スキップしてメイン コンテンツに移動

しなやかに主に仕える(ピリピ人への手紙4:10~13)


「しなやかに主に仕える」

ピリピ人への手紙4:10~13

ピリピ人への手紙は、ピリピ教会に宛てられた手紙です。ピリピ教会の誕生した由来については、みなさんご存じでしょうか?パウロは第二次伝道で、もともとはエペソに行って伝道しようと思っていたのですが、御霊によってそれを禁じられました。どうしたものかと考えあぐねているときに、いわゆる「マケドニアの叫び」を幻のうちに聞いたのです。マケドニアの人々が「私たちを助けてください」とパウロに懇願しました。そこで彼は、この叫びを主からのものだと確信し、予定を変更し、マケドニア地方のピリピに向かったのでした。

ピリピは商業で栄えていた町でしたが、そこにはユダヤ人の会堂がありませんでした。当時はユダヤ人が10人いれば会堂が立つと言われていましたので、この辺りは、よっぽどユダヤ人が少ない地域だったのでしょう。パウロは新しい町に入るとまずは、ユダヤ人の会堂で説教することを常としていましたが、ここではそれができずに困っていたところ、川のほとりに「祈り場」があるという噂を耳にしました。会堂がないところでは、「祈り場」というところを設けて、そこで天地万物を創造主、唯一の神を信じるグループが、小さな集まりをもっていたようです。そこでパウロは、早速その川のほとりの「祈り場」に行きました。するとそこに、紫布の商人リディアがいました。彼女は、ユダヤ人ではありませんでしたが、旧約聖書の神を信じる「神を敬う人」と呼ばれる人でした。また彼女は、今でいう女性実業家で、当時高級な紫布を外国から仕入れては、ピリピで売りさばくという、いわゆる貿易商のような仕事をしていたのです。彼女は、この小さな群れのリーダー的な存在でした。ですから、パウロがこの祈り場を訪れた時に、早速彼に説教をお願いしました。パウロはいつものように、イエスさまこそ、ユダヤ人が待ち望んでいたメシアだと、このお方を信じるなら、新しく生まれ変わることができると、イエス・キリストの福音を語りました。すると聖霊が働いて、リディアは、その場でイエスさまを心に受け入れ、パウロを家にお連れして、一家そろって、またおそらく従業員もそろって福音を聞き、皆がイエスさまを信じ、洗礼を受けたのです。これがピリピ教会の誕生でした。ですから、ピリピ教会の特徴としては、以下のことが言えるでしょう。①異邦人が多い。②女性が多く、教会の中でも活躍し、女性の働き人も多かった。③経済的に豊かな教会だった。 

今日のテキストの少し前に、女性の働き人が多かったことの根拠となることが書かれています。4章2節後半、「ユウオディアに勧め、シンティケに勧めます。あなたがたは、主にあって同じ思いになってください。そうです、真の協力者よ、あなたにもお願いします。彼女たちを助けてあげてください。この人たちは、いのちの書に名が記されているクレメンスやそのほかの私の同労者たちとともに、福音のために私と一緒に戦ったのです。」ユウオディアとシンティケは、おそらく中心的な女性執事、あるいは、肩書こそなかったと思いますが、いわゆる女性教職のような立場で、教会で働いていたようです。「この人たちは…福音のために私と一緒に戦ったのです」というのは、彼女たちは以前、パウロやその他の同労者たちと肩を並べて、協力して伝道したということでしょう。そして、熱が入り過ぎて、教会の中で衝突が生まれたようです。適当に教会生活をしているだけでは、衝突は起こりません。自分の生活が平穏無事であれれば、教会は別にどうでもいいからです。けれどもこのユウオディアとシンティケは、真剣に教会に向き合っていた。一生懸命イエスさまの望まれる教会形成をと願っていた。そうすればおのずと衝突も生まれて来るでしょう。時々、この箇所をあげて、鬼の首を取ったみたいに、「だから、女性は教会では黙っていたらいいのだ」と言う人がいますが、この手紙を書いたパウロだって、何度もいろんな人と衝突してきました。バルナバと衝突し、ペテロと衝突したじゃないですか。キリストのために守りたいものがあったからです。女性同士が衝突するのは珍しかったからパウロは、わざわざこの手紙で取り上げたのではないかと思うのです。そしてパウロは教会にお願いしています。「彼女たちを助けてあげてください」と、さばくのではなく、助けてあげてくださいと言っているのです。パウロの女性教職への眼差しは、どこまでもやさしいのです。

さて、ピリピ教会は経済的に豊かな上、ホスピタリティーにあふれていて、ささげる心が豊かだったようで、パウロの宣教の働きを経済的に助けていました。パウロは基本、テントメイキング宣教で、働いて自分の生活費や伝道活動費を捻出していましたが、テサロニケで伝道をしていた一時期、宣教に専念することができました。その時に彼を経済的に支えたのがピリピ教会なのです。ところがどうしたことか、しばらくその献金が滞っていました。先ほど触れたユウオディアとシンティケの衝突のことなども含めて、教会内がごたごたしていたからかもしれません。確かに教会内がごたごたしていたら、教会外のことまで目が行きません。私たちの教会は今、いろいろは地域支援活動をしていますが、これも教会の中に基本的な一致があって、穏やかだからだと思うのです。もし、教会の中に分裂や衝突があったら、こういうわけにはいきません。

10節「私を案じてくれるあなたがたの心が、今ついによみがえってきたことを、私は主にあって大いに喜んでいます。あなたがたは案じてくれていたのですが、それを示す機会がなかったのです。」とあるように、献金が再開したことをパウロは素直に喜んで、感謝を述べています。けれども、パウロは誤解のないように続けます。11節「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」実際彼は、この手紙をローマの獄中で書いています。「どんな境遇にあっても」というのは、彼にとっては獄中にあってもということでしょう。それだけではありません。彼の境遇はいつも過酷でした。Ⅱコリント11:25b-27「ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、労し苦しみ、たびたび眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました。」これが彼の言う「ありとあらゆる境遇」です。ですから、私は、自分を取り巻く境遇の変化で一喜一憂はしないのだと、してこなかったのだと言っています。貧しくても卑屈になったりしないし、富んでも高ぶったりしない。おなかいっぱいおいしいものが食べられるときには、神さまに感謝をするだけだし、お腹が空いて何日も食べられない日が続いても、私の心の奥底にある満足、幸せ、平安、喜びは決して消えることはない。嵐の中、海面がどんなに波たち、渦巻いていようと、深海は静かなように、雲の下は、雷が鳴り、大雨が降り、大風が吹こうとも、雲の上はいつも快晴なように、私の心は、いつも変わらない喜びあるのだとパウロは言っているのです。そして言います。「ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」

パウロの言う「あらゆる境遇に対処する秘訣」とは何でしょうか?それは、言うまでもなくイエス・キリストの福音です。私は神にいのちがけで愛されている。その証拠に神のひとり子イエス・キリストを神は与えてくださった。そしてイエスさまは、そのいのちをもって私の罪を贖ってくださった。私はもう罪の奴隷ではない。自分の欲の奴隷でもない。あらゆるものから解放されている。自由な神の子どもとされた。もう何ものをも私を支配することはできない。貧しさも、痛みも、苦しみも、迫害も、病気も、人に理解されないとか、受け入れてもらえないとか、わかってもらえないとか、子どもが思い通りにならないとか、愛してほしい人に愛してもらえないとか、過去の悲しい思い出や傷や、トラウマでさえ、私を打ちのめすことはできない。私を支配することはできないのです。

それどころか、「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」とパウロは告白します。「あらゆる境遇に対処する秘訣」、つまりキリストの福音をこの手に握っている私たちは、どんなことでもできるのです。「どんなこともできる!」こんな言葉を聞くと私たちは、励まされるどころか、そんなのは、ハッタリ、眉唾だとうと思うかもしれません。今はやりの「自己啓発」では、「私はできる」「人生の成功者になれる」と自分に言い聞かせます。もちろん人は誰でも、眠っている能力があって、それを発掘することによって、最大限に持っている能力を発揮することができるでしょう。けれども、ここで言っているのは、そういうことではありません。「私にはない。けれども神さまには無限にある。そして神さまは、求める者には惜しむことなく、それを与えてくださる」ということです。

そして、この手紙が、女性の働き人の多いピリピ教会に語られているのです。当時は、今とは比べものにならないぐらい、女性の地位の低い時代です。女性は、あらゆる制限の中にありました。それを思うと、この「なんでもできるのです」との言葉は、大きな励ましになります。教団でも、教会の中でも、男性教職に比べると、私たち女性教職は、柔軟さ(しなやかさ)が要求されます。文字通りあらゆる境遇に置かれます。自分の意思とは関係なく、いろんなところに運ばれ、いろんな立場に立たされ、いろんな役割が与えられ、好きだとか嫌いだとか、やりたいとかやりたくないとか、自信があるとかないとか、賜物があるとかないとかに関わらず、いろんな境遇に置かれる。一人で教会の責任を持つ女性教職もあれば、結婚を機にやりたかった奉仕を止めざるを得なくなったり、慣れ親しんだ教会、教団を移ならなくてはいけなくなったりするのです。そして、母親になるとか、牧師夫人になるとか、宣教師になるとか、宣教師夫人になるとか、とにかく立場が変わるのです。私自身も立場や役割が変わるたびに、大きなストレスの中に置かれました。その境遇に適応するのに年単位の時間を費やしました。けれども、パウロの言っていることは本当です。振り返ると(渦中にあっては正直言ってわかりませんでしたが…)、私は、イエス・キリストの福音のゆえにあらゆる境遇に対処することができましたし、神さまが任せられたことは何でもすることが来ました。

神学校を卒業して、同盟福音の伝道師として独身で働いた1年間。結婚して、亀田の牧師夫人として働いた8年半。そして台湾で宣教師夫人として働いた14年、その最後の6年は、宣教師らしい働きもできました。そして、台湾を引き上げて、正教師になって新船橋キリスト教会に赴任して5年目。途中、留学生の妻とか、専業主婦も経験しました。いつも次に移行する前には、「ああ、今が一番いい時だろうな、きっとこれから苦労が待っている!」と覚悟を決めるのですが、しばらくすると、やっぱり、「ああ、今が一番いい時だな」と思い、幸せをかみしめる。それは絶えず更新していくのです。 

私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。

これは現実の私たちの告白です。祈りましょう。



コメント

このブログの人気の投稿

祝福の日・安息日(出エジプト記20:8~11)

「祝福の日・安息日」(出エジプト 20:8-11 ) はじめに  本日は十戒の第四戒、安息日に関する戒めです。この箇所を通して本当の休息とは何か(聖書はそれを「安息」と呼ぶわけですが)。そして人はどのようにしたら本当の休みを得ることができるかを、皆さんと学びたいと願っています。お祈りします。   1.        聖なるものとする 8-10 節(読む)  「安息日」とは元々は、神が世界を創造された七日目のことですが、この安息日を聖とせよ。特別に取り分けて神さまに捧げなさい、というのがこの第四戒の基本的な意味です。この安息日を今日のキリスト教会は日曜日に置いて、主の日として覚えて礼拝を捧げています。安息日という名前は、見てすぐに分かるように「休息」と関係のある名前です。でも、それならなぜ休息とは呼ばず、安息なのでしょう。安息とは何を意味するのか。このことについては、一番最後に触れたいと思います。  いずれにせよ第四戒の核心は、安息日を記念して、「聖とせよ」ということです。それは、ただ仕事を止めて休めばよいということではありません。この日を特別に取り分けて(それを聖別と言いますが)、神さまに捧げなさいということです。すなわち、「聖とする」とは私たちの礼拝に関係があるのです。  でもどうして七日目を特別に取り分け、神さまに捧げる必要があるのでしょう。どうしてだと思われますか。 10 節冒頭がその理由を語ります。「七日目は、あなたの神、主の安息」。この日は「主の安息」つまり神さまのものだ、と聖書は言うのです。この日は、私たちのものではない。主の安息、主のものだから、神さまに礼拝をもって捧げていくのです。   2.        七日目に休んだ神  七日目は主の安息、神さまのものである。でも、どうしてでしょう。その理由がユニークで面白いのです。 11 節に目を留めましょう。 11 節(読む)  神さまはかつて世界を創造された時、六日間にわたって働いて世界を完成し七日目に休まれました。だから私たちも休んで、七日目を「安息日」として神さまに捧げなさい、ということです。ここで深く物事を考える方は、...

「神のことばによって造られた世界」(創世記1:6~25)

「みことばによって造られた世界」 創世記1:6~25  先週は、茫漠として何もないところに、神さまがみこころを向け、「光あれ!」とおっしゃったところを学びました。神さまは、「光」をよしとされて、光を昼と名づけました。そして、闇は、それを残しながらも、ここまでという境界線を引き、「夜」と名づけたのです。名づけるというのは、神の支配と統治の下に置かれるということを意味します。言い換えると、闇の中にも神さまはおられるということでした。そして、「夕があり、朝があり、第一日」が終わりました。 さて、今日は、神さまの創造の第二日から第五日までを一気に見ていきます。この創造の記事は、とかく現代科学と競合してしまい、議論されるのですが、聖書は科学の教科書ではなく、神さまのみこころを知るための書物なので、今日も「神のみこころを知る」という視点で読み進めていきたいと思います。 さて、光が造られ、昼と夜とが分けられると、神さまは次に「大空」を造られました。「大空よ、水の真っただ中にあれ。水と水の間を分けるものとなれ」。この「大空」という言葉は、もともとは「金属などを打ち延ばす」という言葉からできているそうです。 ヨブ記の37章18節では、「あなたは大空を神とともに張り広げられるのか。鋳た鏡のように硬いものを。」 と同じ「大空」という言葉が使われています。神さまはこうして、下の水と上の水とに分けられたのですが、私はここで、モーセが紅海を分けたときのことを思い出しました。イスラエルの民は命からがらエジプトから逃げていたのですが、目の前に立ちはだかったのは、紅海でした。四面楚歌、万事休すと思われたその時に、モーセが神さまの指示を受けて、彼の手、杖を海に伸ばすと、なんと海が真っ二つに分かれて地の底が見えたのです。出エジプト記の 14章22節には、「イスラエルの子らは、海の真ん中の乾いた地面を進んで行った。水は彼らのために右も左も壁になった。」 創世記の1章2節にあった、その大水、それは荒ぶる大水だと言いました。その大水が、上の水と下の水とに分かれて、大空が造られたのです。そして神さまは、「大空を天と名づけ」ました。それは神さまの支配と統治の下に置くことでした。そして神は、それをよしとされ、夕があり、朝があった。第2日。 9節「神は仰せられた。『天の下の水は一つの所に集まれ。乾...

賞を得られるように走る(Ⅰコリント24~27)

「賞を得られるように走る」 コリント人への手紙 9 章 24 節~ 27 節 塩原 美小枝 実習生 皆さんが学生のころ運動会ではどのような競技があったでしょうか。私の小学校では騎馬戦や組体操、徒競走などがあり、人気だったのを覚えています。  実は、パウロの手紙を受け取った教会のあるコリントの町でも競技大会なるものが二年に一回開かれていたようなのです。今でいえばオリンピックのようなものでしょうか。パウロは競技大会の花形であった「競走」を「信仰生活」に例えて、コリントの教会に訴えかけます。 パウロは彼らに何を伝えているのでしょうか。共に聖書を見ていきましょう。 まず、 24 節でパウロは競技大会での競走で賞を受けるのは、ただ一人であることをコリントの人々に思い起こさせます。皆さんも思い出してみてください。リレーや徒競走で 1 位になるのは 1 人、または 1 チームではなかったでしょうか。競走に「参加する」のと「勝利を得る」ということは別物だということです。参加は誰にでもできても、勝利は限られた人にしか得られません。皆さんも競争をしていると想像してください。「用意ドン!」と旗が上がった瞬間、負けるために走りだす人はいないでしょう。だれもが、あのゴールテープを切り勝利するために走るのではないでしょうか?  パウロは、競走で走る参加者を信仰者にたとえて、「あなたがたも賞を得られるように走りなさい」と訴えます。賞を得るのが一人かそうでないかの人数は実は問題ではありません。ここで大切なのは、「賞を得られるように」という、走る目的です。信仰生活とは、信仰をもって洗礼を受けたら、あとは自動的にゴールして、賞を得られるというものではないのです。  ではパウロが言っている「賞」とは何でしょうか。 25 節を見てみましょう。 実際に、競技大会の競走で勝利した人に与えられるのは「朽ちる冠」と書かれています。これは当時の賞が月桂樹の葉で編まれた冠で、いずれは枯れてしまうことから、「朽ちる冠」と表現されています。しかし、いずれは枯れる冠であっても、賞は賞です。競争で勝利した証であり、競争に参加した選手なら誰だって喉から手が出るほど欲しい物なのです。オリンピックでも、日本人が金メダルを取るとニュースで何度も報道されるように、選手にとっては非常に名誉のある賞なのです...