スキップしてメイン コンテンツに移動

クリスマスの広がり(使徒の働き28:23~31)


「クリスマスの広がり」
使徒の働き28:23~31

私が使徒の働きを松平先生から引き継いだのは、使徒の働き11章からでした。それ以来、少しずつ皆さんといっしょに読み進めてきました。これだけ長く続けて読むと、パウロの伝道の方法には、一つのパターンがあることに、皆さんもお気づきになったと思います。パウロは、新しい宣教地に行くと、まずはユダヤ人の会堂に入って、旧約聖書を紐解いて、イエスが旧約聖書の預言の成就者であることを説いていくという方法です。このパターンは、ローマでも変わりませんでした。もちろん、パウロは裁判を待つ身、自宅軟禁状態ですから、会堂に出向くことはできませんが、まずは、ローマに11あったと言われるユダヤ人の会堂から、主だった人々を招きました。そして彼らに、自分がローマに来たいきさつ語り、それについて簡単に弁明したのでした。エルサレムのユダヤ人たちから、何か通達のようなものがあったかと懸念していましたが、ローマのユダヤ人たちは、パウロの悪い噂は聞いておらず、先入観からパウロを憎んでいる人もいないことがわかりました。パウロは安心したことでしょう。これで、ユダヤ人たちからありもしないことで訴えられたり、陰謀を企てられたりする心配ありません。そして、今度は日を改めて、一般のユダヤ人たちも招いて、イエス・キリストの福音について、じっくり語ろうと彼らと約束したことでした。

けれども、みなさん疑問に思いませんか。パウロは異邦人伝道に召されていたはずです。自分でもそう公言しているのに、なぜここまでユダヤ人伝道にこだわるのでしょうか。今までも、新しい宣教地に入ると、必ずユダヤ人の会堂で説教するのですが、うまくいった試しがありません。しばらくすると必ず反対者が起こり、会堂を追い出され、迫害につながっているのです。それなのになぜ、ここまでユダヤ人にこだわるか、その答えは、パウロが書いたローマ人への手紙の9章から11章までに書かれています。

パウロの同胞、ユダヤ人への愛がそこにあります。パウロは9章2-3節でこう言います。「私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。私は、自分の兄弟たち、肉による自分の同胞のためなら、私自身がキリストから引き離されて、のろわれた者となってもよいとさえ思っています。」 凄まじいほどの愛です。そういえばモーセも同じような祈りをしました。たった40日間、モーセが神の山ホレブに登り、不在だったその時に、イスラエルの民は、金の子牛を作ってそれに跪いて拝むという罪を犯したのです。モーセはそんなイスラエルをとりなして、神にこう祈っています。「今、もしあなたが彼らの罪を赦してくださるなら──。しかし、もし、かなわないなら、どうかあなたがお書きになった書物から私の名を消し去ってください。」 もう一つの例です。2015年にいのちのことば社から出版された本のタイトルにこんなのがありました。『私を代わりに刑務所に入れてください ~非行少年から更生支援者へ~』誰の言葉だと思いますか?母親の言葉です。息子が犯罪者になり、法廷に立たされた時に、思わず発したお母さんの叫びでした。私たちはこれほどまでに、誰かの罪の赦しを願ったことがあるでしょうか。パウロの「同胞の身代わりに呪われたものとなってもいい!」という祈りは、まるで、イエスさまのようです。人は他の人の罪を代わりに担うことはできません。自分自身も罪人だからです。けれども神の子イエス・キリストは、人としての生涯の中で、唯の一度も罪を犯さなかったので、人の罪を負うことができました。そして、十字架にかかって、神に呪われた者となり、私たちの代わりに罰を受けてくださったのです。申命記には「木にかけられた者は神にのろわれた者」と書かれています。イエスさまは、木にかけられて、呪われた者となって死んでくださったのです。

パウロは、実際には同胞が救われるために自分が呪われる者になることはできません。けれども彼はそれほどまでに同胞の救いを願って、神に訴えていたのです。私たちはどうでしょうか。自分が救われて、ああ、これで安心、他の人はどうでもいい、そんな冷たい信仰者になっていないでしょうか。パウロは、罪ゆるされ、それこそ天にも昇るほどの喜びを味わっていましたが、その喜びを味わえば味わうほど、そうではない同胞に、かつての自分を重ね合わせて、憐れみで胸が熱くなり、心を痛めていたのです。こうして彼は、同胞ユダヤ人に伝道しないではいられなかったということです。 

さてパウロは、朝から晩まで、「イスラエルの望み」つまり神の国の証しと律法と預言者(旧約聖書)について説明し、イエスさまが確かに、神の御子、救い主であることを語りました。それこそ、飲まず食わずで、丸一日語り続けました。ところが彼らの反応はどうだったでしょうか。24節「ある人たちは彼が語ることを受け入れたが、ほかの人たちは信じようとしなかった。」この表現からすると、信じた人はごく少数で、多くの人は信じようとしなかったようです。福音が語られる時、聞いた人は、イエス・キリストを受け入れる人と受け入れない人とに二分されます。そして残念ながら、多くの人は福音を拒絶し、自分とは無関係だと、背を向けるのです。山上の説教(マタイ7:13-14)で、イエスさまは、言いました。「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。」 福音を聞く者は二分されます。そして、福音を受け入れる人は、いつもごくわずかです。そう思うと、私たちが福音を聞いたときに、信じることができたことは、不思議ではないでしょうか?ああこれだ、ここに救いがあるとわかったとしたら、それは奇跡ではないでしょうか。どうしてあの時、福音が心に響いたのか、どうして信じますと手を挙げたのか、信仰を告白できたのか、洗礼を受ける決意ができたのか、それはただ、神さまの恵みなのです。

パウロは、心をかたくなにして福音を受け入れず、帰ろうとした人々の背中を見ながら、思わず、イザヤ書6章の言葉を引用して言いました。『この民のところに行って告げよ。あなたがたは聞くには聞くが、決して悟ることはない。見るには見るが、決して知ることはない。この民の心は鈍くなり、耳は遠くなり、目は閉じているからである。彼らがその目で見ることも、耳で聞くことも、心で悟ることも、立ち返ることもないように。そして、わたしが癒やすこともないように。』

「この民」とは「神の民」のことです。ある注解者は、「神の民」のことを「神が愛そうと決意された人々」のことだと言っています。神が徹底的に愛そうと決意された「神の民」。ところが、彼らは神の愛に背を向け続けました。イエスさまもそんな神の民を嘆いて、言いました。「エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。」(マタイ23:37-38)神は力づくで、人を従属させるようなことはしません。神の愛に対しては、愛をもって応えてほしいのです。神の子どもとして帰ってきてほしい。形だけの親子ではなくて、血の通った会話のある、愛で結ばれた親子になりたいのです。こうして神は、彼らを離れて行くのに任せます。神から離れた人生はむなしく、彼らはやがてはどん底まで落ちるでしょう。そして彼らが目を覚まして、神を思い出した時には、神は放蕩息子の父親のように、両手を広げて待っていてくださるのです。

神の民がイエス・キリストによる救いを拒絶したので、その救いのチャンスは、異邦人に及びます。パウロも、同胞のためには、やるだけのことはやったと、気持ちを切り替え、異邦人に向かいました。30-31節「パウロは丸二年の間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」

これがルカの書簡(ルカの福音書と使徒の働き)の締めくくりです。決して、フィナーレを飾るような、めでたしめでたしという終わり方ではありませんが、大きな可能性を感じます。このような終わり方をオープンエンディングというそうです。私たちに、この結末が委ねられているということでしょう。パウロは、ローマで過ごした二年間、自費で家を借りていたという…、パウロには監視の目があったので、働けたとは思えません。おそらくローマの教会が家賃を払ってくれていたのでしょう。あるいは天幕の繕いなど内職をしていた可能性もありますね。とにかく、パウロはこの二年の間に、いわゆる獄中書簡を書きました。エペソ書やピリピ書、コロサイ書やピレモン書などです。また訪ねて来る人をみな迎え、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えました。「訪ねて来る人をみな」とあります。何の分け隔てなく、ユダヤ人も異邦人も女も子どもも、奴隷も自由人も、金持ちも貧しい人も、ローマ市民もそうではない人も、外国人も障碍者も健常者も、どんな仕事をしている人も、仕事がない人も、LGBTQ+の人もです。私たちの教会もそうでなければなりません。誰が来ても愛をもって接する、同じように歓迎する、そんな教会でありたいものです。こうして、ローマでは、クリスチャンが爆発的に増えていきました。この借家からリバイバルが始まったのです。のちにネロ皇帝によって、クリスチャンたちの大迫害が起こるのですが、彼らはそんな中でも増え続け、やがては、ローマ帝国はキリスト教を国教とする国へとなっていくのです。 

「福音」は自由で柔軟、どこへでも入っていける。また感染力がすごい!ですから「少しもはばかることなく、また妨げられることもなく」というのは正しい表現だと思うのです。物理的には多くの制限があったでしょう。パウロはずっと監視付きの家にいたのですから。けれども、パウロから福音を聴き、信じ、訓練され、励まされた人々は、ローマにとどまらず、世界へと羽ばたいて行ったのです。使徒の働きの1章8節は、使徒の働き全体の目次でした。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」 福音はローマの小さな獄(借家)から世界へと広がったのです。

クリスマスの喜びの良き知らせも同じです。ベツレヘムの小さな家畜小屋から始まって、いまや世界に広がりました。迫害の中でも、いえ、迫害のある国こそ、力強く福音が広がっているのです。今も広がっています。私たち、新船橋キリスト教会もその一端を担っていることを誇りに思いましょう。「使徒の働き」で大活躍された聖霊は、今も教会を通して、世界中で働いてくださっており、福音を伝える私たちを励まし、応援してくださっています。ですから、今年のクリスマスも声高らかにメリー・クリスマス!を教会から発信していきましょう!!


コメント

このブログの人気の投稿

7月16日主日礼拝

兄息子への愛                                         日 時:2023年7月16日(日)10:30                場 所:新船橋キリスト教会                                         聖 書:ルカの福音書15章25~32節   1 ルカの福音書15章について  ルカの福音書15章では、イエスさまが3つのたとえをお話しになります。そのうちの3番目に「2人の息子のたとえ」があります。今日は、兄息子のたとえを中心にお読みいたします。  イエスさまが3つのたとえをお話しすることになったきっかけが15章1節から3節に書かれています。取税人たちや罪人たちがみな話を聞こうとしてイエスの近くにやってきました。その様子を見ていた、パリサイ人たちや律法学者たちがイエスを批判します。「この人、イエスは罪人を受け入れて一緒に食事をしている」と。そこで、イエスはパリサイ人たちや律法学者たちに3つのたとえ話をしたのです。  その結論は、最後の32節に書かれています。   「 だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。」 イエスさまが3つのたとえをとおしてお語りになりたかったのは、「取税人や罪人がイエスのもとにきたことを喜び祝うのは当然ではないか。」ということです。1番目のたとえでは、失われた羊、2番目のたとえでは失われた銀貨が見つかりました。3番目のたとえでは、弟が死んでいたのに生き返りました。大いに喜ぶのは当然です。イエスさまは、3つのたとえを用いて、神さまから離れてしまった魂、すなわち、取税人や罪人が神さまのもとに帰ってくることの喜びがいかに大きいかをパリサイ人や律法学者に伝えることで、彼らの批判に答えたのです。 2 兄息子の不満   さて、3番目のたとえでは、前の2つのたとえとは違うところがあります。それは、25節から32節に書かれている兄息子の存在です。兄息子は、いつも父親に仕えていました。弟が帰ってきたその日も畑にいました。一生懸命に仕事をしていたのでしょう。ところが、兄息子が家に帰ってきますと、音楽や踊りの音が聞こえてきました。なんと、弟が帰ってきたというの
  闇から光に! 使徒の働き26:13~18 パウロの回心の記事は、使徒の働きで3回出てきます。前回は9章と22章でした。この3つの記事は、全く同じというわけではなく、それぞれ特徴があり、強調点があります。例えば、前のパウロの回心の記事では、アナニアが登場し、アナニアを通してパウロに神からの召しと使命が告げられたことになっていますが、今回、アナニアは登場しません。そして復活のイエスさまご自身が、パウロに直接語りかけ、福音宣教の使命を与えられたということが強調されています。今日は、私たちもイエスさまの直接的な語りかけを聞いていきたいと思います。12~13節をお読みいたします。   このような次第で、私は祭司長たちから権限と委任を受けてダマスコへ向かいましたが、その途中のこと、王様、真昼に私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と私に同行していた者たちの周りを照らしました。   パウロは、祭司長たちから権限と委任を受けて、ダマスコに向かい、クリスチャンたちを迫害しようとしていたとあります。昔、「親分はイエス様」という映画がありました。やくざだった人が救われて、人生の親分が、組長からイエスさまに変わったという映画です。パウロも、ダマスコに向かう時には、祭司長たちから権限と委任を受けていたのですが、ダマスコ途上で救われて、親分が変わりました。イエスさまが、彼の親分になり、パウロに権限と委任を与えるお方になったのです。 さて、パウロがダマスコに向かう途中に、天からの光を見ました。私はパレスチナには行ったことがありませんが、インターネットで調べてみると、雨季と乾季があり、乾季の時には、昼間は灼熱の太陽が照り付け、非常に乾燥しているとありました。今、日本は真夏で、太陽がぎらぎらと照り付けていますが、「真昼に天からの光」と聞いて皆さんどう思うでしょうか?しかもそれは太陽よりも明るく輝いて、パウロと同行者たちの周りを照らしたというのです。想像を絶する明るさ、輝きです。そうでした。神は天地創造の初めに、「光よ、あれ!」とおっしゃったお方でした。第一ヨハネの1章5節では、「神は光であり、神には闇が全くない」とあります。神は光そのものです。全き光である神を前に、人は立っていられるでしょうか。罪や汚れを持つ人間が、一点の影も曇りもない神の前に立ちおおせる

マルタ島での出来事(使徒の働き28:1~10)

「マルタ島での出来事」 使徒の働き281~10 さて、2週間もの漂流生活が守られ、船に乗っていたパウロたち囚人も、ローマの兵士たちも、水夫たちも、276人全員が無事に島に打ち上げられました。この島の名はマルタ島。地図で確認しましょう。イタリアは目と鼻の先。もちろん嵐に巻き込まれて、漂流してここまで来たのですから、順調に船旅をするよりも時間はかかりましたし、失ったものも多かったと思いますが、それでもほぼ直線距離で、ここまで運ばれて来たようです。本来はクレタ島で冬の間を過ごして、それから船出するつもりでしたので、予定よりも早く、パウロが目指すローマに着くことになりました。11節を見ると、航海に適した時期になるまでもう3か月間マルタ島で過ごさなければいけなかったのですが、3か月後にクレタ島を出るのと、このマルタ島を出るのとでは、大きな時間差があります。しかも島の人たちは親切で、パウロたち一行にとてもよくしてくださり、また船出するときには、必要な物資を用意してくれたということですから、クレタ島の良い港や皆が冬を過ごしたがっていたフェニクスという港よりも快適に冬を過ごせたかもしれません。 神さまの導きは不思議です。私たちから見たら、嵐のように苦労が多くて、遠回りで、足踏みをしているようにしか見えない人生でも、神さまは、着実に導いてくださっている。前に進ませてくださっているのです。神さまは良いお方。私たちに良いものしかくださいません。皆さんは星野富弘さんを御存じだと思います。不慮の事故で、首から下が全く動かなくなり、口で筆を加えて、絵や詩をかいている詩人であり、絵描きです。彼の書いた「渡良瀬川」という詩をご存じでしょうか。少し長いですが、お読みいたします。 私は小さい頃、家の近くを流れる渡良瀬川から大切なことを教わっているように思う。 私がやっと泳げるようになった時だから、まだ小学生の頃だっただろう。 ガキ大将達につれられて、いつものように渡良瀬川に泳ぎに行った。 その日は増水して濁った水が流れていた。 流れも速く、大きい人達は向こう岸の岩まで泳いで行けたが、私はやっと犬かきが出来るようになったばかりなので、岸のそばの浅いところで、ピチャピチャやって、ときどき流れの速い川の中心に向かって少し泳いでは、引き返して遊んでいた。 ところがその時、どうしたはずみか中央に行き