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父よ彼らをおゆるしください(出エジプト記32章30~35節)


説教題「父よ、彼らをお赦しください」 

聖書箇所 出エジプト32章30節~35節 
おはようございます。今日は「TCU Day・神学校を覚えて祈る日」です。いつも東京基督教大学と神学生たちを覚えてお祈りして下さりありがとうございます。本日はそれにともないキリスト者にとって祈り、その中でもとりなしの祈りについて共に考えてまいりたいと思います。

お祈り

恵み深い天の父なる神さま。本日も私たちを主の御前に集めて下さり感謝いたします。これからみことばを聞きます。主が私たちのこころに語って下さい。みことばを取り次ぐこの者も神への恐れと兄弟姉妹への愛を持って語れますようにこの唇をきよめ用いて下さい。このお祈りを主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

祈りについて

 祈りって本当にいいものですよね。一人静かなところで祈る祈りは神さまとの距離をグッと近くに感じますし、ともに祈る祈りは兄弟姉妹との交わりにもなります。また、目に見えないけれど祈りは必ず天につまれていますし、祈りはキリスト者にとって神の御業に共に与れる素晴らしい働きの一つですね。

 この祈りについて、カルヴァンという昔の教会の偉い人は祈りを「神との対話である 」と言いました。また、『ナルニア国物語』を書いた作家のCS.ルイスは、「祈りは神の御心を知り行うためのもの  」と記しました。最後に貧困や病に苦しむ人々の救いに生涯をささげたカトリックの修道女マザー・テレサは「祈りは信仰を深めます。信仰から愛が生まれ、愛からは奉仕が生まれるのです」と祈りが愛の行動を生み出すことを教えてくれました。

 このように祈りには多種多様な理解と、神と私たちとの関係において沢山の良いことを生み出す力が存在します。
 また、新船橋キリスト教会にも、それぞれが大切にしている祈りの場所、祈りのスタイルがあることだと思います。その中で私たち神学生も水曜日の夜は牧師夫婦のご自宅に集まって新船橋キリスト教会を覚えて祈りをささげてきました。そこでは祈りだけでなく、みことばの学びや近況の分かち合いなど、お茶とお菓子も提供されて、豊かな交わりの時を持たせて頂いています。

とりなしについて

これらの祈りの中で、今日共に考えていきたいのが「とりなしの祈り」についてです。「とりなし」とは、聖書では「神に対して罪を犯し、神と敵対している人のために、神と人の間に入って仲介する」という意味で用いられる言葉です。
 聖書のエピソードで言えば、旧約ではアブラハムによるソドムとゴモラの住民へのとりなしが有名です。また、新約では赤子のイエス様と出会った84歳の女預言者アンナ という人が、神殿で断食と祈りをもって夜も昼もエルサレムの贖いをとりなし祈っていました。また、聖書には「とりなし」という言葉が祈り以外の方法で用いられている箇所もあります。それはイザヤ書53章です。この箇所にはイエス様の十字架の贖いの預言である、苦難のしもべと呼ばれる者の姿が描かれており、最期の12節には苦難のしもべが「多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする」と書かれています。
 しかし、この苦難のしもべのとりなしは祈りではありませんでした。他者の罪の罰を代わりに負い痛めつけられること、それが彼の「とりなし」だったのです。このように「とりなし」という言葉には単に「彼らの罪を赦して下さい」と祈るだけではなく、その人の罪を代わりに担うという意味も含まれているのです。

モーセのとりなし

 そして、このような人の罪を代わりに担おうとした人、すなわち自分のいのちをかけてとりなしを行った人、それが今日の聖書箇所に出て来るモーセです。本日の聖書箇所をご覧ください。出エジプト記32章30節~35節です。

 まず、30節を見ますと、「翌日になって」とあるように、実は前日に重大な出来事が起こっていました。

 それは神ではなく金の子牛を神の代わりに拝むという偶像崇拝です。これは出エジプト後、荒野で主から呼ばれたモーセが神の山であるシナイ山に登っている間に起きた出来事です。民たちはモーセが山から一向に下りてこないのを見て、モーセの兄であるアロンに「さあ、われわれに先立って行く神々をわれわれのために造ってほしい」と懇願し、それぞれ身に着けていた金の耳輪を持ち寄って金の子牛の像を造り、「イスラエルよ、これがあなたをエジプトから導き上った、あなたの神々だ」と言って、偶像を拝んで礼拝したのです。

 それを知った主は怒り民たちを絶ち滅ぼそうとされますが、モーセが主の前にとりなしをし、主は民に下すと言ったわざわいを思い直されたのでした。
 その後、モーセは山から下るのですが、民たちの狂乱を目の当たりにし怒ったモーセは、「だれでも主につく者は私のところに来なさい」と言い、集まったレビ族によって民たちを剣によって処罰し、その日民のうちの3千人が倒れるという重大な出来事があったのです。

 このとき民たちは「わたし以外に、ほかの神があってはならない」「偶像を造ってはならない」「偶像を拝んではならない」などの律法に違反し、神と敵対する者となったのです。

 30節はその金の子牛による偶像崇拝の翌日の話です。モーセは民に言います。「あなたがたは大きな罪を犯した。だから今、私は主のところに上って行く。もしかすると、あなたがたの罪のために宥めをすることができるかもしれない」

 モーセは罪を犯した民のために、もしかしたら、宥めが出来るかもしれないと言って、もう一度主のところに上って行こうとします。

 この「宥め」とはレビ記において罪の贖いに関する箇所で使用されている言葉であり、神の怒りを鎮めるという意味を含む言葉です。そして、この神の怒りを鎮めるためには何らかの犠牲、すなわちささげものが必要でした。

 そして、主のところに戻ったモーセは民のために二度目のとりなしを行います。

 31節、32節前半『そこでモーセは主のところに戻って言った。「ああ、この民は大きな罪を犯しました。自分たちのために金の神を造ったのです。今、もしあなたが彼らの罪を赦してくださるなら──。』

 言葉につまるモーセの姿を見ると、彼がいかに民の犯した罪の重大さを心得ていたのかが分かります。実際にこの金の子牛については旧約でもこの後何度も言及されますし、新約でも言及されるほど大きな罪でした。「神さま民の罪を赦して下さい」と簡単に言えないほどの罪が主以外のものを神として拝むことにあったのです。

 この出来事は現代の教会で例えるなら、非常に小さく例えてみても、「例えば牧師が1週間くらいの出張から帰ってきたら、教会の副牧師と兄弟姉妹が協力して金の十字架を造り、会堂をフェスティバルの会場にして食べて飲んで踊り狂っていた」というようなビックリ仰天の出来事だと思いますが、果たして私が牧師であったらこのような副牧師と兄弟姉妹のためにいのちをかけてとりなし祈れるのかという疑問が浮かびます。

 けれども、モーセは民のためにこう言いました。「しかし、もし、かなわないなら、どうかあなたがお書きになった書物から私の名を消して下さい」この「書物」とはいのちの書 5 と呼ばれる、神が救いに定めた人の名前を書き記した書物のことです。ですから、ここから名前を消すということは、「私の救いを取り消して下さい」と言うことと同じでした。モーセは民の罪を主が赦して下さらないなら、自分も一緒に民と滅びると神に宣言したのです。

 民の罪を自分の罪として共に担う、そして同胞の救いのためにはいのちも惜しまない、神と民の間に立ち、民の罪をとりなす者の姿がここにあります。兄であるアロンがモーセから民の罪に対して責任を問われた際 6 に、言い訳をし、責任を逃れようとしたのとは非常に対照的な姿です。

 そのようなモーセに主は言われます。「主はモーセに言われた。「わたしの前に罪ある者はだれであれ、わたしの書物から消し去る。しかし、今は行って、わたしがあなたに告げた場所に民を導け。見よ、わたしの使いがあなたの前を行く。だが、わたしが報いる日に、わたしは彼らの上にその罪の報いをする」

 モーセのとりなしに応えて、主は民の罪の報いを一旦保留として下さいました。しかし、それは35節を見ると分かるように、一旦の保留であって最終的に35節がいつの出来事を言っているのかは分からないのですが、主は罪の報いとして民を打たれたのです。実際にこの主に逆らったイスラエルの最初の世代は約束の地には入れず荒野で滅びました。

 このようにモーセはいのちをかけて民の罪をとりなそうとしましたが、モーセのとりなしは全ての民の罪を贖うことは出来なかったのです。

パウロのとりなし

また、新約聖書においてもモーセと同じように同胞の救いに自分のいのちを惜しまなかった者がいます。それは使徒パウロです。彼は、かつてはクリスチャンを迫害し主イエスと敵対していましたが、ダマスコの途上で復活の主イエスと出会い、さらにダマスコに住むアナニア 7 という主イエスの弟子にとりなし祈ってもらい、主によって変えられたパウロは、主イエスの福音を運ぶ主の選びの器と変えられたのです。

 このパウロがローマ人への手紙の中でこう言っています。「私は、自分の兄弟たち、肉による自分の同胞のためなら、私自身がキリストから引き離されて、のろわれた者となってもよいとさえ思っています」

 実はこのすぐ前にパウロは手紙の中で「死もいのちも御使いもなんであれ、主イエスの愛から私たちを引き離せない 」と語ったばかりです。

 しかし、パウロは自分の同胞つまりユダヤ人の救いのためなら、主イエスから引き離されてのろわれた者となってもよいと言うのです。

 この「のろい」という言葉は神にささげられるものとか滅ぼされると言う意味の言葉で、新約においては主イエスの福音に反する者に対して、共同体から切り離される際に語られた言葉です。つまり、パウロはユダヤ人が救われるなら自分の主イエスによる救いが無くなっても良いと言っているのです。

 同胞への愛に富み、自らを犠牲として民の救いを願う、アナニアによってとりなし祈られたパウロが、今度は民のためにいのちがけでとりなす者へと変えられたのです。とりなし、祈られた体験がさらなるとりなしを生んだのです。

 しかし、このパウロのとりなしも完全ではありませんでした。なぜなら、主イエスは敵のためにもとりなし祈るように求められたからです。とりなしの祈りそれは同胞だけに向かうものではないのです。

主イエスのとりなし

「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい 10 」このように主イエスは人々に教えました。そして実際に十字架上で自分を十字架に付けた者たちのためにこう祈ったのです「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです 」

 いのちがけどころではなく、本当にいのちを捨てて敵を愛しとりなして下さったこれが主イエスのとりなしの祈りです。そして主イエスは祈るだけではなく、実際に十字架で私たちの罪のために死なれ、そして復活されました。主イエスは神に呪われた者として、神の怒りを宥めるささげものとなられたのです。 

 本当は私たちが自分の罪のためにのろわれ、神の怒りによって滅ぼされなければならなかったのにも関わらず、父なる神はその愛するひとり子である主イエスを、神に敵対していた私たちのためにささげられたのです。モーセもパウロも叶えられなかった、全ての人の罪の贖いがこの敵を愛する主のとりなしによってなされたのです。

私たちのとりなし

 では、私たちのとりなしの祈りはどうでしょうか。そのとりなしは自分の知人や友人、家族だけに限定されてはいないでしょうか。自分の敵を愛する。敵のためにとりなし祈る、そのような主イエスに倣うとりなしの祈りが私たちのうちにあるでしょうか。

 私は今回このみことばと取り組む中で自分の敵のためにとりなし祈るということを実践してみました。「自分と敵対している、○○さん、○○くんを許します。神さま彼らの罪を赦して下さい。また彼らを許せない自分の罪も赦して下さい」と祈りました。

 最初は敵のために祈りとりなすなんて嫌だなと、お祈りするのも心苦しかったです。ですから「お祈りできるようにして下さい」という祈りからまず祈りをはじめました。しかし、実際に敵対している人のために祈ってみるとその人への嫌な気持ちも薄れて、人を許せない自分の重荷も軽くなりました。御霊が励まして下さったのだと思います。

 けれども、自分のいのちを捨ててまで敵のためには祈れませんでした 12 。自分のいのちはなくなってもいいからその人が助かるように祈ることは出来ませんでした。

 このような神のことばに敵対している自分のために主イエスは十字架に架かって死んで下さったのだ。「父よ、彼らをお赦しください」この主イエスのいのちを捨てたとりなしの祈りに自分もまた含まれている。そう切に思わされる主イエスによるめぐみの体験でした。この主イエスのとりなしの祈りを覚えて、私たちも共に祈りたいと思います。

お祈り

 恵み深い天の父なる神様。本日はモーセとパウロのいのちがけのとりなしの祈りと、敵を愛し敵のためにいのちを捨ててとりなし祈って下さった主イエスのお姿を共に確認いたしました。私たちも主にとりなし祈られている者として、自分の愛する者だけでなく、自分の敵のためにも祈りとりなす者として下さい。非常に難しい試みだと思いますが、主に祈りつつ生涯かけてこのことに取り組んで行くことが出来ますように、三位一体の神が私たちを励まし続けて下さい。このお祈りを主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

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