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マルタ島での出来事(使徒の働き28:1~10)


「マルタ島での出来事」

使徒の働き281~10

さて、2週間もの漂流生活が守られ、船に乗っていたパウロたち囚人も、ローマの兵士たちも、水夫たちも、276人全員が無事に島に打ち上げられました。この島の名はマルタ島。地図で確認しましょう。イタリアは目と鼻の先。もちろん嵐に巻き込まれて、漂流してここまで来たのですから、順調に船旅をするよりも時間はかかりましたし、失ったものも多かったと思いますが、それでもほぼ直線距離で、ここまで運ばれて来たようです。本来はクレタ島で冬の間を過ごして、それから船出するつもりでしたので、予定よりも早く、パウロが目指すローマに着くことになりました。11節を見ると、航海に適した時期になるまでもう3か月間マルタ島で過ごさなければいけなかったのですが、3か月後にクレタ島を出るのと、このマルタ島を出るのとでは、大きな時間差があります。しかも島の人たちは親切で、パウロたち一行にとてもよくしてくださり、また船出するときには、必要な物資を用意してくれたということですから、クレタ島の良い港や皆が冬を過ごしたがっていたフェニクスという港よりも快適に冬を過ごせたかもしれません。

神さまの導きは不思議です。私たちから見たら、嵐のように苦労が多くて、遠回りで、足踏みをしているようにしか見えない人生でも、神さまは、着実に導いてくださっている。前に進ませてくださっているのです。神さまは良いお方。私たちに良いものしかくださいません。皆さんは星野富弘さんを御存じだと思います。不慮の事故で、首から下が全く動かなくなり、口で筆を加えて、絵や詩をかいている詩人であり、絵描きです。彼の書いた「渡良瀬川」という詩をご存じでしょうか。少し長いですが、お読みいたします。


私は小さい頃、家の近くを流れる渡良瀬川から大切なことを教わっているように思う。
私がやっと泳げるようになった時だから、まだ小学生の頃だっただろう。
ガキ大将達につれられて、いつものように渡良瀬川に泳ぎに行った。
その日は増水して濁った水が流れていた。
流れも速く、大きい人達は向こう岸の岩まで泳いで行けたが、私はやっと犬かきが出来るようになったばかりなので、岸のそばの浅いところで、ピチャピチャやって、ときどき流れの速い川の中心に向かって少し泳いでは、引き返して遊んでいた。
ところがその時、どうしたはずみか中央に行きすぎ、気づいた時には速い流れに流されていたのである。
元いた岸の所に戻ろうとしたが流れはますます急になるばかり、一緒に来た友達の姿はどんどん遠ざかり、私は必死になって手足をバタつかせ、元の所へ戻ろうと暴れた。
しかし川は恐ろしい速さで私を引き込み、助けを呼ぼうとして何杯も水を飲んだ。
水に流されて死んだ子どもの話が、頭の中をかすめた。
しかし同時に頭の中にひらめいたものがあったのである。
それはいつも眺めていた渡良瀬川の流れる姿だった。
深い所は青青と水をたたえているが、それはほんの一部で、あとは白い泡を立てて流れる、人の膝くらいの浅い所の多い川の姿だった。
たしかに今、私がおぼれかけ、流されている所は、私の背よりも深いが、この流れのままに流されていけば、必ず浅い所にいくはずなのだ。
浅い所は、私が泳いで遊んでいたあの岸のそばばかりではないと気づいたのである。「・・・そうだ、何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか」
私はからだの向きを百八十度変え、今度は下流に向かって泳ぎはじめた。
するとあんなに速かった流れも、私をのみこむ程高かった波も静まり、毎日眺めている渡良瀬川に戻ってしまったのである。
下流に向かってしばらく流され、見はからって足で川底を探ってみると、なんのことはない、もうすでにそこには私の股ほどもない深さのところだった。
私は流された恐ろしさもあったが、それよりも、あの恐ろしかった流れから、脱出できたことの喜びに浸った。
怪我をして全く動けないままに、将来のこと、過ぎた日のことを思い、悩んでいた時、ふと、激流に流されながら、元いた岸に泳ぎつこうともがいている自分の姿を見たような気がした。
そして思った。
「何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか・・・・
流されている私に、今できるいちばんよいことをすればいいんだ」
その頃から、私を支配していた闘病という意識が少しずつうすれていったように思っている。
歩けない足と動かない手と向き合って、歯をくいしばりながら一日一日を送るのではなく、むしろ動かないからだから、教えられながら生活しようという気持ちになったのである。

  パウロたちの船が、嵐に巻き込まれ、不安と恐怖の中、人々は右往左往し、じたばたしていました。けれどもパウロは違いました。嵐にあらがうのではなく、富弘さんが言うように、「流されている私に、今できるいちばんよいことをすればいいんだ」と思っていたようです。パウロは嵐の中でも、生きて働かれる神さまに信頼し、ある意味、神さまの流れに身をゆだねた。すると、気が付いたら目的地のイタリアは、目と鼻の先だったということです。

さて、島に着くと、人々はパウロたち一行に非常に親切にしてくれました。海を泳いで岸にたどり着いた人々、濡れた体が乾く間もなく、雨も降りだしました。体は冷え切っています。すると島の人々は、おそらく屋根のあるところに彼らを招き入れ、火を焚いて、暖まる場所を用意してくれたのでした。そんな中で人々は、体だけでなく、心もほっこりと暖まったのではないでしょうか。

パウロは何をしていたかというと、率先して火にくべる枯れ枝を集めていました。おそらく彼の性分なのでしょう。船の上では、船長のように采配を振るっていたのに、みんなが暖まるために、率先して働くパウロに私たちも学びたいものです。 

するとこの枯れ枝の中に紛れ込んでいたと思われる1匹のまむしが這い出して来て、パウロの手に噛みつきました。まむしは、いわゆる毒蛇で、日本では毎年1000人ぐらいの人が噛まれて、内10人ぐらいは死亡しているそうです。死なないにしても、20−30分で激しい痛み、出血、腫れが起こり、 1−2時間後、皮下出血し、水泡ができ、リンパ節の腫れと痛み、発熱、めまい、意識障害などがおこります。 また、激しいアレルギー症状(アナフィラキシーショック)を引き起こす事もあります。

人々は蛇にかまれて、腕から蛇がぶら下がっているパウロを見て言い合います。「この人はきっと人殺しだ。海からは救われたが、正義の女神はこの人を生かしておかないのだ」とひそひそと話しています。この「正義の女神」と呼ばれている神は、いわゆるギリシャ神話の神ではなくて、「ディケー」という土着の神だったようです。そういえば台湾の土着の神様も「媽祖」という海の女神でした。台湾も島国ですから、何か共通するものがあるのかもしれません。

ところがパウロは、そのまむしを火の中に振り落としてしまいます。この時パウロは、復活のイエスさまが天に帰られる時、見送る弟子たちに語った言葉を思い出していたのではないでしょうか。マルコの16章17~18節「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます。」そして、不思議な平安と、決して害を受けないという確信に包まれていたことでしょう。

人々は、今にも腕が腫れあがってくるか、あるいは急に倒れて死ぬだろうと待っていましたが、いくら待っても、パウロには、何も変わった様子が見られませんでした。すると途端に考えを変えて、「この人は神さまだ!」と言い出したのです。手のひらを反すような人々の態度の変化は滑稽です。けれども私たちも同じようなことをしているかもしれません。例えば私なども学生の頃は、朝、電車に乗り遅れると、ああ、朝聖書を読まなかったからだと思い、試験でヤマが当たると、ああ、試験中もがんばって祈祷会に出たからだ!と思う。自分の信仰…いいえ、行いによって、神さまが祝福したり、バチを当てたりすると思っていました。私たちの信じる神さまは、因果応報の神さまではありません。私たちの行いによって、バチを当てたり、祝福したり、そんな小さな神さまではないのです。

パウロは、「殺人者」だと言われようが、「神さまだ!」と言われようが、そんなことに振り回されません。私は私。神に愛され、神の子とされ、尊い使命が与えられている私。自分を過小評価したり、高慢になったりしない。等身大の私を愛して、受け入れてくださる神さまに感謝して、自分自身も等身大の自分を受け入れて、自信をもって生きる、それが私たち、神の子どもなのです。 

さて、7節です。「さて、その場所の近くに、島の長官でプブリウスという名の人の所有地があった。彼は私たちを歓迎して、三日間親切にもてなしてくれた。」このマルタ島も、もちろんローマの植民地でした。そしてローマから派遣された「長官」と呼ばれる人が駐在していて、このマルタ島を治めていました。この長官プブリウスも「私たち」つまり、使徒の働きの記者ルカを含む、パウロやアリスタルコ、そしておそらく百人隊長などの主だった人たちを歓迎して、3日にもわたって、親切にもてなしてくれたのです。神さまは、必ずそういう親切な人を私たちの周りにおいてくださいます。私自身も、出身は岐阜ですが、いろんなところに住みました。愛知県や千葉県、新潟やアメリカ、台湾、けれどもどこに行っても、親切にしてくれる人がいます。創世記に出ているヨセフもそうでした。兄たちの陰謀でエジプトに奴隷として売られましたが、どこに行っても神さまは彼を祝福し、彼の周りにはいつも、親切にしてくれる人がいました。牢獄にいるときでさえ、そうでした。だから私たちは安心していいのです。

8-9節「たまたまプブリウスの父が、発熱と下痢で苦しんで床についていた。パウロはその人のところに行って、彼に手を置いて祈り、癒やした。このことがあってから、島にいたほかの病人たちもやって来て、癒やしを受けた。」

 何も親切にしてくれたお返しにということではなく、パウロは長官プブリウスの父親を祈って、癒してあげます。先ほど開いたマルコの福音書16:18「病人に手を置けば癒やされます。」の通りです。これは何もパウロの力によることではなく、神さまから病を癒す権威が授けられていたからです。そして島の人たちも癒しを受けました。実は、前の「癒した」とあとの「癒しを受けた」の単語はギリシャ語では別の単語が用いられていて、後者は、医療的な治療を用いて癒すという意味の単語が用いられています。ですから、医者ルカも島の人たちを診察して、薬を紹介したり、治療行為をしたりしたと考えられます。もちろん祈ってもあげたでしょう。

そして10節「また人々は私たちに深い尊敬を表し、私たちが船出するときには、必要な物を用意してくれた。」

なんだか、うるわしい光景だと思いませんか。島人たちが、漂流して流れ着いたいわゆる「被災者たち」を優しく受け入れ、心と体を温め、疲れを癒してあげて、もてなし、親しく交わる。そしてパウロたちは、いっしょに薪を集め、火にくべ、病の人たちには、身分の高い人も、低い人も同じように、主の御名によって癒し、短期の診療所を開いて治療を行っていく。「お互いさま」の美しい光景がここにあります。

私たち新船橋キリスト教会も、この場所に会堂が立って18年。地域の皆さんに受け入れられ、自治会の仲間にも入れていただいて、いろんな恩恵に預かっています。ですから、私たちも、地域の困っている皆さんを助けたい。食料支援だけでなく、いろんな困りごとの相談に乗ったり、子どもたちの勉強を見たり、いろんなことをしたいです。私たちは真理を知っている!滅びに向かう罪人たちを救わなければ!という態度では、新船橋島の皆さんには受け入れてもらえないでしょう。地域との交流を大事にし、地域に仕え、共に助け、助けられる関係をこれからも築いて行きたいと思います。ちなみに現在のマルタ島の地元住民の98%がカトリック信者だそうです。パウロたちとの交流がやはり大きかったと思うのですが、いかがでしょうか。祈りましょう。



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