スキップしてメイン コンテンツに移動

ノアの息子たちの歴史(創世記10章)


「ノアの息子たちの歴史」

創世記10章

 今日の聖書箇所は、一見、無味乾燥なカタカナの羅列で、聖書朗読者泣かせの個所ですが、「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」とありますので、今日も、主の教えに耳を傾けながら、みことばの恵みにあずかりたいと思います。

1節に「これはノアの息子、セム、ハム、ヤフェテの歴史である。」とありますように、今日のみことばには「ノアの息子たちの歴史」が記されています。32節後半にありますように、「大洪水の後、彼らからもろもろの国民が地上に分かれ出」ました。そして、今日のみことばでは、神さまは、ノアたち夫婦からノアの息子たちの子孫によって、すべての民族を造り出されたことを私たちに教えています。

 さて、2節から5節までを見ると、聖書は最初にヤフェテの子孫について記しています。1節には「ノアの息子、セム、ハム、ヤフェテの歴史」とありましたが、実際にここに記されている歴史は、ヤフェテの子孫、ハムの子孫、セムの子孫という順序です。ヤフェテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラスですが、その中でもゴメルの子孫とヤワンの子孫だけが、彼らの子らの名前も記しています。ヤフェテの子孫の記述は、ハムの子孫やセムの子孫に比べて短いのも特徴で、これは、彼らの居住地に関係がありそうです。5節を見ると、ヤフェテの子孫は海沿いの国々、地中海に面する小アジアからヨーロッパに集まっていることがわかります。トルコやギリシャ、スペインにまで及ぶ地域です。ヤフェテの子孫は、地理的にはイスラエル人の居住区から離れていたために、イスラエルとの接触も少なく、当時は、それほど関心が払われなかったということでしょう。ところが、新約聖書の時代になると、これらの地域は表舞台に出ることになります。地中海沿岸の地域を縦横無尽に伝道旅行に走ったパウロが、使徒の働き17章26節のアレオパゴスの説教の中でこう言っています。「神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせた!」神さまにとってはすべての国々、民族が、愛すべき存在であり、神が関心を払っておられない人々は一人もいないということです。

さて次に、6節から20節までは、ハムの子孫が記されています。ハムの子孫は、クシュ(エチオピア)、ミツライム(エジプト)、プテ(リビア)、カナンでした。このクシュの子孫でひときわ目立つのは、ニムロデです。「ニムロデは地上で最初の勇士となった」「彼は、主の前に力ある狩人(かりゅうど)であったので、『主の前に力ある狩人ニムロデのように』といわれるようになった」と、彼がどんなに勇敢で力のある狩人だったかが強調されています。「地上で最初の勇士となった」ということは、彼は地上で最初の王国を築いたという意味だそうです。彼の王国の主な町は、バベル、ウルク、アッカド、カルネであり、それらはすべてシンアルの地、つまり「現在のイラク周辺のメソポタミア地方にありました。彼はその地方からアッシュル(後のアッシリア)に進み、さらにニネベ、レホボテ・イル、カルフ、レセンを建てました。レセンはニネベとカルフとの間にある、非常に大きな町であったと書いてあります。何気なく読んでしまえば、ただのカタカナの羅列ですが、いくつか聞いたことのある地名もあることでしょう。特に最初に出て来る「バベル」。11章から、有名な「バベルの塔」の話が出てきますが、バベルの人々が一致して、神に挑戦するような高い塔を立てたあのバベルのことです。実は「ニムロデ」という名前は、「謀反を起こす者」という意味があるそうです。彼の子孫たちは、神に挑戦し、謀反を起こすように、バベルの塔を建てたのです。権力、戦力、財力、あらゆる力を持つことが、何よりも価値あることであるとする時代的特徴がここに現れています。何もこの時代だけの特徴ではないでしょう。この世の価値観は、いつもそうなのです。権力、戦力、財力。これらさえあれば、幸せになれるという幻想が、すでにこの時代からありました。アッシュル、つまりアッシリアもそうです。力を誇示して、後に北イスラエルを滅ぼすことになります。ニネベも聞いたことがあるでしょう。神さまは、霊的に荒廃したニネベの町を悔い改めさせるために、預言者ヨナを遣わした、あのニネベです。そして、ミツライムは、エジプトのこと。エジプトは、肥沃な大地を持ち、やがては強大な軍事力を誇るようになります。そして最後に、「このカスルヒム人からペリシテ人が出た。」とあります。ペリシテ人は、ご存じのように、後にイスラエルの宿敵となる民族、国です。そして、最後カナン。ノアの泥酔事件で、「カナンはのろわれよ!」と父ノアに言われてしまったカナンとその子孫のことが、15節以降に書かれています。カナン人から多くの民族が分かれ出て、彼らの領土は、シドンから南下してゲラルを経てガザまでを含み、更にソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムに向かってラシャにまで及んだ。」とあります。エジプトを脱出したイスラエル人が、まさに神さまの約束の地、カナンの地に入ろうとするときのことが、ヨシュア記に書かれていますが、ここに記されている地名、民族の名前がそこに出てきます。そして彼らは、今でも、戦いを繰り返しています。

さて、最後、21節から31節までは、セムの子孫のことが書かれています。21節と25節に出てくる「エベル」とは「ヘブル」を表すと考えられています。つまり、21節は「セムはヘブル人(ヘブライ人)のすべての子孫の先祖である」と記しているのです。この時には、まだ、「イスラエル」という言葉は出てきませんが、エベル(へブル)人は、すなわち、イスラエル人のことなのです。第11章に「セムの系図」が詳しく記されていますが、そこを見るとアブラハムがセムの子孫、アルパクシャデの家系から生まれたことが分かります。このように、神の民の歴史は、ここまで脈々と受け継がれ、この後は、アブラハムの時代になって、更に具体的に神の民、選びの民としての約束が、確かなものとなっていくのです。

こうして、ヤフェテの子孫、ハムの子孫、セムの子孫について記された後、それぞれ、5節、20節、31節で、「その氏族、その言語、その地、国民ごとの、(ノアの3人の息子の)子孫である。」と書かれています。鋭い人は、あれ?言語が分かれたのは、バベルの塔以降じゃないの?と思うかもしれませんが、10章に記されている歴史は、時系列というわけではなく、先取りしてバベルの塔以降の子孫のことまで記されていると考えれば問題ないでしょう。

こうしてノアの3人の息子たちの歴史が記されたのちに、32節ではこのように書かれています。

「以上が、それぞれの家系による、国民ごとの、ノアの子孫の諸氏族である。大洪水の後、彼らからもろもろの国民が地上に分かれ出たのである。」

みなさん、この最後の締めの言葉を聞いて、どう思われたでしょうか。ノアの3人の息子たちの子孫を、公平に扱っているとは思わないでしょうか。この民族表は、イスラエル民族を中心とするような仕方で記されてはいないのです。すべての民族が、神さまによって造られたこと、増えひろがされたことを淡々と述べています。それは、この10章の民族表に、およそ70の民族名が記されていることからもわかります。地名を除いて、ちょうど70なのです。70というのは、聖書の中では「すべて」を表す数字です。神さまは、ノアの子孫から出たすべての民族、国々を合わせて、70とし、「すべて」としたのです。

9章1節で、神さまは、ノアとその息子たちを祝福して、彼らに言われました。「生めよ。増えよ。地に満ちよ」。ところが、ノアの泥酔事件で、ハムが罪を犯し、もう、ハムは終わったと、私たちは思ったのではないでしょうか。ところが、神さまの3人の息子への祝福は、取り消されませんでした。ハムの子孫も多くの土地が与えられ、人々は増え広がり、むしろ、他のどの民族よりも発展したのです。神さまの約束は、必ず果たされます。たとえ、人間は不真実であっても、神は真実だからです。

私はこの説教の準備をしているときに、一つのみことばが心に浮かびました。聖書の中の聖書と言われる、ヨハネの福音書3章16節です。

「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは、御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを得るためである。」

神は、「世」を愛されたのでした。旧約聖書で、「世」というのは、天に対して地、神が造られた世界のことを表します。地は、人間が生存し、生活を営み、活動する領域です。そして、新約の時代になると、「世」の意味が広がりを持ち、「アイオーン」とか「コスモス」というギリシャ語が使われるのですが、これは秩序と調和のある宇宙を表します。また、それに加えて、このヨハネの福音書を書いたヨハネは、「世」というのは、神に敵対し、サタンの支配下にある領域として、この「世」という言葉を用います。人間の罪、キリストに反抗する人々を「世」と呼んでいるのです。そう、ニムロデと彼の子孫が、力を誇り、権力を握り、王国を作り、自分を神としたように、この世はいつも、この地と人を造った神を忘れ、自分を神としてきました。

けれども、「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」とあります。神さまが愛されたのは選びの民だけではない。イスラエルだけではない。全ての民族、国民(くにたみ)を神は愛されているのです。70の氏族の中の一つでもかければ、「すべて」でなくなってしまう。神さまは、今も、昔も、すべての人を愛しておられます。そして、誰一人滅んでほしくないと思っています。そして、その愛が極まって、ひとり子イエスさまをこの世に送ってくださいました。そして、十字架の贖いによって、救いの道を開かれたのです。なぜでしょうか。それは、世を愛しているからです。神に反抗し、逆らう世を、それでも愛しているからです。誰一人滅んでほしくないからです。永遠のいのちを得てほしいからです。

私たちは勘違いしてはいけません。神さまは、クリスチャンだけを愛しているのではありません。もちろん、クリスチャンは、特別な恵みに下にあります。神さまと相思相愛の仲だからです。けれども、神さまは、ご自分に反抗する人々も同じ愛で愛しておられる。こんないい方はふさわしくないのかもしれませんが、神さまは片思いしておられる。ですから私たちは、すべての人に、神さまがどんなにあなたを愛しておられるのか、今日も、明日も告げ知らせるのです。お祈りしましょう。


コメント

このブログの人気の投稿

人生の分かれ道(創世記13:1~18)

「人生の分かれ道」 創世記13:1~18 さて、エジプト王ファラオから、多くの家畜や金銀をもらったアブラムは、非常に豊かになって、ネゲブに帰って来ました。実は甥っ子ロトもエジプトへ同行していたことが1節の記述でわかります。なるほど、エジプトで妻サライを妹だと偽って、自分の命を守ろうとしたのは、ロトのこともあったのだなと思いました。エジプトでアブラムが殺されたら、ロトは、実の親ばかりではなく、育ての親であるアブラムまでも失ってしまうことになります。アブラムは何としてもそれは避けなければ…と考えたのかもしれません。 とにかくアブラム夫妻とロトは経済的に非常に裕福になって帰って来ました。そして、ネゲブから更に北に進み、ベテルまで来ました。ここは、以前カナンの地に着いた時に、神さまからこの地を与えると約束をいただいて、礼拝をしたところでした。彼はそこで、もう一度祭壇を築き、「主の御名を呼び求めた」、つまり祈りをささげたのです。そして彼らは、その地に滞在することになりました。 ところが、ここで問題が起こります。アブラムの家畜の牧者たちと、ロトの家畜の牧者たちとの間に争いが起こったのです。理由は、彼らの所有するものが多過ぎたということでした。確かに、たくさんの家畜を持っていると、牧草の問題、水の問題などが出てきます。しかも、その地にはすでに、カナン人とペリジ人という先住民がいたので、牧草や水の優先権はそちらにあります。先住民に気を遣いながら、二つの大所帯が分け合って、仲良く暮らすというのは、現実問題難しかったということでしょう。そこで、アブラムはロトに提案するのです。「別れて行ってくれないか」と。 多くの財産を持ったことがないので、私にはわかりませんが、お金持ちにはお金持ちの悩みがあるようです。遺産相続で兄弟や親族の間に諍いが起こるというのは、よくある話ですし、財産管理のために、多くの時間と労力を費やさなければならないようです。また、絶えず、所有物についての不安が付きまとうとも聞いたことがあります。お金持は、傍から見るほど幸せではないのかもしれません。 1900年初頭にドイツの社会学者、マックス・ウェーバーという人が、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、略して『プロ倫』という論文を出しました。そこに書かれていることを簡単にまとめると、プロテス...

心から歌って賛美する(エペソ人への手紙5:19)

「心から歌って賛美する」 エペソ人への手紙5:19 今年の年間テーマは、「賛美する教会」で、聖句は、今日の聖書箇所です。昨年2024年は「分かち合う教会」、2023年は「福音に立つ教会」、2022年や「世の光としての教会」、2021年は「祈る教会」、 20 20年は「聖書に親しむ教会」でした。このように振り返ってみると、全体的にバランスのとれたよいテーマだったと思います。そして、私たちが、神さまから与えられたテーマを1年間心に留め、実践しようとするときに、主は豊かに祝福してくださいました。 今年「賛美する教会」に決めたきっかけは二つあります。一つは、ゴスペルクラスです。昨年一年は人数的には振るわなかったのですが、個人的には、ゴスペルの歌と歌詞に感動し、励ましを得た一年でもありました。私の家から教会までは車で45分なのですが、自分のパートを練習するために、片道はゴスペルのCDを聞き、片道は「聞くドラマ聖書」を聞いて過ごしました。たとえば春期のゴスペルクラスで歌った「 He can do anything !」は、何度も私の頭と心でリピートされました。 I cant do anything but He can do anything! 私にはできない、でも神にはなんでもできる。賛美は力です。信仰告白です。そして私たちが信仰を告白するときに、神さまは必ず応答してくださいます。 もう一つのきっかけは、クリスマスコンサートのときの内藤容子さんの賛美です。改めて賛美の力を感じました。彼女の歌う歌は「歌うみことば」「歌う信仰告白」とよく言われるのですが、まさに、みことばと彼女の信仰告白が、私たちの心に強く訴えかけました。   さて、今日の聖書箇所をもう一度読みましょう。エペソ人への手紙 5 章 19 節、 「詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。」 「詩と賛美と霊の歌」というのは何でしょうか。「詩」というのは、「詩篇」のことです。初代教会の礼拝では詩篇の朗読は欠かせませんでした。しかも礼拝の中で詩篇を歌うのです。確かにもともと詩篇は、楽器と共に歌われましたから、本来的な用いられ方なのでしょう。今でも礼拝の中で詩篇歌を用いる教会があります。 二つ目の「賛美」は、信仰告白の歌のことです。私たちは礼拝の中...

ヘロデ王の最後(使徒の働き12:18~25)

「ヘロデ王の最後」 使徒の働き12:18~ 25   教会の主なるイエス・キリストの父なる神さま、尊い御名を賛美します。雨が続いておりますが、私たちの健康を守り、こうして今週もあなたを礼拝するためにこの場に集わせて下さり心から感謝します。これからみことばに聞きますが、どうぞ御霊によって私たちの心を整えてくだり、よく理解し、あなたのみこころを悟らせてくださいますようにお願いします。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン   エルサレム教会では、それまでのユダヤ人からの迫害に加えて、その当時領主としてエルサレムを治めていたヘロデ王(ヘロデ・アグリッパ 1 世)からの弾圧も加わり、まずは見せしめとして使徒ヤコブが殺されました。それがユダヤ人に好評だったので、ヘロデ王はさらにペテロも捕らえ、投獄しました。ところが公開処刑されることになっていた日の前の晩、獄中にみ使いが現れ、厳重な監視の中にいるペテロを連れ出したのでした。ペテロのために祈っていた家の教会は、はじめはペテロが玄関口にいるという女中ロダの証言を信じなかったのですが、実際にペテロの無事な姿を見て大喜びして神を崇めたのでした。ペテロは事の一部始終を兄弟姉妹に報告して、追手が来る前にそこから立ち去りました。   「朝になると、ペテロはどうなったのかと、兵士たちの間で大変な騒ぎになった。ヘロデはペテロを捜したが見つからないので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じた。そしてユダヤからカイサリアに下って行き、そこに滞在した。」( 18 ~ 19 節)   結局番兵たちは朝になるまで眠りこけていたようです。朝起きてみると鎖が外れており、ペテロがいなくなっていました。 4 人ずつ 4 組、 16 人いたという兵士たちは、おそらくエルサレムの城門をロックダウンし、都中を駆け巡りペテロを捜しますが、もう後の祭りでした。こうしてペテロはまんまと逃げきったのです。 3 年ほど前「逃げ恥」というドラマが流行りました。これはハンガリーのことわざ「逃げるは恥だが役に立つ」から来ていますが、確かに私たちの人生で、逃げた方がいい場面というのは少なからずあります。特に自分の命を守るために逃げることは恥ずかしいことでもなんでもありません。そういえばイエスさまの...