「船上の聖餐式」
使徒の働き27:27~38
今日もまずは、ストーリーの全体を追っていきたいと思います。パウロを乗せた船は、パウロの忠告があったにも関わらず、「よい港」を出航し、順調であれば数時間で行けるような「フェニクス」に向かいました。ところが、途中ユーラクロンという嵐が吹き荒れ、船は沈みそうになり、彼らはやむを得ず、船具や積み荷を海に捨て、船を軽くして、流されるに任せたのでした。そうこうしているうちに「14日目の夜」になりました。太陽も月もないまま、船は漂流していましたので、今自分たちがどこにいるのか、漂流して何日になるのかも定かではなかったと思うのですが、おそらくこの後、漂着したマルタというところで、自分たちが14日もアドリア海を漂っていたことを確認したのでしょう。
嵐は去り、コントロールを失った船は、静かに漂流していました。すると何人かの水夫が、「どこかの陸地に近づいているのではないか」と言い出しました。水夫たちの長年の経験と第六感でしょうか。寄せては返す波が陸地にぶつかる音を聞いたようです。さっそく、水深を測ってみると20オルギヤ(約17メートル)ありました。さらに進んでもう一度測ると15オルギヤ(約13メートル)になっていました。やはり陸が近い!と喜びつつも、暗礁に乗り上げるのではないかとの不安もありました。ですから、今晩はこれ以上先に進むは危険だと判断し、いったん錨を4つ投げ降ろして、今晩はその場にとどまることにしました。朝になって明るくなれば、安全に島にたどり着けそうな航路もわかるでしょう。彼らは、はやる気持ちを抑えて、夜が明けるのを待つことにしました。
ところが、なんと「陸が近い!」と朗報をもたらした水夫たちが、今度は暗闇にまぎれて、船首から錨を降ろすように見せかけ、小舟を海に降ろし、自分たちだけその小舟に乗って逃げ出そうとしていたのでした。パウロが直接、それに気が付いたのか、誰かが気づいて、パウロに告げたのかわかりませんが、パウロは百人隊長や兵士たちに、「あの人達が船にとどまっていなければ、あなたがたは助かりません」と言うのでした。先先週の説教でも話しましたが、今やパウロはこの船の船長のような存在、精神的支柱でしたから、百人隊長はすぐに兵士に命令し、兵士たちは小舟の綱を切って、小舟が流されるのに任せ、水夫たちが乗り込めないようにしたのでした。
いや~な空気が流れたことでしょう。パウロの「元気を出しなさい」「いのちを失う人は一人もありません」との励ましを受けて、今まで一丸となって、無事の生還を願い、助け合ってやってきたのに、自分たちだけ助かろうと、みんなを裏切るような行動をとる人たちが現れたからです。人々は、張り詰めた空気の中で、やり場のない怒りを抱えながら、なんとなく眠れないまま夜を過ごしたのでしょう。そして夜が明けようとしていた時、パウロが立ち上がって、大きな声で人々に言いました。「さあ、ごはんを食べよう!!」「今日で14日、あなたがたはひたすら待ち続け、何も口に入れず、食べることなく過ごしてきました。ですから食事をするよう勧めます。これで、あなたがたは助かります。頭から髪の毛一本失われることはありません!」「頭から髪の毛一本失われることはありません」とは文字通りの意味というよりは、その守りの完全さを表していると言えるでしょう。陸地を目の前にして、水夫たちの裏切りが発覚し、落胆していた人々に、パウロはまたも励ましの声をかけたのです。
「ごはんを食べよう!」というのは、どんよりした空気を明るく変えます。「ごはんを食べよう」で忘れられない思い出があります。私と主人は30年前に結婚したのですが、結婚式の後、お友だちの車を借りて、伊豆と熱海に新婚旅行に行きました。楽しかった新婚旅行を終えて、車を返すべく、横浜に向かっていたのですが、なんと、その途中に事故に遭ってしまったのです。交差点で、前の車が急ブレーキを踏みました。運転していた主人も慌ててブレーキを踏んで、何とか前の車に衝突するのを免れたのですが、なんと後ろの車のドライバーは、一瞬よそ見をしていたらしく、ブレーキが間に合わず、私たちの車に勢いよくぶつかったのです。大きな衝撃があり、私たちの車の後部はかなりへこんでしまいました。車はそのままレッカー車で運ばれ、配車になりました。私たちは守られ、多少のむち打ちはありましたが、ほとんど無傷だったのが不幸中の幸いでした。その日は4月1日。主人と私は、その日中に、新しい赴任先、新潟の亀田に行く予定をしていました。主人はかなり落ち込んでいました。借りた車のこと、赴任先に今日中に行けるのかということ、頭の中はパニックになっていたのです。ところが、昔から、能天気なところがある私は、その時主人に言ったのです。「お腹空いた。とりあえずごはんを食べよう!」お昼の時間がかなり過ぎていたからです。後から聞くと、主人はこの時かなり驚いたようです。結婚して初のカルチャーショックでした。この状態で、お腹がすく?ごはん食べようってどういうこと? ところがその反面、ほっとしたというのです。私の「ごはんを食べよう!」発言がその時のどんよりとした空気を変えたのでした。
そういえば、預言者エリヤがカルメル山でバアルの預言者450人と戦って勝利したあと、おそらく彼はバーンアウトしたのでしょう。女王イゼベルが、エリヤのいのちを着け狙っていると聞いて、落ち込んで、「主よ、もう充分です。私のいのちをとってください」とエニシダの木の下でふて寝をしていたときのことです。神のみ使いが、エリヤを起こして、「ほら、起きて食べなさい」とパン菓子と水を与えたのでした。エリヤは言われるがまま食べて、またふて寝するのですが、み使いはもう一度エリヤを起こして、再度食べさせるのです。エリヤはやっと元気が出て、40日40夜歩いて、神の山ホレブに行き、そこで神に出会い、もう一度立ち上がるのでした。
もう一つ思い出されるのは復活のイエスさまが、ガリラヤ湖の岸辺に立たれて、弟子たちに「子どもたちよ、食べる魚がありませんね」と言ったあのことばです。復活のイエスさまが女たちに現れて、弟子たちにガリラヤに行くように伝えなさいと言われました。弟子たちはこれを受けてガリラヤに行ったのですが、どうしていいかわからず、とにかく昔取った杵柄で漁に出てみたものの、夜通し漁をしても一匹も魚が捕れず、さらに落ち込んで、お腹が空いて、何ともわびしい気持ちになっていたところでした。そこにイエスさまが岸辺に立たれて、「食べるものがありませんね」と言い、「船の右側に網を打つように」と言いました。弟子たちがその通りにすると、たくさんの魚が捕れたのです。イエスさまご自分は岸辺で火を焚いて、朝ごはんの支度をしてくださっていました。そして、「さあ、朝の食事をしなさい」とおっしゃったのです。そしてパンを取り感謝をささげて彼らにも与えました。
35~36節「こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。それで皆も元気づけられ、食事をした。」
これは「聖餐式」ではないと、どの注解者も言っています。けれども、パウロのこの所作は、まぎれもなくイエスと弟子たちの最後の晩餐のときの所作ですし、また復活のイエスさまが、エマオの途上で語りかけられた弟子たちと共に食事をした時の所作でもあります。また、先ほどのガリラヤ湖畔での朝食の時にも、イエスさまは感謝をささげて、パンを弟子たちに分け与えたのです。もちろん狭い意味での聖餐式ではないでしょう。けれども、パウロ自身は、イエスさまの臨在を感じ、不思議な幸福感と満足感を覚えながら、主との食事の交わりを楽しみ、それを共に食事をする人々に分け与えたのです。聖餐式は「見える神のみことば」だと言われます。「見えない神のみことば」は説教です。パウロが神の守りと養いを感謝して、パンを取り、裂いて食べる姿に、人々は神のみことばを見たのではないでしょうか。生ける神のみことば、イエス・キリストの臨在に触れたのではないでしょうか。
27節「船にいた私たちは、合わせて二百七十六人であった。十分に食べた後…」とあります。人数をここに書き記して、みんな十分に食べたというあたりは、5千人の給食を思い出します。「彼らはみな、食べて満腹した。…パンを食べたのは、男が五千人であった。」 誰かが飽きるほど食べて、誰かがひもじい思いをしているのではなく、みんなおなかいっぱい食べたのです。276人全員がおなかいっぱいになりました。
そして「十分に食べた後、人々は麦を海に投げ捨てて、船を軽くした。」とあります。彼らは次に食事をするのは陸に上がってからになると信じて、残っていた麦をすべて捨てました。人は本当に信じられるものに出会うと、不要なものを捨てることができます。本当の魂の満足、主にある満足を得ると、今まで価値がると思っていたもの、でも自分を縛り付け、固執させ、支配してきた一切のものを手放せるようになるのです。パウロは言いました。ピリピ3:7~8「自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。」これは究極のシンプルライフです。主に信頼し、主にある満足をいただくと私たちは、不要なものを捨てられる。私たちも、もう一度自分の生活を見直してみませんか?
今日もこの後聖餐式がもたれます。私たちは聖餐式でイエスさまがこの新船橋キリスト教会という船に共に乗っておられることを覚えましょう。そして主の養いを受けましょう。主の養いは、すべての人に本当の満足を与えます。また、一つのパンを分け合う一体感を覚えましょう。船にいたのは276人。私たちは現住陪餐会員19名の小さな群れ。でも誰も欠けることなく、毎月主の養いを受けたいものです。イエスさまは「さあ、いっしょにごはんを食べよう」と、今日も私たちを主の食卓に招いています。
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