スキップしてメイン コンテンツに移動

アビメレクとの契約(創世記21章22~34節)


「アビメレクとの契約」

創世記212234

 

「そのころ」とは、いつのころでしょうか。アブラハムが妻のサラを妹だと偽ったため、アビメレクがサラを召し抱えたあの一件があって、すでに4年が経っていました。その間、神さまは、年老いた二人に息子イサクを与えました。そして、アブラハム一族は経済的にも祝福され、多くの使用人と軍隊、家畜、金銀を持つようになり、非常に豊かになっていました。「そのころ」のことです。

アビメレクはその軍の長ピコルと共にアブラハムのところにわざわざ出向いてきました。そして言うのです。「あなたが何をしても、神はあなたとともにおられる」と。このあいさつは、どういう意味でしょうか。皮肉もあるのかもしれません。「あなたは、以前、自分の妻を妹と偽り、私をだまして、大変な災害に遭うところでした。けれども、あんなことをしても、神はあなたとともにおられ、あなたを豊かに祝福しておられます。しかも、あなたは100歳にもなって、やはり年老いた妻サラによって子をもうけたと聞きました。これはまさに、あなたが何をしても、神があなたとともにおられる証拠です!」アビメレクは、暗に「別にあなたがすばらしいからじゃないですよ。あなたの神さまの誠実さです!あなたを見ていると神の愛と恵み深さ、ご真実がわかります!」と言っているようではありませんか。

クリスチャンは、「こそクリ」と「でもクリ」がいるそうです。「こそクリ」いうのは、この人こそクリスチャン!クリスチャンの鏡!と言われる人です。そして「でもクリ」というのは、これでもクリスチャンという意味です。弱いけどクリスチャン、いつも失敗ばかりするけどクリスチャン。ずっこけクリスチャンです。でも、この人を見ていると、神さまに愛されているのだなと思う。神さまは心の広い、恵み深いお方なのだなとわかる。そんなクリスチャンです。私たちは、「こそクリ」よりも、むしろ「でもクリ」でありたいと思うのです。私たちが、正しいからじゃない。私たちがいい人だからじゃない。神さまはこんな小さな者を愛して、高価で尊いと言ってくださり、豊かな恵みを日々注いてくださっている。そんな神さまの憐れみと恵みの象徴のようなクリスチャンでありたいと思うのです。

アビメレクはそんなアブラハムを見ていて、二つのことに気が付きました。一つは、アブラハムをこの地に寄留させていることの利点です。彼は、自分たちの国が、実はアブラハムが寄留していることによって祝福を受けているということに気づいていました。彼によくすることで、アビメレクは神からの祝福を受けてきたのです。だとすれば、できるだけ長く、アブラハムにこの地に滞在してほしい、アビメレクはそう感じ始めていました。そしてもう一つは、このままアブラハムが留まることの脅威です。アブラハムの財産はどんどん増え、勢力も増していました。もし彼が、アビメレクに反旗を翻したら、自分たちの国は危機にさらされるでしょう。アビメレクはこの二つのことのゆえに、アブラハムに盟約を結ぶことを申し出たのです。彼はしきりに、「誠実を」と言っています。23節「私があなたに示した誠意にふさわしく」「私にも、…この土地に対しても誠意を示してください」。この「誠意」という言葉はヘブライ語で「ヘセド」という特別な言葉で、「神がイスラエルとの契約関係において誠実であられる」ということを示すときに使われる言葉です。アビメレクは、神のアブラハムへの誠実さに期待し、信頼して、この盟約を持ち出しているのです。

 

アブラハムは、これ好機と思い、一つのことを抗議します。それは、アビメレクのしもべたちが、アブラハムたちが掘った井戸を奪い取っているということでした。ネゲブの人々は、「ここは我々の土地だ。おまえたちが井戸を掘ったとしても、それは我々のものだ!」と主張し、それらを力づくで奪い取っていたというのです。その訴えを聞いたアビメレクは言います。26節「だれがそのようなことをしたのか知りませんでした。それに、あなたも私に告げなかったし、私も今日まで聞いたことがありませんでした」と。これは本当でしょうか。25節の「アブラハムに抗議した」の「抗議した」という動詞は、ヘブライ語では未完了形で、それは今までも幾度となく抗議してきたことを意味します。まあ、善意に解釈すれば、井戸を奪い取った人々に再三抗議したけど、上には上がらなかったと取れますが、実はアビメレクは、この事態に気づいてはいたけど、長く知らないふりをしてきたとも取れます。そして、アブラハムがこのことでアビメレクへの不満が高まることを懸念して、今回の盟約の話を持ち出したとも解釈できます。もし後者だとすると、この盟約を話しを持ちかければ、アブラハムから、このような抗議の声が上がることある程度予測していたとも考えられるでしょう。どちらにしろ、今回、アビメレクの方から盟約を求めてきたことによって、この井戸の問題は、一旦解決しました。けれども、実は、この井戸の問題は、イサクの代まで続きます。寄留者であることの性(さが)と言ってもいいでしょう。

私たちは、自分以外のところではなく、自分の心に井戸を持つ必要があります。自分の心の渇きをいやすために、自分の井戸からいのちの水を汲み出して飲む必要があるのです。けれども、私たちは、往々にして自分の心以外のあちこちに井戸を掘ります。経済的な豊かさという井戸、この世の楽しみという井戸、子どもという井戸、恋人、伴侶という井戸、そして、そこから水を汲んで自分の心の渇きを潤そうとします。けれども、それらは、一時的に私たちの心を潤すことはできるかもしれませんが、潤し続けることはできません。いずれ、枯渇したり、奪われたり、変わったりするからです。いのちの水であるイエスさまを心のお迎えして、私たちの心に井戸を掘りましょう。そうすれは、そこから汲めども尽きせぬ主の恵みの水が湧いて、私たちはいくらでもその水で心を潤すことができるのです。そして、それは誰にも奪われることもありませんし、永遠に枯渇することもないのです。

この井戸は「ベエル・シェバ」と名付けられました(31節)。ベエルは「井戸」という意味。シェバは「7つ」、あるいは「誓い」という意味です。「七つ」は、アブラハムが契約のしるしとして、アビメレクに7匹の雌の子羊送ったからです。そして「誓い」というのは、ここでアビメレクとアブラハムの両者で誓いをしたからです。このベエル・シェバは、やがてはアブラハムの子孫に与えられる約束の土地に含まれます。聖書では、よく「ダンからベエル・シェバまで」という言い方がされます。それは、日本で言うと、「北海道から沖縄まで」という意味で、イスラエルの最北端ダンから、最南端ベエル・シェバまでという意味です。いずれは、ベエル・シェバは、アブラハムの子孫、イスラエルのものとなります。その時には、もう井戸のことで悩まなくてもいい。イスラエルの人々は、自分たちの井戸から、いくらでも水を汲んで飲むことができるようになるのです。

33節「アブラハムはベエル・シェバに一本のタマリスクの木を植え、そこで永遠の神、【主】の御名を呼び求めた。アブラハムは長い間、ペリシテ人の地に寄留した。」

アブラハムは永遠の神、主の御名を呼び求めました。ここで礼拝をしたのです。この土地を所有するようになるまでには、まだ時間がかかります。けれども、主の名を呼ぶところ、そこはすでに神の所有地です。そこに主は臨在し、ともにおられ、その地は神の国となります。アブラハムは、なおしばらく、寄留者としてベエル・シェバに住みます。けれどもアビメレクをして「あなたが何をしても、神はあなたとともにおられる」と言わしめた主は、私たちがどこにいても、私たちを守り、祝福し、私たちを通して、私たちの周りにいる人たちも祝福し、ご自身の栄光をあらわしてくださるのです。私たちも、今私たちが置かれている家庭、職場、学校、教会に、主のご臨在のしるしとしてタマリスクの木を植えましょう。そして、タマリスクの木を見る度に、私たちがどんな状況にあっても、神さまが共におられること、そして、やがては、神さまの約束の地を所有するようになること、主が治める、本当の平和、シャロームあふれる天の御国で永遠に主と共に生きることを覚えるのです。ですからそれまでは、この寄留の地で、主のお約束を心にしっかりと握り、神の前にも人の前にも、誠実に生きていきたいと思うのです。

宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」という詩を皆さん知っているでしょう。

「雨ニモマケズ」 (宮沢賢治)

雨にも負けず、風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫なからだをもち、

慾はなく、

決して怒らずいつも静かに笑っている。

一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、

あらゆることを、自分を勘定に入れずに、よく見聞きし分かり、

そして忘れず、

野原の松の林の陰の小さな萱ぶきの小屋にいて、

東に病気の子供あれば行って看病してやり、

西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い、

南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいと言い、

北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい、

日照りの時は涙を流し、

寒さの夏はおろおろ歩き、

みんなに「でくのぼー」と呼ばれ、

褒められもせず、

苦にもされず、

そういうものにわたしはなりたい

この「雨ニモマケズ」という詩はとても有名ですが、元々出版するために書いたものではなく、自分のために手帳に書いていたもので、彼が亡くなってから発見された作品です。

この詩には宮沢賢治本人の、こういう人になりたいとは思っているけど、なかなかなれない自分がいるという、理想と現実のギャップから生じる葛藤が強く出ていると思います。さて、実は「雨ニモマケズ」にはモデルがいるとされています。その人の名前は、明治10年生まれで、宮沢賢治と同じ東北出身の斎藤宗次郎という人です。宮沢賢治よりも19才年上でした。斎藤さんは、花巻市に住んでいて、クリスチャンなのですが、この頃、クリスチャンは世の人には歓迎されず、迫害されていました。戦争にも反対したりしていたこともあって、元々小学校の先生でしたが、それも辞めざるを得なくなりました。家に石を投げられることもあり、人からうとまれていました。そして、なんと、娘さんが小さいときに死んでしまいました。それでも彼はくじけることなく神に祈り続け、子供に会ったらアメ玉をやり、新聞配達の仕事の合間には病気の人のお見舞いをし、人を励まし、祈り続けました。そうです。「でくのぼう」と言われながらも、雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく、町の人達のために祈り、働き続けたそうです。そうした斎藤の生き方を通して、まわりの人からのキリスト教への偏見も、次第に尊敬へと変わっていきました。町の人たちはやがて「斎藤先生」と言って敬意をもってあいさつしてくれるようになり、ついに、町中の人から尊敬されるようになりました。子どもも「ヤソ、はげ頭、ハリツケ」などとはやし立てていたのが、後には「名物買うなら花巻おこし、新聞とるなら斎藤先生」と歌うようになったといいます。当たり前のように人のために行動できる斎藤宗次郎。宮沢賢治自身は日蓮宗の信者で、クリスチャンではありませんでしたが、こういう人になりたいという願いをこめて、この「雨ニモマケズ」を書いたとされています。

私たちはこの世にあっては寄留者です。家族の中で一人クリスチャン、学校や職場でただ一人のクリスチャンかもしれません。そしてある時は理解されず、迫害されることもあるかもしれません。へブル11章38節では「この世は彼らにふさわしくありませんでした。」とも書かれてあります。それでも、私たちは、齋藤宗次郎のように、アブラハムのように、この世の摩擦の中にあっても、誠実に歩みたいと思うのです。

詩篇37編3~6節

「【主】に信頼し善を行え。地に住み誠実を養え。【主】を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。主はあなたの義を光のようにあなたの正しさを真昼のように輝かされる。」

アーメン

コメント

このブログの人気の投稿

人生の分かれ道(創世記13:1~18)

「人生の分かれ道」 創世記13:1~18 さて、エジプト王ファラオから、多くの家畜や金銀をもらったアブラムは、非常に豊かになって、ネゲブに帰って来ました。実は甥っ子ロトもエジプトへ同行していたことが1節の記述でわかります。なるほど、エジプトで妻サライを妹だと偽って、自分の命を守ろうとしたのは、ロトのこともあったのだなと思いました。エジプトでアブラムが殺されたら、ロトは、実の親ばかりではなく、育ての親であるアブラムまでも失ってしまうことになります。アブラムは何としてもそれは避けなければ…と考えたのかもしれません。 とにかくアブラム夫妻とロトは経済的に非常に裕福になって帰って来ました。そして、ネゲブから更に北に進み、ベテルまで来ました。ここは、以前カナンの地に着いた時に、神さまからこの地を与えると約束をいただいて、礼拝をしたところでした。彼はそこで、もう一度祭壇を築き、「主の御名を呼び求めた」、つまり祈りをささげたのです。そして彼らは、その地に滞在することになりました。 ところが、ここで問題が起こります。アブラムの家畜の牧者たちと、ロトの家畜の牧者たちとの間に争いが起こったのです。理由は、彼らの所有するものが多過ぎたということでした。確かに、たくさんの家畜を持っていると、牧草の問題、水の問題などが出てきます。しかも、その地にはすでに、カナン人とペリジ人という先住民がいたので、牧草や水の優先権はそちらにあります。先住民に気を遣いながら、二つの大所帯が分け合って、仲良く暮らすというのは、現実問題難しかったということでしょう。そこで、アブラムはロトに提案するのです。「別れて行ってくれないか」と。 多くの財産を持ったことがないので、私にはわかりませんが、お金持ちにはお金持ちの悩みがあるようです。遺産相続で兄弟や親族の間に諍いが起こるというのは、よくある話ですし、財産管理のために、多くの時間と労力を費やさなければならないようです。また、絶えず、所有物についての不安が付きまとうとも聞いたことがあります。お金持は、傍から見るほど幸せではないのかもしれません。 1900年初頭にドイツの社会学者、マックス・ウェーバーという人が、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、略して『プロ倫』という論文を出しました。そこに書かれていることを簡単にまとめると、プロテス...

心から歌って賛美する(エペソ人への手紙5:19)

「心から歌って賛美する」 エペソ人への手紙5:19 今年の年間テーマは、「賛美する教会」で、聖句は、今日の聖書箇所です。昨年2024年は「分かち合う教会」、2023年は「福音に立つ教会」、2022年や「世の光としての教会」、2021年は「祈る教会」、 20 20年は「聖書に親しむ教会」でした。このように振り返ってみると、全体的にバランスのとれたよいテーマだったと思います。そして、私たちが、神さまから与えられたテーマを1年間心に留め、実践しようとするときに、主は豊かに祝福してくださいました。 今年「賛美する教会」に決めたきっかけは二つあります。一つは、ゴスペルクラスです。昨年一年は人数的には振るわなかったのですが、個人的には、ゴスペルの歌と歌詞に感動し、励ましを得た一年でもありました。私の家から教会までは車で45分なのですが、自分のパートを練習するために、片道はゴスペルのCDを聞き、片道は「聞くドラマ聖書」を聞いて過ごしました。たとえば春期のゴスペルクラスで歌った「 He can do anything !」は、何度も私の頭と心でリピートされました。 I cant do anything but He can do anything! 私にはできない、でも神にはなんでもできる。賛美は力です。信仰告白です。そして私たちが信仰を告白するときに、神さまは必ず応答してくださいます。 もう一つのきっかけは、クリスマスコンサートのときの内藤容子さんの賛美です。改めて賛美の力を感じました。彼女の歌う歌は「歌うみことば」「歌う信仰告白」とよく言われるのですが、まさに、みことばと彼女の信仰告白が、私たちの心に強く訴えかけました。   さて、今日の聖書箇所をもう一度読みましょう。エペソ人への手紙 5 章 19 節、 「詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。」 「詩と賛美と霊の歌」というのは何でしょうか。「詩」というのは、「詩篇」のことです。初代教会の礼拝では詩篇の朗読は欠かせませんでした。しかも礼拝の中で詩篇を歌うのです。確かにもともと詩篇は、楽器と共に歌われましたから、本来的な用いられ方なのでしょう。今でも礼拝の中で詩篇歌を用いる教会があります。 二つ目の「賛美」は、信仰告白の歌のことです。私たちは礼拝の中...

慰めを待ち望む(ルカの福音書2章21~35節)

「慰めを待ち望む」 ルカの福音書 2 :21~35 21~24節には、律法の習慣(レビ記12:1~8)に従うイエスさまの姿が描かれています。もちろんイエスさまは生後間もない赤ちゃんですから、律法の習慣に従ったのはマリアとヨセフなのですが、実は、イエスさまは律法を制定される側のお方なだということに思いが至るときに、ご自分の制定された律法に自ら従われる姿に、人として歩み始めたイエスさまの覚悟と本気を見る思いです。 まずは、八日目の割礼です。ユダヤ人は生後8日目の男子の赤ちゃんに割礼を施すことが律法で定められていました。割礼は、天地万物を創られた唯一の神を信じる民、「神の民」としての特別な印でした。神さまと特別の約束を交わした民としてのしるしです。そしてこの日に、み使いが両親に告げられた「イエス」という名前を幼子につけたのです。 次に40日の清めの期間が終わったあとの宮詣です。日本でいうお宮参りといったところでしょうか。40日というのも、レビ記にある規定で、女性が男子のあかちゃんを生んだ場合、7日間は、宗教的に汚れているとされて、その後33日間の清めの期間があり、合わせての40日が、その期間となります。(ちなみに女の子の場合は、2週間の汚れた期間を経て、66日間清めの期間を過ごします)この間、母親は隔離されるわけですが、産後のママにとってはありがたい時期です。今みたいに洗濯機や掃除機、炊飯器などがない時代、家事は女性にとって重労働でした。そこから解放されて、自分の体の回復と、新生児のお世話だけしていればいいこの時期は、産後のママにとって必要不可欠な時期だったのです。そして、その期間が明けて、マリアのからだも十分に回復して、 彼らはエルサレム神殿に向かったのでした。 Google マップで検索すると、ベツレヘムからエルサレムまで、距離にして8.9キロ、車で20分の距離です。もちろん当時は車はありませんので、徒歩だと2時間弱というところです。産後の身にとっては、ロバに乗って行ったとしても、決して近いとは言えない距離です。こうして、マリアとヨセフ、小さな赤ちゃんのイエスさまは、エルサレムの神殿に向かったのです。 さて、宮に着くと、律法の規定に基づいて、ささげものをします。ささげものの内容も決まっています。それは、生まれたのが男子であっても女子であっても同じで...