「イエスは岸辺に立たれた」
ヨハネの福音書21章1~14節
21:1
その後、イエスはティベリア湖畔で、再び弟子たちにご自分を現された。
「その後」というのは、復活されたイエスさまが、エルサレムで弟子たちに2回現れた後ということです。一回目は、イエスさまがよみがえられたその日、弟子たちが鍵のかけられた一つの部屋に集まっているときに、イエスさまは弟子たちの真ん中に立たれて、シャロームと言われたのでした。それから8日待って、今度は、もう一度同じところで、今度はほとんどトマスのために現れてくださいました。イエスさまは、トマスに、その両手の傷、脇腹の傷を示して、「あなたは見たから信じたのですか?見ないで信じる者は幸いです」と言われました。
そしてその後、弟子たちはガリラヤに移りました。なぜでしょうか。イエスさまの復活の第一目撃者でもあり、証言者でもある女性の弟子たちが、イエスさまが収められていた墓に現れたみ使いの伝言を弟子たちに伝えたからでした。その伝言については、ヨハネの福音書には書かれておらず、マタイの福音書とマルコの福音書に書かれています。マルコの方をお読みします。マルコの福音書16章7節「さあ行って、弟子たちとペテロに伝えなさい。『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます』と。」彼らは、この言葉を受けて、ガリラヤに来たのです。ガリラヤに来てどれぐらいたったのか、書かれていないのでわかりませんが、ほどなくして、ペテロが言います。「私は漁に行く」と。じっと家の中でイエスさまが現れるのを待っていても仕方ない。目の前には、広いティベリア湖畔(ガリラヤ湖畔)がある。イエスさまに呼ばれる前は漁師だった彼らの血が騒ぎます。ペテロが「私は漁に行く!」というと、待っていましたとばかりに、他の弟子たちも「私たちも一緒に行く!」と言って、総勢7人で、ぞろぞろと湖に向かいました。
この7人については、2節に記されています。まずは、シモン・ペテロ、そしてデドモと呼ばれるトマス、先週の説教に出てきた「見ないと信じない!」と言ったトマスです。ガリラヤのカナ出身のナタナエル。聞きなれない名前かもしれませんが、彼も十二弟子の一人で、バルトロマイという名前でも呼ばれています。はじめにイエスさまのことを紹介されたときには、「ナザレからなんの良いものがでるだろう(メシアが出ることはない)」と言い、鼻で笑ったのですが、後にイエスさまは確かに神の子であり、イスラエルの王であると告白しました。そんな彼に、イエスさまは、「さらに大きなことを見る!」と告げたのです。おそらく、今日のこの復活の主にまみえるという出来事を指していると思われます。さて、ゼベダイの子たちとは、ヤコブとヨハネです。彼らも漁師です。お父さんのゼベダイは網元で大変裕福だったと言われています。彼らは漁業を継ぐことになっていたかもしれませんが、イエスとさま出会い、網を捨ててイエスさまについて行きました。二人は気性が荒かったので、「雷の子」と呼ばれていました。そして、彼らのお母さんはサロメと言い、イエスさまの十字架と復活の証人ですが、かつては、イエスさまに「天の御座つくときには、うちの二人の息子の一人を右に、一人を左に座らせてください」と進言して、あえなく却下されています。そしてヨハネは、このヨハネの福音書を書いたヨハネで、「主に愛された弟子」と後に表現されています。最後に「ほかに二人の弟子」とありますが、この二人については他に言及がないのでわかりません。
個性豊かな7人。それぞれにイエスさまの思い出を胸に、このティベリア(ガリラヤ)湖畔に集まって来ました。イエスさまにまつわる、いろいろな思い出が、彼らの脳裏に浮かんでは消えたことでしょう。イエスさまが船に乗って、岸辺にいる群衆に向かって説教したときのこと。その後、深みに漕ぎ出して網を降ろしなさいと言われ、そのとおりにしたら、たくさんの魚が捕れたこと。その時にイエスさまは、ペテロたちに「人間をとる漁師にしてあげよう」と言われたので、彼らは網を捨ててイエスさまに従ったのでした。またみんなで船に乗っていて、嵐に見舞われたとき、イエスさまがぐうぐう寝ていたこともありました。イエスさまをたたき起こしたら、「そんなに恐れるなんてどうしたことか」と、嵐を静めてくださったこと。そうそう、イエスさまが湖の上を歩いて来られたこともありました。あの時、ペテロは大胆にも、水の上を歩いてイエスさまに近づいて行ったのです。ところが途中、荒れ狂う波を見て、あえなく撃沈。イエスさまがペテロを引っ張り上げ、「私から目を離すな」と言われたのでした。
彼らは、言葉数少なく、無言で魚を捕り続けたのでしょうか。あるいは、ガリラヤ湖でのイエスさまとの思い出を語り合いながら、漁をしたのでしょうか。けれども、魚は一匹も捕れませんでした。夜通し網を降ろしたのに、一匹も魚が捕れないのです。…「思い出」だけではだめなのです。「思い出」だけで、今を生きることはできない。彼らに必要なのは、今、リアルに働かれるイエスさまででした。彼らは思い知ったことでしょう。イエスさまとの思い出だけじゃ、主の働きを続けることはできない。今から何をしたらいいのかもわからない。イエスさまは確かに復活された、今もどこかで生きておられる。けれども、今もどこかで生きているだけじゃ何の力にもならない。この主がともにおられなければ、いつも傍らにいてくださらなければ、自分たちは何もできない。
そんな彼らに、イエスさまは再び現れました。4節「夜が明け染め始めていたころ、イエスは岸辺に立たれた。けれども弟子たちには、イエスであることがわからなかった。」私はこの光景が大好きです。たぶん、聖書の中で一番好きな光景です。イエスさまが岸辺に立たれて、こちらを見ておられる、あるいは大きく手を振っておられる。東側に立っていたのでしょうか?上ってくる朝日が逆光になって、お顔が良く見えない。岸からイエスさまのおられる岸までは90メートルほど。イエスさまは、大きな声で彼らに向かって声をかけられます。「子どもたちよ、食べる魚がありませんね。」彼らは、聞かれるがままに答えます。「ありません!」弟子たちのいいところです。彼らはつまらないプライドがない。ないものはないと素直に言える。神さまの前で、「ないものはない」と認めるのは、祈りのはじまりです。「主よ、ありません」「私には信仰がありません」「あなたへの愛がありません」「身近なこの人を愛する愛がありません」「この学びを修める能力がありません」「イエスさまのことを伝えたいけど、私には勇気がありません」「語るべき熱心も、ことばもありません」私たちは正直に主の前に「ありません」と祈ればいいのです。
「食べるものがありません」と答える弟子たちに、イエスさまは言います。「船の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」神さまの前に、私たちが白旗をあげる時、何も捕れなかったと、自分はゼロだと告白するとき、神さまが働かれるのです。逆に言うと、自分の力で何とかなる、少しはやれると思っているうちは、私たちは主の指示を仰がないのです。主は言われました。「船の右側」に網を降ろしなさい。キリスト教雑誌で、「船の右側」という雑誌があります。この雑誌のタイトルは、間違いなく、今日の聖書の個所から取られているのですが、どんな意味があるのか、調べてみました。するとこんなことが書いてありました。
【「キリストのからだ」である教会をどのように形成していくのか。そのために奮闘する牧師、信徒を応援するキリスト教総合誌です。名前の由来は「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」(ヨハネ21:6)これまでのやり方や一般的な方法を超えるキリストの御声に耳を傾け、それに従う教会でありたいと願います。】
自分のやり方でうまくいかなくて、神さまに降参したとき、私たちは初めて、自分のやり方、従来のやり方、この世の常識、知恵、そういうものを捨てて、単純に主の御声に耳を傾けるのかもしれません。私たちも、主の御声に耳を傾け、みことばに聞き、みことばに従いましょう。
さてイエスさまの言われるとおりにしたときに、どうなったでしょうか。6節後半「そこで、彼らは網を打った。すると、おびただしい数の魚のために、もはや彼らには網を引き上げることができなかった。」11節を見ると、「網は153匹の魚でいっぱいであった。それほど多かったのに、網は破れていなかった」これを二重の奇跡だと言った先生がおられました。たくさんの魚と、それでも網が破れなかったという二重の奇跡です。
このことが起こって初めて、7節、イエスが愛されたあの弟子(おそらくヨハネ)が、「主だ!」と言いました。それを聞くとペテロは、大慌てで、上着をまとって海に飛び込んで、岸まで泳ぎました。イエスさまの前で裸同然の格好は失礼だと思ったのでしょうか。ペテロらしさが出ていますね。私たちは自分らしく、イエスさまを愛し、自分らしく、イエスさまへの愛を表現すればいいのだなと思います。私もイエスさまを信じて50年、最近になってやっと、私らしくイエスさまを愛するということがわかってきた気がします。私たちが自分らしく、イエスさまを愛するなら、私たちはイエスさまをお喜ばせすることができるし、イエスさまは私たちの愛を喜んで受け取ってくださるのです。
ペテロが先に泳いで行ってしまったので、他の6人は、おびただしい魚で重くなった網を、やっとの思いで引き上げ、小舟を岸につけました。そして、イエスさまのところに行くと、そこには、炭火が起こされていて、その上には魚があり、またパンがあるのが見えました。みなさんは「炭火」で、何をお思い浮かべますか?私は、大祭司の中庭の炭火です。イエスさまがユダヤ人議会の不当な裁判を受けている間、ペテロは大祭司の庭で炭火にあたっていたのです。ヨハネ18章18節「しもべたちや下役たちは、寒かったので炭火を起こし、立って暖まっていた。ペテロも彼らと一緒に立って暖まっていた。」そして、この炭火を囲んでいるときに、彼は、3度もイエスを否んだのでした。ペテロは、炭火を見る時、否が応でもそのことが思い出されます。そして、イエスさまは、このことについてもこの後で、取り扱っていくことになります。
さて、イエスさまは、夜通し漁をして、お腹がペコペコだった弟子たちに朝ごはんを準備してくれていました。もうみんな、このお方がどなたかは、尋ねる必要がありませんでした。また、イエスさまは、ご自分で十分な食べ物を準備することもできたけれど、あえておっしゃいます。「今捕った魚を何匹か持って来なさい」。今捕った魚、自分たちの力では何も捕れなかったけれど、主のみことばに従ったときに、捕れたおびただしい数の魚。主はそれを持って来なさいと言われたのです。私たちの小さな主への愛、私たちの小さなささげもの、奉仕、これらだってみんな主から与えられたものだけど、主におささげするときに、主は喜んでそれを用いてくださるのです。
13節「イエスは来てパンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。」そこには、いつもと変わらないイエスさまの姿がありました。壮絶な十字架の死を遂げ、墓に葬られ、死を打ち破ってよみがえられた神々しい神の子キリスト! けれどもそこにおられたのは、炭火にあたり、いつもそうだったように、感謝をささげて、パンをとって、みんなに分け与え、魚を分け与えるイエスさまだったのです。復活の主は、今も私たちの傍らにおられます。私たちに「ありませんね」と語り、あふれるほど与えてくださいます。思い出の中だけのイエスさまじゃない。歴史上存在したというだけじゃない、今も聖霊によって、私たちの内に住んでくださり、親しく語りかけ、リアルに働いてくださるイエスさまなのです。祈りましょう。
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