「約束の虹」
創世記9:8~17
神さまは1節で、ノアと彼の息子たちを祝福して「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と言われました。そして、その祝福をゆるがないものとするために、神さまはノアたちだけでなく、後に続く子孫との間にも契約を立ててくださいました。「後の子孫」ということは、つまり今の時代を生きる私たちにも、この契約は有効だということです。
けれども、この契約は、私たちが普段使う契約とは少し違うようです。例えば民法の522条では、契約をこう定義しています。「(契約は)当事者同士の意思表示が合致することで成立する」。そして契約には、双方に法的責任が生じます。そして契約の当事者はその契約に拘束されることになり、し相手方が約束を守らなかった場合は、契約違反として、罰則が生じることにもなります。これが私たちが一般に使っている「契約」の概念です。
ところが、神さまが立てる契約は全く違います。今日の個所では、9節の「わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる」を筆頭に、何度も「わたしは、わたしの契約を…立てる」と繰り返されます。そうなのです。神さまは、相手、つまり人間とは関係なく、一方的な主導権をもって、ノアたちとその後に続く子孫である私たちとの間に契約を立ててくださったのです。「当事者同士」でも「双方」でもなく、神さまが、ご自分の意思と決意をもって、一方的に与えられたのがここでの「契約」なのです。この「契約」は神さまが主導なので、法的な責任、権利と義務も神さまだけに発生します。そういう意味で、「契約」というよりは「約束」と表現した方がいいのかもしれません。けれども神さまは、ここで「契約」という、重い言葉を使うことによって、「この約束を、ご自身の真実にかけて必ず守る」「約束の責任はすべて自分が負う」という「決意」を表しているのです。
こうして神さまは、8章21、22節で、心の中でつぶやかれたことを、確かなものとするために契約を結ばれました。神さまのつぶやきはこうでした。「わたしは、決して再び人のゆえに、大地にのろいをもたらしはしない。人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ。わたしは、再び、わたしがしたように、生き物すべてを打ち滅ぼすことは決してしない。この地が続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜がやむことはない。」この時点は、神さまの心の中のつぶやきでしたが、今神さまは、正式に契約としてその決意を表明します。
さらに、神さまは人間とだけではなく、あらゆる被造物にもこの契約を広げました。10節「また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に。鳥、家畜、それに、あなたがたとともにいるすべての地の獣、箱舟から出て来たすべてのものから、地のすべての生き物に至るまで。」と言っています。神さまはノアと契約を立てることにより、もう一度被造物との関係を新しくされました。そうして、二度と洪水によって肉なるものが滅ぼされないようにされたのです。アダムの罪によって地はのろわれてしまった。もし人間の罪によって、被造物が巻き込まれ、滅ぼされるのであれば、きっと何度でも、何度でも滅ぼされなくてはならなかったことでしょう。けれども、神さまは、ノアとの間に契約を立てることによって、二度とこの世界を滅ぼすまいと、ご自分を制限、制御され、自戒されたのです。11節「わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。すべての肉なるものが、再び、大洪水の大水によって断ち切られることはない。大洪水が再び起こって地を滅ぼすようなことはない」。不真実な人間ではなく、どこまでも真実なお方、ご自身にかけて神は誓われました。神さまは、罪や不正を必ずさばかれる聖なるお方ですが、箱舟を降りたときにノアがささげた礼拝とささげもの、祈りを受け入れてくださり、この先人類がどんなに堕落しても、この世界を滅ぼすことなく、ご自分の真実をかけて保ってくださると誓ったのです!
神さまの契約は、その「みことば」だけでも十分でした。神さまのみことばは、それだけで力があり、権威があり、神のことばは必ず成就するからです。けれども神さまは、ことばだけでなく、目に見えるしるしを与えてくださいました。12~13節。「さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがたとの間に、また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に、代々にわたり永遠にわたしが与えるその契約のしるしは、これである。わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それが、わたしと地との間の契約のしるしである。」
ここでは契約のしるしについて記されています。神さまが、ノアたちとノアの子孫、またすべての生き物との間に立てる、変わらない、永遠の契約のしるし、それは雲の中の虹でした。ここで神さまは、「わたしと地との間の契約のしるしである」と、すべての生き物を超えて、大地との間にも契約を結ぶと言われています。人の罪によってのろわれた大地でした。けれども神さまはここで、「二度と大地を滅ぼさない」と、また「この地が続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜がやむことはない。」と約束されたのです。
ただ、「この地が続く限り」とあることも忘れてはいけません。この地上はいつか終わりが来ます。私たちはそれを「終末」と呼んでいます。いつか神が、この世界を終わらせる時が来ます。確かに、これから加速するように、この大地とそこに生きるものの命が脅かされることが増えていくでしょう。大規模な地震や気候変動、地球温暖化、環境汚染、核戦争…。地球滅亡までの終末時計は、残り90秒だそうです。24時間のうちの90秒です。確かにいつ、この地上が自滅し、人類やそこに生きている生物が滅んでもおかしくない状態です。けれども、それらのことによっては、この地上は滅びません。なぜなら神さまが、そうしないと約束されました。この世界を終わらせるのは神さまです。「イエス・キリストが再び来られるその日」は、必ず来ます。そしてその日、神さまはこの世界を終わらせます。本当の最後のさばきを行い、神さまが統治される新しい天と新しい地を始められるのです。
虹は、雨上がりに見られます。当たり前ですが雨が降っているときには、虹を見ることはできません。雨があがって、太陽の光が差し込む時に虹が見えるのです。そして、その虹を見て、神さまはノアたちとすべての生き物との間に立てた契約を思い出されます。そして虹が立つ度に、大洪水で人を滅ぼした時のあの痛みを思い起こし、「わたしは約束した。終わりの日までは、彼らをわたしの手によって滅ぼすことはしないと約束した。だからわたしは忍耐するのだ」とご自分に言い聞かせるのです。虹が立つ度に、神さまは自戒の念をもって、決意を新たにされるのです。
また、虹のしるしは、神さまの契約の対象である私たちのためでもあります。私たちは大洪水によって滅ぼされた人たちと同じ罪人であり、滅ぼされて当然の者たちです。救われて神のものとなった私たちも罪人という点では彼らと同じです。けれども神さまは、二度と大水によっては私たちを滅ぼさない。私たちは雲の中の虹を見る度に神さまの一方的な恵みの契約を思い出すのです。ノアに与えられた恵みの契約は今も有効です。私たちが滅ぼされないのは、ただ一方的な主の憐れみと恵みとによるのです。
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