スキップしてメイン コンテンツに移動

全員無事!(使徒の働き27:39~44)


「一難去ってまた一難」とは、まさにこのことです。岸が近いことを知り、夜が明けたら船を出して、島に到着するつもりで、みんなで前祝のような食事をし、残った小麦などの積み荷を全部捨て、船を進めた矢先のことでした。水夫たちは自分たちが持つ経験と技術、知識とを駆使して、慎重に船を進めました。まずは船を留めておいた4つの錨を切って海に捨て、同時に舵の綱を解き、吹く風に船尾の帆を上げて、砂浜のある入江を目指したのでした。ところがどれほども進まないうちに、船は二つの潮流に挟まれた浅瀬に乗り上げて、座礁してしまいました。「船首はめり込んで動かなくなり」とありますが、おそらくこの辺りは、船底が固着してしまうようなしつこい粘土質の海底だったのではないかと思われます。そしてあれよあれよという間に、船尾が壊れ始め、船の中に水が入ってきました。船が沈むのは時間の問題です。今となっては小舟の綱を切って、流してしまったことを恨めしく思います。

どんなに慎重に事を運んでも、どんなに経験と技術、そして知識とを駆使しても、あるいは、信仰を働かせてよく祈っていても、問題が起きるときには起きるものです。私たちはなるべく自分の人生に問題は起こってほしくないのですが、こればかりは避けられません。けれどもそんなときに大切なのは、神に向き合うことです。ある人たちは、問題にあたると、神に背を向けます。神を信仰していてもこんな問題が起こるなら、信仰する意味がないと、信仰を捨てるのです。けれども、問題の渦中にある時こそ、神に向き合うべきです。詩篇の詩人たちを見てください。試練の中で、神の前に正直に問題を訴え、時には神に抗議し、敵対する相手を呪ってくださいとさえ祈ります。それでいいのです。神さまは、試練の中で神に向き合う私たちの祈りを聞き、主にある平安を与え、私たちのために具体的に働いてくださるお方なのです。 

さて船が沈み始めて、次に問題になるのは、囚人たちをどうするかということです。兵士たちは百人隊長に囚人たちを皆殺しにする許可を求めました。もし囚人たちがどさくさに紛れて逃げでもしたら、兵士たちが罰せられるからです。使徒の働き16章で、パウロとシラスを逃がしてしまった兵士は自害しようとしました。なぜでしょうか。囚人を逃した兵士は、責任を取って死刑になるからです。つまり、自分たちの命を守るために囚人たちの命を犠牲にしようとしたということです。囚人たちの命より、自分たちの命の方が価値がある。そう命の選別をしたということです。

ところが百人隊長ユリウスは、兵士たちの計画を制止して、囚人たちの命をも救おうとしました。なぜでしょうか。その理由のひとつはパウロを助けたかったからです。そうでした、パウロは囚人でした。先ほどまで、人々の先頭に立ち、脱走しようとしていた水夫たちをとどめさせ、神は船に乗っている人全員を私に任せられたと言い、元気を出しなさい、全員の命が助かる、髪の毛一筋も失われないと、人々の先頭になって、彼らを励まし、勇気づけ、生きる希望を与えてきたパウロは、実は一囚人だったのです。ユリウスは、兵士たちの提案を退け、パウロを助けたい一心で、囚人たち全員の命を救うことにしたのです。

考えてみると、百人隊長ユリウスも変わりました。クレタ島を出航するときには、「今出航してはいけない」というパウロの忠告を無視して、水夫たちの意見を聞きました。ところが、この2週間で、ユリウスの中に、パウロへの信頼、いや、彼の信じる真の神に対する信仰が芽生えたのでしょう。神がパウロに語られたことば「恐れることはありません、パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます。」との約束が、ユリウス自身の信仰になっていたのでしょう。囚人がもし逃げたら、責任をとって死刑になるというのは、ローマ皇帝直属の親衛隊の百人隊長とて同じことです。けれども、おそらく彼は、「私が全部責任をとるから」と兵士たちを説得したのでしょう。責任から逃れるリーダーが多い中、「自分が最終的な責任をとるから」と決断していくユリウスは、まさに真のリーダーでした。

こうして囚人たちも、他の人たちと同じように、泳げる者は泳がせ、泳げない者は、板切れや、船にある何かにつかまっていくようにと指示しました。囚人たちは足かせ、手かせがつけられていたと思いますが、そんなものをつけていては泳げません。おそらく、足かせ、手かせを外して、一時自由の身にしたことでしょう。これは賭けでした。二週間の漂流生活の中で、囚人たちも水夫も兵士も一般の乗客も一つになって、嵐と戦ってきたのです。パウロの神が「パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます」とのことば、そしてパウロが「神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます。」と言ったことばを信じて、そこに希望を置いて、彼らは一つになっていたのでした。そして、つい数時間前、いっしょに食事をした時の一体感。276人が一つになった瞬間でした。こうして百人隊長ユリウスは、パウロに対する信頼だけではない。囚人たちを信頼することもできるようになったのでしょう。彼らは絶対に逃げない。立場や身分を越えた一体感が彼をそう確信させたのだと思うのです。こうして一時的に彼らを自由の身にする決断をしました。

そして人は信頼されるとそれに答えようとするものです。結果として、囚人は誰一人逃げませんでした。皆さんはヴィクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」、「ああ無情」をご存じでしょうか。19世紀のパリ、主人公ジャン・バルジャンは、貧しさから家族のためにパンを盗すみ、彼はその罪で捕まり、19年間も投獄されました。長い投獄生活の末、彼は仮釈放されます。しかし、仮釈放中は、毎月裁判所に出頭しなければならず、身分証明書には「危険人物」の烙印を押され、仕事に就くこともできませんでした。そんな中でジャン・バルジャンは、無一文で餓死する一歩手前でした。そんな彼を救ったのは教会の司教でした。司教は、彼にあたたかい食事を与え、休む場所を与えました。ところが、心がすさんでいたジャン・バルジャンは、こともあろうか教会の銀食器を盗んで逃走しました。ところがすぐに彼は警察に捕まります。そこに呼び出された司教は「銀食器は盗んだものではなく、私があげたものだ」と告げ、さらに「これも忘れていたよ」と銀の燭台も渡すのでした。この事件をきっかけに、ジャン・バルジャンは心を入れ替える決心をしました。身分証明書を破り捨て、マドレーヌと名を変え、第二の人生を歩み始め、誠実な市長となっていくのです。司教が、ジャン・バルジャンを愛し、赦し、信頼したことによって、彼の人生が変わったのです。

考えてみれば、神も私たちを信頼して、無条件で私たちの罪を赦し、罪の奴隷だった私たちを、イエスさまの十字架の代価によって買い取り、神の子どもとしてくださったのではないですか。私たちは神の信頼と期待に応えるべく、神の前にも人の前にも、神の子どもとして誠実に生きていきたいと思わされます。 

さて、こうして全員が無事に陸に上がりました。全員の命が助かったのです。2週間も何も食べず、嵐の中を漂流し、276人全員生き残っているというのは、ありえないことです。しかも立場や身分を越えての不思議な一体感。まさに奇跡の船でした。確かに他のものはすべて失いました。けれども一番大切な命は守られたのです。イエスさまは言われました。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか。」(マルコ8:36)

そしてこの命に優劣はありません。水夫も兵士も百人隊長も囚人も一般乗客も、等しく尊い命が与えられています。神さまは、「パウロはローマでも証しする」という使命の実現のために、パウロと同行者のルカやアリスタルコの命だけ救えばよかったのではないでしょうか。けれども神さまは、この船に乗っていた276人全員を救ったのです。すべての命は神の前に尊いからです。ですからクリスチャンは、あらゆるところに入っていきます。プリズン伝道(刑務所伝道)をしているクリスチャンがいます。タイ・バンコクで宣教活動をしておられる長谷部先生も、刑務所に入っていって、特に日本人受刑者に伝道しています。日本でも、教誨師という立場で、多くの牧師さんたちが、服役しておられる受刑者に信仰を伝え、実際に洗礼を受ける受刑者もおられます。同じように、政治家に伝道しておられる人もいます。私の知っている人は、政治家の秘書になり、国会議員を集めて、聖書を学び祈る会をもっています。芸能人伝道をしておられる人もいます。特にお笑いの世界で伝道しておられる人もいますし、アスリートに特化した伝道をしておられる団体、個人のクリスチャンもおられます。台湾では、夜の繁華街に出て行って、いわゆる水商売の女性たちへの伝道をしているグループがありました。

パウロはのちにⅠコリント9:19、22の中でこう言っています。「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷になりました。…弱い人たちには、弱い者になりました。弱い人たちを獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。」 

「こうして、全員が無事に陸に上がった」(44節b)生きる価値がないと思われていた囚人たちの命も救われたのです。神の前にはすべての人が高価で貴いのです。ですから私たちは、あらゆる人々に福音を届けましょう。神さまはすべての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。祈りましょう。


コメント

このブログの人気の投稿

7月16日主日礼拝

兄息子への愛                                         日 時:2023年7月16日(日)10:30                場 所:新船橋キリスト教会                                         聖 書:ルカの福音書15章25~32節   1 ルカの福音書15章について  ルカの福音書15章では、イエスさまが3つのたとえをお話しになります。そのうちの3番目に「2人の息子のたとえ」があります。今日は、兄息子のたとえを中心にお読みいたします。  イエスさまが3つのたとえをお話しすることになったきっかけが15章1節から3節に書かれています。取税人たちや罪人たちがみな話を聞こうとしてイエスの近くにやってきました。その様子を見ていた、パリサイ人たちや律法学者たちがイエスを批判します。「この人、イエスは罪人を受け入れて一緒に食事をしている」と。そこで、イエスはパリサイ人たちや律法学者たちに3つのたとえ話をしたのです。  その結論は、最後の32節に書かれています。   「 だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。」 イエスさまが3つのたとえをとおしてお語りになりたかったのは、「取税人や罪人がイエスのもとにきたことを喜び祝うのは当然ではないか。」ということです。1番目のたとえでは、失われた羊、2番目のたとえでは失われた銀貨が見つかりました。3番目のたとえでは、弟が死んでいたのに生き返りました。大いに喜ぶのは当然です。イエスさまは、3つのたとえを用いて、神さまから離れてしまった魂、すなわち、取税人や罪人が神さまのもとに帰ってくることの喜びがいかに大きいかをパリサイ人や律法学者に伝えることで、彼らの批判に答えたのです。 2 兄息子の不満   さて、3番目のたとえでは、前の2つのたとえとは違うところがあります。それは、25節から32節に書かれている兄息子の存在です。兄息子は、いつも父親に仕えていました。弟が帰ってきたその日も畑にいました。一生懸命に仕事をしていたのでしょう。ところが、兄息子が家に帰ってきますと、音楽や踊りの音が聞こえてきました。なんと、弟が帰ってきたというの
  闇から光に! 使徒の働き26:13~18 パウロの回心の記事は、使徒の働きで3回出てきます。前回は9章と22章でした。この3つの記事は、全く同じというわけではなく、それぞれ特徴があり、強調点があります。例えば、前のパウロの回心の記事では、アナニアが登場し、アナニアを通してパウロに神からの召しと使命が告げられたことになっていますが、今回、アナニアは登場しません。そして復活のイエスさまご自身が、パウロに直接語りかけ、福音宣教の使命を与えられたということが強調されています。今日は、私たちもイエスさまの直接的な語りかけを聞いていきたいと思います。12~13節をお読みいたします。   このような次第で、私は祭司長たちから権限と委任を受けてダマスコへ向かいましたが、その途中のこと、王様、真昼に私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と私に同行していた者たちの周りを照らしました。   パウロは、祭司長たちから権限と委任を受けて、ダマスコに向かい、クリスチャンたちを迫害しようとしていたとあります。昔、「親分はイエス様」という映画がありました。やくざだった人が救われて、人生の親分が、組長からイエスさまに変わったという映画です。パウロも、ダマスコに向かう時には、祭司長たちから権限と委任を受けていたのですが、ダマスコ途上で救われて、親分が変わりました。イエスさまが、彼の親分になり、パウロに権限と委任を与えるお方になったのです。 さて、パウロがダマスコに向かう途中に、天からの光を見ました。私はパレスチナには行ったことがありませんが、インターネットで調べてみると、雨季と乾季があり、乾季の時には、昼間は灼熱の太陽が照り付け、非常に乾燥しているとありました。今、日本は真夏で、太陽がぎらぎらと照り付けていますが、「真昼に天からの光」と聞いて皆さんどう思うでしょうか?しかもそれは太陽よりも明るく輝いて、パウロと同行者たちの周りを照らしたというのです。想像を絶する明るさ、輝きです。そうでした。神は天地創造の初めに、「光よ、あれ!」とおっしゃったお方でした。第一ヨハネの1章5節では、「神は光であり、神には闇が全くない」とあります。神は光そのものです。全き光である神を前に、人は立っていられるでしょうか。罪や汚れを持つ人間が、一点の影も曇りもない神の前に立ちおおせる

マルタ島での出来事(使徒の働き28:1~10)

「マルタ島での出来事」 使徒の働き281~10 さて、2週間もの漂流生活が守られ、船に乗っていたパウロたち囚人も、ローマの兵士たちも、水夫たちも、276人全員が無事に島に打ち上げられました。この島の名はマルタ島。地図で確認しましょう。イタリアは目と鼻の先。もちろん嵐に巻き込まれて、漂流してここまで来たのですから、順調に船旅をするよりも時間はかかりましたし、失ったものも多かったと思いますが、それでもほぼ直線距離で、ここまで運ばれて来たようです。本来はクレタ島で冬の間を過ごして、それから船出するつもりでしたので、予定よりも早く、パウロが目指すローマに着くことになりました。11節を見ると、航海に適した時期になるまでもう3か月間マルタ島で過ごさなければいけなかったのですが、3か月後にクレタ島を出るのと、このマルタ島を出るのとでは、大きな時間差があります。しかも島の人たちは親切で、パウロたち一行にとてもよくしてくださり、また船出するときには、必要な物資を用意してくれたということですから、クレタ島の良い港や皆が冬を過ごしたがっていたフェニクスという港よりも快適に冬を過ごせたかもしれません。 神さまの導きは不思議です。私たちから見たら、嵐のように苦労が多くて、遠回りで、足踏みをしているようにしか見えない人生でも、神さまは、着実に導いてくださっている。前に進ませてくださっているのです。神さまは良いお方。私たちに良いものしかくださいません。皆さんは星野富弘さんを御存じだと思います。不慮の事故で、首から下が全く動かなくなり、口で筆を加えて、絵や詩をかいている詩人であり、絵描きです。彼の書いた「渡良瀬川」という詩をご存じでしょうか。少し長いですが、お読みいたします。 私は小さい頃、家の近くを流れる渡良瀬川から大切なことを教わっているように思う。 私がやっと泳げるようになった時だから、まだ小学生の頃だっただろう。 ガキ大将達につれられて、いつものように渡良瀬川に泳ぎに行った。 その日は増水して濁った水が流れていた。 流れも速く、大きい人達は向こう岸の岩まで泳いで行けたが、私はやっと犬かきが出来るようになったばかりなので、岸のそばの浅いところで、ピチャピチャやって、ときどき流れの速い川の中心に向かって少し泳いでは、引き返して遊んでいた。 ところがその時、どうしたはずみか中央に行き