「平和をつくる者」マタイの福音書5章9節
齋藤五十三師
日本の八月は「平和」について考える季節です。私たちはキリストの言葉から、平和をつくることを共に考えていきたいと思います。お祈りします。
1.
平和をつくる者
5節「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」
「平和」と聞くと、戦争がないこと、あるいは戦争を終わらせるという、国や民族レベルの大きな平和をイメージする方が多いと思います。そうした戦争がない状態を実現し、あるいは保つことも平和をつくることですが、ここで主イエスが教えてくださった「平和」はもっと広い意味を持つのです。ここで「平和」が意味するのは、ヘブライ語のシャロームです。国と国、あるいは民族間の大きな平和だけでなく、個人レベルでの争いの解決や、和解など、人と人の間の小さな平和も含めて、主イエスは「平和をつくる者は幸い」と言われたのでした。それが大きい平和であっても、小さな平和でも、平和をつくる者は同じように幸いである。しかも、大きい平和も小さな平和も、平和をつくるための原理は同じです。その原理とは何か。それは相手を赦して和解する。個人レベルの平和はもちろんですが、国や民族レベルの平和も、最初の一歩は、指導者のような一人が相手を赦し、和解しようと決断するところから始まっていく。大きい平和も小さな平和も、それをもたらし、つくるための原理は全く同じです。
ここで注目させられるのは、「平和をつくる者が幸い」と言われていることです。平和な者が幸いとは言われず、「つくる者」が幸いと言われている。主イエスは、私たち信仰者一人一人のアクションを求めています。自分が平和なら、それでよいとは言われない。もし周囲に不和や争いがあれば、私たちがその間に入って仲介していくようなアクションを求めているのです。また、私たちにもし赦せない誰かがいるならば、その誰かを赦すことが促されている。相手を赦して和解する。それが平和をつくり出すのです。
大きい平和も小さな平和も、平和は相手を赦し、和解するところから始まっていく。どうですか。これが、今朝の御言葉の意味だとすれば、この教えを実践するハードルが、グンと上に上がったのではないかと思います。私自身も、これはなかなかにしんどい務めだと感じています。何だか心臓の辺りがバクバクしている感じです。平和をつくることは骨の折れるしんどいことであり、時に時間と忍耐を要する務めです。けれども、こうした務めに粘り強く関わっていく中で、シャローム、誰もが笑顔で暮らす、神の国が形になっていくのです。
平和は、一人の決断から始まります。相手を赦そう、和解しようという決断。たとえそれが、誰の目にも止まらないような小さな取り組みであっても、そこから小さな平和が始まって、シャロームが広がっていくのです。
南の島沖縄本島の最南端に、摩文仁の丘という、見晴らしの良い場所があります。そこに、沖縄戦で命を落とした人々の全員の名前を刻んだ、平和の礎と呼ばれる碑文があります。現在二十四万二千五百六十七名の方々の名前が刻まれているそうです。名前が刻まれているのは、軍人だけではありません。沖縄戦では多くの住民が犠牲になりました。また日本国民だけでなく、韓国、北朝鮮、台湾、そしてアメリカ人を含めた外国籍の方々の名前も刻まれています。外国籍の方々の中で、とびぬけて数が多いのがアメリカ兵です。約一万四千のアメリカ兵の名前も刻まれている。沖縄戦で失われた尊い命の間に、敵味方の差別をしない。ここに、平和をつくるための明確なメッセージがあります。かつての敵を赦し、平和をつくろうとのメッセージです。今も、国籍を問わない個人の申し出に基づいて、新しい名前が刻まれ続けているそうですね。平和はそのように、相手を赦して和解する、一人の決断から始まるのです。世の中でも、こうした地道な取り組みが続けられています。しかし、そんな平和の願いをかき消すかのように、世は再び戦争の時代に突入しつつありますね。そんな中で、キリスト者こそは、平和をつくり出す者であって欲しいという、主イエスの御言葉を今日は真剣に受け止めたいのです。キリストを信じる私たちは、人を赦して和解する。このような平和をつくる務めに召されているのだと信じます。
2.
神の子と呼ばれる
ところで、「平和をつくる者」は、なぜ幸いなのでしょう。当たり前じゃないか、と思われますか。争いよりも平和がいいのは当たり前です。しかし、イエスさまの理由は、私たちが思う当たり前の理由とは違うのです。理由はこれです。「その人たちは神の子どもと呼ばれるから」。「呼ばれる」とありますが、誰がそのように呼ぶのでしょう。原文によれば、これは、神ご自身が、平和をつくる者をそう呼んで、祝福する、という約束なのです。平和をつくる者がなぜ幸いか。それは、神が、平和をつくる者を「あなたは間違いなく、神の子どもだ」と呼んで、特別に祝福してくださるから。これが、幸いの理由です。世の中の人々が、平和を求める理由とは、かなり違っているのです。
平和をつくる者は、神の子どもと呼ばれる。しかし、一つの疑問が湧いてきます。イエス・キリストを信じる私たちは、すでに神の子どもなのではありませんか。実際に私たちは、祈るときに、「天の父よ」と口にして、神の子どもとして祈っているのです。確かにそうです。私たちは、すでに神の子どもです。
でも、少し立ち止まって、神の子どもの内実があるかどうかと考えればどうでしょう。すでに立場としては、神の子どもですけれど、その内実が伴っているかどうかは、また、別のことだと気づかされます。
イエスさまは、この教えを山の上、山上の説教、と呼ばれるメッセージの中で語りました。この山上の説教を読み進めていくと、平和をつくる生き方が、具体的にどのような生き方なのかを、主ご自身が教えてくださっているのです。頁を一つめくると出てくる、38節から48節が、平和をつくる者の具体的な生き方です。皆さんも聞いたことがあるでしょう。39節「右の頬を打つ者には左の頬も向ける」とか、44節「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈る」とあって、こうした生き方を目指すのは、私たちが天の父の子ども、「神の子ども」の内実が伴っていくためなのだ、と、主イエスは言われるのです。神の子どもとして成長するための訓練ですね。神の子どもは、敵を赦し、平和をつくろうと努める中で成長していくのです。
ちょっと、ため息が出たのではないでしょうか。ここで設定されているハードルは、まことに高い。「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言われた時に、もし、具体的に「誰か」の顔が浮かんできたら、いよいよ、平和をつくるハードルは高くなっていくでしょう。「平和をつくる」。これはなかなかにしんどい生き方です。難しい生き方です。でも、そのように生きることができれば「幸い」であることは、お分かりいただけると思います。赦せない人を、もし赦せたら幸いですし、赦すどころか、愛して、祈る、そんな生き方ができれば確かに幸いです。でも、そのように生きようとすると、必ず心の痛みや葛藤が生じるのです。平和は、簡単にはつくり出すことはできない。でも、たとえ困難が伴っても、祈って聖霊の助けを頂きながら、平和をつくろうと汗を流すなら、天の父は、そのような人を祝福されるのです。「これこそ、わが子、神の子どもである」と、天の父が喜んでくださる。それが、マタイ5章9節に込められた、主イエスの深い意図なのです。
3.
キリストこそ
こんな生き方を、果たしてできるのでしょうか。「できません」と、正直、泣き言を言いたくなるのです。でも、そんな泣き言を繰り返しながらも、御言葉を深く思いめぐらす中で、あるお方の大きな背中が見えてきたのです。その方は、その「背中」に十字架を背負っておられました。そして、その十字架の上で敵を愛し、自分を迫害する者のために祈られたのです。有名な祈りです。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているかが分かっていないのです」。この祈りのゆえに、キリストは「私たちの平和」と呼ばれているのです。
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれる」。この教えに目を留めながら、私たちは今朝、もう一度キリストから学んでいきたいのです。「平和をつくる者は幸い」という教えは、神のひとり子、キリストから私たちが学ぶことを教えているのです。イエスさまは私たちを招いています。「わたしに倣うように」。そして、ぶどうの木の幹につながる枝が実を結ぶように、キリストという、揺るがない平和の幹につながり、実を結ぶようにと、主イエスは私たちを招いています。
キリストを信じる私たちは、たとえ内実は伴っていなくとも、すでに神の子どもとして迎えられ、クリスチャン(=つまりキリストの内にある者)と呼ばれて、キリストのDNAを頂いているのです。枝が幹につながっていますから、DNAを植え付けられています。このDNAを活性化させたいのです。そこには苦難もあるでしょう。平和をつくることはしんどいけれど、祝福を約束された務めです。キリストに学び、キリストの生き方に倣いながら、私たちはキリストに似た者へと成長していくのです。
使徒の働き7章に、キリストを宣べ伝えて殉教していく、ステパノの祈りが記されています。彼は死の間際に、自分を処刑する人々のために祈ります。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」。この祈り、イエスさまの十字架の祈りとそっくりですね。信仰者は、キリストにつながっていく時に、キリストに似た者とされていく。平和をつくる務めは、キリストにつながり続ける中で実現するのです。そして、歴史の中では実際に、多くのキリスト者が、苦難の中で平和をつくろうとしてきたのでした。
最後に、一人のアメリカ人宣教師を紹介します。ラルフ・バックウオルター宣教師。戦後間もない1951年に来日し、北海道で約三十年、教会開拓に取り組みました。バックウオルター先生を派遣した教派は、メノナイトと呼ばれるグループです。メノナイトをご存じでしょうか。徹底した反戦、平和、非暴力を貫くグループで、メノナイトの信仰を持つ人々は、武器はおろか、軍服を着ることも拒否するのです。バックウオルター青年は太平洋戦争のさなか、信仰ゆえに兵役を拒否します。いわゆる「良心的兵役拒否者」です。良心的兵役拒否者は長らく迫害を受けてきました。バックウオルター青年も、兵役を拒否したために強制収容所に入れられ、罰として苦役を負わされます。戦争のさなか、三年もの間、ダム建設等の重労働で苦しみました。
戦争が終わり釈放されて、バックウオルターは聖書を学ぼうと中西部のキリスト教の大学に進むのですが、ある日、その大学において、広島で被爆した日本人キリスト者が講演を行ったそうです。ミッションスクール広島女学院の松本卓夫院長でした。松本院長は、原爆で奥様を失い、みずからも原爆症に苦しみながらも、被爆者支援のための募金活動をアメリカで行っていたのです。松本院長は講演で自身の被爆経験を語ったのですが、原爆を落としたアメリカを責める言葉は一切なく、むしろ、戦争中の「日本人の罪業を赦して欲しい」と語り、日本の再建のために、宣教師を送って欲しいと訴えたのだそうです。
バックウオルターは、この講演に衝撃を受けます。そして「赦してほしいのはわたしたちの方です。わたしたちの盲目と関心の欠如をお赦してください」と祈り続け、北海道に宣教師としてやって来たのでした。
戦後間もない頃でしたので、アメリカ人宣教師に対する風当たりは随分強かったそうです。バックウオルター宣教師は、ある日本人青年から、問いかけを受けます。「戦争中、どうせあなたも兵隊だったのでしょう。日本軍と戦ったのでしょう」と、責める口調で問われた。それに対して宣教師は、「私は兵役を拒否して収容所にいました。そして日本の人々のために祈っていました」。この言葉に衝撃を受けた青年はキリストを信じ、やがてメノナイトの牧師として、献身していくことになります。
戦争を拒否し、日本人への謝罪として来日したバックウオルター宣教師、被爆者でありつつも、キリストにある赦しを求めた松本院長。いずれも無名の人々ですが、こうした平和をつくろうとする人々の汗が、戦後の日本を土台のように下から支えてきたのだと信じます。
私たちも大きな働きはできないかもしれない。たとえ小さくとも、「平和をつくる」ために汗を流したいのです。私たちはいつも主の祈りを祈りますね。5番目の祈りは何ですか。「われらに罪を犯す者をわれらが赦すごとく」と。私たちはこの祈りを通して、毎週、小さな平和を生み出そうとしているのです。このように人を赦す私たちの祈りが、キリストのとりなしの中で、小さな平和をつくります。そんな私たちを天の父は、「わが子よ」と呼んで、その懐に迎えてくださるのです。お祈りします。
天の父よ、聖霊によって私たちの心を新たにし、平和をつくるという、この厳しくも尊い務めに向かわせてください。私たちの平和であられる主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
コメント
コメントを投稿