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分かち合う教会(マタイの福音書14:13~21)

 「分かち合う教会」

マタイの福音書14:13~21

明けましておめでとうございます。新年早々、能登半島大地震が起き、大きな被害が出ました。コロナのせいで、何年も帰省できない人が多かった中、久しぶりに故郷に帰られて、被災した方もおられるでしょう。本当に胸が痛みます。また教団の委員会の関係で、新潟のシオンが丘教会の山口光先生と連絡を取りましたら、以下のようなメッセージが来ました。一部抜粋します。「元日に起きた能登半島地震の影響は、私が生活している新潟市西区も顕著で、教会の2階の扉が落ちたり、隣接する交流館や牧師館の浴室のタイルが剥がれたり、壁に亀裂が入りました。教会員の中には、お住まいの家が、地盤沈下で傾いてしまったところもあります。私は対応している最中、コロナにかかってしまい、昨晩は40度近くの熱が出ておりました。妻も罹患したので夫婦で今日は横になっています。」テレビのニュースでは出てこない多くの方々、また教会が被災しておられることを思うと、何かできることはないかと思わされます。今日のメッセージのタイトルは、「分かち合う教会」です。これは2024年の私たちの教会の年間テーマです。このような災害の時こそ、共に分かち合い、助け合うことを実践していきたいと思います。

さて、いわゆる「五千人の給食」の記事は、聖書の中でも有名な記事の一つです。また、四つの福音書すべてに記されている唯一の記事が、この五千人の給食の記事なのです。ですから、私たちはこの記事を通して、聖書が最も大事にしているメッセージをくみ取れるのではないかと期待します。

13節を見ると、イエスさまは一人、船に乗って寂しいところに行かれたとあります。どうしてそんな行動をとったのでしょうか。それは前の記事を見るとわかります。バプテスマのヨハネが、当時のユダヤの王、ヘロデ・アンティパスの誕生パーティーの余興で、首をはねられて殺されてしまったとの知らせを聞いたからです。イエスさまは、どんなに心を痛められたでしょうか。バプテスマのヨハネは、イエスさまにとって従兄弟でした。そして「主の通られる道をまっすぐにせよ」との神さまからの召命を受けて、イエスさまが公生涯に入る前に、「荒野で叫ぶ者の声」として、「天の御国は近づいた。悔い改めて、バプテスマを受けなさい!」と人々に伝えたのです。多くの人が、彼を通して、悔い改めに導かれ、メシア、救い主を待つ気運がますます高まったのでした。バプテスマのヨハネこそ、イエスさまの真の理解者だと言えるでしょう。そのヨハネが殺された…。イエスさまは、身を切られる思いでこの報告を受けられたと思うのです。そして、ひとり寂しいところに行って祈られました。おそらく涙の祈りだったでしょう。そして、共に泣いておられる御父を思い、心慰められたのではないでしょうか。

ところが、イエスさまの御父と二人きりの時間は、すぐに打ち切られました。群衆が押し寄せてきたのです。イエスさまは、ため息をついて、「なんでこんな辺鄙なところまで追って来るのだ。ちょっとは一人にさせてくれよ!」と思ったでしょうか。いいえ、そうではありませんでした。イエスさまは、彼らを見て深くあわれみ、彼らの中の病人に手を置いて癒されたのです。この「深くあわれみ」という表現は、イエスさまの感情を表す言葉としてよく使われる言葉で、原文のギリシャ語では「スプラングニゾマイ」という単語です。意味は「腸(はらわた)がちぎれる思いにかられて」ということで、最大級のあわれみを指す言葉だそうです。沖縄の方言で「チムグリサ(肝苦さ)」という言葉があるそうですが、それに通じるものがあるかもしれません。単なる「憐む」では、表現しきれない意味が込められています。そして、この表現は、新約聖書ではイエスさまだけに使われている感情表現です。一つ例外は、「良きサマリヤ人」の例えです。追剥に半殺しにされ、横たわっている人に、敵国ともいえるサマリヤ人が、憐みの心を示した…、その時に使われているのも、この「スプラングニゾマイ」です。イエスさまは、ひとり退いて祈る時間を邪魔する人々に腹を立てたりしませんでした。深い憐みの目で彼らを見られたのです。

さて、遠い町々からイエスさまを追って来た人々が、夕方までイエスさまといっしょにいました。そこでは、癒しのわざが行われ、イエスさまが聖書の真理と救いを語って聞かせたことでしょう。みんなみことばによって、心が満たされ、自分たちがおなかをすかせていることも忘れてしまっていたのかもしれません。ふと気づくと一日何も食べないまま夕方になっていました。そういえば、イエスさまも弟子たちも何も食べていません。弟子たちはイエスさまに言います。「ここは人里離れたところですし、時刻ももう遅くなっています。村に行って自分たちで食べ物を買うことができるように、群衆を解散させてください。」(15節)最もな話しです。常識的な判断です。人間の社会は厳しいのです。人々は「自分の腹は自分で満たせ」と言います。今も世界には、おなかをすかせた人がたくさんいます。日本も7人に一人の子どもが貧困と言われて久しいです。そして、豊かな、常識のある人たちは言うのです。「自分たちで食べ物を買うように」と、「怠けているんじゃないの?」「ちゃんと働けば食べるぐらいできるでしょう」「自己責任だよね」と。

ところがイエスさまは、弟子たちに提案します。「彼らが行く必要はありません。あなたがたがあの人たちに食べる物をあげなさい。」と。これは、弟子たちへのチャレンジでした。イエスさまは、「私は、彼らを見るときに、はらわたがちぎれるような思いです。この思いを共有してくれませんか?」と弟子たちにチャレンジを与えたのです。

イエスさまから「あなたがたが!」とチャレンジを受けた弟子たちは、はじめて、自分たちの懐に目をおろしました。それまでは、「お前たちが」「自分たちで」と相手の懐を見ていたのが、はじめて自分たちの懐を見たのです。そして言いました。「ここには五つのパンと二匹の魚しかありません。」…「しかありません」という否定的な言い方ですが、彼らは確かに自分たちが持っているもの、与えられているものに目を向けたのです。するとイエスさまは言いました。「それを、ここに持って来なさい」

「そして、群衆に草の上に座るように命じられた。それからイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、パンを裂いて弟子たちにお与えになったので、弟子たちは群衆に配った。人々はみな、食べて満腹した。」

先ほど、5千人の給食の話は、四福音書すべてに書かれていると言いましたが、それぞれ、記者が違いますから、表現や視点が違っています。そして面白いことに、すべての記者が「草の上に座らせた」と記しているのです。ヨハネだけがこの時期が過ぎ越しの祭りが近づいている時期だと記していますので、ちょうど雨季が終わる3月ごろだったということがわかります。乾いた荒野にも草が生えているそんな時期でした。そこに人々を座らせた。ごつごつした岩の上ではなく、砂地でも、砂利の上でもない、ふかふかの草の上に座らせたのです。詩篇の23篇を彷彿とさせます。「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われます」 私たちの主は、そこまでお気遣いくださるお方だったのです。

さて、「パンを取って」「ほめたたえ」「裂いて」「お与えになる」。これはイエスさまの食事の前の決まった所作でした。まず、感謝して受け取る。そして私たちの命を守り、養いたもう神さまを覚えて賛美する。そしてそれを「裂く」、つまり「分ける」。そして、「与える」、それは「分かち合う」ということです。

「食べる」という行為は、人間に与えられている「楽しみ」の一つです。私たちはみんな食べるのが好きです。でも、食事の時、自我が出やすいのも事実です。私は大家族で育ちました。ですからいつも食卓は、にぎやかで楽しいものでした。けれども、例えば、すき焼きとか焼肉とか、みんなで分け合わなければいけないときは、争奪戦が起こります。我先にとおいしいところを取ろうとしますから大変です。誰々が多く取ったとか、僕のは小さいとか、ケンカが始まることもありました。ちょっと視野を広げて日本の社会を見ても、「食」に関しては、決して公平とは言えません。一部の人が美食をむさぼる一方で3食まともに食べられない人もいます。私たちクリスチャンは、食事の時に祈るでしょう。ただお題目のように祈るのではなく、イエスさまを思い出してください。まずは、今日も食事ができることを当たり前のこととせず神に感謝して、そして、私たちを養いたもう神を賛美し、そして「裂いて、与える」、「分かち合う」のです。そうするときに、私たちの食卓はきっと豊かになることでしょう。

たったの「5つのパンと2匹の魚」でした。けれども、それをイエスさまのもとに持って行ったときに、それらは、主の御手の中で豊かに増やされました。そしてイエスさまは、再びそれを弟子たちの手に委ねます。弟子たちは、配っても、配っても尽きないそのパンを、言い表せないような驚きと喜びをもって配り、男だけで5千人、女、子どもを入れると2万人を超えると思われる人たちがそれを食べて、笑顔になり、満腹になる様子を見ることができたのです。もちろん弟子たちも、イエスさまといっしょに食事をしたことでしょう。想像するだけで、世界で一番豊かな食卓の光景が見えるようです。そしてフードロスのないように、余ったパンを集めたら、12かごになったと記されています。

この時、弟子たちがしたことは二つです。一つは5つのパンと2匹の魚をイエスさまにつないだこと。この5つのパンと2匹の魚だって、弟子たちが自分たちで準備したものではなかったのです。ヨハネの記事を見れば、この小さなお弁当を提供してくれたのは少年でした。弟子たちは、そのささげものをイエスさまにおつなぎしました。そして弟子たちがしたことのもう一つは、イエスさまがくださった食べ物を皆さんに配ることでした。つまり、彼らは実質何も犠牲を払っていないということです。ただ、つないだだけです。他の平行記事を見ると、当初彼らは、自分たちが犠牲を払うとしたら、200デナリでも足りませんと計算をしていました。けれども結果的に、彼らは何も犠牲を払っていないのです。それがいいのです。私たちは自分が犠牲を払うと、恩着せがましくなります。ひも付きになります。そこには管理や支配が生まれることだってあり得ます。ただで受けたものをただで分け与える、それがいいのです。

私たちの今年の年間聖句は、マタイの14章18節「それをここにもって来なさい」です。そしてテーマは「分かち合う教会」。言い換えると「つなぐ教会」です。私たちが受けたもの、「命」「健康」「時間」「お金」「才能」「賜物」「救い」「日々の神さまからの恵み一切」を、イエスさまのところにもっていきましょう。イエスさまにつなぐのです。イエスさまはそれを豊かに祝福してくださり、増やして、私たちにもう一度それらを人々につなぐようにとおっしゃっています。イエスさまのチャレンジに応える教会であり、私たちひとり一人でありますように。

 


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