スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

3月, 2025の投稿を表示しています

さあ、天を見上げなさい(創世記15:1~6)

「さあ、天を見上げなさい」  (創世記15:1~6) 1 節冒頭の「これらのことの後」とは、ロト救出大作戦が終わった後ということです。主のことばが幻のうちにアブラムに臨みました。実はこの「臨んだ」という言葉、ここにきて初めて使われています。今までは、神さまがアブラムに何か言葉を与える時は、「言われた」、「仰せられたと」となっていました。「臨んだ」という表現は、神さまの臨在を表しています。アブラムは、「ああ、今、神さまはここにおられる!」、そんな圧倒的な臨在の中で、神のことばを聞いたのではないでしょうか。 「アブラムよ、恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたへの報いは非常に大きい。」 ( 1 節) 「恐れるな」と主は言われます。主の臨在を前に、人は恐れを覚えます。神さまの圧倒的な聖さを前に罪人は恐れ、ひれ伏すことしかできません。ところが主は、「恐れるな」とおっしゃって、主の方から近づいて来られるのです。そして、恐れるアブラムやさしく語りかけられます。「私はあなたの盾である」。「主は私の盾」とは、詩篇でよく出てくる表現ですね。「盾」は、敵の攻撃から私たちを守る武具です。神さまは、いつも私たちの味方で、私たちを傷つける攻撃から私たちを守ってくださる。それだけではない。主ご自身が攻撃の矢面に立ち、飛んでくる矢や剣を、自ら受けてくださるのです。先の戦いで、アブラムが勝利を得ることができたのも、主が敵の攻撃からアブラムを守ったからだよ、そうおっしゃっているようです。 「あなたへの報いは非常に大きい」と主はおっしゃいました。「報い」と聞いて私たちは、先の戦いの戦利品をめぐるソドムの王とのやり取りと思い出します。アブラムは言いました。「私は、いと高き神、天と地を造られた方、【主】に誓う。糸一本、履き物のひも一本さえ、私はあなたの所有物から何一つ取らない。それは、『アブラムを富ませたのは、この私だ』とあなたが言わないようにするためだ。」 (14:22~23) この時、アブラムは一切の戦利品を拒否しました。つまり、戦いに勝利した報いを人には求めなかったのです。人からの報いはいらない、人からの誉め言葉、人からの賞賛、人からの尊敬、そんな変わりやすいものはいらない。そんなものではなく、主からの報いをいただきたい。主からの報いこそ、私にとって本当に価値あるものなのだ。アブ...