私たちは、「使徒の働き」の講解説教を通して、これまでパウロと共に、ローマを目指して旅をしてきました。いろんなことがありました。そして今日、とうとうローマに到着します!
マルタ島では、島の人々に本当によくしてもらって、3か月の時を過ごしました。そしてやっと、航海に適した季節になりました。パウロたちが乗り込んだ船は、先の難破した船と同じく、エジプトのアレクサンドリアから来た大型船でした。おそらくこの船の乗組員や乗客も、冬の間をマルタ島で過ごしたのでしょう。またパウロたちが乗った船にも同じものがあったかどうかわかりませんが、この船にはティオスクロイの飾りがついていました。この飾りは、ギリシャ神話ゼウスの双子をかたどった飾りです。嵐の中でこの神々の星座(ふたご座)を見れば、幸運が訪れると信じられていたのです。パウロたち一行はこの船に乗り込む時、どんな思いでこの飾りを見上げたことでしょう。人々はなんてむなしいものにより頼んでいるのでしょうか。嵐の中を276人一人の命も失うことなくマルタ島に漂着した経験を持つ彼らは、天地万物を創造し、今も治めておられる真の神さまを賛美したことでしょう。
こうしてパウロたちが乗り込んだアレクサンドリア船は、マルタ島を後にしました。そして北北東150㎞にあるシラクサに寄港しました。そしてそこで三日間滞在し、今度はそこからさらに北に130㎞の地点にあるレギオンに達しました。そしてすぐに風向きが安定したので、翌日には出航し、さらに北に320㎞航海したところにあるプテリオに入港したのです。さあ、これで船の旅は終わりです。ここからは陸路を使うことになります。嬉しいですね。神さまはここまでの道のりを守ってくださいました。
そしてプテリオの町では、主にある兄弟姉妹を見つけました!「見つけました」とあります。パウロたちは兄弟姉妹を捜したのです。誰も知らない異国の地で主にある兄弟姉妹に出会うことは何にも代えがたい喜びです。それにしても、ローマにもすでに福音が宣べ伝えられ、教会があったというのは驚きです。実はパウロはそのことを知っていました。なぜなら、パウロはコリントで伝道しているときに、ローマ出身のクリスチャンたちと出会っていたからです。そう、アキラとプリスキラです。彼らは紀元49年当時の皇帝クラウディウス帝が、ローマに住むユダヤ人をすべて追放した時に、それを受けて、コリントに逃げてきていたのでした。彼らは天幕づくりを生業としていましたので、同じく天幕づくりの技術を持つパウロと一緒にその仕事をしながら、コリントで福音を宣べ伝えていたのです。おそらくその時に、ローマ教会の様子を伝え聞いたのでしょう。パウロの全く与かり知らないところで、福音が広がっていたのです! 福音伝道は人のわざではありません。神さまのわざです。聖霊のわざです。私たちはあの人、この人救われてほしいという願い、少なからずプレッシャーを感じます。そして、あれをしなければ、これをしなければと焦り、成果がなければ落ち込みます。少なくとも私はそうです。けれども、福音宣教は聖霊のなせるわざです。もちろん聖書には、「伝える人がいなくてどうして聞くことができようか」とありますし、福音宣教はイエス・キリストが昇天される時に弟子たちに与えられたご命令でもあります。けれども、私たちができるのは伝えることだけ。人を救うのは神さまです。ですから、プレッシャーを感じる必要も、焦る必要もないのです。こうしてパウロは、いまだ見ぬローマの教会に手紙をしたためます。それが、「ローマ人への手紙」なのです。「ローマ人への手紙」は、会ったことのないローマの兄弟姉妹に思いを馳せながら書いた手紙なのです。
さて、こうしてプテリオで兄弟姉妹を見つけ、彼らに請われるまま、7日間彼らのところに滞在しました。そうしておそらくこの7日の間に、最終目的地ローマに使者が送られたのでしょう。プテリオを後にして、ローマに向かって旅をしている途中に、アビイ・フォルムスとトレイ・タベルネで他のクリスチャンたちと遭遇しました。偶然ではありません。彼らは、パウロがローマに向かっているという知らせを受けて、わざわざ迎えに来てくれたのです。先ほども少し触れましたが、彼らはすでにパウロからの手紙を受け取っていました。ローマ人への手紙では、「何とかしてあなた方のところに行きたい」とありましたから、ローマ教会の人々はすぐにでもパウロが来てくれると思っていたと思うのですが、見てきた通り、紆余曲折ありましたので、結局3年もかかっていました。そして、そのパウロがついにローマに来た!やっと会える!そこで、ローマ教会の兄姉は、パウロが来るまで待っていられないと、行けるところまで行って出迎えようと、はるばる50㎞から70㎞の道のりを迎えに来たのです。
この時パウロが使っていた道は、かの有名な「アッピア街道」です。全長580㎞、道幅は広いところでは8mもある平らでまっすぐな軍用道路、当時戦車や馬が駆け抜けた高速道路です。迷いようがない、行き違いなど絶対におこらない道です。彼らは、この広い街道で出会い、互いに自己紹介をし合い、連れ立って歩きました。少々興奮気味で、笑い合いながら、歩いたのではないでしょうか。15節「パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた」とあります。パウロだって人間です。励ましが必要でした。もちろん神さまからの励ましは絶えずあったことでしょう。けれども、同じ神さまを信じて、決して簡単ではないこの地上の生涯を、共に歩める兄弟姉妹の存在は、彼にとって大きな励ましとなったのです。
さて、パウロは「囚人」でした。ローマに着くと彼は、獄にぶち込まれました…と言ってもおかしくないのですが、なんと彼は、監視役の兵士が付いてはいましたが、1人で生活することを許されました。パウロがそこから出ることは制限されたでしょうが、外からの訪問者は、誰も妨げられることなく、入ることができました。30-31節にはこうあります。「パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」 神さまのなさることは、不思議です。囚人としては破格の待遇です。この背後には、もちろん神さまの配在もありましたが、カイサリアの総督フェストの報告書、そして嵐の海を共に過ごした百人隊長ユリウスの進言もあってのことでしょう。
そして二つ目にパウロを支えたのは、宣教への熱い思いです。パウロはローマ人への手紙1:15で言っています。「何とかして、ローマにいるあなたがたのところにも福音を伝えたいと、心の底から願っているのです。」私たちはどうでしょうか。家族や友人、人々を救いに導きたいとの熱い思いはあるでしょうか。神さまはそんな私たちの祈りに答えてくださいます。
そして、最後にパウロはローマ教会の兄弟姉妹と共に励まし合いたいと熱望していました。迫害の中、集まれないクリスチャンはいるでしょう。家の人の反対や妨げがあって集まれない人もいるでしょう。けれども、クリスチャンは集まらなければ弱っていきます。一人で聖書を読んでいるだけでは不十分です。ましてやYouTubeの説教だけでは信仰は養われません。パウロはローマ人への手紙1:11~12でパウロはこう書いています。「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでも分け与えて、あなたがたを強くしたいからです。というより、あなたがたの間にあって、あなたがたと私の互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。」パウロは言います。私の賜物をもってあなたを強めたい。私もあなたがたの信仰から学びたい、励ましを受けたいと。私たちにとって教会はそれほどに大切なものになっているでしょうか。教会で兄弟姉妹に会うことが励ましになっているでしょうか?いつも、「祈ってるよ」「わたししのためにも祈ってね」というのが合言葉にようになっているでしょうか。最近来ていないあの人、この人のことを気にかけ、祈っているでしょうか。最近体調のすぐれない、あの人、この人のために祈っているでしょうか。牧会をしていると、よく「先生、祈れないんです。辛すぎて祈れないんです。」と言って来る人がいます。そんなときに、私は答えます。「大丈夫、あなたが祈れなくても、私は祈っています。祈りは途絶えていません」と。私たちが祈れないときも、誰かが祈ってくれている、それが教会です。誰かが倒れたら、誰かが助け起こしてくれる。それが教会なのです。
「パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。」とあるように、私たちもお互いを必要とし合い、励まし合う関係を目指していきたいと思います。お祈りしましょう。
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