年パウロのそばにもいたのではないでしょうか。ステパノに憎しみの目を向け、殺せ!と叫んでいた青年パウロのそばにいて、深くあわれんで、愛の眼差しを向けていたのではないでしょうか。

復活の主に出会う時、復活の主はそれ以降の人生を共に歩んでくださるだけではない。復活の主は、イエスさまと出会う以前のあなたにも出会ってくださるのです。パウロはそれを知っていたので、こうして過去の罪深い自分に向き合えるのです。私たちにも「そして今」と言える時があるでしょう。それは、希望をもって過去をも振り返ることができるようになった「今」です。罪の中にいたあの時、孤独だったあの時、ひどく傷ついたあの時も、復活の主はともにおられたのです。


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